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名ばかり王女の名もなき献身

作者: 忍畑
掲載日:2026/01/02

 リシュアは名ばかりの王女でした。


 王の十二番目の子です。ちなみにリシュアの下にも二人います。父は子だくさんなのです。

 しかしリシュアは四人いる妃の子ではありません。

 王がたわむれに手をつけた女官が産んだ娘であったのです。


 半端な余りものだったので、だれからも相手にされませんでした。


 リシュアをお茶会やパーティーに呼ぶひとなんていません。何しろ名ばかりだから。飾りにもならないのです。


 勉強もしていません。

 女官であった母は賢いひとで、読み書きやマナーを仕込んでくれましたが、リシュアが十歳の時に亡くなりました。


 せめて美しければ、だれかに愛されたかもしれません。

 けれど、リシュアは目立たない娘でした。

 母は美しいひとでしたが、リシュアは父に似ていました。

 くすんだ色合いの金髪碧眼。これと言って特徴のない顔。

 王が金の王冠と赤いびろうどのマントを脱げば、まったく王には見えないのと同じです。

 威厳? ありません。

 高貴さ? ありません。

 美しさも、賢さもありません。

 なんにもないのです。


 なんにもできない、することもないリシュアは王宮の散歩ばかりしています。

 そして時々、ちょっとだけおしゃべりをします。

 王宮にすみついた、たくさんの幽霊と。



✳︎✳︎✳︎



「幽霊さん、幽霊さん。あなたは新しく来たひとね。泣いているの? 悲しいことがあったのかしら」


 王宮にはいくつもの庭があります。

 その一角、(ニレ)の木の下に佇んでいた老人と、リシュアはちょっとだけおしゃべりをしました。

 老人は半ば透き通った身体をしています。幽霊です。涙を流しながら話し始めます。


『はやり病で、わしも、妻も、息子や嫁も死んでしまった。悲しくてたまらない』


「悲しいのね。ほかのひとたちはどこ?」


『みんな天の庭へ行ってしまった。わしは一人、まだここにいる。悲しい。どうすればいい?』


「……ごめんね。私、話を聞くだけで、なんにもできないの。名ばかりの王女だから」


『そうかね……でも不思議だ。お嬢さんと話していると、なんだか心が軽くなったような気がする』


「良かった。じゃあまたね」


『さようなら、お嬢さん。ありがとうよ』


 老人の姿が、きらきらと輝きました。

 そして楡の木の影へ溶けるように消えていきました。


 リシュアは小さく呟きます。


「……行っちゃった。幽霊のおじいさん、天の庭で家族に会えるかしら。私もいつかお母さまに会いたいな……」



✳︎✳︎✳︎



 十六歳になった今日も、リシュアはすることがありません。

 朝食をして飾りけの少ないドレスに着替えると、侍女は無言でおじぎをし、別の仕事をしに行きました。

 リシュアは黙ってそれを見送ります。

 生きている人間はみんな忙しくて、名ばかり王女なんかにかまう時間がないのです。


 虐げられてはいません。

 豪華ではなくても温かく十分な量の食事が出され、順番で世話をしてくれる侍女がいて、質素ながら王宮の中に部屋もありました。

 ただ、それ以上は、なんにもないだけ。


 でも、代わりに幽霊さんたちがいます。

 生きている人間は幽霊を恐れるものだそうですが、リシュアはちっとも怖くありませんでした。


 母を亡くしてからリシュアは幽霊の姿を見たり、話をしたりできるようになりました。

 入れ替わり、立ち替わり、色んな幽霊さんに会えるから、一人でもさびしくなかったのです。

 幽霊は普通のひとには姿が見えません。声も、普通のひとには届きません。

 話を聞いてもらいたかった、と、みんな喜んでリシュアとおしゃべりをしてくれます。

 別れ際には、ありがとうと言ってくれることもあります。

 なんにもできないリシュアにとって、それは嬉しいことなのでした。


「そうだわ。今日は薔薇園に行きましょう。きっとお花も見頃だわ」


 リシュアはにっこり微笑んで出かけました。



✳︎✳︎✳︎



 王宮の薔薇園に着きますと、それはきれいな若い女のひとがいました。

 咲き誇る真紅の薔薇にも負けない鮮やかな赤髪。白い肌。青い目に紅い唇。派手ではないけれど仕立ての良いドレス。

 そのすべてが半分ほど透き通って、向こうに薔薇の花が見えます。


「新しい幽霊さんだわ。ねえ、私とお話ししてくれる?」


『――えっ? まあ! あなた、わたしの姿が見えるの?』


 話しかけられた幽霊は驚いて目を丸くしました。


「ええ。私、リシュア。幽霊さんが見えるし声も聞こえるの」


『なんてことでしょう! ねえ、わたしの名前はテレジアよ。頼みたいことがあるの!』


「……ごめんなさい、テレジア。私、話を聞くだけで、なんにもできないの。名ばかり王女だから」


『話だけで問題ないわ! もうじき、ここにギルベルトが来るはずよ。彼に私の話を伝えてちょうだい。それだけでいいの、お願い!』


「ええっ……」


 突然頼まれたって困ります。

 リシュアはどうやって断ろうか考えましたが、その前にテレジアが小さく叫びました。


『――来たわ! ここは思い出の薔薇園だから、絶対に来てくれると思ってた。ああ、ギルベルト……』


 慌ててリシュアが振り向くと、男のひとが薔薇園へ入ってくるのが見えました。

 さくさくと地面を踏んで近づいてきます。


「あ、あのひとなの……?」


 リシュアより頭二つ分は背が高いでしょう。

 鋼色の髪と目をしています。目鼻立ちは整っていますが、何より眼光が鋭く、唇は硬く引き結ばれ、にこりともしません。

 まるで雪の上を舞う黒い鷹のようです。

 リシュアは震え上がってしまいました。


「無理よ! あんな怖そうなひとと話すなんて」


『まあ、幽霊とも話せるあなたが何を言っているの』


「幽霊さんよりも、よっぽど恐ろしいわ!」


『大丈夫、ギルベルトは顔はちょっと迫力あるけど、ほんとは優しいから』


「ぜんぜん、そうは見えません……!」


 ですがリシュアが逃げ出すより先に、その人はリシュアとテレジアがいる場所へやってきてしまいました。

 冷たい目で、じっとリシュアを見下ろします。


「あ……あの……」


 テレジアは思い出の薔薇園だと言っていました。

 きっとギルベルトというこの男性は、テレジアを想ってここへ来たのでしょう。リシュアは明らかに場違いな邪魔者です。


『リシュア、お願いよ。あなたしかいないの……ギルベルトにどうか伝えてちょうだい。わたしはモーティアン川の上流、滝があって三本の松が並んで生えている場所の近くにいるって』


「テレジア……」


 そう、テレジアは幽霊。死者の魂が地上にとどまったもの。

 テレジアはどうやら人知れず亡くなり、見つけてもらえていないようです。

 それはさびしいだろう、とリシュアは思いました。

 ひとに相手にされないリシュアだから分かります。

 たった一人、だれも来ないところへ置き去りにされてしまったテレジア。

 どんなにつらいことでしょう。


「その……突然申しわけありません。あなたはギルベルトさまですね?」


 リシュアは母に習っていた淑女礼(カーテシー)を披露してから言いました。

 ギルベルトは良い服を着ていますし、物腰から見て貴族です。

 まったく社交に呼ばれないリシュアには知識がありませんが、身分のあるひとだと思われました。


「いかにも俺はギルベルトだが……あなたは?」


「私はリシュア、十二番目の王女です。あなたにテレジアという女性から伝言があります。モーティアン川の上流、滝があって三本の松が並んで生えている場所の近くにいると」


「――――何だと?」


 ギルベルトの目が、ぎらりと光ったように見えました。


「なぜ、そんなことを知っている?! 返答次第ではただではおかんぞ!!」


「あ、それは、あの……」


 何しろリシュアは名ばかり王女。生きている人間と話すことさえ久しぶりです。

 ギルベルトに詰め寄られ、真っ青になってしまいました。

 さながら鷹のかぎづめに挟まれたコマネズミ。恐ろしくて言葉もありません。


『ちょっとギルベルト! 駄目じゃない! リシュアは悪人じゃないわよっ、わたしがやっとの思いで伝言を頼んだのに! ばか! まぬけ! あんぽんたん!!』


 テレジアがぷんぷん怒って華奢な腕を振り回しますが、幽霊なのでギルベルトには見えも聞こえもしません。

 次にポカポカと頭を叩こうとするのですが、やっぱり空振りです。


 ですが泣きそうになっているリシュアを見て、ギルベルトがハッとしました。


「あ……すまない! つい取り乱してしまった。テレジアのことを何か知っているなら、どうか教えてほしい。この通りだ」


 深々と頭を下げて謝ります。ちっぽけな、名ばかり王女のリシュアにです。

 リシュアは驚いて言いました。


「あ、頭を上げてください! 私は……信じられないかもしれませんが、亡くなった方の姿を見たり声を聞いたりできるんです……」


 リシュアはうそがうまくありません。正直だからと言うより、うそをつくような相手がいなかったからです。

 母が居なくなってからはリシュアの言葉を信じるどころか、まともに耳を傾けてもらったことさえないのです。

 ですがギルベルトはリシュアを馬鹿にしたりしませんでした。


「そんな力が? それはすごい。では、テレジアの霊が今ここにいると……?」


「え、ええ……あなたのとなりに……」


 リシュアはちょっと気まずくなって目を逸らしました。

 神妙になったギルベルトのとなりでは、テレジアがしきりに彼の耳を引っ張って、とっちめてやろうと頑張っていたからです。すべて空振りでしたが。

 ギルベルトが厳しい面差しを少しだけ緩めました。


「……ひょっとしてあのおてんばは姿が見えないのを良いことに、淑女らしからぬ振る舞いをしているのでは?」


「えっ?! いえ……その……」


 テレジアが慌てて唇に指を当て、「しーっ! 内緒よ、リシュア!」と言っています。

 リシュアは声を立てて笑ってしまいました。


「……内緒だと言っています」


「やっぱりな。テレジアらしい……」


 ギルベルトも、ほんのわずかに口の端を上げました。

 安心したようでもあり、さびしそうでもありました。



✳︎✳︎✳︎



 ギルベルトは辺境伯の息子でした。

 そしてテレジアのことを三年も探していたそうです。

 辺境伯領には恐ろしい魔物がたくさんいます。

 三年前、馬車で出かけたテレジアは、不幸にも魔物に襲われて行方知れずになりました。

 大きなオオカミに似た魔物で、馬車へ押し入ってテレジアをかみ殺したあと、くわえて森の奥へ駆け去ってしまったと言います。

 テレジアの両親は深く悲しみました。

 ギルベルトも悲しみ、さらに怒りに燃えて魔物を退治して回りましたが、連れ去られたテレジアを見つけることはできなかったのです。


「もう見つからないものと諦めていた……まさか幽霊になって王宮にいるとは」


 リシュアとギルベルト、そしてテレジアの幽霊は、薔薇園の中にあるガゼボにいました。


『わたしの声を聞いてくれるひとを探して、あちこちをさまよっていたの。でも見つからなくて……それで都なら、ひとがいっぱいいるから何とかなるだろうと思ったのよ』


 テレジアは、リシュアにだけ聞こえる声で言いました。

 死者の魂は強い未練を抱えていると、神がまします天の庭へ行けません。

 だれかに話を聞いてもらうため、ひとの多いところへ、より活気にあふれた場所へ、自然と引き寄せられていくのだそうです。

 そうやって王宮へ辿り着いたテレジアは、ギルベルトと薔薇園を歩いたことを思い出して……

 もう一度ギルベルトに会いたくなり、待っていた――――というわけだったのでした。


「王宮には、悪しきものを寄せ付けない魔法の壁があるはずだが……効果が弱まっているのかもしれないな」


『ひどいわギルベルト! わたし、悪しきものなんかじゃなくってよ』


 ふんすと怒ってみせるテレジアは、もう亡くなっているとは思えないほど明るく元気です。

 でも、それはギルベルトがとなりにいるからなのだろう……とリシュアは考えました。

 こうして見ても美男美女、お似合いの二人です。本当に仲が良かったのでしょう。


 リシュアは羨ましくなりました。

 恋人たちが、ではありません。

 血の通った温かい交流が懐かしくなったのです。

 母と共にリシュアが失ってしまったものでした。


 けれど、楽しい時間はすぐに終わってしまうもの。


「――こうしてはいられない。辺境伯領へ戻って今度こそテレジアを見つけてみせる。もう行かなければ」


 ギルベルトが席を立ちました。


「王や大臣に話があったんだが、無能ばかりで時間のむだだった。テレジアを探す方がずっと大事だ」


「名ばかりの私には何もできませんけれど、幸運をお祈りしています。どうかテレジアを見つけてあげてください」


「あなたは優しいな、リシュア王女。改めて、さっきは無礼をして大変申しわけなかった。あなたの慈悲に最大の感謝を」


 ギルベルトはきれいな所作でおじぎをすると、マントをひるがえして去っていきました。


『わたしもギルベルトについていくわ。本当にありがとう、リシュア! あなたがいてくれて良かった……』


 テレジアも透き通った身体で見事な淑女礼(カーテシー)をして、ギルベルトについていきます。


 リシュアは静かに二人を見送りました。

 紅い薔薇が、はらはらと花びらを落としていました。



✳︎✳︎✳︎



 それからひと月ほど経った、ある夜のことです。


『――リシュア、ありがとう! 何もかもあなたのお陰よ』


 リシュアの夢枕にテレジアが現れました。

 やはり半分ほど透き通った身体をしています。

 ですが以前と違い、きらきらした美しい光を全身にまとっていました。


「テレジア! ギルベルトさまに見つけてもらえたのね?」


『ええ、そうよ! わたし、ようやく帰ることができたの』


 モーティアン川というのは辺境伯領を南北に貫いて流れる、大きな川だと言います。その上流の川沿い、と一口に言っても途方もなく広大なのです。

 しかしギルベルトと辺境伯家の家臣たちは、テレジアがリシュアに語った手がかりを元に探し続けました。

 そしてついにテレジアのなきがらを見つけ、連れ帰ったのだと言います。


『お父様もお母様も泣いていた……でも安心させてあげることができたわ、これ以上苦しませなくて済むの。お墓も作ってもらえたし、良かった。これでみんな、区切りをつけて前へ進めるわ……ギルベルトもね』


「ギルベルトさま…………」


 リシュアの胸は、つきんと痛みました。

 テレジアを見つけ出したのは、みずから捜索に当たっていたギルベルトそのひとであったそうです。

 愛するひとの変わり果てた姿を目の当たりにして、つらくはなかったのでしょうか……


『――ねえ、リシュア。天の庭へ行く前に、もう一つだけお願いがあるの。聞いてくれる?』


 するとテレジアが言いました。

 まだ心残りがあるようです。

 リシュアは迷わずうなずきました。ほんの短い間でしたが、明るくほがらかなテレジアが友達のように思えていたのです。


「もちろんよ、テレジア。ただ、私にできるかしら」


『ありがとう、リシュア! お願いというのはギルベルトのことなの。そう遠くないいつか、ギルベルトはあなたに会いに来るはずよ。そうしたら……』


 テレジアは静かに、美しく微笑みました。

 ――若くして命を落とし、無念があってもおかしくないのに。

 憎しみも悲しみも純化したように、紅い唇をほころばせてみせたのです。


『――そうしたら……今度はギルベルトが、あなたに願い事をすると思うの。どうしてもあなたが嫌でなければ、ギルベルトの願いを叶えてあげてくれる?』


「えっ……私が?」


『ギルベルトは、あなたにできないような無茶は言わないわ。だからお願いよ、リシュア……』


 リシュアは少し考えました。

 ギルベルトはまっすぐな人です。テレジアが言う通り、リシュアに無理強いはしないでしょう。

 もし断ってもリシュアを恨んだり、ひどい言葉を投げつけたりもしないでしょう。

 ギルベルトとテレジアは、リシュアが久しぶりに出会った信じられるひと。

 ですからリシュアは、首を縦に振りました。


「分かったわ。私にできるのであれば……」


『あなたなら大丈夫よ。ああ、良かった! これで心置きなく、天の庭へ昇っていける』


 テレジアを取り巻く金色の光が、きらきらと一際美しくきらめきました。

 その光にテレジアの姿は溶けていき、ひとすじの輝きになって空へ還っていきます。


『リシュア、心からの感謝をあなたに贈ります……あなたの献身を決して忘れないわ――――』



✳︎✳︎✳︎



 テレジアの言葉通りにギルベルトがやってきたのは、それからまた、ひと月と少し過ぎた頃でした。


 出会った時に咲いていた真紅の薔薇は花の季節を終えていて、今は白い薔薇が盛りです。

 薄曇の空の下、弔うように、風に揺れる花々。

 景色はきれいだけれど、リシュアはさびしくてなりません。

 紅い薔薇さながらに、誇り高く凛としていたテレジアはもういないのです。


 さくさくと地面を踏む音がして、振り返るとギルベルトが立っていました。


「ギルベルトさま……」


 リシュアの頬を涙が伝いました。

 聞かなくても、ギルベルトの目を見れば分かってしまいます。

 やはりテレジアは行ってしまったのだ、と。

 夢で彼女が話してくれたあれこれは、すべて真実だったのです。


「ギルベルトさま。テレジアは……」


 それでもリシュアは尋ねました。聞かなければならないと思いました。短い間でも、彼女はリシュアが初めて得た友だったのですから。


「あなたが教えてくれた通りの場所に居た。ようやく家に連れて帰ってやれたよ」


「そう、ですか。私……テレジアが生きているうちに、友達になりたかった」


 涙がさらにあふれてきました。

 するとギルベルトはためらいがちに、ハンカチを出してリシュアの目許を押さえてくれました。こわれものを扱うよりも、そっと。


「ごめんなさい。子供みたいで恥ずかしいわ、ギルベルトさまの方がつらいのに」


「いや……俺は大丈夫。もう、だいぶ前から覚悟はできていたんだ。リシュアこそ、テレジアのために泣いてくれてありがとう」


「ギルベルトさまは、優しいですね。テレジアが言っていた通りだわ」


 リシュアはやっと顔を上げて、微笑むことができました。

 一方、ギルベルトはきゅっと眉をひそめます。


「……テレジアがそう簡単に俺をほめるとは思えないんだが。本当にそんな気恥ずかしいことを言ったのか?」


「えっ?! え、ええ、まあ……」


 ――顔は迫力があるけど本当は優しい、だなんて本人に言えるものではありません。

 リシュアはこほんと咳払いをしました。


「そうだわ。少し前、テレジアが夢に出てきて言ったんです。ギルベルトさまは、私に何か願い事をするはずだって……本当ですか?」


「………テレジア………あのおせっかいめ、リシュアにまで余計なまねを」


 ギルベルトはつぶやいて、リシュアから目を逸らします。

 リシュアは首をかしげました。


「ギルベルトさま?」


「……あなたの純粋さにつけいるようで気が進まない……が、俺はなかなか王宮へ来られる身ではなく、次はいつ会えるか分からないから……」


 ぽつぽつと言いわけをした後、ギルベルトはためらわず片膝を落としてひざまずきました。


「……ギルベルトさま?!」


「リシュア王女……いいや、リシュア。願いを叶えてくれるなら、どうか俺の妻になってくれないか」


「つ、つま?! 妻って、あの妻ですか?!」


「どの妻かは分からないが、要するに結婚してほしい」


「なぜ名ばかり王女の私なんかと」


 慌てふためくリシュアを見て、ギルベルトは小さく笑いました。


「実は、テレジアは俺の夢にも現れたんだ。自分はもう苦しんでいないから、俺にも幸せになってほしい。ふさわしいひとと光ある人生を歩んでくれ、と言われた。……真っ先に浮かんだのが、あなたの顔だった」


 テレジアは最後にギルベルトとも話して……しかも、彼の背を押していたようです。

 その後はリシュアにも。

 二人が結ばれるように仕向けていたのです。


「で、で、でも、ギルベルトさまとテレジアはあんなに想い合っていて――――」


「何だと……? テレジアはあなたに言っていなかったのか? 俺はてっきり知っているものだとばかり……あのな、リシュア。俺とテレジアは双子のきょうだいだ」


「えっ?!」


「見た目はぜんぜん似ていないが、うそではない」


「えええっ?!」


「だから問題はないんだ。俺は今まで女っけがなく、テレジアは無論、他に恋人や婚約者がいたこともない。辺境伯領は都から遠いが、あなたに不自由をさせないようにする。どうだろうか」


「ど……どうだろうかって……ど、どう……??」


 リシュアは目が回りそうになりました。

 でも……よくよく思い返してみれば、テレジアは一度だってギルベルトが恋人だと言ったことはありませんでした。

 二人のあいだには気安い空気がありましたが、確かに男女というより、家族でもおかしくはなさそうな……


 では、本当にリシュアが勘違いしていただけ……?


 うろたえるリシュアを、ギルベルトが見上げています。

 その目に、今までなかった情熱のようなものが浮かんでいるのは気のせいでしょうか。

 そう、彼はうやうやしくひざまずいたまま、リシュアの返事を待っているのです。


 脳裏にテレジアの言葉が蘇りました。

 ――どうしても嫌でなければ、ギルベルトの願いを叶えてあげて、と。


 どうしても嫌…………では、ありません。


 おずおずと、リシュアは差し出されたギルベルトの手を取りました。


「名ばかり王女でなんにもできませんが……それでもよければ……お受けします」


「あなたが何もできないなんて思わないが、仮にそうだとしてもかまうものか。ありがとう、リシュア!」


 ギルベルトはぱっと破顔して立ち上がるなり、リシュアを抱き上げ、くるくると振り回しました。


「ギルベルトさま?!」


 リシュアは再び目が回りそうになりました。

 いつも気難しい表情をしていたギルベルトが笑っています。

 屈託なく笑った顔は――テレジアにそっくりです。

 鋼色の目に生き生きとした光が宿っていました。

 冬の曇り空に射し込んだ朝陽のようでした。



✳︎✳︎✳︎



 ギルベルトはその足で王に謁見し、リシュアを妻にしたいと願い出ました。

 王は「そう言えば、こんな娘もいたような」という顔をしましたが、反対はしませんでした。

 名ばかり王女のリシュアですから、惜しむ理由はなかったのです。

 リシュアはごくわずかな私物をまとめ、ギルベルトや家臣たちと共に辺境伯領へ旅立ちました。


「――外の世界には、幽霊さんも魔物もたくさんいるのね」


 王国にはその昔、とても偉大な魔法使いがいました。

 彼は都と王宮を守るため、目には見えない強力な魔法の壁を築いたと言います。

 ですから、魔物が入ってくることはないのです。

 でも、ここはリシュアが初めて目にする王宮の外。

 外壁を越えれば、恐ろしく……けれど美しい世界がどこまでも広がっていました。

 リシュアには珍しいものばかり。目を輝かせ、ギルベルトに質問します。


「ギルベルトさま、ギルベルトさま、あれは何ですか? まあ、そうなのですか……ではこれは? それから、そっちは?」


 ギルベルトは一行を率いる立場ですから、それなりに忙しいのですが、いつも面倒がらずに教えてくれました。

 外の景色を見たがるリシュアを自分の馬の前に乗せて、一緒に歩いてくれることもありました。

 ところが、ある日ぽつりと言ったのです。


「なあ、リシュア……たまには、俺のことも見てくれないか?」


「ギルベルトさま――――」


 リシュアの頬は瞬く間に、りんごよりも赤くなりました。

 ですが、もちろん嫌ではありません。

 今のリシュアは、ギルベルトが願うなら何でも叶えてあげたいと思っているのです。


「わ、分かりました……ギルベルトさまを一番に見ることにします。それくらいなら私にもできますから」


「それくらい、で片付けてもらっては困る。俺はあなたが一番に見てくれる幸運な男でいたい」


 ギルベルトはお世辞ではなく真顔で言うものですから、リシュアの頬に実ったりんごは一向に元に戻りません。

 リシュアを馬鹿にせず、話を聞き、誠実に向き合ってくれる……

 ギルベルトはいつも、リシュアの小さな太陽です。

 本当は順番なんて付けられないくらいなのですが……


「……では二番目か三番目でしたら幽霊さんとお話ししてもいいですか? 今日会った幽霊さんは、大工だったそうなんですが」


「大工?」


「この街道の先にある橋は木材がいたんできているから、私たちが通るのはやめた方がいいって言うんです」


「すぐに人をやって調べさせよう」


「ご、ごめんなさい。余計な話かもしれません」


「ちっとも余計ではないさ、本当に俺は幸運な男だ……まったく! リシュアが何もできないだなんて、だれが言ったんだ?」



✳︎✳︎✳︎



 辺境伯領のひとびとは、やってきたリシュアを喜んで迎え入れました。

 明るいテレジアは領民にもしたわれていて、いなくなった時はみんなが自分のことのように悲しんだのです。

 そんなテレジアの魂を救い、連れ帰る手伝いをしたリシュアはだれからも深く感謝され、ギルベルトとの婚約を祝福されました。


 それは辺境伯夫妻、つまりギルベルトとテレジアの両親も同じでした。

 父である辺境伯ベイルエントは、ギルベルトとよく似ています。彼がもう二十年ちょっと年を重ねてひげを蓄えれば、こうなるだろうと思われる堂々とした偉丈夫です。

 その奥方であるマリーウェザーはテレジアと瓜二つ。年が離れた姉妹と言っても通るほど若々しくもあでやかな貴婦人ですが、「私にもう一人、かわいい娘ができたのね」とリシュアを抱きしめてくれました。


 そうです。

 リシュアは素晴らしい家族の一員になったのです。


 たくさんの喜びに包まれて時が過ぎました。


 リシュアは義母になるマリーウェザーから、貴族の夫人に必要な手解きを受けました。

 名ばかり王女だったリシュアですが、これまで学ぶ機会がなかっただけで、真面目な努力家でした。亡くなった実母のお陰で基礎はできていましたし、乾いた砂が水を吸うように教養やマナーを身につけて、美しく立派なレディになりました。


 そしてテレジアが大好きだった、真紅の薔薇が咲く頃に。

 大勢のひとびとに祝福されて、ギルベルトと結婚式を挙げたのでした。



✳︎✳︎✳︎

 


 一方、リシュアが去った王宮は――――


 特に、どうともなっていませんでした。見た目の上では。

 名ばかり王女がいなくなったところで別に困りませんし、悲しくもありません。


 だれも知りませんでした。


 偉大な魔法使いが築いた魔法の壁も、長い長い年月が経つうちに、少しずつほころびが生まれていたこと。


 その隙間から幽霊が入り込み、人知れず王宮を歩き回っていること。


 数がだんだん、増えていきます。


 ――だれか、話を聞いてくれ。

 この未練を、恨みを、悲しみを、一体どうすれば良い?


 無能な王のせいで死んだ者がいます。

 宝石好きな妃が重い税をかけ、暮らしてゆけなくなった者もいます。

 大臣も、将軍も、パーティーに集う貴族たちも。

 みんな目先のぜいたくしか考えていませんでした。


 幽霊を見て言葉を聞いてやれる者がいないので、憎しみと嘆きの声は日に日に大きくなってゆきました。


 そうして、ある日。

 ぱちん、とはじけてしまいました。



 魔法の壁と一緒に。



 たちまち、恐ろしい魔物が群れをなして都に襲いかかりました。

 王宮はどこかから上がった火の手に包まれて三日三晩燃え続け、ついには灰になりました。

 王国は、いともあっけなく滅びてしまったのです。


 逃げ延びた者は口々に言いました。


 ごうごうと燃えさかる炎のあいだを縫うように、きらきら輝く無数の光が空へ昇っていくのを見た――と。



✳︎✳︎✳︎



 生き残ったひとびとは、続々と辺境伯領にやってきました。

 だれが言い出したのかは分かりません。

 ですが、いつの間にか、そこには豊かで平和な土地があるのだと知られるようになっていました。

 辺境伯家は落ち延びてきたひとびとを受け入れて仕事を与え、真面目に働く者を大切にし、さらに大きく豊かになっていきました。


 やがて、新たな王国が生まれました。

 辺境伯ギルベルトとその妻リシュアの最初の息子、テレジオスと名づけられた赤髪の若者が金の王冠を戴いて、国をよく治めました。


 ……はじめは、ギルベルトこそが王に推されていました。

 しかし彼はいくら周囲に勧められてもかたくなに断り、テレジオスが王位に就いた後は「隠居してもう何もしない」と宣言して、妻のリシュアを伴って旅に出てしまったのです。


「まったく、父上には困ったものだ。いくら母上と水入らずで過ごしたいからと言って……」


 テレジオスはぼやきましたが、両親を無理に連れ戻そうとはしませんでした。


 ギルベルトとリシュアは、本当になんにもしていないわけではありません。

 王国を隅々まで見て回り、小さな災いの芽を小さなうちに摘みとること――その使命に専念しているのです。


 民がいるからこそ国があり、それを治める王がいる。


 名もなき死者の声を聞く母の献身と、片時もそのとなりを離れない父の武勇と知略によって、王国の安寧はひそやかに保たれている……

 若き国王テレジオスは、そのことをよく心得ていたのでした。



 新たなる王国は、長く穏やかに栄えたと言います。

 テレジオスをはじめとする、ギルベルトとリシュアの子供たち。

 そしてあまたの、名もなき民の献身によって。



〈終〉


1/2、20:10微修正

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― 新着の感想 ―
ほっこりしました。 ギルベルトが王にならなかったのは、妻のためだったんだろうな。。
なんでしょう、この、良質な童話を読んだ時のような爽やかで優しい読後感…… ありがとうございました
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