死因:過労死。元・社畜魂の異常なタフネス
タカハシ部長との出張から数日。俺、サイトウの心には、彼への尊敬の念が芽生えつつあったが、同時に「あの人の下で働くのは、やっぱり大変だ…」という思いも強くなっていた。俺も、たまにはのんびりした案件を担当したいものだ。
そんなことを考えていた矢先にやってきたのが、ホンダ・ケンイチさんと名乗る、30代半ばの男性魂だった。
彼の魂は、どこか擦り切れて、輝きが鈍っているように見えた。目の下には深い隈のような影があり、その表情は常に疲労困憊といった様子だ。
「魂の履歴書」を一読して、俺はその理由をすぐに理解した。
死因:過労死。
生前の職業:超絶ブラックIT企業のシステムエンジニア。
備考:月間残業時間300時間超えの記録あり。休日の概念なし。上司からの無茶振りとパワハラが日常。
(…これは、また壮絶な魂生を送ってきたな…)
俺は、同情を禁じ得なかった。
「ホンダさん、本日はよろしくお願いします。…大変でしたね、生前は」
俺が労いの言葉をかけると、ホンダさんは力なく頷いた。
「…ええ、まあ…。もう、二度とあんな生活はしたくないです。本当に、絶対に」
その声には、魂の底からの切実な響きがあった。
「次の世界へのご希望はありますか?」
俺が尋ねると、ホンダさんは、まるで祈るかのように手を組み、懇願するような目で俺を見た。
「サイトウさん、お願いします! 次の世界は、絶対に、絶対に定時で帰れるところがいいです! 週休二日で、有給休暇がちゃんと取れて、ノルマとか、休日出勤とか、そういう言葉が存在しない世界にしてください! 俺、もう、のんびりしたいんです…!」
その悲痛な叫びに、俺は力強く頷いた。
「わかりました。ホンダさん、お任せください。あなたのその願い、必ず叶えてみせます」
俺は、データベースの中から、選りすぐりの「超絶ホワイト異世界」の求人票をいくつか彼に見せた。
『風渡る草原の羊飼い:一日の仕事は羊の群れを眺めることだけ。昼寝推奨。残業の概念なし』
『常春の島の果樹園番人:木になった果物をたまに収穫するだけ。あとはハンモックで読書三昧』
『森の奥の図書館司書(来訪者ほぼゼロ):静かな場所で本に囲まれて過ごす日々』
ホンダさんは、それらの求人票を、信じられないというように見つめていた。
「…こ、こんな…こんな天国のような場所が、本当に存在するんですか…?」
「ええ、存在しますとも。あなたの次の人生は、穏やかで、平和なものになるでしょう」
彼は、感極まったように「ありがとうございます…!」と涙を流した。
転生先もスムーズに決まり、あとは最終的な適性検査を残すのみとなった。まあ、彼の場合は形式的なものだろう。
…と、俺は思っていた。検査結果のデータが、俺の端末に表示されるまでは。
【特殊適性検査結果:ホンダ・ケンイチ】
・精神的ストレス耐性:SSS(測定限界値突破)
・肉体的限界稼働能力:SS+
・対理不尽スキル(無茶振りへの対応能力):S
・睡眠時間短縮適性:A+
・総合評価:『超絶タフネス。あらゆる過酷な環境下での生存・任務遂行能力、極めて高し。推奨転生先:魔王軍の最前線基地、終末戦争後の荒廃世界、無限に続く地獄のダンジョン等』
「…なんだこれは」
俺は、自分の目を疑った。彼の魂は、長年の過酷な社畜生活によって、皮肉にも、あらゆる苦難に耐えうる、超人的なタフネスを身につけてしまっていたのだ。彼の魂は、もはやスローライフに耐えられるようなヤワな身体(魂?)ではなかった。
(まずい…この結果を、彼にどう伝えれば…)
俺が冷や汗をかいていると、何も知らないホンダさんが、晴れやかな顔で話しかけてきた。
「サイトウさん、本当にありがとうございました! これで俺も、ようやく人間らしい生活が送れます!」
俺は、心の中で葛藤した。
(真実を告げるべきか? いや、それでは彼を絶望させるだけだ。彼は、平和な暮らしを望んでいるんだ…)
俺は、苦渋の決断を下した。検査結果の「推奨転生先」の項目を、そっとデータから削除し、彼の希望通り、『風渡る草原の羊飼い』としての転生手続きを進めた。
(まあ、何とかなるだろう…羊を眺めるのが、そんなに苦痛なはずがない)
数ヶ月後。
俺がその判断の甘さを思い知らされることになる。センターに、一通の報告書が届いたのだ。それは、ホンダさん本人からのものだった。
『サイトウ様、お元気ですか。こちらの世界は、本当に天国です。仕事は楽だし、休みもたくさんあります。
最初の頃は、ただただ感動していました。しかし、最近、少し困ったことが起きています。
仕事があまりに楽なせいか、夜、夢にまで生前の上司が出てきて、「ホンダァ! まだ仕事は終わってないぞ!」と怒鳴られるのです。それに、暇を持て余して、羊一頭一頭に名前をつけて、その日の体調や食べた草の量を、無意識に管理台帳にまとめ始めてしまいました。羊飼いの先輩には、「そんなことをしている者は、お前が初めてだ」と気味悪がられています。
正直に申し上げますと、私、最近、体調を崩してしまいました。医者(この世界では治癒術師ですが)に診てもらったところ、「極度の運動不足と、刺激の足りなさによる、魂の活力低下」だそうです。
どうやら私の魂は、平和すぎる環境に適応できないようです。
そこで、私は決めました。この有り余る時間と、異常なまでのタフネスを、何かに活かせないかと。
幸い、この世界の片隅には、未だ誰も踏破したことのない『無限奈落の大迷宮』という、超高難易度ダンジョンがあります。
私、これからは、趣味でこのダンジョンのタイムアタックに挑戦してみようと思います。生前の経験を活かして、不眠不休で、全てのフロアを攻略してみせるつもりです。それが、今の私の新しい目標です』
俺は、その報告書を読み終え、天を仰いだ。
(…結局、戦場(仕事)に戻るのか、あの人は…!)
社畜の魂、百まで。彼の魂に刻み込まれた労働への渇望は、もはや誰にも止められないのかもしれない。
俺は、彼の新しい挑戦を応援すべきか、それとも心配すべきか、判断に迷いながら、彼の履歴書に「追記:趣味・ダンジョン攻略、及び羊の個体管理」と書き加えた。
そして、魂の適性とは、本人の希望だけでは測れない、本当に複雑で、厄介なものなのだと、改めて肝に銘じたのだった。