【1】骨董品を着た男
ラナ・コレットがサザンドールに商会を立ち上げる数日前、商会の事務所を一人の男が訪ねてきた。
男の名は、クリフォード・アンダーソン。
ラナより四歳年上のその男は、ラナの父親の商売仲間の息子であり、その縁で幼少期から一緒に遊んだ、いわゆる幼馴染である。
「久しぶり、ラナ」
クリフォードの言葉は淡々としていて、数年ぶりの再会を懐かしむような響きは微塵もなかった。
それでも、幼馴染のそういう口調には慣れっこだったので、その点についてラナは言及したりしない。
寧ろ、それ以上に突っ込みたいことが山程あるのだ。
一、何日クシを入れていないのか問いただしたくなるモジャモジャの黒い長髪。
二、どこで買ったのか問いただしたくなる、前時代的なヒダ襟のシャツ。
三、お洒落さとは無縁の、ただ放置したら伸びただけの無精髭。
四、ラナの脳内ダサ眼鏡選手権で、バーニー・ジョーンズを押しのけて堂々一位に輝く、ダサさの極みのような瓶底眼鏡。
そして……。
「結婚しよう」
五、突拍子もない発言。
今すぐに怒鳴り散らしたい気持ちをグッと飲み込み、ラナは落ち着きのある大人の顔で口を開いた。
「……仰ってることの意味が分かりかねますわ。ミスター?」
そう言ってラナは余裕たっぷりにニッコリ微笑む。完璧な大人の対応である。
すると、クリフォードは眼鏡の奥の灰色の目でラナをじっと見据えて言った。
「プロポーズの中でも一番オーソドックスかつ分かりやすいものを選んだのに、意味が分からないだなんて、相変わらずラナは馬鹿なんだな」
「は、ぁ、ぁ!?」
ラナはこめかみに青筋を浮かべると、大人の余裕をかなぐり捨てて、目の前のテーブルを手のひらで叩く。
「なんでわたしが、クリフと結婚しなきゃいけないのよ! あと髪と服と髭と眼鏡っ! どうにかならないのそれ!?」
最終的に気になっていたこと全てにツッコミを入れたラナに、クリフォードは眉一つ動かさず、淡々と答えた。
「なんで結婚をしなくてはいけないのか、という点についてだけ答えよう。『約束したから』──以上」
ラナは思わず髪をかきむしりたい衝動に駆られた。
確かに幼少期、クリフォードから「大きくなったら結婚しよう」と言われたことはある。あるけれども、それは子ども同士の戯れだ。
怒鳴りたい。すごく怒鳴りたいけれども、自分はもう商会の長なのだ。感情的になって周囲に当たり散らすなど、もってのほかである。
ラナは必死で自分を宥め、ツンととりすました表情で髪をかき上げた。
「帰ってちょうだい。わたし、商会の準備で忙しいの」
「これ」
クリフォードは懐から取り出した手紙をラナに差し出した。
胡乱気に手紙を眺めたラナは、その封筒に書かれた文字を見て目を剥く。差出人は他でもない、ラナの父親だ。
『ラナへ
元気ですか、風邪などひいていませんか。商会の準備がんばっていますか。
サザンドールは治安が悪い地域もあるから、パパは心配で心配で夜も眠れません。
商会長の集いでそのことを口にしたら、なんと! 最近留学から帰ってきた、アンダーソンさんの家のクリフォード君が、ラナの秘書をすると申し出てくれました!
クリフォード君はアルパトラの大学で経済について学んできたそうです。きっと、ラナの力になってくれることでしょう。
なにより、子どもの頃から仲の良かったクリフォード君がそばにいれば、ラナも心強いかと思います。
商会設立、頑張ってください。パパもママも応援しています。
我が娘へ愛を込めて。
パパより』
手紙を握りしめて硬直するラナに、クリフォードは棒読みのような口調で宣言する。
「そういうわけで、今日からボクがキミの秘書だ。ついでに結婚しよう」
「ついでで結婚なんて申し込まないでっ! あああ、もう……お父様ったら……なんでクリフを……」
ラナはズルズルと椅子の背もたれにもたれかかり、天井を仰いで溜息をついた。
この珍妙な格好をした幼馴染と結婚するつもりなんて、ラナにはサラサラ無い……が、秘書の件に関しては別だ。ラナは父の好意を無下にはできない。
なによりクリフォードの実家のアンダーソン家は、ラナの地元ではコレット家に並ぶ大豪商。コレット家も大変世話になっている。
「……分かったわ、他でもないお父様の紹介だもの。秘書の件は認める……でも、結婚の件はお断りよ」
「契約の不履行だ」
「子どもの口約束でしょ……そ、れ、よ、り」
ラナはげんなりとした表情を引っ込めると、鋭い目でクリフォードを見据え、ビシリと指を突きつけた。
「わたしの秘書になるからには、まずその清潔感のない格好をどうにかしてちょうだい! 髪は梳かす! 髭は剃る! 眼鏡は……まぁ、今はいいわ。とりあえず、その服だけでもどうにかしましょう。なんなのそのヒダ襟の服は。どこで見つけたのよそれ……」
「骨董品屋」
クリフォードの言葉にラナは目眩を覚え、よろめいた。
前時代的だとは思っていたけれど、まさか本物の骨董品だったなんて!
「……後で服屋に行って、もう少しマシな服を買いましょう」
「じゃあ、ラナが選んでくれ」
しれっと厚かましいことを言う幼馴染に、ラナは怒鳴ることを諦めて、深々と溜息をついた。
──というのが今から半年前、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットがサザンドールに居を構える少し前の出来事である。




