【終】とけないモノを、残しつつ
モニカ達が先日訪れた服飾店に足を運ぶと、新聞を読んでいた老店主が紙面から顔を上げた。
「おや、いらっしゃい。昨日は夜からかなり吹雪いたのに、今日はすっかり暖かくなったねぇ」
「じゃあきっと、アッシェルピケが溶けない氷を貰ったのね」
メリッサが冗談めかして言えば、シリルの首元で襟巻きのフリをしているアッシェルピケが、ヒクヒクと髭を震わせる。
イタチに化けたアッシェルピケとトゥーレは、それぞれシリルとメリッサの首に巻きつき、襟巻きのフリをしていた。
その姿を見ていると、なんだかモニカの胸はムズムズする──シリルとメリッサがお揃いの襟巻きをしているみたいで、それがムズムズの原因なのだが、その理由を理解するには、モニカには経験値が足りなかった。
今のモニカにできるのは、シリルの腕に引っ付いて歩くメリッサを、背後からオロオロと見上げることだけである。
「今日は、何をお求めだい? そっちのお兄さんの上着かな」
そう言って店主はシリルを見た。それ以外の三人が昨日買った上着を着ているのだから、そう考えるのは当然だ。モニカもそう思っていた……が。
「いや、私のではない」
シリルは首を横に振り、目線をモニカに向ける。
「彼女の上着を」
「……へっ?」
モニカが目を丸くすると、シリルは少しだけ眉をひそめてモニカの白い上着を見た。
バラの上から雑に腕に巻いていた上着は、随分ほつれてしまっている。血のシミはメリッサが軽く洗って落としてくれたが、近くで見ると少しみすぼらしい有様だ。
「私はこの後、ハイオーンに戻らないといけないから、厚手の上着は必要ない」
シリルの言葉に、ラウルが「えぇーっ!」と声をあげた。
「もう帰っちゃうのかよ? 折角だから、ヤウシュカを観光してこうぜ!」
「明日は昼から、アスカルド図書館学会の本部で会合があるんだ」
「えっ、じゃあもう、本当にすぐ戻らないとじゃんか」
目を丸くするラウルに、シリルは渋面で頷く。
このヤウシュカから一度ハイオーンに戻って、それからアスカルドに移動する時間を考えると、かなりギリギリだ。
それなのに、彼はモニカが起きるまで律儀に待っていてくれたらしい。
モニカがもじもじと左手で上着の裾を弄っていると、シリルがコホンと咳払いをした。
「今回の件は世話になったから、これぐらい贈らせてくれ」
「あっ、ありがとう、ございます……」
「レディ・メリッサにも、後でローズバーグ家にお礼の品を贈らせていただきたい」
シリルの言葉に、メリッサがシリルの腕にしがみついて「きゃあ、嬉しい!」とはしゃぎ、ラウルが「オレにはー!」と不服そうに唇を尖らせた。
シリルは居住まいを正して、ラウルを見る。
「あぁ、もちろん、後でローズバーグ家宛てに……」
「うんうん」
「仕事を送っておこう」
「なんで!?」
シリルはワァワァと騒ぐラウルに背を向けて、モニカに「何色の上着が良いんだ?」と訊ねる。
モニカはもじもじと、上着の飾り紐をいじりながら答えた。
「えっと…………白が、いいです」
「今着ている上着と同じ色だな。白が好きなのか?」
モニカが俯いたまま頷くと、シリルは「そうか」と小さく笑い、店内にある白い上着を手に取る。
シリルが選んだのは、今モニカが着ている上着とは刺繍の模様が違う上着だ。
刺繍糸は春の花のような薄紅色。飾り紐の先端についている飾り玉も刺繍糸によく似た色で、光に透かすと白い花の模様が透けて見える。
今着ている上着も同じ白だが、刺繍糸の色が違うだけで、なんだか春めいて見えるから不思議だ。
「店主、これを頼む」
「はいはい」
シリルは店主に銀貨を支払うと、上着をモニカに差し出した。
「あっ、ありがとうございます……っ」
モニカはシリルに礼を言って新しい上着を羽織ると、ほつれのある上着を丁寧に畳んで胸に抱いた。
そんなモニカに、メリッサがスススと近づき、耳打ちをする。
「あ〜ら、モニカちゃん。素敵な上着ねぇ?」
モニカはハッとメリッサを見上げた。
そうして、ほつれのある上着を胸に抱いて、口を開く。
「あ、あのっ、お姉さんに買ってもらった上着も……っ、おうちに帰ったら、ちゃんと繕い直して大事に使いますっ……」
メリッサは鼻の頭に皺を寄せ、出来の悪い生徒を見るような顔でため息をついた。
「あのね、モニカちゅわぁん?」
「は、はいっ」
「今は、アタシにそういう気の遣い方するタイミングじゃなかったわよね? ねぇ?」
「へ? え?」
困惑するモニカに、メリッサは大真面目に言い放つ。
「こういう時は『きゃあ、シリル様、ありがとう♡』って首ねっこにかじりついて、周囲に見せつけるもんでしょ」
「…………??」
「あぁ、駄目。全然駄目。なってないわ。ただ、アタシに敬意を払った点は褒めてあげる」
メリッサはモニカの頬を親指と人差し指で挟んで、手慰みのようにグニグニとこねた。
モニカはメリッサのダメ出しの意味が分からぬまま、「は、はぁ」と曖昧な相槌を打つ。
メリッサとモニカがそんなやりとりをしていると、メリッサの首元で襟巻きのフリをしていたトゥーレが「ねぇねぇ」と、二人にだけ聞こえるような小声で囁いた。
「あの飾りは何だろう? シャンシャン鳴って、とてもキレイ」
トゥーレの視線の先にあるのは、店の外に飾られている鈴飾りだ。どうやら、ずっと気になっていたらしい。
興味深げにチラチラ見ているトゥーレに、メリッサはニヤリと笑い、老店主に話しかける。
「ねぇ、おじいちゃん。あの扉の鈴飾りの由来って、なんだっけ?」
「うん? 昨日、言わなかったかね。あれは白竜様がいらっしゃったら、すぐに分かるようにするためのものだよ」
「あぁ、思い出したわ。『白竜様、白竜様、何かをお求めの際は、どうぞこの鈴を鳴らしてください』ですっけ?」
「そうそう。白竜様は内気なお方だからね」
メリッサは「ですってよ」と呟き、首元のトゥーレを見る。
「人間は、素敵なことを考えるね。とても素敵」
そう言ってトゥーレはメリッサの首から降りると、扉に飛び乗って鈴飾りをシャンシャンと鳴らす。
「あっ、こら、このおとぼけイタチ!」
舌打ちするメリッサの横で、店主が「本物のイタチだったのかい」と目を丸くした。
* * *
上着を買い終えた、一行はその足で馬車乗り場に向かった。シリルは、この馬車に乗ってハイオーンに戻るのだ。
馬車が近づいてきたところで、メリッサの首に巻きついていたトゥーレがシリルの肩に飛び乗る。
シリルの左肩には金色のイタチ──伝承にも登場する上位精霊アッシェルピケ。
右肩には純白のイタチ──カルーグ山の白竜トゥーレ。
伝承と伝説の存在を肩に乗せたシリルは、馬車に乗る前に居住まいを正した。
「この度は、本当に世話になった。ありがとう。それで……この二匹のことだが……」
困ったような顔をするシリルの言葉を、メリッサが引き継ぐ。
「えぇ、勿論。私達だけの秘密ですわ」
伝承の存在であるアッシェルピケもさることながら、トゥーレは〈ハイラの民〉に神として崇められている存在だ。
勝手に連れ出したとなっては、政治問題になりかねない。
「今更だけどさぁ。神様不在で、〈ハイラの民〉がパニックにならないかな?」
ラウルの疑問の声に、トゥーレがのんびり「大丈夫じゃないかな」と答える。
「あの山は魔力濃度が高いから、一年に一回、神殿に捧げ物を持ってくる時しか、人間は来ないよ。そうでなくとも、わたしはあまり人前に姿を見せなかったから」
「その神殿も、半壊状態なんだよなぁ……」
ラウルの言うことは尤もである。
だが、そんなの大したことじゃないとばかりに、メリッサが鼻を鳴らした。
「神殿を壊したのは、連中が崇めてる白竜様なんだから、アタシ達が気にするようなことじゃないわよ。なんなら、そこのおとぼけ白竜が、寝返り打って壊したことにすりゃいいじゃない」
「わたしは、寝相は悪くないよ」
トゥーレの主張を「はいはい」と聞き流し、メリッサは肩を竦める。
そんなやりとりを聞きながら、モニカはひそかに悩んでいた。
(今回の件、アイクとネロには……話した方がいいのかなぁ……)
軽率に話すようなことではないのは確かだが、アイザックの口の固さは信用できるし、ネロにしても、わざわざ話す相手がいないから、情報が漏れる心配は無いだろう。
それに、もしシリルがアッシェルピケとトゥーレをサザンドールに連れてきたら、魔力感知の得意なネロは一眼で正体を見抜くはずだ。
(うーん、様子を見て、落ち着いたら話そう……かな。うん)
話が一段落したところで、御者が「そろそろ、よろしいですか?」と声をかけた。
シリルは「今行く」と応じ、モニカに目を向ける。
どうしよう、とモニカは焦った。
何か言いたいのに、こういう時に気が利いたことが言えない自分がもどかしい。
何か言わなきゃ、言わなきゃ、と焦っていると、メリッサがシリルの腕にしがみついた。
「シリル様ぁん、王都にお立ち寄りの際は、是非是非、我が家にも遊びに来てくださいましね」
「あっ、それいいな! シリル、次はうちに遊びに来てくれよ! トゥーレとピケも一緒にな!」
賑やかなローズバーグ姉弟に、トゥーレが「楽しみ、楽しみ」と弾んだ声をあげ、アッシェルピケも「トゥーレが行くなら」と小声で応じる。
会話に上手く入れないモニカは、ほつれた上着を胸に抱いてモジモジするしかできない。
「それじゃあ、また」
そう言ってシリルが馬車に向かう。
モニカは咄嗟に手を伸ばし、シリルの上着を掴んだ。
「あっ、あのっ……」
「……?」
振り向いたシリルが目を丸くしてモニカを見る。
モニカはぎこちなくヘラリと笑って、視線を彷徨わせた。
「えっと、上着に、糸くず、ついてて、ですね……」
「そうか? すまない、ありがとう」
「い、いえ……」
たったそれだけの短いやりとりが、モニカの精一杯だった。
やがて、シリルが二匹のイタチと共に馬車に乗り込み、馬車が走り出す。
馬車が路地を曲がって見えなくなったところで、メリッサが深々とため息をついた。
「あーあ、良い男がいなくなったら、ヤル気無くなったわ。今日は部屋に戻って酒飲んで寝ましょ」
「残念だなぁ、シリルも一緒に観光できれば良かったのに……ん? モニカ、どうしたんだ?」
強張った顔で立ち尽くしているモニカに、ラウルが不思議そうな顔をする。
「いえ、なんでもない、です」
モニカはブンブンと首を横に振ると、ほつれている方の上着を胸に抱いて、早足で歩きだした。
そうして小声で、ポツリと呟く。
「……ぬ、抜け駆け……しちゃった」
* * *
「しまった……」
馬車の中で、シリルは頭を抱えていた。
アッシェルピケの祭日に合わせて贈ろうと思っていた飴を、モニカに渡し忘れてしまったのだ。
冬至のリースに続いて二回目である。あの時は、やむを得ない理由だったが、今回は完全に失念していた。
ため息をつきながら上着のポケットに手を入れたシリルは、違和感に眉をひそめる。
「……うん?」
家を出る時、シリルがポケットに入れていたのは、飴の小瓶と小魚だ。
だが、ポケットの中では、ガラスとガラスがカチカチとぶつかるような感触がする。
怪訝に思いながら引っ張り出せば、小魚の代わりに出てきたのは、小さなガラス玉。これが飴の小瓶とぶつかって、カチカチと音を立てていたのだ。
シリルは飴の小瓶を膝に載せ、ガラス玉を指でつまんで持ち上げる。
雪のように白いガラス玉だ。近くで見ると、ごくごく淡い水色で雪の結晶が描かれていることが分かる。
中央に穴が空いているから、紐に通して使う飾り玉の類だろうか?
首を捻るシリルの肩の上で、トゥーレが金色の目を輝かせた。
「わぁ、きれいな溶けない氷。それも飴? 食べられる?」
「トゥーレ、トゥーレ、それはガラス。食べたら駄目」
アッシェルピケの言葉に、トゥーレは「そうなの?」と小首を傾げる。
小首を傾げるイタチの愛らしい姿に密かに癒されつつ、シリルは肩の上のイタチ達を座席に下ろした。
「食べたければ、こちらにしてくれ」
シリルはトゥーレとアッシェルピケに飴の小瓶を押し付け、改めてガラス玉を観察する。
もしこれが、他人の服飾をよく見ているラナ・コレットなら、このガラス玉が、血に汚れた白い上着にあしらわれていた物だと見抜いていただろう。
もしこれが、他国の文化にも精通しているアイザック・ウォーカーなら、このガラス玉とランドール王国の風習を結びつけて、小さな少女がポケットに忍ばせた想いに気づいたかもしれない。
だが、この手の物に疎いシリルは、ガラス玉を睨んで大真面目に一言。
「小魚が……ガラス玉になった?」
雪は溶けても、ガラス玉の謎は解けぬまま、季節は移り変わろうとしている。
口いっぱいに飴を頬張ったトゥーレが、窓の外の新緑を眺めながら「春だねぇ」と呟いた。