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倍率測定不能!憧れの勇者への道は修羅の道

「次の方、どうぞー」


 気の抜けた声で呼びかけると、半透明の扉がゆっくりと開いた。入ってきたのは、いかにも「若者」といった風貌の魂だった。年は…まあ、死んでるから実年齢は関係ないが、生前の姿を投影するなら10代後半から20代前半といったところか。服装は現代風のラフな格好で、少し猫背気味。しかし、その瞳の奥には、切実なまでの期待と、それを覆い隠そうとするかのような諦めが混じって揺れていた。


 俺、サイトウはここ「異世界就活支援センター」のしがない一担当官だ。日々、様々な理由で死んだ人間たちの魂と面談し、彼らが第二の人生…いや、魂生? を送るのに適した異世界を紹介するのが仕事だ。かつては俺も、彼らと同じように「勇者」という名の華やかな舞台に憧れた一人だった。だが、致命的に人前に立つのが苦手で、大勢の注目を浴びる英雄の器ではなかった。それでも、誰かの役に立ちたいという思いだけは人一倍強かった。だからこそ、今はこの場所で、かつての自分と同じように道に迷う魂たちに、少しでも後悔のない選択をしてもらいたいと願っている。


「えーっと、ヤマダ・タロウさん、ですね? 本日はよろしくお願いします」

「は、はい! や、ヤマダです! よろしくお願いします!」


 緊張からか、ヤマダ君の声は少し上ずり、言葉もたどたどしい。無理もない。死んだと思ったらこんな場所にいて、見知らぬ男と面談なのだから。履歴書によれば、死因はトラックとの接触。享年19歳、平凡な大学生。友人関係は希薄、趣味は一人で黙々とやるゲームとプラモデル。生前の自己評価は「何者でもない、その他大勢」。その気持ちは、痛いほどわかる。


「まずは、リラックスしてください、ヤマダさん。ここはあなたを裁く場所でも、無理やりどこかへ送り込む場所でもありません。あなたの希望を聞き、最適な異世界を見つけるお手伝いをするだけですから」

 俺が努めて穏やかに言うと、ヤマダ君は少しだけ肩の力が抜けたようだったが、その目は依然として何かを探るように俺を見ていた。


「ありがとうございます…あの、本当に、異世界とか行けるんですか? 俺みたいなのが…?」

 最後の「俺みたいなのが」という言葉に、彼の抱えるコンプレックスが透けて見える。俺も昔はそうだった。自分には何もない、と。


「はい、行けますとも。無数にありますし、どんな方にも可能性は開かれていますよ」


 俺は手元の資料――ヤマダ君の「魂の履歴書」とでも言うべきもの――に目を落とす。特筆すべきスキルや経歴は…なし。だが、こういう「何者でもなかった」と自己評価する魂ほど、異世界への期待値が極端に振り切れることがある。一種の代償行動だ。俺もそうだったから、その危うさも知っている。


「さて、ヤマダさん。早速ですが、どのような異世界にご興味がありますか? 希望する職業や、送りたい人生など、何でも結構ですよ。生前、叶えられなかった夢とか、ありませんでしたか?」


 すると、ヤマダ君は一瞬ためらうような表情を見せた後、意を決したように口を開いた。その瞳には、先ほどまでの不安とは違う、熱っぽい光が宿り始めていた。


「はい! 俺、希望があるんです! あの、剣と魔法の世界で、こう…もう、生まれながらにして理不尽なまでの才能を授かって!」

「ほう、理不尽なまでの才能、ですか」

「はい! 何もかもが規格外の力っていうんですか? もう、努力なんて言葉とは無縁で、指を鳴らすだけで最強の魔法が使えたり、周りからは『選ばれし者だ!』って崇められたり!」


 彼の言葉には、強い渇望が滲んでいた。それは単なる願望というより、魂からの叫びにも似ていた。

 生前、彼はきっと誰にも必要とされず、誰からも注目されなかったのだろう。教室の隅で、いつも一人でスマホゲームのレベル上げに没頭していた姿が目に浮かぶようだ。現実では得られない万能感を、せめてゲームの中でだけでも味わおうとしていたのかもしれない。その気持ちも、少しだけわかる気がする。俺も、大勢の前で脚光を浴びる勇者に憧れながら、結局は書物の影で戦略を練る方が性に合っていた。


「なるほど、いわゆる『設定盛りすぎの力』ですね。それで、その力を使って何をしたいと?」

「そりゃあもう、魔王とか倒して世界を救いたいです! 英雄として歴史に名を刻んで、みんなから感謝されて…! そしたら、きっと…きっと、俺だって…」

 そこまで言って、彼は口ごもる。その先にあるのは、おそらく孤独だった生前では決して手に入らなかったものだろう。


「…そして、美しい姫君や、心優しいエルフの娘さんたちに囲まれて…恋に満ちた甘い毎日を送りたいんです!」

 最後は少し照れたように、しかしはっきりと言い切った。「美女に囲まれた甘い日常」。これもまた、承認欲求と所属欲求の歪んだ発露の典型だ。


 …だろうな。

 こういう希望を出す若者は後を絶たない。彼らにとっての「異世界」とは、生前の鬱屈を晴らし、万能感と承認欲求を無条件に満たしてくれる都合の良いファンタジーなのだろう。まるで、誰もが知る超有名企業に入れば、自分の価値が自動的に上がり、人生バラ色になると思い込むように。俺も、そんな甘い夢を見ていた時期があった。


「なるほど、ヤマダさんのご希望はよく分かりました。『王道ファンタジー世界』における『選ばれし勇者(あらゆる寵愛を一身に受けるオプション付き)』、ですね」

 俺は淡々と復唱する。


「はい! まさにそれです! そういう世界、ありますよね!? 俺みたいな凡人でも、生まれ変わったらワンチャンあるんですよね!?」

 彼の声には、切実な祈りのような響きがあった。


「ええ、まあ、存在はします。非常に人気ですが」


 俺は机の引き出しから、分厚いファイルを取り出した。表紙には「勇者求人(高倍率案件)」とテプラが貼ってある。このファイルを見るたび、かつての自分の淡い期待と、厳しい現実を突きつけられた時の苦い記憶が蘇る。


「こちらが、いわゆる『勇者』枠の求人概要です。ご覧になりますか?」

「はい!見ます!」


 ヤマダ君は身を乗り出してファイルを受け取ると、目を皿のようにしてページをめくり始めた。そこには、様々な世界の「勇者」の募集要項が記載されている。

 最初のページには、神々しい光に包まれた勇者のイラストと共に、ある勇者のサクセスストーリーが華々しく紹介されていた。

「『元・引きこもりニート、異世界アヴァロンで覚醒!聖剣を手に魔竜を討伐し、三国の姫君から求婚される!』…す、すげえ! 俺でもこんな風になれるかもしれないのか!?」

 ヤマダ君の顔が興奮で紅潮し、瞳は希望の光で爛々と輝いている。まさに、人生逆転の夢を見ている表情だ。


「…ええ、まあ、稀にそういう幸運な方もいらっしゃいますね」

 俺はあえて彼の期待を煽るような曖昧な返事をする。ヤマダ君は次のページをめくり、具体的な求人情報に目を輝かせた。


「『アストリア王国:聖剣に選ばれし勇者(王女との婚約保証、側室候補多数)』…おおっ!これだ!」

「『エルドラド帝国:竜を使役する竜騎士勇者(美女騎士団による身辺警護及び生活の世話一切付き)』…これもいい!まさに至れり尽くせりじゃないか!」


 彼の声は上擦り、手は興奮で僅かに震えている。まるで、目の前に人生最高の幸運が転がってきたかのように。

 しかし、その熱狂も長くは続かなかった。各求人の下の方に小さく、しかし残酷に記された現実の数字が、彼の視界に入ったからだ。


「…応募資格:聖なる魂の持ち主(純粋性Sランク以上、かつ過去三代以内に徳の高い聖職者がいること)…え?」

「…予想倍率:3800万倍(ほぼ測定不能、天文学的確率につき、選考プロセス非公開の場合あり)…な、なんだこれ…?」


 ヤマダ君の動きがピタリと止まる。さっきまでの高揚感が嘘のように、彼の顔から急速に血の気が引いていく。その落差は、まるでジェットコースターの頂点から真っ逆さまに落ちるかのようだ。


「ヤマダさん、先ほどのサクセスストーリーは、まさにその3800万分の一を引き当てた方の話です。そして、その『アストリア王国』の勇者枠ですが、直近の選考では、その天文学的な倍率をくぐり抜けたのは、たった1名でした」

「…い、一名…?」

 ヤマダ君の声は、もはや蚊の鳴くようだ。


「はい。倍率にすると、約3800万倍ですね。これはもう、地球上の全人類の中からたった一人が選ばれるようなものです」

「そ、そんなに…? みんな、そんなに英雄になりたいんですか…?」


「おっしゃる通り、魅力的ですからね。理不尽なまでの力、名声、そして美女たちとの甘い日々。誰だって憧れます。特に、生前の人生で『何か足りない』と感じていた方ほど、その傾向は強いようです。手っ取り早く『何者か』になれる気がするのでしょう。私も…昔はそうでしたから、気持ちはわかります」

 思わず、少しだけ自分の過去を匂わせてしまった。


 俺は続ける。

「それに、これらの世界は『成功例』として大々的に宣伝されていますからね。雑誌やネット記事…ああ、魂ネットワークの情報ですね。そこで活躍した勇者の話は、面白おかしく、そして都合よく編集されて広まります。いわば、就職人気ランキング上位の常連企業のようなものです。現実の企業の華やかな面だけを見て入社し、理想とのギャップに苦しむ人がいるのと同じ構造ですね」


 ヤマダ君の顔から完全に色が失せ、彼が握りしめたファイルが、くしゃりと無残な音を立てた。


「じゃあ、俺みたいな普通のやつは…結局、どこへ行ってもダメなんですか…? 生まれ変わっても、また誰にも必要とされないまま終わるんですか…?」

 声が震えている。さっきまでの勢いはどこへやら。彼の瞳には、再びあの諦めの色が濃く浮かび始めていた。生前、何度も味わってきたであろう無力感が、彼を包み込もうとしている。ここで見放してはいけない。俺がこの仕事を選んだ意味がなくなる。


「ヤマダさん、落ち着いてください。『普通』だからダメ、ということはありません。大切なのは、その『普通』の中に隠れている、あなただけの『何か』を見つけ出すことです。派手な舞台に立つことだけが、誰かの役に立つ方法ではありませんよ」


 俺は少しだけ言葉を選ぶ。あまりストレートに言うと、魂が砕け散ってしまう者も稀にいるのだ。


「もちろんです。我々は『適性』を見ます。ヤマダさんの魂には、まだご自身も気づいていない素晴らしい資質が眠っているかもしれません。生前、何か打ち込んだことや、誰にも言えなかったけど実は得意だったこと、ありませんか? 例えば、生前の履歴書には『趣味:ゲーム、プラモデル』とありますが、具体的にはどんなゲームを? プラモデルはどんなものを?」


 ヤマダ君は俯きながら、か細い声で答えた。

「ゲームは…パズルゲームとか、戦略シミュレーションとか…。派手なアクションは苦手で…。プラモデルは、ミリタリー系とか、ロボットとか…。説明書通りにきっちり作るのが好きで、気づいたら何時間も経ってて…」


「なるほど。集中力、緻密さ、論理的思考力。それは素晴らしい資質ですよ。派手さはないかもしれませんが、それらの能力を求めている世界はたくさんあります。大勢の前に立って旗を振るのが苦手でも、後方で緻密な計画を立てて仲間を勝利に導くのだって、立派な『人の役に立つ』方法です」

 俺は彼の目を見て、はっきりと言った。かつて自分が辿り着いた答えの一つを、彼にも伝えたいと思った。


「では、ヤマダさん。少し視点を変えてみませんか? 『選ばれし英雄』や『美女たちとの甘い日々』だけが異世界の全てではありません。誰かから与えられた『設定盛りすぎの力』で注目されるのではなく、あなた自身が持っている力で、誰かの役に立つ喜びを感じる。そういう生き方もあると思いませんか?」


 俺は別の、少し薄汚れたファイルを取り出した。

 表紙には「職人・技術者系(安定・地味だが、専門性高し)」と書かれている。これこそが、かつての俺が選ばなかったが、今ならその価値がわかる道だ。


「これは…?」

「例えば、『魔法道具製作ギルドの精密技師』。あるいは『古代文明の遺物である自動人形オートマタの修復師』。生前のプラモデル作りの経験や、パズルゲームで培った論理性が活かせるかもしれませんよ? 派手さはありませんが、自分の手で何かを生み出し、それが人々の生活を豊かにしたり、失われた技術を蘇らせたりする。それは、英雄とはまた違った形で、大きな達成感と、誰かから必要とされる実感を得られるはずです。そして、それは決して『地味』なだけの生き方ではありません」


 ヤマダ君は戸惑ったように、そのファイルと、先ほどのキラキラした勇者ファイルを見比べた。その顔には、落胆と、ほんの少しの好奇心、そして「本当に自分にもできるのだろうか」という不安が混じっている。


「でも…そういうのって、やっぱり地味だし…女の子とか、見向きもしてくれないんじゃ…」

 まだ諦めきれないらしい。承認欲求の根は深い。俺もその呪縛から逃れるのに時間がかかった。


「それはどうでしょうか。一つのことに真摯に打ち込む姿は、それ自体が魅力的ですよ。それに、共通の趣味や目標を持つ仲間と出会えるかもしれません。美女たちとの甘い日常は難しいかもしれませんが、心から信頼し合えるパートナーや友人を見つけることは、きっと可能です。それは、どの世界でも、どんな生き方を選んでも同じですよ。ヤマダさん、あなたは生前、誰かに自分の好きなものを熱く語った経験はありますか? 私は…なかなかそれができませんでした」


 俺の問いに、ヤマダ君はハッとしたように顔を上げた。そして、少し寂しそうに首を横に振った。

「いえ…どうせ誰も興味ないだろうって…」


「そうかもしれません。でも、もし同じくらいプラモデルが好きな人や、パズルゲームの攻略法を一緒に考えてくれる人がいたら? 異世界は、そういう出会いのチャンスも広げてくれます。大切なのは、自分から心を開いてみることかもしれませんね。それは、英雄になるよりずっと難しいことかもしれませんが、ずっと価値のあることかもしれません」


 さて、ヤマダ君はどちらを選ぶだろうか。多くの若者が抱く「大手病」。そのキラキラした幻想の裏にある、自分自身の本当の価値や、生きる意味。それに気づくことができるか。それとも、手軽な承認を求めて、不毛な競争に身を投じ続けるのか。俺がそうであったように。


 俺の仕事は、あくまで選択肢を提示し、現実を伝え、そして彼ら自身が内なる声に耳を澄ます手助けをすることまでだ。

 最終的にどの異世界への「エントリーシート」を出すかは、彼自身が決めることなのだから。


 ヤマダ君は、しばらく黙って二つのファイルを眺めていたが、やがて意を決したように顔を上げた。その瞳の奥に、ほんの少しだが、新しい光が灯ったように見えた。


「あの…その『自動人形の修復師』って、どんな仕事なのか、もう少し詳しく聞かせてもらえますか? 俺…昔、壊れたおもちゃを直すのが、結構好きだったんです…。誰かに喜んでもらえるのが、嬉しくて…」


 その声には、先程までの浮ついた響きはなく、どこか懐かしむような、そして自分自身と向き合おうとする真剣さが感じられた。

 よし、第一関門は突破、かな。もしかしたら、彼が本当に求めていたのは、理不尽なまでの才能や美女に囲まれた日々ではなく、ただ「誰かの役に立ちたい」「自分の手で何かを成し遂げたい」という、もっと純粋な願いだったのかもしれない。俺がずっと抱き続けてきた願いと同じように。


 俺は内心で小さくガッツポーズをしながら、新しいファイルを開いた。

「ええ、もちろんですとも。では、こちらの世界の詳細ですが…古代文明のロマンと、精密機械の奥深さが詰まった、非常にやりがいのある仕事ですよ。そして、誰かの笑顔に直接つながる仕事でもあります」


 異世界就活は、時に自分自身を見つめ直す旅でもある。ヤマダ君の新しい人生(魂生?)が、彼にとって本当に価値のあるものになることを願いながら、俺は説明を始めた。そして、彼がいつか、俺があの時選べなかった「本当にやりたいこと」を見つけられるように、心の中でそっとエールを送った。

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