【3】トラブルメーカー姉弟
ハイオーン侯爵領のとある山の中を、黒い日傘をさした女が歩いていた。
女が身につけているのは、山歩きに適さないバラ色のドレス。癖の強い赤毛には華やかなバラの髪飾り。
少しきつい顔立ちに濃い化粧を施したその女は、ゼーハーと荒い息を吐くと、近くの切り株にどっかりと腰を下ろした。
「あぁ、疲れた……ったく、秘密研究だかなんだか知らないけど、こんな辺鄙なところに畑なんて作るんじゃないわよ」
ぶつくさと不満をこぼす女の目的地は、ハイオーン侯爵家と〈茨の魔女〉が極秘で魔力付与研究をしている畑である。
しかし、女の目的はその研究内容ではなかった。
女は日傘を畳むと、口元にニタリと邪悪な笑みを浮かべる。
「さぁて、あの馬鹿弟、そろそろあの肥料を使った頃かしら……アタシが肥料に混ぜる物の一部をすり替えたとも知らずにね! きっと今頃、ハイオーン侯爵の前で赤っ恥をかいてるに違いないわ!」
女の名はメリッサ・ローズバーグ。
先代〈茨の魔女〉であり、五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグの実姉である彼女は「弟の困った顔を見たい」ただそれだけの理由で、こうして山歩きをしていた。
四代目〈茨の魔女〉には不名誉極まりない肩書きがある。
即ち「史上最短でクビになった七賢人」
当時二十歳という若さで四代目〈茨の魔女〉に就任したメリッサは、その類まれなる才能を活かして魔法薬を作っては売り捌き、作っては売り捌き、作っては売り捌きまくった結果、一族の怒りを買った。
頭の固い一族の人間は口を揃えて、魔法薬は一族の秘中の秘。それを軽々しく売り捌くとは何事か、とメリッサを糾弾したが、メリッサに言わせてみれば「なんで売れるのに売らないのよ」の一言に限る。
研究費のかかる魔術師にとって、金なんていくらあっても困るものじゃない。まして、コンプレックスのそばかすと癖っ毛対策には金がいるのだ。
……研究と無関係ではないか、などと野暮なことを言ってはいけない。癖っ毛とそばかす対策は、メリッサにとって生涯の研究課題である。
かくして、秘伝の魔法薬を売り捌いた金で美容薬を買い漁ったメリッサは、僅か数ヶ月でローズバーグ家の当主の座を追われた。そして五代目〈茨の魔女〉になったのが、弟のラウルというわけだ。
この弟のラウルがまた可愛げがない。
先祖返りと言われる才能の持ち主で、魔力量は国内トップ。
おまけに初代〈茨の魔女〉を彷彿とさせる美貌の持ち主で、野良仕事ばかりしている癖にそばかすが無いのだ。メリッサなんて、どんなに日傘をさしても、美容薬を塗り込んでも、白粉を厚塗りしても、そばかすが消えないというのに!!
ついでに言うと、あの髪質も気に入らない。同じ赤毛でもメリッサの髪はなんだかゴワゴワパサパサしているのに、ラウルの髪は艶のある美しいバラ色の巻毛と讃えられている。
あぁ、なんて忌々しい弟だろう! 才能があって容姿にも恵まれて、ついでにそばかすと癖っ毛という悩みも無いなんて!
(あの馬鹿弟なんて、恥をかけばいいのよ)
弟の能天気な顔を思い出せば、それだけで沸々と苛立ちが込み上げてきた。
メリッサはフンスと鼻を鳴らすと勢いよく立ち上がり、また歩きだす。弟の醜態を見る、ただそれだけのために。
今頃ラウルはメリッサが肥料に細工をしたとは知らず、困り果てている頃だろう。
あの弟がオロオロと狼狽えているところを想像すれば、それだけで胸がスッとする。
「せいぜい困るがいいわ。ざまぁみなさい、馬鹿弟! あーっはっはっは! …………んん?」
メリッサは高笑いを引っ込めると、前方を注視した。木々の合間から、何やら緑色のウニョウニョした物が見えるのだ。
緑色のウニョウニョはグングンと伸びていき、そこらの木々よりも高く高く成長していく。
メリッサとて、腐っても元七賢人。一目見れば、それが何かぐらい見当はつく。
あれは、魔力を付与しすぎて肥大化した植物だ。
「え、エンドウ豆……よね、あれって」
心当たりがありすぎたメリッサは、頬をヒクヒクと引きつらせる。
確かにメリッサは肥料に細工をした。けれど、それはここまでエンドウ豆が肥大化するような性質のものではなかったはずだ。
よもやラウルが小数点を二つほど間違えていたとはつゆ知らず、メリッサは日傘を握りしめたまま呆然と立ち尽くす。
(ちょっと、ちょっと、ちょっとぉぉぉ、あの馬鹿弟、何やらかしたのよ!?)
メリッサの視線の先では、ローズバーグ姉弟の小細工とうっかりミスの結晶であるエンドウ豆が、更なる成長を遂げようとしていた。
* * *
シリルは防御結界を維持しながら、歯噛みしていた。
咄嗟に張った防御結界のおかげで、なんとかエンドウ豆の蔓に捕まらずに済んだが、このままでは身動きが取れない。結界を維持しながら氷の槍で蔓を切断するも、蔓はすぐに伸びてくる。
「どうにかならんのか、ローズバーグ卿!」
シリルが怒鳴ると、ラウルは緊張感の無い声で「うーん」と呟き頭をかく。
「せめてバラがあればなぁ……」
バラの花で、この状況をどうひっくり返すというのか。シリルには皆目見当がつかないが、ここは七賢人が起こす奇跡に賭けるしかない。
「……バラがあれば、どうにかなるのか?」
「あぁ、切り花一輪でいいんだ。なんなら、ドライフラワーみたいな加工品でもいいぜ」
この畑では主に野菜や薬草をメインに育てており、バラは扱っていない。
それでも、シリルには一つだけあてがあった。
(……だが、あれは)
葛藤は一瞬。今はモニカの救出が最優先だ。
シリルは苦い顔でラウルに告げる。
「……私の鞄の中に、冬至用のリースがある。そこにドライフラワーにしたバラも飾ってある筈だ」
リディル王国では冬至休みの間、家にリースを飾る習慣がある。リースには魔除けの力があり、玄関の扉に飾ることで災厄を退け、新しい年に幸福を呼び込むと言われていた。
リースは木の枝を編んだ土台にモミや松ぼっくり、サンザシの実などを飾るのが一般的だが、シリルが用意したリースには白バラをドライフラワーにした物が幾つか飾られている。
「シリルの鞄ってどこにあるんだ?」
「……荷車の中だ」
農作業に必要な道具を乗せた荷車は、このエンドウ豆畑から少し離れた所に置いてある。走れば五分もかからないだろう。もっとも、エンドウ豆に道を塞がれていなければの話だが。
既に二人はエンドウ豆に周囲を包囲されている。荷車まで辿り着くのは簡単な話ではない。
シリルは腹を括ると、襟元に付けているブローチを外した。魔導具でもあるそのブローチは、シリルの体内の余分な魔力を吸収し、排出してくれる物だ。
全力で魔術を行使するなら、ブローチは無い方がいい。
「……私が時間を稼ぐ。その間に荷車へ向かえ」
「いいのかい?」
良いも悪いも、そもそも他に選択肢が無いのだ。
シリルはラウルをギロリと睨み、腹の底から響く声で怒鳴りつける。
「一応言っておくが、これ以上事態が悪化したら、二度とハイオーン侯爵家の門をくぐれぬものと思え!」
泣く子も黙るシリルの怒声に、ラウルはどういう訳かパァッと顔を輝かせた。
「それって、絶交宣言ってやつだよな? いいな、すごく友達っぽい!」
こんな時でも能天気極まりないラウルに、シリルは苦い顔で舌打ちをする。
だが、これ以上は何かを言い返す時間も惜しい。
シリルは防御結界を維持しつつ、少し長めの詠唱をした。そうして視線を己の背後、荷車のある方角へ向ける。
「……行けっ!!」
シリルが指を鳴らすと同時に、氷の刃がエンドウ豆の蔓を切り裂いた。
それでもすぐに再生し、侵食しようとする蔓をシリルは氷の壁で押し留める。
「ボサッとするな! さっさと走れ! ラウル・ローズバーグ!」
シリルが眉を吊り上げて怒鳴れば、ずっと呼び捨てにされたがっていたラウルは「任せろ!」と上機嫌に走りだした。