折れた聖剣、砕けたプライド ~元・勇者候補の再就職~
コバヤシさんを送り出してから数週間が過ぎた。彼がミクソマイセス世界で奮闘しているであろうことを時折思い浮かべながら、俺、サイトウは今日もまた、新たな魂との面談に臨んでいた。コバヤシさんのような劇的なマッチングは稀だが、それでも一つ一つの魂に寄り添い、最善の道を探すのが俺の仕事だ。
「次の方、どうぞ」
扉が開くと、そこにはひどく消耗しきった様子の若い魂が立っていた。年の頃はヤマダ君と同じくらいだろうか。しかし、その瞳にはヤマダ君のような期待の色はなく、深い絶望と、わずかに残った意地のようなものが宿っている。服装は…ところどころ破れた冒険者のような革鎧。腰には、鞘はあるが中身のない剣を差している。
「…お呼びでしょうか」
力なく呟くように言った彼の声は、ひどく掠れていた。
「はい、お待ちしておりました。サイトウと申します。…どうぞ、おかけください」
俺は努めて穏やかに声をかけた。彼の「魂の履歴書」には、既に一度異世界へ転生した経験があることが記されている。そして、その結果は――「任務放棄、及び適応不全による強制送還」。いわゆる「早期リタイア組」だ。
「カザマ・ケンジさん、ですね。お疲れのところ申し訳ありませんが、いくつかお話を伺ってもよろしいでしょうか」
カザマ君と名乗る魂は、無言で頷いた。その表情は硬く、まるで能面のようだ。
履歴書によれば、彼は生前、剣道に打ち込む真面目な高校生だった。そして、死後、その実直さと正義感を評価され、栄えある「勇者候補」として、剣と魔法の世界「エルデンシア王国」へと送り出された、とある。エルデンシア王国――そこは、古来より聖剣に選ばれし勇者を輩出してきた名門であり、その選考基準の厳しさと、徹底した才能主義は他の追随を許さない。まさに、選ばれし者たちのためのエリートコースだ。
「カザマさん、エルデンシアでのことは…辛い経験だったかもしれません。もし差し支えなければ、何があったのか、お聞かせいただけますか?」
俺が慎重に切り出すと、カザマ君はしばらく黙り込んでいたが、やがてポツリポツリと語り始めた。
「…俺は、勇者になれると、そう信じていました。生前、剣道では誰にも負けなかったし、正義感だって強かったつもりです。だから、エルデンシアでもきっと…」
しかし、現実は非情だった。彼が配属された勇者パーティには、生まれながらにして大魔導師の血を引く天才魔術師や、王家の血筋と聖獣の加護を持つ騎士がいた。彼らは、カザマ君が生前の努力で培ってきた剣術など、まるで子供の遊びのように凌駕していった。エルデンシアでは、才能こそが全て。努力は才能ある者がさらに輝くためのものであり、才能なき者の努力はしばしば「無駄な足掻き」と見なされた。
「俺の剣は…全く通用しませんでした。どれだけ鍛錬しても、彼らの足元にも及ばない。仲間からは『足手まとい』と蔑まれ、いつしか俺は…パーティのお荷物になっていました」
彼の声には、深い屈辱と無力感が滲んでいた。腰の空の鞘が、彼の折れた心を象徴しているかのようだ。俺もかつて、自分の信じたものが全く通用しない現実に打ちのめされた経験がある。その時の絶望感は、今でも忘れられない。
「聖剣にも…選ばれませんでした。俺以外の全員が、何らかの特別な力を授かったのに、俺だけが…ただの『剣士A』のままだったんです」
エルデンシアでは、勇者候補は聖なる試練を経て、特別な武具や能力を授かるという。だが、カザマ君だけが、その恩恵にあずかれなかった。それは、彼にとって「才能なし」の烙印を押されたも同然だった。
「そして…魔王軍との決戦が迫った時、俺は…怖くなって逃げ出したんです。仲間を守るどころか、自分の命すら惜しいと思ってしまった…そんな俺が、勇者になれるはずがない」
彼はそう言って、顔を伏せた。その肩が微かに震えている。プライドの高い彼にとって、この失敗は耐え難い屈辱だったのだろう。
「カザマさん…」
俺は何と声をかければいいのか、言葉に詰まった。彼の苦しみは痛いほど伝わってくる。だが、ここで同情するだけでは、彼の再起には繋がらない。
「エルデンシアでの経験は、確かに厳しいものだったかもしれません。ですが、それはカザマさんの全てを否定するものではありません。あなたは、生前、剣道に真摯に打ち込んできた。その精神力や集中力は、決して無駄にはならないはずです」
俺は、彼の魂の奥底にかすかに残る光を見つけ出そうと、言葉を続けた。
「…もう、剣は握りたくありません」
しかし、カザマ君はか細い声でそう言った。
「戦うのも、誰かと競うのも、もううんざりです。俺は…ただ、静かに暮らしたい…」
(「静かに暮らしたい」か…一度大きな挫折を経験した魂がよく口にする言葉だ)
だが、本当に彼が求めているのは、単なる平穏なのだろうか。それとも、傷ついたプライドを隠すための逃避なのだろうか。
俺はいくつかの求人票を提示した。農業世界での自給自足の生活、図書館の司書、静かな森の番人――どれも、カザマ君の言う「静かな暮らし」には合致するだろう。
しかし、彼の表情は晴れない。どの求人票を見ても、その瞳には何の輝きも宿らないのだ。
(やはり、まだ何か引っかかっているものがあるのか…)
俺は、ふと、彼の履歴書に書かれていた「剣道」の文字に改めて目を留めた。
「カザマさん、生前、剣道をしていて、一番楽しかったこと、嬉しかったことは何ですか?」
唐突な質問に、カザマ君は少し驚いたように顔を上げた。
「…楽しかったこと、ですか?」
彼はしばらく考え込んでいたが、やがて、ほんの少しだけ表情を和らげて言った。
「…後輩に、技を教えている時、ですかね。自分が教えたことで、その後輩が少しでも強くなったり、試合で勝ったりすると…自分のことのように嬉しかったんです」
その言葉に、俺は光明を見出した気がした。
「なるほど…誰かを導き、育てることに喜びを感じる、と」
俺はデータベースを検索し、一つの求人票を見つけ出した。それは、決して華やかではないが、彼が言った「喜び」に繋がるかもしれない仕事だった。そして、その求人票には、ジルバ村の村長からの切実なメッセージが添えられていた。「どうか、我らの子供たちに希望の光を灯してくださる方を…村を挙げてお待ちしております」と。
「カザマさん、これはいかがでしょう? 『辺境の村ジルバ:子供たちのための剣術指南役』。この村では、魔物から村を守るために、子供たちにも基本的な剣術を教えているようですが、正式な指導者がおらず困っているようです。勇者のような派手な戦いはありません。ですが、あなたの知識と経験を、未来ある子供たちのために役立てることができるかもしれません。そして何より…あなたを必要としている人たちが、そこにいます」
カザマ君は、その求人票を食い入るように見つめた。特に、村長のメッセージの部分を何度も読み返している。その瞳に、ほんのわずかだが、揺らぎが見えた。
「俺が…教える…? 俺を…待っている人が…?」
「はい。あなたはエルデンシアでは結果を出せなかったかもしれない。ですが、あなたが剣道で培ってきた基礎や精神は、きっと子供たちにとって貴重な学びになるはずです。エルデンシアではただの鉄の棒だったあなたの剣も、ジルバ村の子供たちにとっては、未来を切り開く『聖剣』になるかもしれませんよ」
俺の言葉に、カザマ君は黙り込んだ。彼の心の中で、失われたプライドと、新たな可能性、そして「誰かに必要とされる」という微かな温もりが葛藤しているのが伝わってくる。
「でも…俺は逃げた人間です。そんな俺に、誰かを導く資格なんて…」
「過去は変えられません。ですが、これからどう生きるかは、あなた自身が決められます。エルデンシアでの失敗を、ジルバ村での成功の糧にすることもできるはずです。そして、子供たちは、あなたの過去ではなく、今のあなたを見てくれるはずです」
俺は、かつて自分が挫折から立ち直るきっかけをくれた、ある先輩担当官の言葉を思い出していた。
「大切なのは、失敗しないことじゃない。失敗から何を学び、次にどう活かすかだ」
やがて、カザマ君はゆっくりと顔を上げた。その瞳には、まだ迷いの色はあるものの、先ほどまでの絶望感は薄れていた。そして、ほんの少しだが、決意の光が宿り始めていた。
「…俺にも、まだできることがあるんでしょうか。俺のような者でも、誰かの役に立てるんでしょうか」
「あると私は信じています。カザマさん、もう一度だけ、剣を握ってみませんか? 今度は、誰かを倒すためではなく、誰かを守り、育て、そして…誰かに希望を与えるために」
カザマ君は、自分の空の鞘にそっと手を触れた。そして、深呼吸を一つすると、静かに、しかしはっきりとした声で言った。
「…わかりました。その、ジルバ村へ行ってみようと思います。俺を待ってくれている人がいるなら…」
その言葉に、俺は安堵の息を漏らした。
彼の魂の剣は、まだ完全に折れてはいなかったのだ。
転送ゲートへと向かうカザマ君の背中は、まだ少し小さく見えたが、それでも、ここに来た時のような絶望感は感じられなかった。
彼がジルバ村で、子供たちと共に新たな一歩を踏み出し、いつか本当に「誰かの役に立つ」喜びを見つけられることを、俺は心から願った。
そして、俺自身もまた、この仕事の難しさと、それでも諦めずに魂と向き合うことの大切さを改めて胸に刻んだ。
数日後、ジルバ村の担当者から、短い通信が入った。
「カザマ殿、無事到着されました。子供たちも最初は戸惑っていましたが、彼の真摯な指導に少しずつ心を開いているようです。特に、村長の孫娘さんが、カザマ殿の剣技を見て『まるで物語の勇者様みたい!』と目を輝かせておりましてね。ただ…一人、特に剣の才能がないにも関わらず、誰よりも熱心にカザマ殿に食らいついている少年がいましてね。まるで、かつてのカザマ殿ご自身を見ているようだ、と村の古老が呟いておりましたよ。ふふ、運命とは皮肉なものですね」
その通信を聞きながら、俺は小さく微笑んだ。カザマ君の新たな試練、そして本当の意味での再起は、まだ始まったばかりなのかもしれない。そして、彼がその「かつての自分」のような少年に何を教え、何を見出すのか。それは、彼自身が過去と向き合い、乗り越えるための、またとない機会になるだろう。
次の魂が、どんな物語を抱えてやってくるのか。俺は静かに、その扉が開くのを待った。