【終】キミは馬鹿か?
バーニーに控え室の前まで送ってもらったモニカは、バーニーの腕から手を離すと、深々と頭を下げた。
「えっと……エスコート、ありがとうございました。アンバード伯爵」
「どういたしまして、エヴァレット魔法伯」
バーニーは得意げに鼻を鳴らして笑い、また会場へと戻っていく。伯爵である彼は、挨拶をする相手が多くて忙しいのだろう。
バーニーが廊下の角を曲がるところまで見送ったモニカは、控え室の扉を開ける。
きっと誰もいないだろうと思ってノックも無しに扉を開けたのだが、控え室の中ではクリフォードがソファに腰掛けてくつろいでいた。
彼はもう舞台で見かけた紫紺のローブではなく、秘書らしい仕立ての良い服に着替え、いつもの大きな丸眼鏡をかけている。
「……あの、ラナは」
モニカが恐る恐る訊ねると、クリフォードは眼鏡の奥の灰色の目でじぃっとモニカを見て、口を開いた。
「ラナは、会場中を飛び回ってる。ローブの注文が増えるって、張り切ってた」
「い、一緒にいなくて、いいんですか」
「ボクは商談向きじゃないらしい。ここで待ってろと言われた」
なるほど確かに、愛想が悪く歯にきぬ着せないクリフォードに商談の場は不向きだろう。だが、秘書としてそれで良いのだろうか。
モニカが密かにそんなことを考えていると、クリフォードは「座らないのか」とモニカに声をかけた。
控え室にはローテーブルを挟んでソファが二つ。その内の一つにクリフォードは座っている。
流石に彼の真横に座る勇気は無かったので、モニカは「失礼します……」と小声で言って、クリフォードの向かいのソファに腰を下ろした。
クリフォードはそんなモニカを、腕組みをして瞬きもせずに見ている。不躾な視線にモニカが萎縮していると、クリフォードは何の前触れもなく口を開いた。
「ところで、なんで、ただの魔術オタクであるキミが、この会場にいるんだ」
「…………へ?」
「さては、ラナに無理を言ってついてきたんだろう。なんて厚かましいんだ」
どうやらこの男、モニカが七賢人であることに気づいていないらしい。
当然だが、モニカは正式に招待されて、この場にいるのである。クリフォードに文句を言われる筋合いは無い。
モニカがどう答えるか悩んでいると、クリフォードはモニカの反応などどうでも良いとばかりに、淡々と言葉を続けた。
「ラナはキミに甘すぎる。気に入らない……やっぱり、キミはボクのライバルだ」
「…………ラ、ライバル?」
それは一体何を競い合うライバルなのだろう? 一方的なライバル宣言を疑問に思いつつ、モニカは恐る恐る訊ねた。
「あ、あのぅ……あなたは、ラナが……好き、なんですか?」
「そんなの見れば分かるじゃないか」
ちょっと分からないです。という言葉をモニカは飲み込む。
モニカの見ている限り、クリフォードは結構な頻度で、ラナに対して「ラナは馬鹿だ」と口にしているのだ。とても好意を持っているようには思えない。
モニカが不審そうにクリフォードを見れば、クリフォードはソファの上で偉そうにふんぞり返りながら言った。
「ラナはわがままで見栄っぱりだ」
「…………」
「特に自分がいいと思ったものは、すぐに見せびらかして自慢したがる」
やっぱりクリフォードはラナを貶しているようにしか見えない。
だが、モニカが反論するより早く、クリフォードは言った。
「好きなものも嫌いなものもなかったボクには、ラナが自慢したものはキラキラして見えた」
あ、とモニカは声を漏らした。
だって、モニカも同じなのだ。数字と魔術さえあれば、他のものなんてどうでも良かった。お洒落にも食べることにも興味なんて無かった。
モニカがお洒落に興味を持つようになったのは、ラナが髪の毛の編み方を教えてくれたからだ。
食事なんて栄養補給できれば良いぐらいに思っていたけれど、ラナはちゃんとモニカを見て、モニカの好きな食べ物を覚えていてくれた。
ラナが「これ、素敵でしょう!」と得意げに笑うたびに、モニカには世界がちょっとだけキラキラして見えるのだ。
「その気持ちは……ちょっと分かります」
モニカは俯き指をこね、ぽそりと小さな声で言う。
「わたしも、好きなものの話をするラナが、好きだから」
クリフォードはしばし無言でモニカを見ていたが、やがて何かに納得したような顔でふむと頷いた。
「やっぱり、キミはライバルだな。大金貨三枚でも、ラナとの時間を譲る気はない?」
「ないです」
モニカが珍しく強気な口調で即答すると、クリフォードは「強敵だ」と呟き、じとりとした目でモニカを見た。
「ちなみにボクは嫌いなものがほとんど無いけれど、ライバルのキミは割と嫌いだ。あと、ボクに銃を突きつけたあの男も」
「あ、あれは、あなたが、先に銃を突きつけたから……! アイクは悪くないですっ」
クリフォードがジロリとモニカを睨む。モニカも負けじと唇をギュッと引きむすび、モニカにできる最大限の怖い顔でクリフォードを見上げた。
そのまましばし睨み合っていると、控え室の扉が勢いよく開いて、見るからに浮かれた様子のラナが飛び込んでくる。
「たっだいまー! ……って、あら? 二人とも、いつのまに仲良くなったの?」
クリフォードが他人に無関心なことと、モニカの人見知りを知っているラナからしてみたら、二人が見つめ合っている(正確には睨み合っている)だけで、仲が良さそうに見えたのだろう。
「ラナの目は節穴だ。ちっとも仲良くない」
クリフォードがそう主張したので、モニカも負けじと口を開いた。
「えっと、その……ライバル、なの」
「…………なんの?」
ラナは怪訝そうに首を捻っていたが、あまり深く考えないことにしたらしい。
それよりも、早く伝えたいことがあるのだと言わんばかりに、ラナは口の端をムズムズさせていた。
「それよりモニカ。聞いて、聞いて! さっき、ウォルトン夫人に聞いたんだけどね!」
「……うん?」
ラナは目をパチクリさせるモニカの肩に手を置き、弾んだ声で言う。
「アシュリー様の婚約の話、破談になったんですって!」
ラナの言葉を耳にしても、すぐにモニカは反応できなかった。
(……シリル様の婚約が、破談? シリル様、婚約しない?)
そうして、ゆっくりと時間をかけて、ラナの言葉の意味を理解したモニカは──
絶望に、青ざめた。
「……モニカ?」
目に見えて血の気の引いた顔のモニカに、ラナが眉を寄せる。
モニカはソファに座ったまま、のろのろと俯き、両手で顔を覆った。
「……わたし、最低」
「え?」
不思議そうに聞き返すラナに、モニカは罪の告白をするかのように呟く。
「わたし、シリル様の縁談が、破談になったって聞いて……よ、良かったって、思った……」
そう、ラナの言葉を聞いた瞬間、確かにモニカは安心したのだ。
──あぁ、良かった……と。
そして、安心してしまった自分に絶望した。
シリルの婚約は、次期侯爵になるシリルにとって良い話だったのに。モニカはそれを祝福できないどころか、破談になったと知って、喜んでしまった。
(……ごめんなさいシリル様……わたしは、最低です)
モニカにとってシリルは尊敬する人なのに。どうして自分は、彼の縁談が破談になったことを喜んでしまったのだろう。
自分がとてつもなく最低最悪の罪人になったような心地でモニカは項垂れ、ラナが眉をさげてオロオロする。
そんな中、口を開いたのはクリフォードだった。
「キミは馬鹿か?」
馬鹿なんて言葉じゃ生温い、とモニカは思う。
尊敬する人の破談を喜ぶなんて、人として最低だ。
優しいラナはモニカを責めたりしないだろう。だが、モニカのことを嫌いと宣言したクリフォードならきっと、徹底的にモニカのことを罵ってくれるはずだ。
自分は叱られ、罵られるべきなのだ。なら、その言葉を甘んじて受けようと、モニカはクリフォードの声に耳を傾けた……が。
「ボクは、ラナがボク以外の誰かと婚約することになったら全力で邪魔をするし」
「ちょっと!?」
「破談になったら祝杯をあげる」
「ちょっとぉ!?」
合いの手代わりにラナの怒声を交えつつ、クリフォードは何やらとんでもないことを主張し始める。
モニカは困惑顔でクリフォードを見た。
「なんで……」
「『なんで』だって? そんなことも分からないなんて、キミは本当に馬鹿なんだな」
クリフォードは何もやましいことなどないとばかりに、堂々と胸を張る。
「だって、ボク以外の誰かとラナが結婚したら、嫌じゃないか」
そしてクリフォードはモニカをビシリと指差し、告げる。
「つまりキミはシリル様とやらが好きで、婚約相手と噂された令嬢にヤキモチを妬いたんだろう」
ラナが「ちょっ、馬鹿っ!!」と叫んでクリフォードの口を塞いだが、もう遅い。
(わたしが、ヤキモチ?)
モニカは目を見開き、小さく口を開けたまま硬直していた。その顔がじわじわと赤く染まっていく。
風邪でも無いのに心臓がバクバクと音を立て、脈が出鱈目になり、全身に汗が滲んだ。
両手で押さえた頬は、酷く熱い。
「わたし……どうしよう……どうしよう……」
途方に暮れるモニカに、クリフォードはもっともらしい口調で言う。
「とりあえず、次に婚約者候補が現れたら、金銭で懐柔すれば良いと思う」
「クリフはもう黙ってなさい!!」
今のモニカにはもう、二人の声すら届かない。
モニカの頭の中は「どうしよう、どうしよう」という言葉だけが、グルグルと渦を巻いていた。




