第四話:採用試験
今目の前で木刀を持ち、手解きを受けたことが明らかなほど真っ直ぐで貴族然とした立ち姿を見せてしまっている人は、私がソフィと呼ばせて貰っているソフィア様…そして元公爵令嬢。
私のような偽貴族でしかない人間が到底お近づきになれるわけがない上位貴族であるソフィア様に出会ったのは約2年前、王立の学園に私が入学したてでソフィア様が2年生になったばかりの頃だ。
男爵様の実子ではなく養子で元々は平民だったことが学園に来て早々広まったことで周囲から浮いてしまい、
教材や制服が汚されるのは当たり前で酷くボロボロになってしまうことも多く、
その姿を見た王太子殿下はそうした嫌がらせをしてきた貴族令嬢をあろうことか問い詰め、私に謝罪まで強要するまでに至った。
その時に心にもない謝罪をしてきた加害者の令嬢達の憎悪に満ちた目はきっと、殿下には見えていなかっただろう。
そこから王太子殿下の私への過干渉レベルの接触が始まり、ただの嫌がらせだったはずの令嬢達からの敵意は授業という名分を盾にした暴力へと変わった。
魔法の授業でも剣術の授業でも、私は的で獲物になり、
王太子殿下から寵愛を戴くなど……と、あの方には婚約者がいらっしゃるのだと……責め立てられる日々。
けれど、殿下にはそれを言っても気にするなと笑うだけ。
婚約者様は気にしないと、婚約者様はつまらない女だと。殿下はその名前すら呼ぶことなく蔑むだけで。
その令嬢達と何一つ変わらない、悪態をつく口で紡がれる私への好意には吐き気がした私が逃げ込んだ学園の中でも奥まっていて人気のない林の中。
そこで、ソフィア様……ソフィア・アイリス公爵令嬢と出会った。
その時のソフィア様の姿は今でもはっきりと覚えている。
林の中、まだ涼しさを感じる風に菫色の髪を靡かせ、木漏れ日を浴びながら真剣を片手にきらびやかな舞を踊る姿は妖精のようで……とても、綺麗だったから。
気配でも感じたらしく、途中で止まって私を一目見ると、
「こんな場所にくるだなんて物好きな子ね。汗を拭いた方が良いわ」
なんて言いながら近づき、私の頬にタオルを触れさせてきたソフィア様。
汗なんてかいていなかったけれど、素直に感謝を口にしてタオルを受け取り、
邪魔をしてしまって申し訳ありませんと謝ると、ちょうど休憩のつもりだったと返すソフィア様は「ここで見たことは秘密にしてね」と、人差し指に手を当てて綺麗な笑みを見せてくれた。
「……秘密にするので、私もここにいて良いですか?」
その時はまだ、それがソフィア様だなんて知らなかったからちょっと生意気だったのかもしれない。
私のことを知らないからか、蔑むこともなく気遣ってくれる貴重な人。
美しく剣舞を踊り、令嬢とは思えないほどしっかりとしていて傷だらけの手をしている人。
この人は他の人達はきっと違うと本能で感じて、貴重な出会いを手放したくないと思ってしまった。
人によっては脅迫とも取れるその言葉を、けれど、ソフィア様は少し困った様子を見せた程度で「見ていて面白いものではないのよ」と言うくらいで拒絶はしなかった。
余計な言葉はなくただ綺麗な舞を見せて、私に寄り添おうとしてくれたその姿に、私はポロリと愚痴を零してしまった。
嫌がらせばかりの令嬢達も、優しいようで優しくなくて婚約者を蔑ろにする殿下も、それらが当たり前で正そうともしない貴族社会も、学園生活も。
何もかもが嫌だと、怖いと、元の平民に戻れるものなら戻ってしまいたいと。
その時に「なら一緒に逃げてしまいましょうか」と、ソフィア様は言ったのだ。
優しく穏やかで、なのに、とても深い心の闇を感じさせるような笑みを携えながら。
思いもよらないソフィア様の表情に何も言えずにいたからか「冗談よ」とソフィア様は取り消してしまったけれど。
思えば、その時からすでにソフィア様は私のことを知っていたんだと思う。
自分の婚約者に頻繁に接している身の程知らずの男爵令嬢の特徴なんて、嫌というほど聞かされていただろうから。
だけどソフィア様は私に対して敵意を見せず、嫌悪感を感じさせず、心がぐちゃぐちゃになっているのを察してくれていた。
あとから聞いた話、ソフィア様自身、その頃からすでに王太子殿下からは憎まれ、令嬢達からは近寄りがたいと遠巻きにされ、
家族からは抱えきれないほどの重圧を課されたうえで、努力さえもひた隠しにされただただ天性の才であると評価されるよう仕向けられていて、
その努力によって作り上げられたはずの不本意な天才という肩書を、王太子殿下からは酷く疎まれていたのに。
元平民の小娘を壊しても良い玩具のように粗雑に扱い続ける学園の中で、ただ一人、自分よりも私を心配してくれて、貴重な一人の時間を割いてくれて、ただごく普通の友人のように寄り添ってくれていた人。
そして私はその心の内に気づきもせず、甘え続けてしまった酷い人。
だからソフィア様の事情を知ったとき、ソフィア様の言った「一緒に逃げましょうか」は彼女なりのSOSだったのかもしれないと考えて、
ソフィア様を陥れる計画を周りが立てているとき、その情報を横流ししたうえで一緒に逃げ出す計画を立てて、そうしてここまで来た。
それが正しかったかどうかは分からないけれど、でも、今のソフィア様は凄く生き生きとしている。
だったら、出来ることは一つ。
「ソフィ! 怪我には気を付けてくださいね!」
そう声をかけると、ソフィア様は笑顔で慎ましやかに手を振ってくれる。
どう見ても貴族なんだけどなぁ……と、ソフィア様の隠しきれない貴族令嬢らしさに笑わされながら、じっと採用試験の行く末を見守る。
私に出来るのは、公爵令嬢という重荷を捨て去ってまで付き合ってくれたソフィア様が幸せになれるよう支えてあげることだ。