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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝5:二人の魔女と恋のから騒ぎ
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【2】恋愛初心者の暫定的結論

 サザンドールの家に帰宅し、締めつけの少ない服に着替えたモニカは、鞄から一冊の本を取り出した。

 本は魔術書でも数学書でもない。恋愛小説である。


 ──つまりキミはシリル様とやらが好きで、婚約相手と噂された令嬢にヤキモチを妬いたんだろう。


 クリフォードのその指摘は、驚くぐらいストンと腑に落ちた。

 それなら確かに、シリルの婚約を喜べない理由に納得がいく。

 きっとクリフォードの指摘は正しい。モニカはシリルに恋をしている。


 ……が、これは数式の問題と同じなのだ。


 モニカは難しい数式の問題に直面した時、ただ答えだけを教えられても納得できない。

 きっとその答えは正しいのだと分かっていても、自分で途中式を検証して答えに辿り着かなくては、正しく理解できたとは言えないではないか。

 それは、こと恋愛面でも同じだ。クリフォードに答えだけ教えられても、モニカは納得できない。

 ちゃんと自分でその答えに至るまでの過程を検証しなくては……と考えたモニカが手に取ったのは恋愛小説。

 数学の問題に行き詰まったら数学書を開くように、恋愛を理解するために恋愛小説を手に取るのは、モニカにとって極々自然なことであった。

 かくしてラナのローブのお披露目会の後、一人で図書館に寄ったモニカは悩みに悩んだ末、恥をしのんで司書にこう頼んだのだ。


 一番分かりやすい恋愛小説の入門書を教えてください──と。


 ……司書の微笑ましいものを見るような目は、ちょっと居た堪れなかった。

 かくしてモニカは、司書に選んでもらった本を馬車の中で読み始め、見事に馬車酔いをしたというわけである。

 寝台にコロリと寝転がったモニカは栞を挟んだ本を開くと、難解な数学書と向きあうかのように険しい顔で恋愛小説を読み進めた。

「………………うーん」

 以前、グレンの勉強を見ていた時、魔術書を読んだグレンは言っていた。


『書いてあることは分かるんだけど、意味が分かんないっす!』


 今のモニカの心境が、まさにそれである。

 書いてあることは分かるけれど「何故、どうして、そうなった」の部分が、全く理解できない。

(……恋愛上級者のアイクなら、すぐに分かるのかな)

 だが流石にこの問題ばかりは、誰かに聞くのが憚られる。端的に言って恥ずかしい。そう、恥ずかしいのだ。

(……誰かを好きになるって、恥ずかしいことじゃないのに、なんでこんなに恥ずかしいんだろう……)

 クリフォードにシリルが好きなのだろうと指摘された瞬間、確かにモニカの頬は羞恥で火照り、頭が真っ白になった。心臓なんて全力疾走したみたいに早く鼓動していていたのだ。

 恋の病とは、よく言ったものである。しかも、困ったことにこの病、特効薬はないときた。

 恋の病と馬鹿につける薬は無い──とは、学生時代のクローディアの言葉である。〈識者の家系〉の彼女が言うのだから、きっとその通りなのだろう。

 物語のヒロインは恋心を自覚したら、いつのまにか男性と両思いになっていた。一体どのタイミングで両思いになったのか、モニカは何度も読み返して検証をしたが、さっぱり分からない。

 結局、何一つとして理解できないまま小説を読み終わってしまったモニカは、ため息をついて本を閉じた。

(そもそも、わたしは、どうしたいんだろう……)

 モニカはシリルと一緒に仕事ができる現状に満足している。たまに褒めてもらえたら、それだけで幸せだ。他に何を望めば良いというのだろう。

 セレンディア学園に身分を偽って潜入していた自分が、正体を明かして、それでもこうして大事な人達と繋がっていられる。

 それだけで泣きたいぐらい幸福なのだ。これ以上を願うなんて欲張りすぎる。

(……しかも、このままだとわたし……普通に振る舞えなくて、きっと、共同研究のお仕事でも、迷惑かけちゃう)

 モニカにとって一番怖いのは、自分のせいでシリルに迷惑をかけることだ。そしてモニカの恋は、確実に沢山の人に迷惑をかけるだろう。

 そう考えると胸の奥がズンと重くなる。

(……だったら、恋心なんて……シリル様に気付かれないように隠してしまうのが、きっと一番良い)

 モニカはコロンと寝返りをうつと、恋愛小説を枕元に投げ出したまま目を閉じた。



 * * *



「モニカ、スープができたけど、食べられそうかい?」

 アイザックがノックして扉を開けると、モニカは寝台の上で丸くなって眠っていた。

 足音を殺してベッドサイドに近づいたアイザックは、ふと、枕元に一冊の本があることに気がつく。

 モニカが好む数学書や魔術書とは異なる装丁のそれは、恋愛小説だ。

(コレット嬢に借りたのかな? それとも……)

 アイザックは眠るモニカの頬にかかる髪を払うと、その白い頬に指先でそっと触れる。大事な宝物に触れるように、繊細な手つきで。

「……困ったな」

 以前なら、頬にキスなんて簡単にできたのに、今は躊躇ってしまう自分がいる。


「……君が、大事なんだ」


 〈星詠みの魔女〉は預言した。アイザックがいずれ、その目に映る世界の半分を失うと。


「……失いたく、ないんだ」


 エリン公フェリクス・アーク・リディルと、〈沈黙の魔女〉の弟子アイザック・ウォーカーの二重生活を送る彼にとって、モニカと過ごすこの場所は世界の半分と言ってもいい。

 もし〈星詠みの魔女〉の預言がアイザックの予想通りだとしたら……アイザックが失うのはモニカだ。

 モニカの身に何かあったら……そう考えるだけで、アイザックの背すじが凍る。


 ──お願いだ、どうか、どうか、僕からもう何も奪わないでくれ。


 声に出さずに呟き、アイザックは暗く笑う。彼らしからぬ卑屈さで。

 だって彼は知っているのだ。祈るだけでは何も叶わないことを。

 だから、この優しい時間を守るために、アイザックは自ら動くことにした。

 己とモニカにかかる火の粉を、全て振り払うため。


 アイザックはモニカに毛布をかけ直してやると、足音を殺して部屋を出る。

 そして一階に降りると、棚の隙間に挟まって不貞腐れているネロに声をかけた。

「ネロ、今夜は君のために、鳥を焼こうと思うんだ」

 戸棚の隙間で尻尾をフリフリしていたネロは、狭い戸棚の中で器用に体を反転させてこちらを向く。

 そして、露骨に胡散臭いものを見るような目でアイザックを見上げた。

「さてはお前、何か企んでるな?」

「うん。だから、君の力を貸してくれないかい?」

 アイザックは棚の前にしゃがみこんで、ネロと目線を合わせる。

 ネロは金色の目を怪しく煌めかせ、シャァッと喉を鳴らした。

「愚かな人間め。このオレ様を、たかが鳥肉ごときで懐柔しようたぁ、思い上がりも甚だし……」

「鳥を一羽、丸ごと焼こうかと思うんだ。ソースは三種類。思い切って、付け合わせもお肉にしようか。お望みなら、うさぎのパイも付けよう」

「よし、詳細を話せ」

「話が早くて助かるよ」

 かくして〈沈黙の魔女〉の弟子アイザック・ウォーカーは、肉料理でウォーガンの黒竜を懐柔することに成功したのだった。

 密かに牛か豚を丸ごと一頭買い込む覚悟でいたアイザックが、こんなに簡単でいいのかなぁ、と思ったのはネロには秘密である。


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