Ⅲー5 「二万ばかし貸してくんねえか」
Ⅲー5 「二万ばかし貸してくんねえか」
これが何回目かのもう一杯だった。
コップに酒をつぎ終えた店員は、伊藤と私を見比べた。ここでお勘定を締めたいのですが。いくら。
「いいよ、俺が」
そういって伊藤は立ち上がってぐいとコップをあおると、テーブルの端に体を打ちつけながらそのまま表に出て行った。
私はしばらく待って伊藤が戻らないのを確認してから、勘定を済ませた。
「よく来るの、あの人」
「そんなに」
「いつも、ああなの」
「ええ」
店員は苦笑いとも渋面とも取れる曖昧な顔で釣り銭を返してよこした。
店の表にも伊藤の姿はなかった。そうか、なるほどね。
私は自分に納得させて表通りに出ようとすると、通りと反対側の、ガードよりのさらに奥へ入った暗がりからこちらへ手招きしている影がある。まさか。
近づいてみた。
伊藤だった。ずんぐりした体つきが懸命に手招きしている。ずいぶん押さえた声で呼んでいた。
「こっちへ、早く。こっちへ。ほらほら、早く、早くう!」
伊藤の右手は早くなって動いた。どうしたんだ。こっちへ早く。えっ、どうしたんだよ。早く、こっちへ。
私は、伊藤の横に立った。
「ここんとこに、ここんとこ、よく見てみなよ」
伊藤は地面を指差していた。
しゃがみ込むと、表通りの明るさがよく見えた。逆に、そこからはここがまるで見えない位置にあった。
「若い女がよく見えるだろ」
ああ、と答えて立ち上がろうとすると、私の顎の下に固い腕が入ってきて、後ろから頭を押さえられた。
「悪りぃけどよ、二万ばかし貸してくんねえか。明後日まででいいんだ。必ず返す。はっきし言って、明後日の九時、ここに持ってくる。いや、一〇時だ。金が必要なんだ。かかあが待っているんだ」
酒臭い息が耳元で言った。