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朱の狂剣  作者: カントク
英雄復活
7/69

― 4日前 ―  藍色の戦士

砦を目指して歩くエーテとイテルの前には、砦を囲う高さ2mほどの木製の壁が視界の遠くまで連なっていた。侵入防止のため、壁を構成する木板の先端は全て鋭い矢型に揃えられているようだ。

この砦は、かつては商人がロックフォートに入る前に泊まる宿場街であったとの記録がある。5百年前の戦争でロクナムが街ごと接収し、建物を軍用に改修してから砦と呼ばれるようになった。戦後、役割を失い長い年月を経て廃墟と化していたが、リキュアが占領する事で砦としての機能を復活させている。とはいえ建物や施設はそのまま再生利用している可能性が高く、木製の囲いの向こうはまるまる宿場街のように雑然と建物が並んだままと推測できる。しかし、砦の情報はこの微々たる記録による推測程度。

ついでに連れてきた感が有るが、実はナルの潜入情報は大いに参考になる、はずだった。


「遅いな。」


そのナルは、未だに彼らの元に戻らない。

彼女を待つためにゆっくり歩いたつもりだが、砦はもう目の前である。エーテとイテルは、深い草むらを探して中に身を沈めた。低い位置から見ているせいか、砦を囲う壁が実寸以上に高くそびえ立って見える。


「アイツ、何かミスって捕まったんじゃ?」


イテルはそう訝るが、エーテはそうは思っていない。


「見付かれば多少の騒ぎになるだろうが、どうだろう? あの壁の向こうから何か異変を感じるか?」

「・・・ずっと静かなままです。」

「だろう? つまり、ナルはまだ砦の中に潜伏したままだが、何かの理由でここに戻れないという事だ。」

「何かの理由?」

「それが何かはわからない。だが、今ここで理由を憶測する意味も時間も無い。」


イテルは黙って頷いた。壁を見上げる緋色の目には、焦りが伺える。


「彼女の事だ。きっと迷子になって出て来れないのだろう。」


肩をポンと叩き逸るイテルを諫め、エーテはその場にスッと立ち上がった。


「行くぞ。」



エーテの体が淡い紫色の光を帯び始めた。先刻のナルと同じように、と言いたいが、違いが2点ある。一つは光の色。2つ目は、呪文のような言葉を発していない点だ。


バッという音がした方向にイテルが目を向けると、エーテの立っていた場所には千切れた草が小さく舞っているだけで姿は無い。慌てて壁の方を見上げると、左掌を壁の矢の先に置き、体を水平にして飛び越えようとするエーテの姿が有った。その跳躍力で既に常人の域を越えていたが、驚くべきは掌が無傷な事である。いくら板の先端とはいえ、生身の手のひらに体重を乗せれば刺さらないはずが無い。目を凝らすと、手のひらと矢型の先端の間には例の紫の光が色濃く集まり、まるでクッションのように緩衝しているように思えた。しかし、イテルが観察しているうちに、エーテの姿はすっかり壁の向こうに消えてしまっている。


「いきなり突き放された感じだな。」


イテルは奥歯を噛んだ。いとも簡単に光を操り壁を越えたエーテに、今はただ実力の違いを思い知らされている。


「焦るな。オレはいつものやり方で、エーテ先輩に追い付けばいい。」


そう自分に行き聞かせ、イテルは目を閉じた。握った左手を胸の真ん中に当て、例の呪文を呟く。



「メイル・・・」


やはり、イテルの体も白い光を帯び始める。その姿勢のまま、ふうーっと深く息を吐き出し、その最後にもう一つの呪文を乗せた。


ぜん。」


呪文と同時に、光は一気に藍色に変化した。「よしっ。」開いた掌に輝く藍色の光を確認すると、イテルは一気に跳躍した。エーテが壁の上端すれすれをフワリと越えたのに対し、イテルは2mの壁を3m超の跳躍で一跨ぎである。



「あちゃー・・・。」


先に砦の敷地に入っていたエーテは、風を切って大胆に跳躍するイテルの姿を見て額に指を当てた。


「イテル。いくらオレが先行していてある程度の安全が確保されていたとしても、目立ち過ぎだ。弓兵や魔法兵に見られたら、格好の的にされていたぞ。加えて、高く跳べば着地の衝撃も大きくなり気付かれやすい。隠密に行動する場合は気をつけろ。」


血気に逸り軽率に振舞った自分を恥じ、イテルの顔は真っ赤になった。しかし、気後れしている場合では無い。イテルは早くも砦内に走る旧街道を駆けるエーテの後を追うため地を蹴った。



エーテの調べた郷土資料の古い地図によると、旧街道を進んだ先の左手奥に広場があり、その広場を囲うように大型の宿泊施設が3棟建っている。一般兵士向けの間仕切りの無い宿舎に改装した場合、地図から推測する床面積から、1500,800、800・・・ざっと3千の兵士がここにすし詰めされている計算だ。残る2千の恐らく階級付きの兵士は、街道沿いにある独立した宿に分散して寝泊まりさせているのだろう。

つまり、500人の戦力を削るには、800人の一般兵宿舎一棟に絞って襲撃するのが最も安全で効率的である。本当はナルの偵察により現在情報の確証を得たいところだったが、無いものは仕方ない。古い情報源ではあるが、僅かでも事実に基づいた作戦を選択すべきだろう。



ふたりは旧街道を音も立てずに疾走する。まさに、風のような疾さで。

ロクナム側の襲撃を想定していないのか、脅威と感じていないのか? 砦の壁からここに至るまで、見張りの兵は一人として見当たらなかった。静けさと夜の闇が、ふたりの緊張感を高める。


走る速度を落としイテルの横に並走したエーテは、800人のリキュア兵が眠っているであろう宿舎を狙う作戦を手短に伝えた。目標の宿舎は3階建、1・2階の収容人数でおよそ500人に達する。

まずは1階を素早く片付ける。2階を襲撃する頃にはさすがに3階の兵士も気付いて降りて来るだろうから、2階は乱戦が必至だ。モタつけば、隣接する宿舎の兵士が出て来て加勢し敵数が一気に膨れ上がる可能性もある。


「イテル、おまえは足を狙って敵さんの動きを封じろ。狭い建物の中でウロチョロされたら収拾が付かなくなる。」

「承知!」

「それと・・・。息が上がったら壁を背負って囲まれないようにするんだ。闇雲に敵の真ん中に飛び出さないで、次の攻撃のタイミングを測れよ。」


言い放って、エーテは左手の道へサッと進路を変えた。反応できず急停止したイテルが遅れて進むと、広場の入り口で棒立ちするエーテの背中が見えてきた。見上げるエーテの視線の先には、兵士宿舎と思しき3~4階の建物が3棟鎮座している。それぞれ、宿舎の入り口に左右対で松明が灯されている以外に、灯は無い。宿舎内から漏れる光は無く、完全に消灯しているようだ。



エーテの横に並んだイテルは、闇にそびえ立つ無言の宿舎を仰いで、息を呑んだ。彼の不安と緊張は、目尻に見ているエーテにも伝わっている。


「心の準備は出来たか?」

「へへ、元よりやる気しか無いッスよ。寝込みを襲うのが心苦しいだけで。」

「ほーう。 その言葉、忘れるなよ。」


エーテが一番右に立つ3階建ての宿舎に向かって歩き出した。入り口の松明から火の点いたままの2本を抜き取り、イテルに手渡しながら耳打ちする「合図したら、部屋の真ん中に投げ込め。」イテルは両手に受け取り頷いた。それを見たエーテもまた頷き、入り口から宿舎の奥の暗闇を真っ直ぐ見据えた。イテルは、次にエーテが動いた時が戦闘の幕開けであると察している。イテルの額から、いく筋かの汗が流れ落ちた。



エーテが宿舎の奥の暗闇の中に歩き出した。イテルの竦んだ足は地面にべたり吸い付かれたように動かない。エーテはそんなイテルを残し、ゴロゴロと丸太のように雑魚寝する兵士の影の間を抜け建物の中央に進んだ。


暗闇に慣れ始めたイテルの目に、胸の前で手を合わせるようにして俯き加減の佇むエーテの影が浮かび始めた。合わせた掌の間に白い光が集まり始めている。エーテが音も無く柏手を一回打つと、白い光は掌の内にスッと飲み込まれた。次の瞬間、


    パンッ!


弾ける音を追って、エーテの掌から白い泡沫が膨張するように衝撃波が部屋全体に広がった。すると、先ほどまでイビキをかいて床に転がっていた丸太たちが、一斉にムクムクと上体を起こし始める。エーテの姿は、起き上がったリキュア兵に隠れてあっという間に見えなくなってしまった。

(何が起きたの?何で起こしたの?)理解が追い付かず混乱するイテルの耳に、抑えてはいるがハッキリと通るエーテの声が飛び込んできた。


「イテルッ!」


ハッ! 正気を取り戻したイテルは両手の松明を2本ともエーテの方に向けて投げ込んだ。リキュア兵の群影に囲まれ、しかし凛と立つエーテの姿が赤黒く浮かび上がる。松明の灯を映して赤く燃えるエーテの瞳に、いつもの涼やかさ微塵も無い。代わりに、イテルでさえゾッとする、獣のような凄みを放っていた。



「いやぁ、起こしてすまない。 寝込みを襲うのは卑怯だと、連れが言うものでな。」


リキュア兵に向けて言い放ったエーテは、イテルの方を見返り不敵に笑っている。

(オレ、確かに言ったわ・・・。)虚勢で放った自らの言葉が招いた事態に、イテルは青褪めた。


寝込みをいきなり叩き起こされたリキュア兵は、当然激高した。しかし彼らも歴戦の戦士である。目の前に立つ歓迎されざる訪問者が只者ではないという警戒を、本能で感じていた。リキュア兵の黒い影たちは、慎重に、全周からエーテとの間合いを詰める。5m、3m、2m・・・、エーテの体が残像を残してフッと沈み、続いて流れるような足払いが彼を中心とする全周を薙いだ。


環状にバタバタと崩れ落ちるリキュア兵。倒れた兵士の腿や膝下は、有り得ない形で折れ曲がっている。運の悪い者は踝から下が捥げて無くなっていた。エーテのたった一蹴は、ざっと眺めて30人の兵士を一気に床に沈めてしまったのだ。


訓練では数えきれないほどエーテと手合わせしたイテルだが、この鬼神の如きに戦う姿を見たのは初めてだ。改めて思い知らされた経験と力の差に、目の前の戦場に身を投じる契機も、勇気さえ失い、ただ呆然と入り口の前で立ち尽くしている。

その間も、エーテの正確な掌打はリキュア兵を次々と仕留め、複数で襲い掛かってくる相手には鮮やかな弧を描く回し蹴りを見舞って弾き飛ばしていく。彼を中心とした半径2mは、誰も無傷で立つ事のできない領域となっていた。


エーテはその開けた床に転がる松明を拾い上げ、入り口で立ち呆けるイテルの足元に投げ返した。リキュア兵の視線が、松明の灯にあぶり出されたイテルの姿に集まる。


「おまえの番だ!」


エーテの一喝は、イテルに深く絡みついた緊張の縄を吹き飛ばした。イテルの緋色の瞳が光る。背中の大剣を解き担ぐように肩で跳ね上げてから体の前に構えると、失いかけていたイテルを包む藍色の光が、再び輝きを取り戻した。



「今度は、藍色の戦士かい。」


イテルを睨んでいた一人の兵士が唾と共に吐き捨て、中段に剣を構えた。『カチャカチャッ・・・』兵士の周りからも、同じく武器を構える音が一斉に鳴る。乾いた金属音には、明らかに強い殺気が宿っていた。


イテルは大剣を握る汗ばんだ両の手に向かって呟いてみる。


「やって見せるさ・・・。」


チャキッという音を立て、イテルは剣の握りを90°回した。エーテに言われた通り、刃ではなく剣の腹で相手を打つためだ。続いて斜め下段に構えると、そのまま剣を右後方に引く。前方からわらわらと集まってくる敵影を睨み、浅い深呼吸をすっと一回。


   ヴウウゥゥゥン!


イテルの大剣が、轟音を巻きながら前方の敵を真横に薙いだ。最初に剣撃に晒された兵の体が、剣を中心にくの字に折れ曲がる。しかし、そのまま振り抜こうとするイテルの剣は止まらない。


「ぐおおおおおおおお!」


イテルの雄叫びに呼応しビリビリ震える剣は、むしろ勢いを増したように見える。横に並ぶリキュア兵を同じようにくの字に曲げながら、2人、3人・・・振り抜いた渾身の一撃は、そのまま7人を束ねて吹き飛ばした。立ち上がる者は誰もいない。いいようにエーテに料理されていたリキュア兵は、その腹いせをイテルに向けたのだが、どうやらコイツも普通じゃない。エーテとイテルの気迫に支配された空間で、リキュア兵の群影には明らかな動揺が広がった。


「アイツ、足を狙えと言ったのに・・・。」


頭を抱えるエーテを他所に、イテルは兵を吹き飛ばした自らの大剣を見つめ、訓練で磨いた力が実戦で通用することを確信していた。


(いける!)


ダンッ! イテルは地を蹴り、敵の中に斬り込んだ。剣の軌跡が縦横無尽に弧を描く度に、複数のリキュア兵が宙を舞い床に落ちる。クルクルと器用に体を回転させながら、あの大剣をまるで生き物の如く閃かせ一直線に駆け抜け、やっとエーテの元に辿り着いた。背合わせになると、イテルの肩がハァハァと大きく上下している様子がエーテに伝わってくる。息を切らせながら、イテルは戦果を伝えた。


「え、エーテ先輩・・・、たぶん、50は、・・・倒しました、よ。」

「ほう、さすがだな!」

「・・・。」


エーテに褒められ誇らしいイテルだったが、喉が渇いて声が出ない。


「だが、オレはもう100以上だ。」


背中越しに平然と告げるエーテの声に、イテルの瞳は大きく開いた。(この人には、とても、敵わねえな・・・。)



「この1階に、あと30ほど残っている。後は任せたぞ。」


そう言い残して、エーテは2階へ続く階段を駆け上がっていった。直前まで触れていたエーテの存在を失った背中が、急に寒く感じる。しかし、今は心細さに浸っている余裕など無い。背後から斬りかかってきた男を振り向きざまに振った剣で吹き飛ばすと、イテルはじわりと壁まで後退し、再び深呼吸して呼吸を整えた。



「メイル・・・」


イテルをまとう藍色の光が、白く色を戻していく。同時に、イテルの周りの空間が陽炎のようにユラユラと歪んだ。


「烈ッ!!!」


白い光が、一瞬のうちに色を変えた。イテルの瞳と同じ、燃えるような緋色に!



残った30人弱のリキュア兵がはっきりとイテルの姿を見たのは、これが最後だった。

ここから先、彼らが気を失うまでの数秒間に見たものは・・・ゴム毬の如く跳ね回る緋色の光体と、大剣の軌跡が描く幾つもの閃光。おそらく、何が起きたのか誰一人として理解できないまま、全員が両腕を折られ床に横たわっていた。

代わりに、2階に続く階段の下には赤い光を纏ったイテルだけが立っている。



階段の1段目に足を踏み出そうと右足を上げた瞬間、左足の膝がガクリと床に落ちた。自慢の大剣が手から滑り落ち、そのまま四つん這いに崩れ伏す。顔からは珠のような汗がだらだらと流れ、床を黒く染めている。


「ふゥッ、ふゥ・・・。」


イテルは両手を床に衝いたまま階段の踊り場を見上げ、立ち上がろうと剣を握った。しかし、握った右の掌と腕に雷の如く走った激痛で、弾かれたように剣を放してしまう。床に転がる大剣を、顔を歪め睨みつける。



「まだだ。行けるだろ? イテル・・・。」


イテルは目を瞑り自分に言い聞かせた。

階段の手すりに掴まり、なんとか立ち上がることは出来たが・・・。



(生命の流れを、整えるんだ)



胸に左手を置き俯くイテル。


消えかかっていたイテルの赤い光は、いったん白にリセットされた。続いて身体の表面を渦巻き流れながら輝きを取り戻していく。「ぜん。」イテルの呪文と同時に光は藍色へと変わった。イテルは何事も無かったように、床に転がる剣を拾い上げた。あの大剣を片手のままビュッと振り下ろしてみる。


「いつまで持つか分から無えけど。やってみるさ。」



手の甲で拭った額の汗を真横に払い飛ばし、藍色の戦士はエーテの待つ2階へと駆け上がって行った。

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