【1】豆に食われた魔女
※エンディング後のお話です。
ハイオーン侯爵家の嫡男シリル・アシュリーと、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット、〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグの三人は、目の前にそびえ立つエンドウ豆を見上げていた。
一本一本が人間の腕程もある蔓と蔓が絡みあい、それはもはや樹齢数百年の大樹に匹敵する大きさになっている。そうして、三人が呆然と立ち尽くしている間も、エンドウ豆は蔓をグングンと伸ばし、太さと高さを増していた。
繰り返すがエンドウ豆の話である。
目の前でウゴウゴと蠢いているそれを見上げ、シリルは硬い声で言った。
「……ローズバーグ卿、訊きたいことがある」
「堅苦しいなぁ。ラウルって呼んでくれよ」
こんな状況でも快活に笑っているラウルをシリルは鋭い目でギラリと睨み、皮肉たっぷりに「では〈茨の魔女〉殿」と訂正する。
「植物に魔力を付与する場合、規定量を超えてはならないのではなかったのか?」
今、シリル達の目の前で急成長を遂げているエンドウ豆は、先ほどまでは数粒の種でしかなかった。
どこにでもある、なんの変哲もない、エンドウ豆の種だ。
だが、〈茨の魔女〉お手製の成長促進肥料を混ぜた土に植えた途端、エンドウ豆の種は一斉に芽吹き、ニョキニョキ、ウゴウゴ、ズゴゴゴゴと成長し、瞬く間にこのサイズになっていたのである。
ラウルの横で真っ青になっていたモニカが、震えながら口を開く。
「も、もしかして、肥料に付与した魔力量に間違いが……っ……」
呆然とするシリルと、青ざめるモニカ。そんな二人とは対照的に、このエンドウマメの肥料を作った張本人のラウルは呑気なものだった。
「いやぁ、立派に育ったなぁ」
「なにが立派だ! もはや、エンドウ豆の面影も無いではないか!」
シリルが噛みつくと、ラウルは蔓の端々からぶら下がっている豆の莢を指さす。
「どこから見てもエンドウ豆じゃないか。ほら、ちゃんと豆もある」
なるほど確かに、蔓からぶら下がる莢にはふっくらとした豆がみっちり詰まっていた。その形状は確かにエンドウ豆そのものだが、大きさがあまりに違いすぎる。
人間の身の丈ほどもある莢に、人間の頭ぐらい大きい豆。それをエンドウ豆だと言い切る神経を、繊細なシリルは持ち合わせていない。
シリルがラウルに何か言い返すより早く、モニカが涙目で言った。
「ご、ごごご、ごめんなさいっ、きっと、わたしが何かミスを……っ」
「うーん、ちょっと待ってくれな」
ラウルがモニカの言葉を遮り、懐から紙の束を取り出す。
そこに記されているのは、このエンドウ豆のために調合した肥料のレシピだ。モニカが何度も計算をした数字に間違いはない。
そう、ここに記されている数字に間違いはないのだ……が、この数値を元に肥料を調合した張本人は、ぺチリと己の額を叩いて、言った。
「いけね。小数点、見間違えた」
「貴様のせいかぁぁぁぁぁ!!」
シリルの怒声が秋晴れの空に響き渡った。
* * *
ハイオーン侯爵家は、〈茨の魔女〉〈沈黙の魔女〉の植物に対する魔力付与研究に出資をしている。
具体的には農作物に魔力を付与することで、寒冷地や土の痩せた土地でも育ちやすい品種を作る画期的な研究だ。
植物に魔力を付与する方法は、大きく分けて二つ。
一つは成長した植物に直接魔力を流し込む方法。そしてもう一つが、肥料に魔力を付与する方法だ。
普及を目標とするのなら、植物一つ一つに魔力を流し込むより、肥料に混ぜ込んだ方が圧倒的に手間が少ない。
故に、彼らは肥料に魔力を付与する方法で研究を重ねていた。
だが、肥料に魔力を付与すると、その土地の土に影響を与えやすい。一歩間違えれば、その一帯が不毛の土地になる危険性も秘めている。
そこで彼らはハイオーン侯爵領の人里離れた山奥に畑を作り、魔力付与肥料の研究をしていた。
植物の品種改良には、膨大な時間と金と根気がいる。それは、この国の魔術師の頂点に立つ七賢人が二人がかりで研究しても変わらない。
何より、植物や肥料への魔力付与はリディル王国では規制が多く、慎重に進めなければならなかった。
特に規定量を超える魔力を植物に付与することは禁止事項。
つまり……
「バレたらマズイから、見つかる前になんとかしないとな!」
イタズラを隠そうとする少年のような口調のラウルに、シリルは絶対零度の眼差しを向けた。
「……貴方が責任を持ってなんとかしてくれるのだろうな? ローズバーグ卿?」
「うーん。今日は除草剤持って来てないんだよなぁ。モニカの魔術で一気に燃やすとか?」
ラウルがそう提案すると、モニカはフルフルと首を横に振る。
「ここで火属性の魔術を使うと、山火事になりかねないので……風か氷の魔術で切断した方が良いと思います。その上で、土属性魔術で土壌の魔力汚染度の検査を……」
モニカが全て言い終えるより早く、モニカの姿がシリルの視界から消える。
「ひぅみゃぁああああああああっ!?」
モニカの奇声じみた悲鳴は、遥か頭上から聞こえた。
ギョッと視線を上に向ければ、エンドウ豆の蔓に絡め取られたモニカがプラーンプラーンと揺れている。
シリルは咄嗟に詠唱をし、氷の槍を手元に生みだした。これを放って、モニカを拘束する蔓を切断しようと思ったのだ。だが、モニカを拘束する蔓はプラプラと揺れていて、どうにも狙いを定めづらい。下手をしたらモニカに氷の槍が当たってしまう。
シリルが狙いを定められず舌打ちしていると、ラウルが両手を口に当ててモニカに声をかけた。
「おーい、モニカー。それぐらい無詠唱魔術でスパッとやれるだろー。こっちで受け止めてやるから、降りてこいよー」
確かにラウルの言う通りだ。モニカはこの国で唯一の無詠唱魔術の使い手。自分を拘束する蔓を切り裂くなど造作もない筈である。
……ところが、モニカはプランプランと揺れながら、泣きそうな声で叫ぶ。
「そ、それがっ……なんでか、魔術が発動しないんです……っ………………ひぃぃぃっ、や、やだぁぁっ! 離してぇぇぇぇぇっ!」
悲鳴と同時にモニカの体がエンドウ豆の本体に引き寄せられる。モニカは泣きながら手足をバタつかせていたが、必死の抵抗も虚しく、その小さな体はエンドウ豆の中に引きずり込まれていった。
助けを求めるように伸ばされていた小さな手も、やがて緑色の蔓に覆われ見えなくなる。
そうしてモニカが完全にエンドウ豆に取り込まれると同時に、エンドウ豆の莢が一気に膨らみ、中から豆が弾けた。
弾け飛んだ豆は一つ一つが人間の頭ぐらいの大きさである。それが勢いよく飛んでくるのだ。直撃したらただでは済まない。
シリルは咄嗟に防御結界を張って、豆の直撃を防いだ。だが攻撃を防ぎ、ホッとしたのも束の間、今度は地面に転がった豆がブルブルと震え、芽吹き始める。
ニョロンニョロン、ビッタンビッタンと元気良く伸びていく蔓に、シリルは顔を引きつらせた。
「……あのエンドウ豆に付与した術式は何だ? ただの成長促進効果ではないのか?」
「うん、実は魔力吸収効果も付与してるんだ。魔力付与した肥料を土地に混ぜ込むと、土地が魔力に汚染されるだろ? だから、周囲の魔力を吸収する術式をあのエンドウ豆の種に組み込んだら、画期的かな〜って思ってさ」
ラウルの言う、魔力を吸収する植物というものに、シリルは心当たりがある。
以前〈結界の魔術師〉足止め作戦を実行した際にラウルが用意した花が、魔力を吸う効果のあるものだったのだ。
あの時は〈結界の魔術師〉の魔力を三十分ほどで空にしたのだが、肥料のせいで暴走したこのエンドウ豆はその比ではないらしい。
おそらく、モニカが魔術を使えなかったのは、蔓に捕まった際に魔力をごっそり吸われてしまったからだろう。
(だが、捕まって数秒で魔力を吸い尽くすなど……捕まったら、抵抗のしようがないではないか!!)
そしてモニカの魔力を吸収したエンドウ豆は、更なる成長を遂げようとしていた。
弾けた豆から伸びる蔓は、最初のエンドウ豆本体に絡みつき、より巨大に成長しようとしている。
「肥料の小数点を一つ間違えただけで、こんなことになるとは……」
魔力付与研究がいかに危険な研究なのかを、シリルは改めて思い知らされた気分だった。
だが、絶望的な顔をするシリルにラウルが「それは違うぜ」と首を横に振る。
そうして七賢人が一人〈茨の魔女〉は、先祖譲りの美貌に凛々しい表情を浮かべ、力強く言い放った。
「間違えたのは小数点二つ分だからな!」
これが、この国の魔術師の頂点に立つ七賢人の言葉なのである。
連日、肥料の計算に明け暮れたモニカは本気で怒っていい、とシリルは真顔で思った。
Q:ラウルさんは帝国に留学するのでは?
A:「今はその準備期間中だぜ!」