― 4日前 ― 奈落
エーテが辿り着いた2階は、1階の喧騒に気付いたのだろう、ほぼ全ての兵が目覚めていた。エーテ達が宿舎に入ってから2階に到着するまでに掛かった時間は、僅か10分。一般兵とはいえ、迅速な応戦の心得は教育されていたようだ。
いくつかのランタンには火が灯り、薄暗くはあるもののはっきりした視界が確保されている。エーテが見渡すと、兵士の半数は既に鎧を装備していた。2階のフロア構成と広さから、1階の人数よりは明らかに多い。
「これは厄介だな・・・。」
さらに、天井、つまり3階からもドタドタと足音が響いてくる。さすがに、ここで上の階の兵まで合流されたら苦戦は必至だ。
「ちょっと巻くか。」
纏う紫の光が、鋭く光る黄色に変化した。
エーテの現れた階段に集まり始めるリキュア兵。しかしエーテは眼前の敵には目もくれず、背を向けると3階につながる階段の支柱に右掌を当てた。
「ハッ!」
エーテの発した気合を合図に、柱に当てた掌からブゥンッという音と共に空気を震わせながら衝撃波が走る。支柱を中心に、階段は見事に吹き飛んでいた。間髪入れず、崩れる階段の部材を空中で鷲掴みすると、何という怪力! 階段を失い大きな穴となった3階の開口部に向かって勢い良く投げ飛ばした。続けざまに両掌から放った衝撃波は、開口部に突き刺さった階段をさらに強く押し付け固定し、3階からの通り道を完全に塞いでいる。
エーテに迫っていたリキュア兵は、目の前で起きた手荒な工事にド肝を抜かれ、攻撃の契機を完全に失っていた。
「さて、お待たせしました。」
丁寧なお辞儀の後、両足を肩幅大に開き、腰を落とし、右掌を胸前に掲げ、エーテの得意とする武術の構えが整った。全く隙を感じさせないエーテの構えを見ると、手を出した瞬間に手痛い反撃を喰らう未来を誰もが予感してしまう。従って、最初の一手を打って出る勇気ある者は、なかなか現れない。エーテはこの現象を経験から理解していた。
「では、私から行かせて頂きましょう。」
エーテが両掌を胸の前で合わせた。1階で寝ている兵を起こした時のように、いや、それよりも少し強く柏手を打つ。前線のリキュア兵がザッと後退る。
パァンッ!!
エーテの両掌の中心から、白いドーナツのような衝撃波がリキュア兵に向かって扇状に広がる。白いドーナツは前線に立っていた兵士を鎧ごとへし折り、後ろに控える5列目位までの兵を薙ぎ倒して泡のように消えた。鋼製の鎧を着た大の大人の将棋倒しは、下敷きとなった人間の骨など容易く砕く。ざっと見積もって、50体ほどの兵士が再起不能となりエーテの目の前を扇状に倒れている。コレは複数の敵を倒せる強力な技だが、発動までに時間が掛かるのが難点だ。アイドリング時間の有る開幕の一手としては有効だが、戦闘開始後の乱戦では使えない。さらに、ただでさえ頑強なリキュア兵が鎧を纏ったとなると、先ほどのように一蹴で複数の相手を倒すのは不可能だろう。従って、これほどの人数を相手に労力は掛かるが、鎧の弱点である関節を一人ひとり丁寧に砕いて回るしかない。そうと決まれば、エーテの行動は早かった。
大きな跳躍で床に転がるリキュア兵を一気に越えると、着地で身を沈めたタイミングに放った4発の蹴りが4人の兵士の膝を打ち抜いた。膝の折れた兵にとって鎧は単なる重りでしかなく、あっさりと床に崩れ落ちる。続いて起き上がり様に繰り出した手刀が深々と鎧の継ぎ目に突き刺さり、兵士の腰骨を次々と砕く。もちろん直ぐに倒れて戦闘不能になるが、腰骨を砕かれた激痛は膝の比ではない。手刀が舞うたびに、苦しそうな呻き声が輪唱のように重なり増えていく。
一人ひとり丁寧に、とは言ったものの、エーテの周りに立つ兵士はまるでドミノ倒しのように立て続けにパタパタと倒れていく。エーテの攻撃があまりに正確で、あまりに早過ぎるのだ。
孤軍奮闘するエーテによって2階にいた兵士が約半分に減ったタイミングで、やっとイテルが2階に駆け上がって来た。目尻に映った藍色の光に気付いたエーテは後方へ大きく跳躍。宙返りしてイテルの横へ鮮やかに着地した。横目に、イテルの頭から足元までをザッと流し見ると、平然とした表情で隠してはいるが確実に削れているイテルの体力を診て取った。
「随分消耗したな。ここでしばらく見学してるか?」
純粋な心配から出たエーテの言葉だったが、もちろん従うようなイテルではない。
「冗談!」
藍色の戦士の輝きが増し、同時に敵群の中へ一気に駆け出した。疾走の勢いを借りて地面スレスレを横一文字に薙いだ剣は、5人の兵士のくるぶしを一気に砕く。続けざま、体を起こし中腰の体勢のまま倒れた兵のさらに奥に踏み込む。後列の敵に近接したところで急停止した体を独楽のようにクルッと回転させ、イテルの周り立つ兵士の肘を次々と打ち抜いていった。痛みに悶絶する兵に、間髪入れず足払いを見舞い地に伏せる。
実に華麗な攻撃であった。しかし、足払いの後に立ち上がったイテルが一瞬だが平衡を失いグラリと揺れたのを、エーテは見逃していない。
(強いが、やはり危うい・・・。)
イテルを援護するため、エーテが一歩を踏み出した。
が、次の瞬間! エーテの頭上の天井が轟音と共に大きな穴を開けると、上階からボタボタと降り注ぐ兵の群れがエーテの往く手を阻んだ。「チッ!」顔をしかめ舌打ちをするエーテの目は、イテルの姿を見失っている。
「・・・邪魔だッ!!!」
しかし、このエーテの咆哮は、イテルには届いていない。
疲労の色濃くなったイテルは、エーテの教え通り壁を背に防戦していた。
「ハァッ、ハァッ!」
自らの荒い呼吸ばかりがイテルの耳にこだましている。取り囲む兵士の影は、イテルの視界ごとユラユラと歪んで見える。その不安定な視界に、兵士の陰を押し退け下段に構えた剣の切っ先を激しく床に引きずりながら飛びかかって来る一体の大きな影だけがはっきりと映し出された。
「マズいっ!」
大剣を縦に構え、イテルは防御の姿勢を取る。
しかし、飛び込んできた大きな影が床から天井に向かって振り抜いた剣は、イテルの体ごと軽々と大剣を真上に弾いてしまった。黒い影は一歩下がると、イテルの視界からフッと消える。「次は、何が来る!?」焦るイテルの眼下に、姿勢を落とし地を蹴る黒い影が見えた。もう、この攻撃を防ぐ手だては、無い。無防備のまま上に跳ね上げられたイテルの腹に、強烈なショルダータックルがめり込んだ。
「ぐぅふっ!」
イテルの口から、真っ赤な血が溢れ出す。大きな黒い影の体当たりは、イテルを巻き込んだまま外壁を貫いた。崩れ落ちる壁と共に宿舎の外へ頭から落下するイテルの体は、もう指先を僅かに動かす事すら叶わない。
「落ち、る・・・。」
まるで奈落の底に吸い込まれるようだ。たかだか2階からの落差なのに、落ちるイテルにはとても長い時間のように思える。背中から地面に打ち付けられたイテルの体は、そのままぐったりと横たわり動かない。イテルの藍色の光が完全に消えた。
同時に降り立った黒い影が、イテルの髪を鷲掴みにし手荒く上体を引き起こす。
「う、うう・・・。」
イテルの呻きに、黒い影がニヤリと口を歪めた。
「坊主、寝んねするにはまだ早いぜ?」
黒い影の踵が、仰向けのイテルの腹に振り下ろされた。「ご、ぶッ!」イテルの口から、鮮血が噴き出す。霞掛かったイテルの視界に、虫の屍に群がる蟻のように集まって来るリキュア兵の影が映った。
「あの時と、同じじゃないか。 オレは結局、何も変わっていない・・・。」
あの時・・・。
それは、今なおイテルが拭えない、故郷アシェットでの忌まわしい記憶だった。