第六話:町で迎える夜
領地の本邸では数百人、そこから距離があるからと構えられていた首都の別邸でも百数十人規模での使用人と生活をしていて身の回りの世話の全てはその中の侍女に担当して貰っていた公爵令嬢にとって、
全てを自分でこなさなければならない庶民の生活というものは楽しくも難しい。
貴族だけでなく多くの平民と出会ってきたけれど、
領主様のおかげで平和だと、裕福だと語りながら自分で自分を世話し、大人はさらに子供の世話を焼き、長子は下の子達を支えながらさらに日々の仕事をこなしている彼らは皆その苦労を感じさせることはなかったから、正直、ここまで大変だなんて思わなかったと言えば嘘になる。
少なからず苦労はあると思っていたけれど、でも、1日の時間が足りないと感じるほどだなんて。
「だから平民は取捨選択をするんです。入浴は2日に1度とか、3日に1度とか……料理は、貴族のように保存機器を持ち合わせていないから燻製や乾物のようなそのまま保存できるものを作り、数日間に通った食生活ことも不思議じゃなかったりとか」
「……私は酷い贅沢をしているのね」
移動中こそ我慢せざるを得なかったけれど、町に着いてから2日間一度も入浴を欠かしていない。
それなのに、と、わたくしは後ろで髪に触れ優しく乾かしてくれているリリィへと少し振り向く。
「貴女に侍女紛いのことさせているなんて……頻度を落とすべきかしら」
「これはいいんですよ。やらせて頂いているだけなので」
「そんな贅沢を許されていいのかしらって話」
「私にとっての贅沢なんですけど」
リリィは「乾きましたよ」と、湿った質素なタオルを片手に後ろから抱き着いてくる。
一般的な令嬢よりも背が高く筋肉で硬いはずの肩を彼女は不思議と触れてくることが多かった。
男勝りだとか相応しくないとか揶揄する貴族とは違い、彼女だけは「守るものがある背中」と面白いことを言っていたのを今でも覚えている。
その背中を見るのが好きだとも言っていたから、こうして近づき触れるのは彼女なりの贅沢ということなのだろうか。
何の冗談なの。と一笑して彼女の細い腕に触れる。
私よりもしっかりと貴族令嬢らしいのに、貴族令嬢とは認められず爪弾きにされていたリリィ。
治癒魔法と呼ばれる伝承にしか存在しないほどの貴重な力を秘めている彼女は、それをひけらかすことなく隠し、むしろわたくし達だけの秘密として伝えてくる子。
「……私、もしもあんなことにならなければソフィア様の侍女になろうかなって考えていたんですよ」
「あら。聞いた覚えがないのだけど」
「だって言っておいて駄目だったら嫌じゃないですか。それに、能力ではなく繋がりで抜擢されるのもなんだか嫌だなと」
だから試験が通って正式に採用されたらとか考えていました……とまで言ったリリィは「嘘です」と寂しそうに言う。
「王太子殿下に目を付けられちゃっていたので、絶対に無理だったと思いますから」
それさえなければという前提での夢でしたと零し、リリィはわたくしの耳元で「そのおかげでこうして一緒に居られているのが複雑です」と呟く。
確かにと同意すると彼女は可愛らしく笑った。
「魔獣討伐ではあまり目立たないでくださいって言っても、きっと無理だろうなぁ」
「あまり前には出ないつもりよ。新人らしく大人しく指示に従って怪我をしないように気を付ける」
「あの戦いを見せたら最前線に出されると思いますよ。戦い慣れているというアドバンテージが大きいですし、何より模擬戦とはいえカーンさんを制圧しちゃいましたからね。言いふらされることはないと思いますが、期待はされてしまうかと」
当事者のわたくしよりも自慢げに聞こえるリリィの声は、さらに高揚に満ちたのか鈴を転がしたかのような笑い声が漏れて。
「私はそんなソフィの連れだと自慢します。婚約者ほど効力はありませんが、きっと、ソフィの武勇伝は私達を守ってくれるでしょう」
平民は貴族ほど偏屈なプライドを持ち合わせてはいないものの、自尊心が一切ないなんてことはない。
自分よりも強い相手がいるのであれば身を引こうとするし、多少なりとやっかみもするだろうけど貴族のような陰湿な手の出し方はしてこない。
俺こそがと声高に宣言し、勝負を申し込んでくる程度だとリリィは語る。
「だから私のことを守ってくれるソフィを、私も護りたいと思います」
「あなたはもう、わたくしを救ってくれたわ」
生きることを諦めたわたくしを、貴女は新しい世界へと連れ出してくれた。出ていくきっかけをくれた。
わたくしを形作っていたものを捨て去る覚悟と勇気を与えてくれた。
これ以上を与えてくれるだなんて、それこそ贅沢な話ではないだろうか。
「いえ。それはおあいこなので」
すっと離れていくリリィの残った温もりが冷めていくけれど、まだすぐそばにいてくれているのが分かるから寂しいとは感じないが、きっと、一人で国外追放などの処罰を受けていたらわたくしの人生は酷く空虚だったに違いない。
「なら、どう護ってくれるのかしら」
「ソフィには私がいるので諦めてくださいって」
本気か冗談か測りかねた沈黙が流れると、リリィは「二人きりでこんな場所だなんて遅かれ早かれ噂が流れそうですし」と続ける。
養護院への仕送りの為とか、人の多いところは云々だとか設定を作ってはいるけれどその裏を考えてくる人は後を絶たないだろうからあり得ない話ではない。
「互いに相手がいるという感じにしちゃいませんか? こう、露骨にではなく、雰囲気的にって感じで」
「相手、ねぇ」
本来の私達は別にそういう関係ではなく、友人以上恋人未満……リリィ曰く運命共同体。
設定としては仕送りという体を崩すことなく、2人でわざわざ僻地に出てきた理由の一つとして用意し、
学園で起きた面倒な諍いに巻き込まれないようにしようというリリィの 言い分は正しい。けれど、少し寂しいと感じる心は飲み込む。
「良いわ。もう、ああいう婚約破棄みたいな騒動はこりごりだから」
「私もです。守られるだけのか弱い娘だなんて、思われたくないですよ」
互いを利用しているというみたいに嘯いて合意する。
町には基本的に平民しかいない為、婚約騒動に発展することはほぼないだろうけれど、念には念を。
そういう考えで取り決めてぐっと身体を伸ばす。
リリィのおかげで左足は何も問題なく治癒し、首の痣もわずかに薄くなったし痛みもない。
軽く喉を摩りながら、雑に敷かれた床の布団に横になる。
王都ならばまだ明るい時間でもこの町では大分暗く、時間感覚が狂いそうになるから寝るのは少し早めだ。
「おやすみなさい。リリィ」
「はい。おやすみなさい。ソフィ」
粗雑で質素、そして、物置よりも狭い部屋。
硬くて、目が粗くざらつきを感じる布の感触は寝心地が良いとは思えないけれど、
今まではあり得なかった仲のいい姉妹のような距離感で並ぶ寝具。
「おやすみなさい」
その嬉しさから滲む、二度目の言葉にも「おやすみなさい」とリリィは優しく返して。
隣から感じる視線に目を向け、軽く笑ってそうっと手に触れる。
今こうして抜け出した後の世界が夢ではないと実感するかのように温もりを感じながら、目を閉じた。