英雄復活 3 想いと、選択と
濛々と湧き出す赤い雲群が、王都ティノブールの上空で渦を巻いて流れている。
その中心に浮かぶ大きな黒点を黒目と例えるなら、真下にいる小さな人間から見れば巨大な赤い眼に化けた空に睨まれてるようだった。
吹き抜けの下で銀狼復活に立ち会う人々は、その禍々しい光景を見上げて、ゴクリと生唾を呑み下ろした。
もちろん、この異様な空の下にいるのは城内の者だけではない。
ティノブール城下に暮らす人々にとってはまだ生活の時間帯であり、多くの者が赤黒く濁る夜空の変貌を目撃していた。町中に広がるざわめきを不審に思い、家の中からもゾロゾロと民衆が出始め、通りは今まで見た事も無い不気味な空を不安そうに見上げる人々で溢れている。
町外れの民家から出てきた少女が、赤い空を見上げて首を傾げた。ひゅっと屋内に引っ込むと、夕飯の支度をしていた母の手を引いて無理やり外に連れ出し、空を指差して見せた。
「見て見て、母さん。お空がまっ赤。」
「あら? さっき陽が沈んだはずなのに。夕焼けさんが忘れ物を取りに戻ってきたのかしらね? それにしても・・・。」
― それにしても、不吉な
ぐるりと街の外を見渡せば、地平まで赤い雲で埋め尽くされた夜空。
なおも殖え続ける赤雲の層は厚みを増し、まるで地表の世界を圧し潰そうと降り迫っているようであった。
ティノブール城の方に目を向けると、赤い雲を吸い込む巨大な黒点が、真上から城を覗き込んでいるように見える。
(何か、きっと良くない事が城で起きている。)
民衆の不安の目が、薄暗い世界の中で赤く照らし出された白壁の城に注がれた。
その城内の人々にとって、外の世界を窺い知るのは、四角く開いた吹き抜けの上の小さな空だけである。
自分たちのいる限られた空間のみならず、ティノブールを覆う夜空、いや地平まで見渡す限りの世界の全てを巻き込んで赤く染まっているとは、誰も想像だにしていなかった。
「始まったばかりだと?」
「主様って、何者なんだよ!?」
不吉を予感させる司祭の言葉により、城内の不安はさらに膨れ上がっていった。
不安に荒れる声は、ついさっきまで両腕を天高く突き上げて叫んでいた司祭にも届いている。僅かに蘇生の兆しを見せた銀狼将軍の様子を目を細めて眺めていた司祭は、騒ぎ立てる集団に対して体を向けると不機嫌そうに顔を顰め、
「まったく、うるさいなあ。弱い犬ほど良く吠えると言いますが・・・。」
右に握った拳で祭壇の壇上を激しく殴りつけた。
「弱い人間もまた、良く吠えるんですね。
この赤い空を見て気付いているクセに。分かっているクセに! あんた達は、私が教えてやらなければ目の前の現実も受け止める事が出来ないというのか。これから起きるであろう事も想像できないというのか? ・・・まったく残念な人たちだ。」
お手上げの仕草をしてボヤいていた司祭は、今度は腕を斜め上に大きく開いて、手のひらを上空に向けて返した。
「そうだよ、ご覧の通り。赤雲の頂点、黒点に御座すは我が主。拙き我が呪儀に応え、現世にご降臨されたのだ。そう、ご降臨されてしまったのだ・・・。」
司祭の目玉がぎょろりと動き、貴族の方に向けられた。
「私が言っている意味、分かっているか?」
唖然とするばかりで、彼らの誰一人も答えようとしない。
司祭の顔が、にやりと歪んだ。いびつな笑みを含んだ唇がふるふると震えている。
「っふふ、分からないだろう? あんた達に分かるはずも無い! そうして何も分からず、自らの運命と目を合わせる事も出来ず、虫けらのように死んでいくんだ。 嗚呼、憐れですね、憐れなほど愚かな臆病者ですねえ!」
司祭の言葉から滲み出る呆れと怒りは、喋るほどにエスカレートしていった。
(なにか、様子がおかしい)
銀狼将軍が寝かせられた手術台の傍から眺めていたエーテは、怪訝そうな面持ちで顎を撫でた。
エーテが持つ司祭のイメージは、変わり者ではあるがどちらかと言えば呑気な男であった。交流した時間は僅かではあるが、激昂する今の姿には違和感がある。
エーテは、手術台の上で浅い呼吸を繰り返す銀狼将軍に背を向け、司祭の立つ祭壇に向かって早足に歩き出した。両脚に纏わり着く水の抵抗が、胸に引っ掛かる不吉な予感を増長させる。
足を進めながら頭だけ振り返り貴族連中の方を伺うと、キャンキャン吠えていた者たちは、すっかり大人しくなってしまっていた。痛いところを司祭に罵られ、忸怩たる思いに歯噛みするしか無いのだろう。卑屈に沈んだ彼等の顔を見ていると、あの司祭が、ああまで昂ぶるのも少し分かる気がした。
しかし、司祭の落胆は、エーテが察する以上に、さらに深い。
(救いようもない。しかしこれが多くの国民を統べる高貴な人間とやらの正体。
そうだ、オレは分かっていたはずだ。)
司祭は小さく数回首を横に振って目を閉じた。
「おまえ様。あの空の変貌は、おまえ様の呪儀によるものと存じます。私は、あのような赤い空を観たことが有りません。これが主様の御力であれば、空を満たす赤い輝きはまさしく神の御威光なのでしょう。」
目を閉じたまま俯いている司祭に声を掛けたのは、いつの間にか手前まで歩み寄っていたエーテだった。
称賛を織り交ぜながら丁寧に並べた言葉は、裏を返せば司祭を刺激しまいとする警戒心の表れなのだろう。
司祭の眼が薄く開き、ギョロリと動いた黒目が目尻でエーテを睨んだ。血走った眼球に浮かぶ黒目は、まさに上空の赤い空の縮図のようである。一瞬怯んだものの、エーテは眼を逸らさず本題を切り出した。
「銀狼将軍も僅かにですが息を吹き返した様子。この時点で、既におまえ様の呪儀は素晴らしい成果を挙げております。・・・一方で、未だ経験したことの無い現象を目の当たりにし、畏怖に震える者も少なくありません。」
「おまえ様。これから先の儀式の展開について、少しお聞かせ願えますか?
そして、私たちに出来る事があるのなら、何をすべきかも。」
エーテを睨んでいた司祭の目が、急にキョトンと丸くなった。
「この愚者どもに出来る事? すべき事?」
エーテは自分も含めて『私たち』と言ったのだ。
しかし、エーテの言葉を聞いたはずの司祭は、彼の存在を敢えて無視するかのように、貴族の集団の方だけにゆらりと体を向けた。
・・改めて見ても、不甲斐ない顔ばかり並んでいる。目の前の愚者に、もうこれ以上話す価値を感じないのだが、エーテの問い掛けは、何故か鼓膜に沁み込んで残っている。
(もしや、彼も因果の者なのか?)
司祭は、ちらっとエーテを見た。
そして、再び目を閉じ、静かに口を開く。
「愚かで臆病なあんた達に出来る事は、ただ一つ。」
天を仰いだ司祭の目が、千切れんばかりに大きく剥き開かれた。
充血した眼球に浮かぶ黒目に、赤い光が満たされてゆく。
「黙って見ている事だよ。」
落ち着き払った声で告げ、司祭は狼狽する貴族を真っ赤な眼で見渡した。
司祭の両腕が頭上高く上がり、
呼応するように天上で渦巻く赤雲の動きが急激に速くなる。
「主様! 彼の者に宿りし鮮少の息吹に、さらなる御力を与え給へ!!」
司祭の怒声が、天に、庭園に、響き渡った。口角と目尻をグニャリと吊り上げた彼の顔は狂気に満ちている。
怒声の余韻と入れ替わりに、四方を囲まれ無風であるはずの庭園の空気がにわかに動き始めた。
ひゅる、ひゅるぅ・・・。
ぬるりと肌に纏わりつく空気の流れは、風というよりも、空気に体を弄られているような不快なものだった。鳴音が大きくなるにつれ、空気の流れも明らかに早くなっている。
「此処に奉納されたる、十の魂と血肉。是を以て贄とし、大いなる御力の片影を彼の者へ分け与え給へ!」
司祭が叫んだ瞬間、幾筋もの黒い稲妻が上空を覆う赤い雲の中を走った。
驚いて上空を仰いだエーテには、天頂の黒点を中心に放たれた稲妻が、まっ赤に充血した眼球を這う血管が黒く光ったように見えた。
ズズゥウウン・・・
稲妻の閃光を追って凄まじい雷鳴が庭園まで到達し、ビリビリと振動する空気は肌を抜け内臓まで震わせている。
(これって、ヤバいやつだろ!)
本能で危険を悟ったエーテは、司祭の姿を睨んだまま後退り、1,2、・・5メートルほど離れると、体を反転させて一気にプールに向かって駆け出した。
プールを囲うブロックを軽やかに飛び越え、ザブンと腰下まで温水に浸かりいったん立ち止まったエーテは、揺れる水面を凝視した。何か迷いが有るのだろうか?軽やかな身のこなしとは裏腹に、その表情は硬い。
しかしそれも束の間、キッと顔を上げ銀狼将軍が寝かされている手術台を睨み、そのままザバザバと温水を掻き分けて突き進む。距離を詰めると、浮足立つ医術者達の影の間に、フィレリアの赤い髪が揺れて見えた。
「ええい、間に合わん!」
エーテは水底の足をダンと踏み込み、赤い髪を目掛けて大きく跳躍した。
巻き上げられた温水の飛沫がエーテの後に続いて弧を描き輝く。
その軌道を目で追っていた医術者の口が、あんぐり開いていった。山なりに跳ねたエーテの体の最高点が、ゆうに3mを超えていたからだ。
(高い・・。人間がこんなにも高く跳べるのか?)
驚愕する医術者のすぐ横に着水したエーテは彼の肩をポンと軽く叩き、すぐさま医術者の間に分け入った。
赤い髪の主は、未だ手術台の横に立ち銀狼将軍の顔を見つめている。まるで、不気味に変貌した空や司祭と貴族のいざこざなど我関せずといった顔つきで。
(少し乱暴になるが。)
背後から近付いたエーテは何も言わず彼女の小さな手をむんずと掴み、強引に医術者の輪の外へと引っ張り出した。
「なっ、何をする!」
フィレリアはエーテの手を振り解き、怒りの眼差しでエーテと対峙した。腰のレイピアに手を伸ばし、斬りかからんばかりの勢いである。
やれやれと言わんばかりにふうっと溜め息をついたエーテが、フィレリアを促すように上空を見上げた。釣られて上を向いた彼女の目に映ったのは・・・。
充血した眼のように不気味な、まっ赤な空だった。
呪儀が始まった頃に見た空とは別物、まるで地獄の空とも思える禍々しさに満ちている。その中心にギョロリと居座る大きな黒目からずっと睨まれていた事に、やっとフィレリアは気が付いたのだ。
可憐な赤い唇から、無意識の言葉が零れた。
「なんだ、コレは・・・。」
ぱちぱち数回瞬きをしたフィレリアは、芽生えかけた不安を噛み殺すようにギリッと奥歯を喰いしばり、もう一度赤い空を強く睨んだ。
渦となり黒点に吸い込まれる赤雲を見つめるほど、自分の存在も一緒にあの赤い眼に飲み込まれてしまいそうな気がする。
胸の内にそんな恐怖が僅かに生まれた瞬間、感電したような衝撃がビリリ背筋を走り、そのまま彼女の身体は硬直してしまった。まるで蛇に睨まれた蛙のように。
エーテは固まったまま動けないフィレリアと向き合い、現在自分たちが置かれている状況について、諭すような口調で説明を始めた。
「呪儀により銀狼将軍は蘇生の兆しを見せました、・・が。 引き換えに、ご覧の通りの悍ましい怪異を引き起こしてしまったようです。アレが我々、そして、同じ空の下にいるティノブールの民に福音を授けに来たと思えますか? いいえ、間違い無くその逆・・・禍を為す存在でしょう。」
「そうかも、な・・・。」
「暴走し別人と化した司祭は、怪異について我々の関与を拒否しました。いま我々が何を言っても、あの男を止める事はできないのです。かと言って、呪儀の主が呼び出された現在、彼を力で黙らせるのも危険です。それこそ、何が起きるか分からない。」
「ああ・・・。」
体の硬直は、どうやらフィレリアの思考まで錆びつかせてしまったらしい。
エーテの話を聞いているのか?いないのか? 返事はするが夢うつつのようである。
「銀狼将軍が蘇生の兆しを見せた事は、大いなる奇跡です。しかし、このまま呪儀を続ければ、あの赤い空から未曽有の災厄が降り注ぐでしょう。このティノブール、いや、もしかしたら、ロクナム全土を巻き込んで。」
呪儀の継続に否定的なエーテの言葉が、ぼんやりと聞き流していたフィレリアの脳を、反復して寄せる水紋のようにゆらゆらと揺らした。頭の中で幾度も響くエーテの声は、彼女の思考を徐々に呼び醒ましてゆく。
(このまま呪儀を続ければ・・・だと? 呪儀が災厄を招くと!?)
回転の戻った思考が体の緊張まで一気に解き放ち、俯いていたフィレリアは跳ねるように体を起こした。荒い呼吸を呑み込み、鬼気迫る表情で目の前のエーテをキッと睨む。しかし焦燥を隠しきれない顔には、彼女らしい聡明さも自信も見当たらなかった。
「だがっ! ここで呪儀を止めれば、銀郎将軍は蘇らない! あと一息なのだ・・、やっと掴みかけたこの奇跡をむざむざと手放せと!? 銀郎将軍の復活を、諦めろと!?」
感情に任せて溢れだす言葉は、なおもエーテに浴びせられた。
「命脈危うい銀郎将軍を見捨て、我らは全員逃げて、そうしていま目の前で起きているこの怪異をやり過ごす事が出来たとしても、その先はどうする? 英雄復活という切り札を失った我々は、あの化け物じみた強さのリキュア兵と真っ向戦うしか無くなるのだぞ? ・・さらにだ。 復活失敗の噂は遅かれ早かれ軍やロクナム国民にも広がり、彼らの希望を殺ぐだろう。ただでさえ窮地の我々が、希望を、戦う意欲を失ってしまえば、ロクナムが滅ぼされるのは時間の問題だ!」
フィレリアが矢継ぎ早に放った言葉も、エーテの心には何も響かなかった。
論理的ではあるが、決定的に足りないものがあったからだ。『想い』ばかりで、彼女の『選択』が示されていないのである。
エーテは冷静にそのことを問い質した。
「では、たった一人の銀狼将軍を復活させるために、幾多の命を見捨てますか?」
冷たく光るエーテの眼差しに目を合わせることが出来ず、思わずフィレリアは顔を横に叛けた。
代わりに彼女の目に映ったのは、司祭の前で為す術無く震えている貴族たちの姿だった。まるで大人から折檻を受ける子どものように、小さく無力な存在・・。フィレリアの頭の中に、ふっと疑問が湧いた。彼らの命も『幾多の命』に含まれるのだろうか。
(国家に寄生する政治屋どもの矮小な命なぞ、いくら束ねようとも、銀狼様の御命と天秤する価値すら無い。)
口元を僅かに歪めた高慢な笑みは、彼女の胸に生まれた残忍な確信を物語っていた。エーテの目には、彼女の端正な顔に、攻撃的で極端な性格であった先王イスティムの面影が重なって見えてしまう。(彼女にも、バルティス王家の血が流れているのだ。)改めて思い知らされた親子の血の因果は、エーテを少なからず戦慄させた。
血は争えないのか・・。
エーテは憂懼するが、当の本人の中では、共生して流れる異なる性格の血と血が争っていた。
バルティス家に脈々と継がれてきた古き血と、フィレリアという一個の女性の若き血。
貴族を睨んで矮小と断じたバルティスの血に対して、ロクナム国民を向いたフィレリアの血が抗っているのだ。
それには、まだ14年しか生きていないフィレリアにとって、親と共に過ごした12年の記憶よりも、父を失い国王の座に就いてからの2年の記憶の方が遥かに鮮烈に刻まれてしまったという背景が有る。
葛藤するフィレリアの頭の中には、辛く苦しかった激動の2年間の記憶が早送りで映し出されていた。
右も左も分からぬ幼い彼女が心血を注いで国務に取り組んできたのは、リキュアの侵攻を退けロクナムに平和を取り戻すためだった。拙い王である自分を支持してくれた国民を、幸せにするためだったはずだ。
それが、どうだ?
銀狼将軍の復活と引き換えに、あの赤い空から得体の知れない災厄が降り注ごうとしている。
そう、幸せにするはずの、ロクナム国民の上に・・。
しかし!
国民の幾多の命を案ずれば、銀狼将軍の復活は水泡と化し、二度と叶わないであろう。
『必然』とまで信じた英雄復活の夢は、ここで潰えるのだ。
考えれば考えるほど、頭の中で2つの選択が交錯するばかりで答えを掴めない。
「・・・。」
フィレリアの表情から次第に険しさが消え、遂にはエーテに対する反抗的な姿勢まで解いて棒立ちとなってしまった。彼女の葛藤と苦しさは、エーテにも十分伝わっている。しかし、エーテはあと一言だけ、非情な言葉を彼女に投げ掛けなければならなかった。
スッと跪いたエーテが、立ち尽くすフィレリアの顔を頭上に仰いだ。
「フィレリア王。我々が取るべき行動を、ご教示ください。」
エーテの穏やかな言葉が、フィレリアの脳を大きく揺らした。
「・・・。」
やはり、フィレリアは答える事ができなかった。
足元に膝を着いて見上げるエーテの瞳に目を合わせる事すらできなかった。
「フィレリア王。
今朝、私は貴方からこの呪儀における一切の警備を任されました。
これより、その責務を全うしましょう。」
『責務を全うする』
エーテの言葉の『意図』が、聡明なフィレリアにはなんとなく分かっていた。
しかし、その『意図』を質すことも、いつものように彼女の主観だけで否定する事も出来なかった。
ロクナム最高の権力者では有るが、彼女自身にはこの異常な状況を打開する力が無い事を知っているのだ。つまり、否決したところで出せる対案は無く、かといって公然と認めてしまえば、それは・・・。
フィレリアの喉がゴクリと動いた。
しかし、乾ききった口の中に唾液が残っている筈も無く、乾いた喉が締まって擦れるだけだった。
痛みに右目を細めたフィレリアの頬の内側で、ギリリと奥歯を噛む音がした。
自分の不甲斐無さが情けなく、恥ずかしかった。
フィレリアの沈黙を、エーテは肯定と受け取る事とした。
もちろん、彼女の黙認の事実を取り付ける為に沈黙へ誘導したのだが。
(フィレリア様。貴女はもう充分悩み苦しみました。この先は、私が全て背負います。)
エーテは心の中の呟きをなぞるようにフィレリアに頷いて見せ、それから医術者の方へ向き直った。
「フィレリア王の御身を預かります。
皆も感じているでしょう、良くない事が起きようとしています。その時は、貴方達も自分の身を守る事を第一に考えて行動してください。」
「自分の身は自分で守れって事ですか。確かに、この様子を見れば嫌な予感しかしませんよ。しかし、これから何が起きるか想像すらつかないのというに、医術しか取り柄のない我々にどうやって身を守れと?」
「最も確実で誰にでも出来る方法は、この場から退避する事です。今すぐに。」
「なるほど。逃げろ、って事ですね。しかし、この銀狼将軍はどうするのですか? いま無理に動かせば、生きるか死ぬかの瀬戸際にある重篤な身体に、致命的な負荷を与えかねません。」
医術者の男は、エーテに見えるように手術台に向かって腕を広げた。
「・・・最悪の場合、放棄して構いません。」
急な展開に理解が追い付かない様子の医術者に、エーテは事実上の計画中止を指示した。
「なっ!? えっ!? ・・・仰っている意味が分かりません。 やっとです、やっと、蘇生の兆しを見せたところなんですよ? なのに、見殺しにするなんて!!」
「心情は察します。ですが、銀狼将軍を守ろうとすれば、その為に多くの者が危険に晒されます・・。
これは命令です。この場から退避してください。一切の責任は私が取ります。」
「ちょっと待ってください! 貴方が責任を取るなど・・。 はっ!? まさか、フィレリア様の同意が無いって事ですか!?」
エーテは答えない。
右手に握っているフィレリアの手が、一瞬、ピクリと握り返した。
その右手を引き寄せたエーテは、まるでバッグでも扱うように、ひょいとフィレリアの身体を右脇に抱えた。
「ひあっ、なっ!? や、止めろっ! 私はまだっ!」
手足を振ってジタバタ暴れるフィレリアを抱えながらキョロキョロと辺りを見渡すと、
「分かってください。生き返るかどうか分からない者の体より、いま生きている者の命の方が大切なのです。」
最後にそう告げたエーテは、今度は庭園を囲う回廊の手前に立つ1本の大きな木を見据え、強く跳躍した。
さっきより高く大きな放物線を描いて跳躍するエーテの頭上では・・・。
赤雲の渦が次第に夜空の黒と交錯しながら竜巻へと変化し、吹き抜けに向かって縦に伸び始めていた。
父が倒れてから身辺がバタバタバタッとして、なかなか書くことが出来ませんでした。
その間、約2か月以上の時間で、私の中の物語の世界は随分先まで進んでしまいました。でも、書いたお話は、呪儀の冒頭で止まっている・・。
なかなかその時点に頭が戻れず、何度世界に潜ってみても、「何か違う・・・」と悩むばかり。この一話を仕上げるのに、かなり苦労しました。
やっと、少し、時間が作れるようになったので、ちょくちょくこの世界に潜りながら続きを書いていきたいと思います。




