名探偵じゃない俺、幼馴染を推理する
偶然とは論理である。 ――ヨハン・クライフ
高校生が使う他愛ないあだ名というのもなかなかバカにできないと思っている。というのもその人の本質を言い表していることが少なくないと思うからだ。
自分の一番よく呼ばれる「ヨモ」というあだ名は「四方田」という苗字をもじっただけの単純なものでそんなに気に入っているわけじゃないし、どっちかといえば名前のほうの「龍一」とか「ドラゴン」で呼んでほしいと思ってるけれど、個人的には……旧友がたまに使う「サッカーバカ」というあだ名が一番気に入っている。
呼ばれたときこそ「バカなんて言うなよ~」とおどけてみせるものの、内心ではまさに自分を表していると思ってにやりとしてしまうのだ。自分がずっとサッカーが好きなサッカーバカであることは揺るがぬ事実だし、それを誇りにも思っている。なにより、「ヨモ」の他にもいろんなあだ名があるのがいい。「フライング・ダッチマン」や「エル・サルバドール」など色んな呼び名があった名選手、ヨハン・クライフみたいじゃないか!
そして、幼馴染である鏡野遥のあだ名にも、彼女の本質を言い表すようなものがある。
彼女のあだ名は「名探偵」。理由は、彼女が名探偵だからだ。これってトートロジー?
「ねむい……この時間に登校したくない……」
「いい加減慣れろよ、遥。もう六月だぞ」
「中学校の頃はよかった……八時に起きてもぎり間に合ってた」
「言っとくけど、そこそこの頻度で間に合ってなかったからな」
眠たげな目をこすりながら歩く幼馴染の手を引いて、今日も自分たちは通学路を歩く。
ゲームが趣味の遥は、平日でも構わず深夜までゲームをしている。朝、いつもこのような様子の幼馴染をなだめすかして歩かせるのが自分の日課になっている。
いつもなら今流行ってるゲームの話だとか遥が喜んでしそうな話題を振って、なんとか学校まで自力で歩く気分にさせるものなのだが、今日は……聞きたいことがあった。
「なあ、遥。昨日のはわざわざ消しゴム持ってきてくれてありがとな」
「ふふふ、いいってことよ。わたしと龍一の仲だ、みずくさいこというな」
「消しゴム一個でよくそんな尊大な態度を取れるな……いや、それはまあいいんだが、一つ気になることがあってな」
昨日の放課後、サッカー部の活動をしている最中、遥がベンチにいた俺に話しかけた。「これ、龍一のだよね?」と言いながら開かれた手の中には、なくしたと思っていた買ったばかりの未開封の消しゴムがあった。
「なあ、なんであの未開封の消しゴムが俺のものだってわかったんだ?」
あの消しゴムは新品、放課後の部活が始まる前に購買部で買ったばかりのものだった。包装フィルムすら開けていないし、消しゴム自体もコンビニや文房具屋ならどこにでも売っている種類のものだ。
「まず、消しゴムを持って戸惑ってるヒラくんを見つけたんだよね。きょろきょろしてた」
「同じサッカー部の平野か。それで?」
「話を少し聞いて……そしたらなんとなく、龍一のだってのがわかった」
「その『なんとなく』の部分が気になるんだよ!」
この鏡野遥という女は、学校で起きたトラブルをあっさりと解決してしまうことが多々ある。
だが、往々にして見出した「答え」の根拠がなにもないのだ。遥から話を聞くたびに俺はモヤモヤしたものを抱えていた。とはいえ、普段は他人のトラブルだ。あまり口を出してはこなかったが……。
「これに関しては俺の問題だからな。遠慮なく理屈を問いただしてやる」
「なんでそんなめんどくさいことを……昨日は龍一を待ってたから帰るのが遅くなって、その分ゲームも遅くまでやったからわたしはたいへんお疲れなのだぞ」
「いや、ゲームは俺と無関係だろ」
「ここんところずっと部活が終わるの遅いし……」
「まあ、マネージャー業務もあるからな」
小学生の頃からサッカーが好きだった俺は、サッカー部の顧問である桜子先生に頼み込んで選手とマネージャーを兼任でやらせてもらっている。もちろんプレーヤーとして活躍したい願望もあるが、練習メニューの管理とか、各ポジションの統計を記録するとか、戦術の修正箇所を探すとか……そういう部分への興味が強かったからだ。
決して、英語圏では監督のことをマネージャーと呼ぶから、それへの憧れで……という理由ではない。ちょっとしかない。
「別に、俺を待たずに帰ってもいいんだぞ」
「はあ……」
「なんだよそのため息は」
「はあ……わたしはたいへん気分を害しました」
そのため、単なる部員よりも諸事があり、帰る時間は遅い。美術部の遥は律儀に部活が終わったあと俺のことを待ってくれている。
たぶん一人で帰るのが怖いんだろう。小学生の頃、帰り道でぼーっとして田んぼに落ちた遥と、それを助けようとして手を伸ばしてそのまま引きずり込まれた俺を、二人の家総出で捜索する事件とかあったしな……。
「とにかく! サッカーの名監督は感性で仕事をしていても、根っこには理論の裏付けがあるはずなんだ。だから、そういう『なんとなく』ってのが無性に気になるんだよ」
「でた。龍一のサッカーバカ部分」
「なんだと!」
「まあ、聞かれてみたらわかることもあるかも。質問してみてもいーよー」
そういって遥は胸を張った。
サッカーの理論も言語化できていない部分を分解して細かく言語化してつなぎ直すことで進歩してきた。答えそのものはわからない遥に釈然としないものはあるが……ひとまず、今わかっている部分を掘り下げる形で問い質してみることにした。
「消しゴムを見たときに何を思ったかとか覚えてるか?」
「うーん……あ、購買部はちょっとたかい……おやつも文具も……って思った」
「なんだそりゃ。いや、それは俺もわかるが……」
どうやら、遥は拾った段階でその新品の消しゴムは購買部で買われたものだと気付いたようだ。
まあ、それに気付くこと自体は難しい話ではない。未開封の消しゴムを覆う透明なフィルムには手書きの値札シールが貼られており、その独特な筆跡から校内にある購買部で買われたものであることは見ただけでわかる。
「でも、購買部で消しゴム買ってるやつなんていくらでもいるだろ」
「そうだね。わたしもあそこでたまにお菓子買ってる。美術部の部活前で我慢できないとき」
しかし、食堂の手前にある購買部はだいたいいつも生徒がたむろしている場だ。
あそこで消しゴムを買ったことがある生徒、だとむしろ除外できる人間のほうが少ないに違いない。よって、その情報だけで俺に絞ることはできないはずだ。
「以上!」
「おい。以上! じゃない」
「なんでわたしがわかったかわかったらおしえてね」
「すごい日本語だな、おい」
「あ……いまいそげばホームルームまで十分寝れそう。はしろー」
学校の門と時計が見えたところで、思ったよりも早く着いたことに気付いた遥はとてとてと走り始めた。
マイペースすぎる彼女にあわせて、自分も同じように駆け足で正面玄関へと向かった。
「消しゴム? ああ、拾ったよ。ヨモのだったのか」
朝のホームルームを経て午前中の授業を終え昼休み。遥にだけ話を聞いても謎(正確には謎が解けたという謎)は解けないと考えた自分は同じサッカー部で遥が話したという平野を訪ねていた。
「そのとき、遥に何か話したか?」
「いや、大したことはなんにも……」
なんてことだ。ろくに情報が増えや……いや、待て。情報ってのは言葉だけじゃないはずだ。
「消しゴムを拾った場所ってのはどこなんだ?」
「サッカー部の更衣室の中だよ」
「ああ、部活が始まる前の着替えのときに落としてたのか……遥に消しゴムを渡したのは?」
「拾った直後だから……更衣室を出てすぐのとこだね」
なるほど、これなら論理的にかなり落とし主の候補を絞れることになる。
着替える前に拾った消しゴムを握ったまま着替えを行って、しかも更衣室を出た直後にきょろきょろするというのは不自然だ。着替えた直後、更衣室内か出てすぐのところで拾ったと考えるのが自然だろう。となれば、候補はその日部活に参加していたサッカー部員に絞ることができる。
「教えてくれてサンキュな」
「ああ。じゃあ放課後な」
快く教えてくれた平野と別れ、元のクラスに戻る。
ある程度候補は絞れたが、そこから俺だけに絞る材料はまだ見つかっていない。
となると……答えを持ってる人間に聞くしかない。
「じゃあ、これから仮説を話すから間違ってたら教えてくれ」
「ねむい……ひるやすみはねたい……」
「じゃあ仮説一。そもそも購買部で俺が消しゴムを買っているのをみていた」
「龍一がわたしの意見を汲んでくれない……」
机に突っ伏していた遥の横で、俺はここまでまだ否定できていない仮説を披露する。
一つ目は一番シンプルなものだ。
「みてない……そもそも放課後の購買部ってお昼と違って人まばらだし……見かけたら声ぐらいかける」
「まあ、確かに……いや、待ってくれ。俺が消しゴムを買ったのが放課後って話したっけか?」
「なんとなく……そう思った。あってる?」
「あってる」
俺の記憶が正しければ遥に消しゴムを買った時間帯は話していないはずだ。にも関わらずそれを当てられたということは、遥が持っている情報でそれが推測できて、持ち主に繋がるということになる?
「仮説二。落としたところを見ていた」
「みてないよ」
「だよな。消しゴムを落としたのは男子更衣室だし……」
「みてたらわたしすごい変態みたいじゃん。ひっかけ?」
「いや、一応……」
推理もなにもあったもんじゃないが、落とした瞬間を直接みていれば当然落とし主はわかる。一応確認はしてみたが、やはりこれも否定された。
次に問うべき仮説を考えていると、遥のほうから話しかけてきた。
「龍一はなんでそんなに気になるの?」
「逆に、遥は気にならないのか?」
「気になるよ。でもわたしはわたしのことだもん。龍一からしてみればそうじゃないじゃん?」
そう言われるとそうなのだが。
これは己の性分の問題ではある。
「俺がサッカーは好きなのはさ、一握りの天才だけではなくて、それを模倣して積み上げる二流、三流の凡才がいることなんだ」
「龍一はわたしのこと天才だと思ってたんだ、ふふん」
「まあ、そうだけど……どんな天才でも一人じゃ理想を実現できない。遥は学校でこうやって小さいトラブルをいっぱい解決してるけど、たぶん『なんとなく』じゃすまないときがいつか来ると思うんだよな。そういうときに時間をかけてでも言葉で説明できるようになれたらな、って思いもある」
「……」
自分の言葉で遥は口をつぐんだ。今のところ発生する謎なんていうのはせいぜい失せ物探しだとか校内の人探しぐらいだけれども、微妙に空気を読まない遥のことだ。そのうち余計なことに口を突っ込んで問題を大きくするときがあるに違いない。
なんてできた幼馴染なんだ、田んぼに落ちたときも助けてやったのは俺だしな、と思っていたところ遥はとんでもないことを口に出した。
「つまり……わたしがかわいすぎる幼馴染だから支えたいってわけ?」
「言ってない。どういう解釈の仕方だ」
「なるほどね、罪深いかわいさでごめんね」
「こいつ厚かましすぎる」
「まあ、とりあえずは……放課後までの宿題にしといたげるよ」
遥のその言葉とともに、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。どうやら、謎解きは放課後に持ち越しらしい。
「えー、純物質の例としては水や鉄、塩化ナトリウム……つまり塩があってだな」
「ねむ……」
前の席に座っている、船を漕ぎかけている遥の声を聞きながら化学の授業を受けている。もっとも、授業の内容は頭に入っていない。
サッカー部ということまでは合理的に絞ることができた。あとは自分にだけに絞れた理由だろうか。
遥だから知っていることがあるのだろうか。たとえば、普段気にも留めていないがあのブランドの消しゴムを使っているのはサッカー部で俺だけとか……そう考えて、ちらっと横に目をやってクラス内のサッカー部員の机を探ってみたところ、簡単に同じものが見つかった。こういうわけでもないらしい。
そのまま周囲の机の上を見渡して消しゴムをいろいろと観察してみる。たとえば、几帳面な委員長の消しゴムは右側だけ偏って消費されていた。おそらく毎回同じ向きで持って使っているのだろう。となれば、消費の偏りから利き腕なんかを推測できるかもしれない。
しかし、遥が拾ったのはフィルムで包まれた『未開封の消しゴム』だ。
「おい、ヨモ。シャーペンの芯余ってるか?」
「なんだよ……そんな急になくなるもんじゃないだろ、昼休みに買っておけよ」
「わかるだろ? 購買部では極力買いたくねえんだよ」
そんな思索を遮る形で、後ろの席の友人から肩を叩かれた。仕方なく言われるがままにシャーペンの芯を渡す。
まあ、できるだけ購買部で買いたくないという気持ちはわかるが。俺が消しゴムを買ったのもすぐに使うからだったし……
待てよ。そう考えると……この学校において「未開封の購買部の消しゴム」というのはかなり珍しいものなんじゃないか?
それこそ、個人を特定できるぐらい。
そう考えてみると、一つの仮説が成立した。
「おそいー。答え合わせの準備はできた?」
「ああ、なんとか目処がたったよ」
「たのしみ。わたしがああいうときなにを考えてるか今日わかるかもしれない」
サッカー部と美術部の活動を終えた俺は、恐ろしいことを言う遥と共に帰途についた。
ふだん自分がなにを考えてるかわからないってどういうことだよ。
「まず、自分がしてた思い込みについて話すぞ」
「話してみたまえー」
「『未開封の消しゴム』ということから情報がないものと思い込んでた。でも違うんだな、『未開封の消しゴム』であること自体が情報だったんだ」
「ほう。なんかそれっぽい。いまのところ私の『なんとなく』には沿ってる気がする」
ここまで積み上げてきた推測を披露すると、遥はうんうんと頷いた。どうやら少なくとも的外れではないらしい。
「話を続けるぞ。あの消しゴムには値札があり購買部で買ったことが推測できた。割高な購買部で、ね」
「そうそう、たかいよね」
「街の文具屋ではなく割高な購買部で買う人間がいる理由はシンプル。すぐに使うものだからだ」
消しゴムやシャーペンなしで授業を受けるわけにはいかない。午後に授業があるのに消しゴムがなければ昼休みに買うしかない。
「ところが、その消しゴムは放課後に訪れる部活の更衣室で見つかった。昼休みに買って午後の授業で使ったなら開封されているはず。使わないなら、わざわざ高い購買部で買う必要がない」
「うんうん。じゃあ買ったのは放課後だね。それで?」
「じゃあ、その落とし主がわざわざ高い購買部で放課後に買った理由は? 学校の帰りに文具屋に寄るでもいいのに」
「そう言われて気付いたけど……もしかして、消しゴムを使ったトレーニングがあったりする? 踏んで足首を鍛えるとか」
「ないよ! よって選手は消しゴムを使うことはない。消しゴムを使う理由がある人間は一人。マネージャーを兼任していて『統計を記録する』などの仕事をしている、俺だ」
最後まで言い切ると、遥はにっこりと笑った。
「すごいすごい! たぶんあってるよ、変だなーって思う部分はないし」
「これでもたぶんか……」
「だってわたしはなんとなくで喋ってるし。確信を持って答え合わせできたら、龍一をもてあそんでるわるいおんなになっちゃう」
「どういう概念だよ、その悪い女って」
「なんかそんなイメージない? わるいおんなの人。ミステリアスで、たぶん事件を起こしたり推理とかもできる」
「推理はしねえんじゃねえかな……」
「そんなすごい龍一にちょっとおねがいがある」
「なんだよ、藪から棒に」
「いまこまってることがあるんだ。パパ絡みで」
「お父さん?」
幼馴染で家が近所の自分達は家族ぐるみのつきあいで、遥のお父さんにも当然会ったことがある。
高校の体育教師よりもガタイのいい人で、あの人よりも威圧感のある大人にはあったことがない。
「じゃあ、とりあえずうちにきて。ママとパパただいまー」
「お、おじゃまします……」
言われるがままに遥の家に上がる。どうやらお父さんは今日は非番らしい。
「やあ、龍一くん。ひさしぶりだね」
「パパ。この前の地図の件、わかるかも。龍一にみせていい?」
どうやら、俺の心配をよそに、消しゴムなんかより遥かに大きな事件に口を突っ込んでいたらしい。
なにせ、遥のお父さんは――現役の刑事なのだから。
終