【終】まったく、ままならないけれど
窓から差し込む日の眩しさに目を覚ましたシリルは、頭に痛みを覚えた。
先日ぶつけた傷の痛みでも、二日酔いの痛みでもない。頭皮が引っ張られるような痛みだ。髪が絡まっているのだろうか。
(今は何時だ……っ)
今日の朝、モニカとアイザックは少し早めの時間に出発する予定だった筈だ。
当然に、シリルは見送りをするつもりでいたのだが、既に日は高く上っている。
昨晩、慣れない酒を飲んだせいだ。
本当は酒が得意ではないのだが、アイザックがシリルにも飲みやすいようにとあれこれ工夫してくれたので、つい嬉しくなって飲みすぎた。
ベッドから起き上がったシリルは、自分の枕元に手鏡が置いてあることに気がつく。手鏡の下に、小さな紙片があるのだ。
そこには、見覚えのある美しい字で、こう書かれていた。
『モフモフの夢は見れたかい、プリンセス?』
何かの暗喩だろうか? 怪訝に思いながら手鏡を手にしたシリルはギョッとした。
鏡に映っているのは、銀髪をゴージャスに結いあげ、華やかなパーティメイクを施した見覚えのある顔だ。
「なっ、なっ、な……」
癖のない真っ直ぐな銀髪は、ふんわりと上部で膨らませる形でまとめられており、そこに、細い三つ編みが幾重にも巻きついている。まとめ髪の根本には、煌びやかな髪飾り。サイドから一筋垂らした髪は、コテで巻いたのか、毛先がクルリとカールしている。
白粉で整えられた顔はほんのりと頬紅で血色をプラスされており、口紅の赤が鮮やかだ。
これはシリルは知らないことだが、化粧品はメリッサの私物を拝借したので、全体的に濃い色味なのである。
「なんだ、これはぁぁぁっ!」
叫んだその時、窓から二匹のイタチが入ってきた。
トゥーレとピケは、この事態を把握しているのだろうか。一体、自分が寝ている間に何があったのか、シリルが訊ねようとすると、白と金のイタチが交互に言った。
「わぁ、シリル、可愛いね」
「可愛い」
「…………」
シリルが閉口していると、トゥーレがシリルの膝に、ピケが肩に飛び乗った。
金色のイタチが、サイドから垂れたシリルの髪を前足でいじる。
「アイクが、『力作なんだ』って言ってた」
「『可愛いって言ってあげると喜ぶよ』とも言ってたよ」
「…………」
もしかして自分は、あのお方を怒らせるような何かをしてしまったのだろうか。
何にせよ、このままでは人前に出られないし、まずは髪をほどきたい。この髪型は頭皮が引っ張られて、地味に痛いのだ。
だが、髪のほどき方が分からない。普段、一つに束ねるぐらいしかしないシリルにとって、女性用のパーティスタイルはあまりに難解すぎる。
機織り職人の息子は考えた。
糸が絡まってしまった時は、焦らずに先端から丁寧にほどいていくことが大事だ。ならばこの髪も、先端からほどいていけば良いのではないか?
「毛先……毛先はどこだ……っ」
シリルは後頭部に手を伸ばして、手探りで毛先を探した。だが、見つからない。
アイザックは毛先をまとめ髪の中に巧妙に隠し、ピンでしっかり固定していたのだ。
まずは髪飾りやピンを取ってしまえば良いのだが、そうと知らないシリルは、ひたすら愚直に毛先を探し続けた。
そこに、ドアがノックされる。
「おーい、シリルー、起きたかい? モニカ達は、もう出発しちまったぜ」
ラウルの声にシリルは青ざめ、扉越しに叫んだ。
「ラウル、待て、入るな!」
「えっ、でも、そこオレの部屋だし。着替え出せないと困るんだけど」
「くっ、すまない。だが、駄目だ、駄目なんだ……っ」
「なんで? 何かあった?」
この髪型と顔で、人前に出るのは避けたい。だが、ラウルを説得する良い言葉が思いつかない。
焦ったシリル・アシュリーは、悲痛な声で叫んだ。
「私の……私の、毛先が見つからないんだっ!」
「えっ、禿げた!?」
「違うっ!!」
「えーっと……あっ、そうだ! レイが全身の毛がモジャモジャになる呪いを使えるからさ、レイが帰ってきたら、呪ってもらおうぜ!」
「だから、違うと言ってるだろうっ!!」
ギャアギャアと騒ぎながら、シリルは毛先を探す。
そこに、二匹のイタチが手伝おうと肩によじ上って髪を引っ張ったので、シリルは悲鳴をあげた。
* * *
「なんだか、今朝はバタバタしちゃいましたね」
「うん、シリルに会えなくて残念だ」
「はい……」
魔術師組合本部がある街に向かう馬車の中、モニカとアイザックはのんびり言葉を交わしていた。
そんな二人の足元で、黒猫姿のネロが興味深げにモニカの足元の荷物をつついている。
「なぁ、モニカ。お前、なんか荷物が増えてないか?」
「それは、メリッサお姉さんから色々貰って……そうでなくとも、今回はちょっと大荷物だし」
モニカの呟きに、アイザックも足元の鞄に目を向けた。
「そういえば、今回は荷物が多いね。誰かへのお土産?」
「いえっ、これはお化粧品ですっ」
モニカの言葉に、アイザックとネロがキョトンとした顔をする。
アイザックがネロに、「お先にどうぞ」のジェスチャーをし、ネロが口を開いた。
「お前、化粧してねーじゃん」
ネロの言うことは正しい。このお泊まり会の日程で、モニカは特に化粧をしていない。欠かさず塗っているのは、唇用保湿クリームぐらいである。
「これは今日の会合用で……えっと、カッコイイお師匠様な、お化粧がしたくて……」
モニカの言葉に、アイザックが切れ長の目を見開く。
モニカは恥ずかしくなって、俯き指をこねた。
「あ、あの、お化粧は、あんまり上手じゃないんですけど、お師匠様が子どもっぽいと、アイクが恥ずかしいかなって……だから、そのぅ……」
「どんな君だって、恥ずかしいことなんてないよ」
モニカの手に、アイザックが己の手を重ねた。
顔を上げると、キラキラしている碧い目と、目が合う。
最近のアイザックは表情が豊かだ。本人は目つきの悪さを気にしているようだが、今の彼の笑顔はとても優しい、とモニカは思う。
「そうだ。今回は僕に、君の化粧をさせてくれないかい?」
「アイクに、ですか?」
「うん。なんなら、髪結いも。きっと、上手にできると思うよ」
そう言って、アイザックは目を細める。
とても優しい笑顔が、ちょっと悪い顔になった。
「良い練習台がいたからね」
まったく、ままならない恋と友情だ。
それでも、アイザック・ウォーカーは、それを諦める気も手放す気もない。まして、健気に身を引くなんて冗談じゃない。
劣勢大いに結構。逆境のドン底から這い上がってくるしぶとさには、我ながら結構な自信がある。
(絶対、あのポンコツより僕の方が格好良いぞ、マイマスター)
ポンコツ姫は今頃目を覚まし、大騒ぎしている頃だろうか。
恋敵の狼狽ぶりを思い浮かべて、アイザックはフフフと邪悪に笑う。
「極悪商人の顔してるぞ、こいつ。絶対何か企んでるな」
「それは酷いな、ネロ先輩」
黒猫のジトリとした目を受け流すと、今度はポケットから白いトカゲが頭をのぞかせる。
「マスター、練習台とはもしや……」
「えい」
ポケットを片手でポフンと押さえてウィルディアヌを黙らせ、アイザックはモニカに笑顔を向ける。目つきが悪い彼なりの、愛情を隠さない笑顔で。
「きっと僕が、とびきり可愛くしてあげる」
そうして彼は、胸の内で呟いた。
──だから、僕のこと、もっと好きになって?




