【2】キラキラ王子と魔女の惚れ薬
〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットの(自称)弟子であるアイザック・ウォーカーは、基本的に月の半分以上モニカの家に居座っている。それでもモニカとの約束で、月に一度は自身が治めるエリン公爵領に戻り、執務をしていた。
領主代行は信頼のおける相手を選んでいるし、アイザック自身、執務に長けているため、さほど苦労するようなことはない。
しかし来客の相手ともなれば、領主代行に任せっきりという訳にもいかなかった。
アイザックの表向きの顔は、リディル王国の第二王子フェリクス・アーク・リディル。
例え彼が王位継承権を放棄して隠居している身であっても、放っておいてくれない相手というのは一定数いるものである。
その日の来客である、フェリクスの伯父トバイアスがそうだった。
次期クロックフォード公爵になることが決まっているトバイアスは、どうやら娘のロレッタを第二王子に嫁がせることで、己の地位を盤石にしたいらしい。
(……第二王子フェリクス・アーク・リディルが王位継承権を放棄しても、その血を引く息子が生まれれば、この国の法では、息子が王位継承権を得ることができる……実に嫌になる話だね)
内心溜息を吐きつつ、アイザックはティーサロンへと足を向けた。
これから、くだんのロレッタ嬢を茶会でもてなさなくてはならないのだ。
フェリクスがティーサロンに足を踏み入れると、ティーテーブルの前に座っていた大柄な娘がハッと顔を上げた。
「お久しぶりですっ、殿下……いえ、エリン公爵閣下」
「やぁ、待たせてすまないね、ロレッタ嬢」
「いえっ、多忙な公爵のお時間を取らせてしまい、大変申し訳ありません」
いかにも申し訳なさそうに頭を下げるロレッタは十九歳。茶色の髪にはしばみ色の目の、どちらかというとおとなしそうな雰囲気の令嬢である。
身につけているドレスも上品ではあるが、歳のわりに落ち着いたデザインだ。
ロレッタはフェリクスの従姉妹にあたるため、アイザックは彼女と会うのはこれが初めてではなかった。幼少期──まだ、本物のフェリクスが生きていた頃に、何度か見かけたことがある。
それでも昨年までは女学院に通っていたロレッタは男性慣れしていないらしく、今も酷く緊張しているらしい。
どちらかというと背が高くて大柄な娘なのだが、小心者なのだ。
(……いや、緊張の理由はそれだけではないな)
大方、父親のトバイアスからは、第二王子を籠絡してこいとでも厳命されているのだろう。
「ロレッタ嬢と二人でお茶をするのは、随分久しぶりだね」
「はいっ、左様でございますね……あっ、お紅茶をどうぞ」
茶を勧めるロレッタの声は緊張で強張っていた。おまけに、その視線は忙しなく右に左に彷徨っている。
これは何かあるな、と察したアイザックはポケットを軽くつついて、ポケットの中で待機しているウィルディアヌに合図を送った。
そうして自然な仕草で紅茶のティーカップを持ち上げれば、ほのかなバラの香りが鼻をくすぐる。
「良い香りの紅茶だね。バラの香りがする」
その一言に、ロレッタはギクリと肩を震わせた。
嘘の下手な娘だなぁと内心呆れつつ、アイザックはティーカップに視線を落とす。
──バラの香りのする物を供されたら、警戒せよ。
それは王族の間で、代々密かに言い伝えられている言葉だ。
ポケットの中でウィルディアヌがこっそり魔力を行使する。水の上位精霊であるウィルディアヌにとって、水の浄化はさほど難しいことではない。
アイザックはウィルディアヌが浄化した紅茶を飲み干すと、ロレッタにニコリと笑いかけた。
「とても美味しい紅茶だね。バラの香りがとても良い……あぁ、このバラの香りは王宮の庭園のバラの香りに似ているんだ。だから、なんだかホッとするのだろうね」
流石のアイザックも、バラの香りの違いを嗅ぎ分けられるほど嗅覚に優れている訳ではない。ただのでまかせだ。
それでもアイザックの言葉にロレッタは露骨に動揺し、目を逸らした。
「……よ、喜んでいただけて、嬉しいですわ……」
ロレッタの顔にはじんわりと脂汗が滲んでいた。おまけに不自然なほど、まばたきの回数が多い。
アイザックは少しだけ口角を持ち上げ、カップをソーサーに戻す。
「王宮の庭園と言えば、あの庭は代々〈茨の魔女〉が管理していることはご存知かな?」
ロレッタはヒィッと息を飲んで、顔をこわばらせる。実に分かりやすい反応だ。
アイザックは笑いを噛み殺しながら、言葉を続けた。
「〈茨の魔女〉は、植物に対する付与魔術に長けた家系でね。庭園の花に様々な効果を付与しているらしい」
「さ、さようでございますか……」
「時には魔術付与した植物で、薬を作ったりもするのだとか」
いよいよロレッタの顔色は真っ青を通り越して土気色になった。
この紅茶には〈茨の魔女〉が作った魔法薬が仕込まれている。
それも、おそらくは催淫効果のある薬が……否、七賢人〈茨の魔女〉が作った魔法薬ともなれば、惚れ薬と呼ぶに相応しい、強力な効果があると考えて良いだろう。
カチカチという微かな音が聞こえた。震えるロレッタの歯と歯がぶつかる音だ。
そんな哀れな令嬢に、アイザックは慈悲深い王子の顔で笑いかける。
「君にこの薬を使わせたのは、君の父親かな?」
「…………っ、ぅ……」
「正直に白状して薬を差し出せば、この場は不問にしよう。そうだね、紅茶はうっかり溢してしまったことにでもすればいい」
アイザックの言葉にロレッタは、わっと泣き崩れた。
* * *
自室に戻ったアイザックは、ロレッタから没収した小瓶をテーブルに乗せた。
両手で包みこめるぐらいの小瓶には、淡いピンク色の液体がトプンと揺れている。これが、ロレッタがアイザックの紅茶に盛った物の正体だ。
ウィルディアヌがアイザックのポケットから這い出てきて侍従の姿に化ける。そうして彼は、小瓶を一瞥して眉をひそめた。
「非常に強い催淫効果の魔術が付与されておりますね。しかも、指向性のある洗脳効果を持たせている……これはもはや精神関与魔術と呼んでも差し支えないのでは?」
「まぁ、そうだろうね。これは伝統的な魔女の惚れ薬なのだから」
アイザックは小瓶を持ち上げて蓋を開ける。漂うバラの香りは、むせ返るほど強い。
「僕は毒物に耐性をつけているけれど、流石に魔法薬には抵抗できないからね。ウィルが浄化してくれて助かったよ」
「……摂取量を間違えれば魔力中毒になりかねません。何故、このように危険な物が出回っていたのでしょう?」
ウィルディアヌの疑問の声に、アイザックは「うーん」と呻いて腕組みをする。
ウィルディアヌは精霊なので魔力の扱いに長けているが、人間が扱う「魔術」については、さほど詳しくないのだ。
「この魔女の惚れ薬の事情を説明するには、付与魔術について説明しなくてはいけないのだけどね。物質に魔力を付与する付与魔術には、おおまかに二種類あるんだ。それが定着付与と一時付与」
定着付与は主に魔導具作りなどで使われる技術だ。強力で複雑な魔術式を物質に付与できるのだが、定着までに時間がかかるという難点がある。
一方、即効性のある付与魔術を一時付与と言う。剣に一時的に魔力を付与して魔法剣にしたり、あるいは物質に魔力を送り込んで操作をしたり、短時間だけ効果を発揮させる時に使われる。
「簡単に言うと定着付与は複雑で強力な魔術を付与できるが、定着までに時間がかかる。一時付与は発動が早いが、複雑な術式を付与するのは難しいんだ」
「その付与魔術なるものと魔女の惚れ薬が、どう関係するのですか?」
ウィルディアヌの問いかけに、アイザックは小瓶をつまみ上げて軽く揺らしてみせた。
「この魔女の惚れ薬は定着付与と一時付与の、どちらで作られたと思う?」
「……術式の複雑さから考えるに、定着付与なのでは?」
そう、本来ならこの手の魔法薬は材料に定着付与で魔術式を施し、加工して作るものだ。一時付与では付与できる魔力量も効果も、たかが知れている。
だが、例外……あるいは規格外とでも言うべき一族が存在するのだ。
「〈茨の魔女〉の一族は特殊な家系でね。代々、植物への付与魔術に長けていて、一時付与でも桁違いに強力な魔術式を付与することができる」
並の魔術師なら植物に一時付与をしたところで、植物を少し動かしたり、薬効を少し強めるのが精一杯である。
だが、〈茨の魔女〉はそれよりも遥かに高度なことが一時付与でできる。
植物を金属並みの硬度まで強化したり、猛獣を殺せるほどに毒性を強化したり、或いは集音魔術などの複雑な魔術を付与したり。
「特に〈茨の魔女〉の家系はバラの花と相性が非常に良いらしく、バラへの付与魔術は一層強力になると言われていてね。彼が本気を出せば、バラの花で〈砲弾の魔術師〉の攻撃魔術を防ぐことすら可能であると言われているんだ」
五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグは、国内トップの魔力量の持ち主である。
戦闘は不得手だが、バラ園における彼は無敵と言っていい。
「ここで法の規制の話に戻るけどね。定着付与の方は規制がとても厳しいんだ。なにせ、できることが多いからね。一方、一時付与に関しては、さほど規制が厳しくない。だって一時付与でできることなんて、たかが知れているんだから、わざわざ規制する必要もないだろう?」
「……ところが、その例外が〈茨の魔女〉のローズバーグ家ということですね」
「そういうこと」
一時付与で作られた〈茨の魔女〉特製の魔法薬は、法の規制の対象とはならない。
とは言え、付与魔術で作ったことに変わりはないので、いつ規制の対象となってもおかしくない代物である。
それでもいまだに一時付与の魔法薬が規制されていないのは、王家が有事の際に〈茨の魔女〉の魔法薬の世話になってきたからだ。故に王家は一時付与の魔法薬をなるべく規制したくない。
一方、〈茨の魔女〉も規制対象になっては困るから、あまり大っぴらに魔法薬を宣伝したりはしない。
結果、王家はローズバーグ家を擁護し、ローズバーグ家も魔法薬を必要以上に流通させないことで王家を立てる……というのが、長年の暗黙の了解だった。
ところが、それを破ってしまった人物がいるのだ。
「大きな声では言えないけれど、先代〈茨の魔女〉が、素行に問題のある人物でね。まぁ、ひらたく言えば、お金のために魔法薬をこっそり売り捌いてたんだ。国内貴族達に」
それに気づいたローズバーグ家は、大慌てで四代目〈茨の魔女〉を当主の座から引きずり下ろし、当時十六歳だったラウルを当主の座に据えたのである。
かくして、先代〈茨の魔女〉が売り捌いた魔法薬は、今も一部の貴族達の手元に残ってしまったという訳だ。
ロレッタがアイザックに盛った薬も、その一つなのだろう。
「まさか、その魔法薬がこんな形で僕の手元に回ってくるとは思わなかったな」
そう言って、アイザックは魔法薬の小瓶を己の机の引き出しにしまう。
魔法薬を破棄せず手元に置こうとするアイザックを、ウィルディアヌが咎めるような目で見た。
「……その魔女の惚れ薬は、どうされるおつもりで?」
「今の僕は魔術師見習いだ。〈茨の魔女〉特製の魔法薬なんて珍しい物、研究しなくてどうするんだい?」
アイザックが軽く肩を竦めてみせても、ウィルディアヌの表情は晴れなかった。
それどころか、最近主人に対して辛辣なウィルディアヌは、非常に疑わしげな目で訊ねる。
「……誰かに使おうなどと、考えたりしていませんよね?」
「しないよ。だって、それじゃあ『楽しくない』」
願いを叶えるのなら、自分が心から笑えるようなやり方でないと、きっと亡き親友は悲しんでしまうだろう。
それでは亡き親友にも、アイザックを生かしてくれたモニカにも、胸を張れない。
「それになにより、君は僕が好きな女の子を手に入れるために、こんな物に頼るとでも思っているのかい、ウィルディアヌ?」
「貴方は目的のためなら、手段を選ばないところがあります」
酷い言い草だなぁと言い返すには、あまりにも心当たりがありすぎたので、アイザックは曖昧に笑って誤魔化しておくことにした。