【おまけ】あぁ?
執務室で温かな紅茶を飲みながら、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーは空になった容器を見下ろし、ふぅっと満足気な息をこぼす。
休暇を台無しにした同僚二人が、お詫びにと献上した氷菓は、冷たい食べ物はご馳走ではない、というルイスの考えを覆すぐらいに美味しかった。
この氷菓、作ったのは〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットの弟子なのだという。
まだ、モニカが山小屋暮らしをしていた頃、ルイスは何度か、使用人を雇ってはどうか、と進言したことがある。
その度に、モニカは暗い目をして、こう返した。
『わたしは……一人がいい、です』
あの時のモニカは静かに、だが頑なに、他人を拒絶していた。
ルイスは、モニカの過去も人間関係もたいして興味はない。ただ、最低限人間らしい生活をしてくれないと、仕事に支障が出る。
それこそ、モニカがあの山小屋で不摂生な暮らしをして急逝したら、死体の第一発見者はほぼ確実にルイスなのだ。
そうなったら色々と面倒だから、使用人を雇ってくれないだろうか、とルイスは常々思っていたのである。
(〈沈黙の魔女〉が弟子をとったのは、サザンドールで暮らすようになってからか)
最近のモニカの生活水準は目に見えて向上している。率直に言うと、人間らしい暮らしをしている。
だから、使用人を雇ったのだろうぐらいに思っていたのだが、まさか弟子だったとは。
あれほど明確に他人を拒絶していたモニカの弟子──一体、どんな人物なのだろう。
ルイスの頭に真っ先に思い浮かんだのは、人間のできた老人だ。
温和で温厚で、魔術に関する知識が深く、趣味で料理を嗜むじいさん、もしくは、ばあさん。
子どもじみた容姿のモニカの弟子が老人というのも妙な話だが、ルイスには、その方がしっくりきた。
(しかし、どこで弟子の話を耳にしたんだったか……)
モニカが弟子の存在に言及した時、ルイスは、「そういえばそんな話を聞いたような、聞いていないような」と考えた。
あのモニカに弟子だなんて、それなりに驚きの出来事だ。それなのに、どうして自分は、あんなにも曖昧な覚え方をしていたのだろう。
妙に気になって、最近の書類をなんとなく見直していたルイスは、とある報告書に目をとめた。〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジが、最近取り組んでいる研究に関する報告書だ。
ルイスはサイラスの上司というわけではないので、サイラスに逐一自分の研究を報告する義務はない。
ただ、魔術師は共同研究者や出資者を募る時、有名な魔術師に自分の研究の一部を報告書として提出することがある。この報告書もそうだ。
『エリン公が、懐のデカい出資者を見つけてくださったんすけど、他にも協力してもらえる人がいるんなら、それに越したこたぁないんで。もし、結界の兄さんに心当たりがあったら、ご協力おなっしゃっす』
そう言って、サイラスはルイスのところにこの書類を持ってきたのだ。
エリン公云々は気に入らないが、研究内容はそれなりに興味を惹かれるものではあった。精度の高い索敵術式は、竜討伐をしたことがある人間ほど、その重要性を理解している。
なかなか悪くない研究ですね、と書類に目を通しながらルイスが言うと、サイラスは何故か照れ臭そうに、頭をかいた。
『共同研究者が、沈黙の姐さんとこのやつで。俺の幼馴染なんすけど、そいつが良い仕事するんすよ』
沈黙の姐さんとこのやつ。
なんだそれは、と思ったが、ルイスがその言葉の意味を確かめるより早く、別の仕事が舞い込んできて、話はそれっきりになってしまったのだ。それで、記憶が曖昧なままになってしまったのだろう。
(なるほど、〈竜滅の魔術師〉の共同研究者が、〈沈黙の魔女〉の弟子というわけか)
納得したルイスは書類をめくり、共同研究者の名前を探した。
──アイザック・ウォーカー。
「……はて?」
少し前まで、七賢人候補を探して飛び回っていたルイスは、この国の有力な魔術師の名前は一通り網羅している。
それこそ実力のある魔術師なら、上級の資格を持っていない無名の魔術師でも覚えているのだ。
その記憶の中に、アイザック・ウォーカーの名前はない。だが、ルイスはその名前がやけに引っかかった。
どこかで目にした気がする……それも、あまり好ましくない形で。
(どこだ? どこで、目にした……?)
ルイスは椅子の背にもたれ、こめかみを指先でトントンと叩く。
ここ数年以内の大きな出来事で見た名前だ。それも、〈沈黙の魔女〉絡みの。
〈沈黙の魔女〉と言えば、思い出すのは、サザンドールの黒竜討伐、ツェツィーリア姫の護衛、更に遡れば、最高審議会、レーンブルグの呪竜討伐、第二王子を護衛する潜入任務……。
「あぁ?」
ルイスは大きく目を見開き、資料の名前を凝視した。
大変お待たせいたしました。
次回から外伝after3「最強の弟子決定戦」です。




