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粘菌愛は世界を救う? 評価不能スキルの意外な天職

 ヤマダ君を送り出してから数日。俺、サイトウは相変わらず、次から次へとやってくる魂たちの面談に追われていた。ヤマダ君のような、いわば「どこにでもいる普通の若者」の魂が「勇者になりたい」と目を輝かせる姿も日常茶飯事だが、時折、想像の斜め上を行くような個性的な魂が訪れることもある。今日やってきたのは、まさにそんな一人だった。


「どうぞ、お入りください」


 促すと、静かに扉が開いた。入ってきたのは、初老といった風貌の魂だった。擦り切れたツイードのジャケットを着て、度の強そうな丸眼鏡の奥の瞳は、どこか遠くを見ているような、それでいて何かを探求し続けてきたかのような深さを感じさせる。手には、使い古された革の鞄を大事そうに抱えている。第一印象は、ヤマダ君とは全く異なる、一本芯の通った研究者、といったところか。


「本日はお越しいただきありがとうございます。サイトウと申します。よろしくお願いいたします」

「…コバヤシ・イチロウと申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 コバヤシさんと名乗った魂は、落ち着いた、それでいて少し掠れた声で挨拶をした。その佇まいからは、やはり大学の研究室の匂いが漂ってくる。


「コバヤシさん、まずはリラックスしてください。ここでは、あなたのこれまでの人生と、これからの希望についてお伺いできればと思っています」

 俺がそう言うと、コバヤシさんは小さく頷き、眼鏡の位置を直した。


「魂の履歴書」によれば、コバヤシさんは生前、70歳で老衰により逝去。職業は…やはり、大学で粘菌の研究をしていたとある。だが、その後のキャリアは空白が多く、所属していた大学も数十年前に退職しているようだ。家族構成は「なし」。趣味の欄にはただ一言、「粘菌観察」とだけ記されている。ここまで一つのことに特化した魂は珍しい。俺もかつて、自分の信じる道がなかなか周囲に理解されなかった時期があっただけに、彼の生き様にはどこか他人事ではないものを感じていた。


「コバヤシさん、履歴書を拝見しました。長年、粘菌の研究をされていたのですね。非常に…専門的なご経歴です」

 俺がそう切り出すと、コバヤシさんの表情が、ほんのわずかだが和らいだように見えた。


「…はい。人生のほとんどを、彼らと共に過ごしましたから」

 彼が言う「彼ら」とは、もちろん粘菌のことだろう。その言葉には、深い愛情が込められているように感じられた。


「素晴らしいですね。何か、特に大きな発見や成果などは…?」

 俺が尋ねると、コバヤシさんは少し寂しそうに微笑んだ。


「いえ…残念ながら、私の研究は、学会ではほとんど評価されませんでした。地味で、実用性がない、と。研究費も打ち切られ、晩年は細々と、自宅で彼らを観察するだけの日々でしたよ」

 その言葉には、長年の努力が報われなかった無念さが滲んでいた。「誰にも理解されない」。その孤独の重みは、俺も少しだけ知っている。


「そうですか…。しかし、コバヤシさんご自身にとっては、価値のある研究だったのですよね?」

「もちろんです」コバヤシさんは即答した。「粘菌の世界は、奥深く、そして美しい。彼らの生き様は、時に我々人間に多くのことを教えてくれます。ただ…それを理解してくれる人は、あまりにも少なかった」


 彼はそう言って、抱えていた革鞄をそっと撫でた。中には、きっと彼の研究成果や、大切な観察記録が詰まっているのだろう。


「では、コバヤシさん。新しい世界では、どのようなことを望まれますか? もしよろしければ、その粘菌への情熱を活かせるような場所があれば…」

 俺がそう提案すると、コバヤシさんは意外そうな顔をした。


「私の…この、粘菌の知識が、ですか? こんなものが、どこかの世界で役に立つとは到底思えませんが…」

 彼は自嘲気味に笑った。その気持ちもわかる。生前、誰にも評価されなかったものが、死後の世界で価値を持つとは、にわかには信じがたいだろう。ましてや、ヤマダ君が夢見たような「剣と魔法の世界」で粘菌学者が活躍する姿など、想像もつかない。


「いえ、そんなことはありませんよ。異世界は無数にあり、それぞれの世界には独自の文化や生態系があります。私たちが想像もつかないような知識やスキルが、ある世界では喉から手が出るほど求められている、なんてことも珍しくないんです」

 俺はそう言って、手元の端末で「異世界求人データベース」を開いた。キーワード検索の欄に、一縷の望みを託して「粘菌」と入力してみる。


 検索結果は…やはり、芳しくない。

「『アミューズメントパーク・ネバネバランド』:粘菌スライムプール監視員」

「『グルメ異世界グルマンディア』:珍食材としての粘菌(ゲテモノ扱い)」

 など、コバヤシさんの長年の研究成果や深い洞察が活かせるとは到底思えない、いわば「末端の作業員」のような求人が数件ヒットするだけだった。


 俺は内心ため息をつきながら、それらの求人をコバヤシさんに見せた。

「…コバヤシさん、例えばこういった求人がありますが…」


 コバヤシさんは静かにそれらの求人に目を通したが、その表情はみるみるうちに曇っていった。無理もない。彼のプライドが許さないだろう。


「…サイトウさん、お気遣いは感謝します。ですが、やはり私の知識は、このような形でしか求められないのですね。生前と、何も変わらないようです」

 彼の声には、深い落胆と諦めの色が滲んでいた。革鞄を握る手に力がこもり、その肩は小さく震えているように見えた。この瞬間、彼の魂から光が消えかけているのが、俺にははっきりとわかった。これはまずい。このままでは、彼は異世界転生そのものを諦めてしまうかもしれない。


(何か…何か無いはずがない! この人の情熱を、ここで終わらせてたまるか!)

 俺はもう一度、データベースの検索条件を細かく設定し直し、隅々まで検索をかけた。マイナー言語、特殊生態系、古代文明…ありとあらゆるフィルターを試す。コバヤシさんのような専門家を、ただの作業員として埋もれさせてはいけない。それは、俺がこの仕事をしている意味にも関わる。この仕事を選んだのは、誰かの「好き」が、誰かの「役に立つ」瞬間に立ち会いたい、そんな思いがあったからだ。


 そして、数分間の格闘の末、本当に、本当にデータベースの片隅の、誰も見向きもしないような場所に、一件だけ、他とは明らかに毛色の違う求人情報が、まるで奇跡のように引っかかっていたのだ。


『緊急求人:粘菌生態系のグランドマスター求む! 我が世界「ミクソマイセス」、夜には粘菌たちが微かに発光し古代の歌を紡ぐという聖なる森が未曾有の危機に! 原因不明の粘菌異常進化により、生態系ヒエラルキー完全崩壊! もはや我々の手に負えず! 至急、粘菌学の最高権威による原因究明と対策指導ができる魂を希求す! 報酬:世界の救世主としての永遠の名誉、及び国立粘菌研究所の終身名誉所長の座と、研究予算無制限の環境を提供!』


 …なんだこれは!グランドマスター?最高権威?国立研究所?

 さっきまでの末端作業員の求人とは、あまりにも格が違いすぎる。しかも、その世界の描写は、どこか幻想的で、コバヤシさんの美意識を刺激しそうだ。


「コ、コバヤシさん…! こ、これ、ご覧いただけますか!?」

 俺は興奮で声が上擦るのを抑えきれず、その求人情報をコバヤシさんに見せた。


 コバヤシさんは、諦めきった表情のまま、半ば義務的に画面に目をやった。しかし、その内容を認識するにつれ、彼の表情は劇的に変わっていった。見開かれた瞳は信じられないというように画面に釘付けになり、やがてその目には、先ほど消えかっていた光が、いや、それ以上の強烈な輝きが宿り始めた。


「これは…『聖なる森』…『粘菌の異常進化』…『国立粘菌研究所』…? 夜に粘菌が歌う…?」

 彼の唇が微かに震えている。


「はい。どうやら、この『ミクソマイセス』という世界では、粘菌が非常に重要な、それこそ神聖な存在として扱われており、その生態系が今、極めて深刻な危機に瀕しているようです。そして、あなたの長年の研究と、深い洞察力こそを、まさに必要としているようなのですが…!」


 コバヤシさんは、しばらくの間、言葉を失ったように画面を見つめていた。やがて、彼はゆっくりと顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに見た。その瞳は、もはや単なる研究者のそれではない。一つの文明を救う使命を帯びた賢者のような、力強い光を放っていた。


「サイトウさん…この世界は、本当に存在するのですか? 私のような、誰からも評価されなかった男の知識が、本当に…本当に、世界を救う手助けになるかもしれないと?」

「ええ、間違いありません。この求人は、正真正銘、このセンターに寄せられたものです。コバヤシさん、あなたの長年の研究は、決して無駄ではなかった。むしろ、この瞬間のためにこそ、あったのかもしれません」


 俺の言葉に、コバヤシさんの目から、一筋の涙が静かに流れ落ちた。それは、長年の孤独と不遇が報われた瞬間の、万感の思いが込められた涙に見えた。そして、その涙はすぐに、新たな使命感に燃える決意の光へと変わった。


「…行きます。私でよければ、いや、私にしかできない仕事かもしれません。ぜひ、そのミクソマイセスという世界へ行かせていただきたい!」

 彼の声には、揺るぎない確信と、長年抑圧されてきた情熱が爆発するような力が込められていた。


「わかりました。では、早速手続きを進めましょう。ミクソマイセス世界は…ええと、自然環境は豊かですが、文明レベルはやや低く、生活は質素になるかもしれません。しかし、あなたの研究にとっては、これ以上ない環境でしょう。何しろ、国立研究所の所長ですから」

 俺は手早く転送手続きの準備を始めた。


 コバヤシさんは、感慨深げに自分の革鞄を、今度は誇らしげに胸に抱いた。

「まさか、この歳になって…いや、死んでから、このような機会に恵まれるとは思いもしませんでした。粘菌たちも、きっとこの邂逅を喜んでくれるでしょう。サイトウさん、あなたのおかげです」


 その表情は、まるで長年の夢が叶った少年のようであり、同時に、困難な使命に立ち向かう英雄のようでもあった。

 俺もまた、胸が熱くなるのを感じていた。これこそが、この仕事の醍醐味だ。誰にも評価されなかった情熱が、思わぬ形で誰かの役に立ち、そして本人にとっても最高の生きがいとなる。かつて、自分の信じる道がなかなか認められなかった俺自身の経験とも重なり、コバヤシさんの喜びが自分のことのように感じられた。


「コバヤシさん、あなたの粘菌への愛が、きっとその世界を救います。いってらっしゃい、グランドマスター」

 俺がそう言うと、コバヤシさんは深々と頭を下げた。


「ありがとうございます、サイトウさん。この御恩は、決して忘れません。必ずや、ミクソマイセスを救ってみせます」


 やがて、転送ゲートの光がコバヤシさんの魂を包み込み、彼は新たな世界へと旅立っていった。

 一人残されたオフィスで、俺は静かに息をついた。ミクソマイセス世界の危機が無事に解決されることを祈りつつ、次の「就活生」のファイルを手に取る。ヤマダ君のような普通の魂も、コバヤシさんのような稀有な魂も、等しく新たな可能性を求めてここに来る。


 どんな魂にも、輝ける場所がきっとある。

 それを信じて、俺は今日も、このカウンターに座り続けるのだ。

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