【1】僕のライバルが、やたらと大男達に囲まれている件
その日、若きアンバード伯爵バーニー・ジョーンズは上品な黒のローブを羽織り、上級魔術師の杖を携えて、魔術師組合の会合に参加した。
貴族にとって魔術は嗜みだが、上級魔術師資格を持っているともなると数は限られてくる。
領主としては若輩であるバーニーは侮られぬよう、魔術師関係の集まりでは上級魔術師の装いで赴くことが多かった。
殊に今日の会合は、魔術師組合本部で行われるもので、七賢人も複数出席する。
(噂だと、今日は〈沈黙の魔女〉の弟子が来るのだとか……)
組合本部の中にある小講堂に入ったバーニーは、中央やや後方の席に着席し、壇上を見据えた。これから、この小講堂で〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットが術式解説を行う。
解説する術式は、古代魔導具〈暴食のゾーイ〉が操る影を剥がすためのものだ。
〈暴食のゾーイ〉による攻撃で仮死状態になった人間は、ほぼ蘇生されているが、今後同じことがあった時のために、術式は共有し、これからも研究を重ねていくこととなる。
医療用の大型魔導具を取り扱うアンバードの人間として、バーニーはこの術式を理解する必要があった……が、バーニーとしては術式解説と同じぐらい、弟子のことが気になって仕方がない。
魔術師の世界では、弟子というのは取るに足らない存在だ。どれだけ師が優秀だろうと、弟子本人に実績や功績がなければ、特に認識するほどでもない。使用人とほぼ同義である。
それでも、あのモニカが弟子を取った、ということがバーニーには密かに衝撃だった。
(僕のライバルの弟子があまりにも不心得の人間だと、モニカのライバルである僕も迷惑しますしね!)
ローブの選び方とか着方とか裾捌きとか立ち位置とかお辞儀の仕方とか杖の持ち方とか挨拶の仕方とか──魔術師にも細かなマナーはあるのだ。
どうせモニカは、弟子に対して厳しいことなど言えないに決まっている。だからこそ、弟子の振る舞いに問題がある時は、自分が厳しく言ってやらなくては。
アンバード伯爵バーニー・ジョーンズは、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットの永遠のライバルなのだから!
バーニーが密かに意気込んでいると、前方の扉が開いた。その瞬間、雑談の声がピタリと止まる。
最初に部屋に入ってきたのは、薄茶の髪を上品に結い、品の良い化粧を施した小柄な女性──豪奢な刺繍を施したローブを身につけ、身の丈ほどの杖を持った、七賢人〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。
バーニーの知るモニカは、人前に出ると落ち着きなく目をギョロギョロさせて、指を高速で捏ねていたものだが、今は神妙な顔で前を見据えている。フードもかぶっていない。
緊張して、幾らか肩に力が入っているようにも見えるが、それでも彼女は落ち着いていた。足も手も震えていない。
そしてその後ろに控えて、丸めた資料などを抱えた青年が一人。金髪で、背の高い若者だ。コートに似たデザインの、ケープ付きローブを身につけている。
ローブの色は落ち着いた黒。靴もローブに合わせた黒いブーツを選んでおり、派手な装飾品の類はつけていない。
魔術師のローブのフードは正装なので、被っても良いのだが、この場は師に合わせて被っていなかった。
身嗜みに関してはケチのつけようがない、師に付き従う弟子に相応しい装いである。
(まぁ、身嗜みなんてできて当然。大事なのは振る舞いや品性ですけど)
モニカの弟子は素早く資料を配布し、大きな紙の資料は前方のボードに留める。背が高いので、モニカでは苦労するような作業もあっという間だ。
そうして発表の準備を終えたところで、師であるモニカから杖を預かる。
モニカはおそらく何も考えずに、「お願いします」と、ただ杖を手渡しただけのつもりなのだろう。
だが、この場にいる何人かは気づいていた。
杖を受け取る側の弟子が、きちんと一礼をしてから、杖を横向きにして両手で受け取ったことを。
そうして師から預かった杖を立てて右手で持ち、左手は添えるだけ。杖の柄は絶対に地面につけてはいけない──という作法を、その弟子は完璧にこなしていた。
その時、モニカが何かに気づいた顔で弟子に近づき、小声で話しかける。小声だけれど、静かな講堂なので丸聞こえだった。
「アイク、アイク、杖はその辺に立てかけておいて、大丈夫ですよ?」
「いいえ、どうぞこのままで、マイマスター」
あの弟子は知っているのだ。
弟子が師の杖を預かるというのは、師から信用されている証であることを。それが素晴らしい名誉であることを。
そして多分、モニカはそれをよく分かっていない。あれは「その辺に立てかけていいのに」と思っている顔だ。頭が痛い。
(七賢人の杖なんて、魔術師にとって名誉中の名誉でしょうが! その辺に立てかけておいて良いはずがないでしょう……っ!)
それからモニカの術式解説が始まったが、一時間以上かかる解説の間、弟子は一度も杖を地面につけることなく、姿勢を崩すこともなく静かに壁際に控えていた。
壇上で解説する師を、碧い目で真っ直ぐに見つめながら。
* * *
「いやぁ、〈沈黙の魔女〉様と言えば、以前は滅多に人前に姿を見せないと聞きましたが」
「実に素晴らしい解説でしたね。まさか、あれほどの術式を一人で使いこなすとは、まだお若いのに素晴らしい」
「実は私には歳の近い息子がおりまして……」
講堂での術式解説会を終えた後は、別のホールで立食式の懇親会となる。
懇親会の会場では、〈沈黙の魔女〉の功績を褒め称える声がそこかしこから聞こえた。
それと同じだけよく聞くのは、〈沈黙の魔女〉を己の身内に引き込もうと画策する者の声だ。
モニカは平民出身と言えど、今ではこの国でも指折りの大英雄だ。
まして、魔術に縁のある者が集うこの場では、魔術の才ある若者を、我が子の結婚相手にと望む者も少なくない。
(どうせ、モニカのことだから、その辺りの対策なんてしていないに決まっている)
バーニーは懇親会会場の入り口を横目に見た。
モニカは解説に使った資料の片付けをしているのか、まだ会場に姿は見えない。ならば、モニカがこの部屋に来たら、迅速に声をかけて、婚約話を勧めてくる連中への対処を考えなくては。
多分、何人かがモニカのところに挨拶に来るだろうけれど、このアンバード伯爵バーニー・ジョーンズが〈沈黙の魔女〉と仕事の話をしていれば、それを遮ってまで、くだらぬ縁談話を切り出す者はいまい。
あぁ、まったく、なんと世話の焼けるライバルなのか。
(まぁ、最近は多少は人前に出ることを覚えたようですが、まだまだ脇が甘いし、気の利いた返しはできないし……)
腕組みをしてライバルへの駄目出しをしていると、会場が俄かにざわついた。
ハッと顔を上げると、懇親会の会場に七賢人のローブを着たモニカが入ってくる──その背後には二人の男が控えていた。
* * *
立食パーティの食事目当てでついてきたネロは、会場に入ると同時に室内を見回し、部屋に入って右手の壁際に並ぶ食事のテーブルに目を輝かせた。
「なぁ、おい、あれ全部食べて良いんだよな? 良いんだよな?」
もう、とモニカはため息をついた。
食事のことで頭がいっぱいのネロは、自分が〈沈黙の魔女〉の従者としてこの場にいることなど、とっくに忘れているのだろう。
モニカに代わり、アイザックが静かに鋭く釘を刺した。
「程々にしてほしいね。〈沈黙の魔女〉の品性が疑われる」
「皿にのるぐらいなら、マナー違反じゃないんだろ? 任せろ、チェスで培ったオレ様の積み上げテクニックを見せてやる」
ネロの言うチェスとは、ひたすらに駒を積み上げるものである。一体、どれだけ皿に料理を積み上げるつもりなのか。
だが、止める間もなく、ネロは食事のテーブルに早足で向かってしまった。
「あぁ、もう……ネロってば……」
呆れの声を漏らしつつ、モニカはアイザックを見上げた。視線に気づいたアイザックがモニカを見る。はためには睨んでいるようにも見えるが、これは「どうしたの?」の視線だ。
「アイクは、ご飯食べなくて大丈夫ですか?」
「お師匠様を差し置いて、弟子が食事をするわけにはいかないよ」
これは困った。モニカはこういう場所では緊張して、あまり食事が喉を通らないのだ。
だけど、もしかしたらアイザックはお腹が減っているかもしれない。アイザックはモニカと違って、いっぱい食べる人なのだ。
「アイク、アイク」
「うん?」
モニカは背伸びをして、アイザックに小声で耳打ちした。
「お腹が減ってたら、アイクもいっぱい食べてきて、良いんですよ。それとも、残った物を包んでもらいますか? そしたら、控え室でこっそり食べられます」
「もしかして、君の中の僕は、いつもお腹を減らしているのかい?」
「アイクは、いっぱい食べる人です」
アイザックは口元に手を当てて、フハッと息を吐くみたいに笑った。垂れた目尻は笑みの角度だ。
「お気遣いありがとう、でも大丈夫だよ。そういう君は? 空腹でなくとも、喉は乾いているだろう? 何か飲み物を持ってこようか?」
わたしは大丈夫です、と返そうとしたモニカは、斜め前方に見覚えのある人物を見つけた。
七賢人のローブを羽織り、黄色っぽい金髪を撫でつけた長身の男──〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジだ。
サイラスは早足でこちらに近づき、モニカの前で足を止めると、体を直角に折って礼をした。
「しゃっす、沈黙の姐さん!」
「サイラスさん、しゃあっす! ですっ」
途端に、アイザックが真顔でサイラスに詰め寄った。
「……サイラス兄さん、僕のお師匠様に、妙な言葉を教えるのはやめてくれ」
「妙なたぁなんだ。気合い入ってんだろぉがよ」
モニカもサイラスに同意するように、フンフンと頷く。
サイラスはモニカにとって後輩だけれど、それでも、後輩から学べることは、どんどん学んでいきたいと思っている。サイラスの言う「気合い」もそれだ。
少し前、サイラスが共同研究の資料を持って、サザンドールを訪ねてきたことがあった。その時、アイザックは資料に目を通しながら、サイラスにこう言ったのだ。
「それなら、術式接続時の魔力漏出の検証をお願いしたいんだ。試算はこちらでしておいたから」
無理難題とまではいかないが、まぁまぁ重い仕事である。
サイラスは資料の分厚さに慄き、顔を引きつらせていたが、アイザックが「よろしく、リーダー」と短く付け足すと、胸を叩いてこう返した。
「おう、どんとこい!」
どんとこい。その言葉が、モニカにはなんだかとても頼りになる、素敵な言葉に聞こえたのだ。
いつか誰かに頼られたら言ってみたい。密かにそう思っていたので、先日、ラウル相手にこの言葉を口にできた時、モニカはとても嬉しかった。
その時のことを思い出しつつ、モニカはアイザックに詰め寄られているサイラスに助け舟をだす。
「サイラスさんの言葉はですね、とても頼りになる、って感じなんですよ」
モニカの言葉に、アイザックは何故か複雑そうに黙り込み、サイラスは得意気に頬を持ち上げて、フッスーと鼻を鳴らす。
「聞いたか、アイク。俺ぁ頼りになるってよ。いやぁ、流石姐さん、男を見る目があるぜ!」
「わざわざサイラス兄さんの真似なんかしなくても、君は充分頼りになるよ、マイマスター」
「おい、こら弟分。そろそろ俺を持ち上げろ」
* * *
離れたところで、バーニー・ジョーンズは閉口していた。
(……大きい)
最初にモニカが連れていた二人、黒髪の古風なローブの男と、金髪の弟子。どちらも大きかった。
今は黒髪の男は離席しているが、入れ替わりでやってきた〈竜滅の魔術師〉も大きい。
(いや別に、背が高いから偉いわけではないですし。魔術師の能力と身長は無関係ですけど)
そこに、料理を取りに行っていた黒髪が、モニカのもとへ戻ってきた。
「おい、モニカ! これ美味いぞ! 後輩、次はこれ作れ! 倍以上でかいの作れ!」
でかいのが三人になった。もはや壁である。小さなモニカの姿は、僅かしか見えない。
バーニーがキュッと唇を噛んでいると、そんなモニカ達のもとに、更なる大男が接近した。
黒髪黒髭の大男──〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンである。
「おぅ、沈黙のに竜滅の! 若いので盛り上がってんな」
「あっ、〈砲弾の魔術師〉様、昨日は……あああっ、なんでもないですっ」
「ん? 昨日、沈黙のと会ってたか?」
「なんでもないです、なんでもないですっ、昨日はちょっと六重強化術式に対抗するための防御結界の強度について考えていまして……っ」
〈沈黙の魔女〉はデカいの四人に囲まれ、盛り上がっている。
金髪の弟子、黒髪の従者、〈竜滅の魔術師〉、〈砲弾の魔術師〉──デカい連中は、特に何をしているわけでもないのだが、ただそこにいるだけで、ズーン! ドーン! バーン! という音が聞こえる気がした。無論、バーニーの幻聴である。
「んーっ、んっ、んっ、んっ」
あぁ、なんだか懐かしい幻聴まで聞こえてきた……なんてことを考えていたら、ズシリと肩が重くなった。全身の血が引き、ヒィッと喉が震える。
バーニーは目だけを動かして、鼻歌の聞こえる己の背後を見た。
ニンマリと笑っているのは、これまた背の高い赤毛の男──ミネルヴァ時代の先輩ヒューバード・ディー。
「懐かしい顔じゃねぇか。なぁ、伯爵様よぉーう?」
「ギャァアッ……!?」
恥も外聞もかなぐり捨てて、バーニーは悲鳴をあげた。だが、伸びてきた手がバーニーの口をサッと塞ぐ。
「なんでこんなところにいるのかって? 影を剥がす術式覚えて、ミネルヴァでの人命救助に一役買ったら、出禁を取り消しにされたんだよ。魔術師組合にも感謝されてなぁーあぁ、こうしてご招待されたってぇわけだ」
そうだった。この男は死ぬほど性格に問題があるが、魔術師としては非常に優秀なのだ。
おまけに、ヒューバードは〈砲弾の魔術師〉の甥である。魔術師組合の中には、ヒューバードを贔屓している者が一定数いるのだ。
「魔法研究所に運び込まれたアンバード製大型医療用魔導具、アレ良かったぜぇ? 俺も起動に立ち合わせてもらってよぉ。なぁ、もっと見せてくれよぉ、伯爵様?」
ヒューバードに絡まれている哀れなバーニーの姿は、大男の壁に囲まれているモニカの目には届かない。
今すぐ屋敷に帰って寝込みたい、とバーニーは心から思った。




