異世界人事交流! 鬼上司(?)との出張同行
リン君を送り出した後、俺、サイトウは、タカハシ部長から「後で部長室に来るように」という、有無を言わさぬ内線連絡を受けていた。天空神ゼピュロス様からの苦情の件で、また小言を言われるのだろう。俺は、重い足取りで部長室のドアをノックした。
「失礼します」
「入れ」
だが、部長室で待っていたのは、説教ではなかった。
「サイトウ君、ちょうどよかった。君に、出張を命じる」
タカハシ部長は、分厚いファイルを俺の前に置きながら、いつも通りの険しい表情で言った。
「異世界識別コード:ベータ-112『機巧都市クロノス』で、原因不明の魂の不適応事例が多発している。君には、現地へ赴き、原因を調査してもらいたい」
『機巧都市クロノス』――そこは、無数の歯車と蒸気機関で動く、巨大な時計仕掛けの都市だ。精密な作業を得意とする魂に人気の就職先だが、同時に、厳格な時間管理と規律が求められる世界でもある。
「原因不明の不適応、ですか?」
「そうだ。転生した魂たちが、次々と原因不明の『魂の摩耗』を起こしているらしい。現地からは、我々のマッチングミスではないかと、厳しい抗議が来ている」
魂の摩耗。それは、魂がその世界の環境に耐えきれず、輝きを失っていく危険な状態だ。
「わかりました。すぐに準備を…」
「待て。今回は、私も同行する」
「えっ、部長もですか!?」
俺は、思わず素っ頓狂な声を上げた。この鬼上司と、二人きりで出張だと? 想像しただけで、胃がキリキリと痛み始める。
「クロノスの議会は、一筋縄ではいかん連中だ。新米担当官一人では、言いくるめられて終わる。私も同行し、センターとしての公式見解を伝え、必要であれば直接交渉を行う」
タカハシ部長の言葉に、反論の余地はなかった。
こうして、俺の人生(魂生?)で最も気の重い出張が始まった。
転送ゲートを抜けた先は、金属と蒸気の匂いが立ち込める、巨大な機械都市だった。空には無数の歯車が噛み合い、カチ、カチ、という正確無比な時を刻む音が、街全体を支配している。
俺たちは、早速クロノスの議会へと向かった。議長を務めるのは、寸分の狂いもない機械仕掛けの身体を持つ、冷徹なアンドロイドだ。
「異世界就活支援センターの方々、ようこそ。単刀直入に申し上げましょう。貴センターから派遣された魂たちは、我が都市の厳格な時間管理と労働環境に適応できておりません。これは、明らかなマッチングミスではないかと、我々は結論付けております」
議長の言葉は、感情を一切含まない、無機質なものだった。
俺がどう返答すべきか迷っていると、隣にいたタカハシ部長が一歩前に出た。
「議長殿、それは早計というものです。我々は、全ての魂の適性を精密に検査し、彼らがこの世界の環境に適合可能であると判断した上で、送り出しております。問題の原因は、別のところにあるのではないですか?」
部長は、一歩も引かずに言い返した。その背中は、いつもオフィスで俺たちに檄を飛ばしている時とは違う、組織を背負う者の威厳に満ちていた。
その後も、タカハシ部長と議会の間で、一進一退の交渉が続いた。俺は、その横で議事録を取りながら、普段は見ることのない部長の仕事ぶりを目の当たりにしていた。彼は、ただ厳しいだけではない。センターの立場と、そして何よりも、そこにいる魂たちの権利を守るために、たった一人で巨大な世界の権力者たちと渡り合っているのだ。
交渉は平行線を辿り、俺たちは、実際に魂たちが働いている現場を視察することになった。
工場では、魂たちが寸分の狂いもない精密な作業を続けていた。だが、その表情は一様に暗く、魂の輝きが、まるで古びた機械のように鈍くなっているのがわかった。
俺は、一人の魂に声をかけた。彼は、転生当初、「時間に正確な自分の性格にぴったりの職場だ」と喜んでいたはずの魂だった。
「…どうしたんですか? 最近、何か変わったことは?」
彼は、虚ろな目で俺を見た。
「…わからないんです。ちゃんとやっているつもりなのに、時々、自分が数秒前の作業を、もう一度繰り返していることがあるんです。まるで、時間が巻き戻っているみたいに…。そして、たまに、一瞬だけ、未来の自分の失敗する影が見えるような気もする…おかしいのは、俺の方なんでしょうか…」
彼の言葉に、俺は背筋が寒くなるのを感じた。これは、単なる疲労ではない。
俺が弱音を吐くと、タカハシ部長は「まだだ」と短く言った。
「サイトウ君、君の目でよく見てみろ。何か、おかしな点はないか?」
俺は、部長に言われるまま、工場の隅々まで注意深く観察した。そして、ある一つの違和感に気づいた。
工場の壁に設置された、巨大な時計。その秒針の動きが、ほんの僅かに、ほんの僅かにだが、不規則にブレているように見えたのだ。
「部長、あの時計…」
「気づいたか。この都市の全てを制御しているはずの『大時計』の律動が、乱れている。おそらく、問題の根源はあれだ」
俺たちの調査の結果、原因は魂たちの適性ではなく、クロノス全体を制御する大時計の内部システムに、微細なバグが発生していたことが判明したのだ。そのバグが、魂たちが感知できないレベルで時間流に歪みを生じさせ、彼らの魂を少しずつ摩耗させていたのだ。
原因を特定し、議会に報告すると、あれほど強硬だった議長が、初めて僅かに狼狽の色を見せた。
タカハシ部長は、その隙を逃さなかった。
「議長殿、原因はそちらの管理体制にあったようですな。魂たちへの謝罪と、労働環境の即時改善、そして摩耗した魂たちへの正当な補償を要求します。これが実行されない場合、当センターは、クロノスへの全ての魂の派遣を凍結することもやむを得ません」
その毅然とした態度に、議会はついに非を認め、要求を受け入れた。
センターへの帰路、タカハシ部長は、珍しくポツリと呟いた。
「…サイトウ君、覚えておけ。我々の仕事は、ただ魂を送り出すだけではない。送り出した魂の未来にまで、責任を持つことだ。そのためには、時にはこうして、異世界と戦うことも必要になる」
その横顔は、いつもの鬼上司ではなく、一人の先輩担当官の顔をしていた。
俺は、タカハシ部長がただの堅物ではなく、組織と、そして俺たち担当官が見ていない場所で、魂たちの未来を真剣に守ろうとしていることを、この出張で初めて知った。
彼への見方が、少しだけ変わった瞬間だった。
「…勉強になりました」
俺がそう言うと、部長は「フン」と鼻を鳴らしただけだった。だが、その口元が、ほんの少しだけ緩んだのを、俺は見逃さなかった。