異世界からのクレーム処理! "優秀すぎる"魂が起こした問題
アオキ君が晴れやかな顔で旅立っていき、俺、サイトウは久しぶりに穏やかな気持ちでデスクワークに集中していた。やはり、魂が自分の道を見つけ、納得して一歩を踏み出す瞬間は、この仕事の何よりの喜びだ。この調子で、平穏な日々が続けばいいのだが…
――そんな俺の願いは、けたたましい緊急通信のアラート音によって、いとも簡単に打ち砕かれた。
「サイトウ担当官! 異世界識別コード:デルタ-256『翠の谷セレス』より、緊急クレームです!至急ご対応を!」
同僚の切羽詰まった声に、俺は眉をひそめた。『翠の谷セレス』? 確か、半年ほど前に俺が担当した、穏やかなスローライフ農業世界のはずだ。魔王も、危険な魔獣もいない、極めて平和な異世界だ。そんな場所から緊急クレームとは、一体何が…?
俺が通信回線を開くと、スクリーンの向こう側に、困り果てた表情の村長らしき人物が映し出された。彼は、深いため息をつくと、悲痛な声で訴えかけてきた。
「サイトウ殿…! 貴センターから派遣された、あのイシバシ殿の件です! あの御仁、優秀すぎて我々の谷が滅びそうです! どうか、どうか何とかしてください!」
イシバシ…? ああ、思い出した。イシバシ・ケンゴさん。生前は、最先端の農業バイオテクノロジーを研究していた、非常に優秀な研究者だった。彼は「都会の喧騒を離れ、自分の知識を活かして、静かに作物を育てたい」と希望し、俺は彼に、このセレスの谷を紹介したのだ。彼の知識があれば、この谷の農業はさらに豊かになるだろう、と。
「村長、具体的に何があったのですか?」
俺が尋ねると、村長は頭を抱えた。
「何があったか、ですと? イシバシ殿は、我々の谷に伝わる伝統的な小麦を、あっという間に品種改良してしまいましてな…」
「ほう、それは素晴らしいことでは?」
「とんでもない! その小麦、収穫量が今までの百倍以上に跳ね上がったんです! しかも、年中無休で実り続ける!」
「…ひゃ、百倍…?」
話はそれだけではなかった。彼は次に、畑を耕すための自動収穫ゴーレムを、古代遺跡から発掘した部品で作り上げてしまったという。その結果、谷の倉庫は、有り余る小麦で溢れかえり、価格はタダ同然にまで大暴落。何世代にもわたって小麦作りで生計を立ててきた村人たちは、皆、仕事を失ってしまったのだという。
「谷の皆は、もう畑に出ることもなくなり、毎日広場でぼーっとしております…。豊かになったはずなのに、誰も笑っていないのです。このままでは、我々の文化も、コミュニティも、全てが駄目になってしまう…!」
村長の悲痛な訴えに、俺は自分の判断の甘さを痛感した。俺は、イシバシさんの「スキル」と、世界の「ニーズ」が合致しているとだけ考え、その世界の「文化」や「価値観」との調和を全く考慮していなかったのだ。
「…承知いたしました。私が出向いて、彼と直接話をします」
これは、俺自身が蒔いた種だ。俺が刈り取らなければならない。
転送ゲートを抜け、翠の谷セレスに降り立った俺は、その異様な光景に言葉を失った。豊かなはずの谷には、活気が全くない。畑には、見渡す限り黄金色の小麦が実っているが、それを収穫する人の姿はなく、ただ自動収穫ゴーレムが無機質に動き回っているだけ。村の広場では、村人たちが力なく座り込んでいる。
俺が村長と話していると、血相を変えた一人の男が詰め寄ってきた。
「あんたがセンターの人間か! あのイシバシってヤツを連れてきたのはあんたらか!」
男は、俺の胸ぐらを掴まんばかりの勢いだ。
「俺の息子はな、代々受け継いできたこの畑仕事に誇りを持ってたんだ! それが、あいつのせいで『時代遅れの非効率な仕事』扱いだ! 今じゃすっかり自信をなくして、部屋に閉じこもっちまった! あんた、どうしてくれるんだ!」
男の怒声は、単なる怒りではなく、息子の苦しみを思う父親の悲痛な叫びだった。
俺は、彼の言葉を真正面から受け止め、深々と頭を下げた。
「…申し訳ありません。全ては、私の監督不行き届きです」
俺は、谷で一番大きな畑の隣に建てられた、近代的な研究所のような建物へと向かった。そこが、イシバシさんの研究室兼住居だった。
「イシバシさん、サイトウです」
「おお、サイトウさん! よく来てくださいました! ご覧ください、私の研究の成果を!」
現れたイシバシさんは、悪びれる様子もなく、むしろ誇らしげに俺を迎え入れた。彼の目は、研究者のそれとしてキラキラと輝いている。
「イシバシさん、あなたのやったことは理解しています。ですが、村人たちが苦しんでいるのをご存知ですか? 先ほど、息子さんのことで、お父様に酷く叱責されました」
俺がそう言うと、彼は心外だというように首を傾げた。
「苦しむ? なぜです? 私は、非効率的な農業を改革し、皆を飢えから解放したのですよ? 食料は無限にあり、重労働からも解放された。これ以上の理想郷はないはずですが」
彼には、全く悪気がない。むしろ、純粋な善意と探求心から、この状況を生み出してしまったのだ。
「イシバシさん、この谷の人々にとって、農業は単なる食料生産の手段ではなかったんです。それは、彼らの生活そのものであり、文化であり、誇りであり、生きがいだった。あなたは、その全てを『非効率』という一言で奪ってしまったんですよ」
俺の言葉に、そして先ほどの父親の怒りの形相を思い出したのか、イシバシさんは初めてハッとしたような表情を見せた。
「誇り…生きがい…? そんな、非合理的な…」
彼は、まだ完全には納得していないようだったが、その表情には、初めて迷いの色が浮かんでいた。
「あなたのその素晴らしい才能は、この小さな谷には、あまりにも強力すぎたのかもしれません。あなたの力は、もっと別の場所でこそ、真価を発揮するはずです」
俺は、彼に一つの提案をした。それは「異世界間での転職」だった。
「現在、ある工業惑星で、深刻な食糧危機と環境汚染が発生しています。そこでは、あなたのバイオテクノロジーこそが、何十億もの人々を救う鍵になるかもしれない。あなたの知識で、死んだ大地に緑を蘇らせてみませんか?」
イシバシさんの目が、再び輝きを取り戻した。今度は、単なる探求心だけではない。明確な「誰かを救う」という目的を持った光だった。
「…死んだ大地に、緑を…。それは…私の生涯をかけた研究テーマそのものです…」
話は決まった。彼は、この谷の小麦を元の伝統的な品種に戻すための技術情報を村長に渡し、新たな任地へと旅立つことになった。
谷を去る日、村人たちが彼を見送りに来ていた。その表情は、まだ複雑だったが、それでも、以前のような絶望感はなかった。
俺の胸ぐらを掴みかけたあの父親も、少し離れたところから腕を組んで見ている。
「イシバシ殿、あんたはやりすぎだったが…まあ、悪気がなかったのはわかってる。新しい世界でも、やりすぎるんじゃないぞ」
村長がそう言うと、イシバシさんは深々と頭を下げた。
「…ご迷惑をおかけしました。俺は、ただ数字と効率しか見ていなかった。今度は…今度こそ、俺の研究の先にいる人々の暮らしや、その笑顔をちゃんと見ながら、研究を進めたいと思います」
その言葉には、確かな成長の兆しが見えた。
俺は、二つの世界の間で、新たなマッチングを生み出せたことに安堵しつつも、この仕事の奥深さを改めて痛感していた。
スキルが合うだけではダメだ。文化、価値観、そして、そこに生きる人々の心。その全てを考慮してこそ、本当の意味での「適材適所」が実現するのだ。
翠の谷に、再び人々の手による畑仕事の風景が戻るのは、もう少し先の話かもしれない。
俺は、そんな未来を願いながら、少しだけ重くなった足取りで、センターへと帰還した。




