第五話:採用試験②
ソフィア様の剣術の腕前は剣術専攻の男子生徒に比べればどうしても劣ってしまうけど、
長く受け継がれ洗練された王国剣術を熟知し、力負けしてしまう部分を拳闘術における合気法で補い自己流に調節してきたソフィア様独特の戦い方は、対戦……特に人形との戦いにおいて真価を発揮する。
さらにそこに魔法を持ち込むから実戦での戦績はトップクラスで、赤色の討伐作戦で召集を受けるほどだったりするらしい。
赤色とは国が定めた敵性生物の危険度の指標で、黒紫赤黄橙緑青白の順で危険になっていく。
その上から三番目だというのだから、相当な実力なのだとは思う。
ここにくるまでの道中も平和だったため、ソフィア様のまともな戦いは実は初見だったりする。
なにせ、私は魔法こそ使えるけれど実戦では役に立たない完全に後方支援向きなうえ、あまり大っぴらに使うようなものでもないこともあって授業を除いて実戦経験は皆無だったし……その授業はただの、狩りの獲物だったから。
そんな喧騒しか知らない私の目の前で繰り広げられている戦いはとても静かだった。
ソフィア様とカーンさんは互いに木剣を手にしたまま向かい合い、観察し合うように距離を測って少しずつ構えが変わる。
派手に打ち合わずじわりじわりと進んでいき、ほんの一瞬の隙を見せたらそこで勝敗が決まるような、
猪突猛進な獣とは違う人と人との戦い。
模擬戦闘とは言えど、真剣だからこその緊張感が私にまで伝わってくる。
そして――緩やかな動きから一転、ソフィア様が先手を取った。
踏み込むと同時に木刀を両手持ちから左手一本に持ち替えながら、勢いよく右下から斜め一閃に切り払う。
刃のない木製の剣とはいえ、振るい方次第では人を殺めることもできてしまうその一撃をカーンさんは半歩下がるだけで回避すると、振り抜けたソフィア様の左側から首の骨を叩き折ろうとでもいうかのように横一閃に薙ぎ払って。
ドゴッっと鈍い音が聞こえ、カーンさんの体が飛ぶように浮く。
めり込んだのはカーンさんの木刀ではなくソフィア様の右拳。
「卑怯とは言わせませんわ」
「はっ――」
ソフィア様の申し訳なさ気な一言になぜだか嬉しそうな表情を見せたカーンさんに地を踏み込んだ左からの蹴りがわき腹に突き刺さる。
いや、そう見えただけでソフィア様の足はカーンさんの腕にがっちりと掴まれてそのまま逆へと――
へし折られる前に飛び上がった右足でカーンさんに側頭部をけ飛ばし、けれど、彼はその足を決して放すことなく踏ん張ってソフィア様の細い首を力強く掴んだ。
「確かに俺は木刀での攻撃のみとは言わなかったな。雰囲気に似つかわしくない意表を突いた蛮族のような戦い方……惚れ惚れするよ」
「ぐっ……」
「害獣だけでなく、人間相手にも戦い慣れているなお前」
問いかけているはずなのに、カーンさんはソフィア様の首を絞めあげる力をまるで緩めようとしていない。
それどころか、そのまま絞め落としてしまおうとしているかのように腕に力が入っていくのが見える。
ソフィア様は死に物狂いで逃れようとするでもなく、ただ、ほんの少し息苦しそうに彼の力強い腕を両手で掴むと、
彼自身の体を軸として右足を振り抜き、頭ではなく下顎を打ち抜く。
今度こそダメージが入ったらしいカーンさんはよろめいてソフィア様の左足を解放し、そのまま地面を転がって距離を取ったソフィア様が体勢を立て直しながら右足で踏み込んで一気に距離を詰め、木刀で木刀を引っ叩いた。
力がわずかに抜けていたらしいカーンさんの手からすっぽ抜けていった木刀を横目に、ソフィア様はカーンさんに飛び込んで押し倒し、喉元に木刀を突き立てる。
「わたくし達がなりふり構っていられないと、ご認識頂ければと思いまして」
ソフィア様はそう言いながらにこやかに笑みを浮かべて「降参してくださいな」と、容赦なく喉元へと木刀を押し込む。
横ではなく縦に構え、確実に急所を貫こうとする動きにはさすがのカーンさんも高らかに笑って「分かったわかった。認めるよ」と体の力を抜いたようで、地面にそのまま寝転がった。
「先ほどの答えですが、わたくしは身を護る術として大切な方を守る力としてもちろん対人戦も想定した修行を積んできています」
それはソフィア様が公爵令嬢だったが故ではなく、それに付け加えて次期王妃になり得る王太子妃という立場になるはずだったからだ。
王太子妃や王妃自身が命を狙われる可能性がゼロとはいえず、当然ながら陛下や王太子殿下も同じで、その伴侶であるソフィア様はその命を守れるだけの力を備えていなければならなかった。
蛮族のようだとカーンさんは言ったけれど、命を懸けたやり取りには名誉も品位も淑女もないというのがソフィア様の考え。
令嬢としては普通ではないし、騎士道と言った立派なものを損なっているとも寂しそうにぼやいてもいたけれど。
「害獣駆除、雇い入れて頂けますか?」
「……二言はないさ。力があるのは間違いないようだから引き取ってやるよ」
ただし仕事の開始は明日からだと続けたカーンさんは助け起こそうとしたソフィア様を拒むと、気にすることないと言わんばかりに軽やかな動きで立ち上がって「今日は休め」と私達2人をその場に置き去りにして家へと帰ってしまう。
それを見送って「ソフィ」と声をかけてその肩に手を貸して左側を支える。
「左足それ脱臼してますよね。首も……青くなっちゃってますよ」
「そうでもしなければ、彼に一矢報いるのも難しかったわ」
「でもっ」
「ええ、悪かったことは間違いない」
怪我をしないでと頼んだ私に申し訳なさそうにしつつも、落ち着いてと言うように寄りかかってくるソフィア様。
本来であれば魔法も扱うソフィア様にとって、癖にまでなっているだろう魔法を使わないように気を使わなければならなかったのは相当なハンデだったかもしれない。
いや、きっと、そう……だから困ったのだと私は思う。
「脱臼だけは治療しますから」
「リリィ」
「駄目です。脱臼だけはダメです」
本当は首も治療したいんですよと耳打ちするとソフィア様は軽く首を摩って息をつく。
ため息一つで少し渋い顔をする辺り、痛みはまだ残っているようだ。
けれど目に見えている青痣が半日程度で何事もなかったかのように治るのは聊か不自然だから仕方がない。
だからせめて、目に見えていないところくらいは治してあげたい。
「……分かったわ。けど、家まではこのまま甘えさせて頂戴ね」
「もちろんですよ」
私の治すはただの治療ではなく、魔法による治癒。
大抵のものであれば瞬く間に元通りに治すことができてしまう世にも珍しい治癒魔法で、これは私固有の能力のようなものではないかと私達は考えている。
その代償なのか、普通の魔法は本当にからっきしで上手く発動させることができず、
火の玉がロウソクが消える瞬間の残り火だったり、水球が気泡だったり……散々な結果だったのも虐められる要因の一つだった。
だけど、現世ではその類の魔法を使える人は一人もいないとされているし、過去の文献においてそういった力を持っていたとされるのは聖女様のみだという話だからこのことは2人だけの秘密で誰にも話さなかった。
ソフィア様の努力を知る対価として……ううん、これはただ私が秘密の共有関係をより強固にしたかっただけではあるけど。
手のひらを返されるのも、男爵様にも王太子殿下にもこれ以上粘着されたくなくて、隠し続けている。
とにかく、知られたら騒動が起こること間違いないこの力を使うには家に帰って誰にも見られないようにしなければならない。
「貴女の力があるから無茶したわけではないのよ。本当に」
「……分かってます」
「ただ、力ある者がいると分かれば安全になるかと……」
「怒ってませんから」
私が怒っているとでも思っているのか、心配そうな声色のソフィア様に口を挟む。
怒っていないは嘘だけど、でも、それが私のことを思ってのことだと分かっているし、私自身も同じ立場なら顧みることはないだろうなとなんとなく自覚できてしまうから、強く言えない。
「早く帰りましょう。帰って、ゆっくりしたいです」
「……そうね」
ゆっくり平民生活を満喫するはずだったのでは? と、今更な疑問を呟くと「生活基盤を安定させてからの話だわ」なんてソフィア様は答える。
それはそう。間違いないと頷いて。
「……でもまず、ソフィのその貴族令嬢感をどうにかしないとですね」
と、「私」が「わたくし」に戻っていることや、話し方、所作がもう完全にそのままなのだと伝える。
「そん……いえ、そう、で、そうね。わた……しとしたことが……ごめんなさい。まだ慣れなくて」
余計にあやふやになり、羞恥心からかほんのり赤らんでいるソフィア様の体をわざと自分の方へと抱き寄せてからかう。
平民の練習をするソフィア様は慣れていないから不器用で、でも一生懸命で、失敗も多いから恥じらうこともよくあって。
そのとても貴重な姿は私だけしか知らないと思うと少しだけ嬉しくなってしまう。
「私は貴族でも平民でもソフィア様のこと好きですよ」
あえてソフィではなくソフィア様と呼ぶ。
その心の内なんて知らないだろうソフィア様は「ありがとう」とただ純粋に答えて。
「わたくしもよ」
と、卑怯にも自然体のままで打ち返してきた。