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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝after2:禁書室のお掃除大作戦
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【24】ドッカーン!

 今回のお泊まり会はローズバーグ家の離れで行われたが、モニカの客室は本邸である。

 当然に風呂も本邸のものを使うように言われており、離れでの賑やかな晩餐を終えたモニカは、本邸の風呂を借りて湯浴みを済ませた。


(お風呂、すごく良い匂いだったなぁ……)


 猫足のバスタブには大きめのサシェが沈めてあって、なんだかとても良い匂いがしたのだ。

 モニカは廊下を歩きながら、片腕を持ち上げてクンクンと嗅いでみる。薔薇だけでなく、複数の花を掛け合わせた爽やかな匂いだ。

 その匂いに感動していると、誰かがモニカの前に立ち塞がった。


「おチビ」


「あっ、メリッサお姉さん。こんばん……」


 こんばんは、と全てを言い終えるより早く、メリッサはモニカの手首を掴み、有無を言わさず近くの部屋に連れ込んだ。

 薔薇模様の絨毯が美しいその部屋は、どうやらメリッサの部屋らしい。

 離れにある彼女の部屋は、研究用のあれこれと、衣類、アクセサリー、化粧品が散らかって、混沌とした空間になっているのだが、本邸の部屋は綺麗に整頓されていた。

 メリッサはバタンと扉を閉めると、壁際にモニカを追い詰め、ギロリと睨む。


「おチビ、嘘偽りなく正直に答えなさい」


 全身から不機嫌と苛立ちを滲ませて、メリッサは風呂上がりのモニカを頭のてっぺんから爪先まで眺めた。

 自分は何をしてしまったのだろう、と震え上がるモニカに、メリッサは鋭く訊ねる。


「あんた、風呂上がりに、何も塗ってないわけ?」


 どうやら、肌のお手入れの話らしい。

 モニカは羽織っていたローブのポケットから、手のひらで握り込めるぐらいの小瓶を取り出した。


「ちゃ、ちゃんと塗ってますっ!」


 今まで美容に無頓着なモニカだったが、素敵なレディになるために、少しは成長しているのだ。

 モニカはフスッと鼻を鳴らし、風呂上がりに欠かさず使っている小瓶を掲げる。


唇用保湿クリーム(リップクリーム)ですっ!」


「論外」


 メリッサはモニカの頬を、パァンと両側から潰した。


「みぎゃぶぅ!?」


「これで、あんたの肌がスベスベなら、『きー、妬ましいっ、若いからって調子にのるんじゃないよ!』とか言ってやるんだけどさぁ、普通に不摂生肌じゃない。妬ましくもなんともないわ」


 モニカの肌をまじまじと観察し、メリッサはハンッと鼻を鳴らす。その目は侮蔑と呆れに満ちていた。


「ほら、お座り!」


「ひゃ、ひゃい……」


 メリッサはモニカをドレッサーの前に座らせると、化粧水をビタビタとモニカの顔に叩き込んだ。


「まずは保湿!」


「で、でもっ……いつもよりスベスベ、ですっ! あのっ、今日のお風呂、なんか色々入ってて……」


「あれは、アタシお手製のお風呂用サシェね。亜麻仁とかアーモンドとか、色々配合してんのよ」


 メリッサは化粧水の次にクリームを取り出し、モニカの顔にグニグニ塗りこむ。執拗に頬をこね潰す手つきに憂さ晴らしの気配を感じ、モニカは口をつぐんだ。

 気分はすっかり下拵えされる食材である。つまりは、まな板の肉だ。


「ほぉーら、しっとりお肌になってきた。感謝しな、不摂生娘」


「は、はひ……」


 モニカは恐々と己の頬に触ってみた。

 なるほど確かに、いつもとは手触りが違う。心なしかしっとりしている己の肌に、おぉ……と驚きの声を漏らしていると、メリッサが鏡ごしにニンマリ笑った。


「こんな不摂生娘のボロボロ肌が、しっとりスベスベ肌になる化粧水と美容クリームがあったらさぁ……みんな欲しがると思わなぁい?」


 メリッサの手が、ドレッサーの化粧水と美容クリームの小瓶をつまみ上げて、モニカの手に握らせる。


「研究中の化粧水と美容クリーム。毎日使ってレポート書いて、アタシに提出しな」


「ま、毎日ぃ!?」


「魔法薬の実験だって、継続摂取して経過を見るでしょうがよ。高級化粧品なんだから、ありがたく使うのね。お風呂用のサシェもオマケしてあげるわ。サシェは少し多めにあげるから、コレット女史にも渡して、使用感を聞いてちょうだい」


 メリッサは美容用品に関して、ラナに一目置いているらしい。その気持ちはモニカも分かる。

 メリッサのことだから、完成品を商品化できたら、ラナの口コミで広めてもらうことも視野に入れているのだろう。

 モニカが口をモゴモゴさせている間に、メリッサは手際良くサシェを紙袋に詰める。


「あんたのサシェは、薔薇の香りを強めにしとくわ。クソ犬がどんな顔するか楽しみねぇ」


「……?」


「なんでもないわ、こっちの話よ」


 オホホホホ、とメリッサは、それはそれは悪い顔で笑った。



 * * *



 レディになるって大変なんだなぁ、としみじみ噛み締めながら、モニカはメリッサに貰った美容液やサシェを抱えて客室に戻り、ベッドにコロリと横になる。


(お泊まり会、楽しかったな)


 みんなで野菜を収穫して、ジャムを作って、ボードゲームをして、アイザックのご馳走を囲って、留学するラウルの激励をして。

 本当にあっという間の、充実した一日だった。

 モニカはベッドに横たわったまま、時計を見る。

 いつもならまだ起きている時間だが、明日の朝は出発時刻が早いので、もう寝た方が良いだろう。

 明日はいよいよ魔術師組合の会合で、アイザックのお披露目なのだ。

 無論、人前に出て大々的に「こちらが、わたしの弟子です!」と宣伝するわけではない。せいぜい会合の自由時間に、顔見知りに紹介するぐらいだ。

 それでもモニカにとっては、大事な弟子のお披露目である。師匠として恥ずかしくないように振る舞いたい。


「……あっ、杖……」


 ふと思い出した。

 モニカは七賢人の杖を、ローズバーグ家の離れに置きっぱなしにしてしまったのだ。それも、床に転がす感じで。

 今までは気にしなかったが、モニカは昨日の騒動を経て、考えを改めたのだ。

 杖を床に置きっぱなしにするのは良くない。誰かが転んで、頭をぶつけたら大変だ。

 禁書室での流血の大惨事を思い出し、モニカは慌てて起き上がる。


(杖、ちゃんと持ってこようっ)


 モニカは寝間着の上にローブを引っ掛けると、ランタン片手にローズバーグ家の離れを目指した。



 * * *



「私は……私は、いまだ結論を出せずにいるのです」


 頬杖をついてグラスを傾けるアイザックの向かいの席で、シリルは苦悶の表情を浮かべている。

 シリルは両の手のひらで顔を覆い、己の悩みをアイザックに吐露した。


「トゥーレとピケの毛並みを、モフフワと表現するべきか、フワモフと表現するべきか」


「どうでもいいよ」


「勢いよく顔を埋めると、モフという感覚の後にフワフワ感を感じます。ですが、そっと触れるとまずフワフワを感じ、その後にしっかりとしたモフモフ感を感じるのです。つまり撫で方の問題だと思うのですが……トゥーレ、お前はどう思う?」


「それは、君のお友達だよ」


 机に突っ伏し寝ているラウルの赤毛を、シリルがクシャクシャ撫でた。今のシリルには、ラウルの頭が、イタチの尻尾に見えているらしい。

 ふと思いついたアイザックは、布巾を丸めて猫の人形を作り、シリルの前に置いてやった。

 シリルは真剣な顔で、布巾の猫に話しかける。


「ネロ殿は、どうお考えですか?」


「君、さてはモフモフとフワフワの違いなんて、分かってないだろう」


「ネロ殿、撫でても良いでしょうか?」


 シリルには猫の鳴き声でも聞こえているのか、布巾の猫をそっと抱き寄せ、その頭を指先で優しく撫でている。

 その頬は酒精で赤く染まっていた。誰の目にも明らかな酔っ払いである。





 腹を割って話し、打ち解けるなら、酒を持ち込むのが一番てっとり早い。そうでなくとも、アイザックは酒が好きだ。

 ただ、シリルもラウルもあまり酒が得意ではないと聞いていたので、アイザックは持ち込んだ酒を桃のシロップで薄めて、飲みやすくしてやった。

 ワインより度数を低くしておけば、泥酔まではしないだろう。そう考え、寝る前に二人に軽く飲まないかと誘ったアイザックは、すぐに自分の考えの甘さを痛感した。

 まずラウル。彼は、「これ、甘くて飲みやすいな!」とグラスをパカパカと空にし、小一時間ほどしたところで、「眠い……」と言って机に突っ伏し熟睡してしまった。彼は普段から就寝が早く、寝つきが良いらしい。

 そしてシリル。彼が酒に弱いと聞いてはいたが、想定していた以上に弱かった。

 シロップで薄めた酒を一口二口飲んだところで、ぼぅっとしだし、ラウルがウトウトしている頃にはもう、彼の手はモフモフを求めて彷徨っていた。

 ところが、彼が求めるモフモフ達は、トゥーレもピケも、ついでにネロも夜の散歩に出ている。ローズバーグの森は魔力濃度が濃いので、月光浴に良いらしい。

 結果、モフモフに飢えた男は友人の頭を撫で、布巾の猫に頬擦りをしている。


(どうりで、あの時……)


 アイザックは頬杖をついて、グラスを傾けながら思い出す。

 彼がフェリクス・アーク・リディルの名でセレンディア学園に通っていた頃、公務で学園を留守にしていたことがあった。

 その時に、学園祭で使うワインの試飲会があり、学園に戻って様子を聞いたら、シリルが分かりやすく狼狽え、エリオットが意地悪くニヤニヤしていたのだ。

 それと、普段滅多に怒らない温厚なニールが、無言でシリルから目を逸らしたのも覚えている。


(よくも黙っていたな、エリオット・ハワード)


 アイザックは、この場にいないエリオットに八つ当たりした。

 幼少期のフェリクスを散々いじめていた、垂れ目のわがままおぼっちゃま。

 あの男のことだから、いつかシリルの酒癖にアイザックが直面し、辟易するのを見越して、黙っていたのだ。

 あぁ、まったく、彼の嫌がらせは大成功だ。シリルがこんなに酒癖が悪いと知っていたら、絶対に飲ませなかった。


「社交界で君に恥をかかせなかった従兄弟殿は、優秀だね」


「はいっ! カーティス兄さんは、素晴らしいんです!」


 布巾に頬擦りしていた男はパッと顔を上げて、目をキラキラ輝かせた。氷の貴公子と言われていた日々が、遠い昔のことのようだ。

 まぁ、アイザックは彼のことを氷の貴公子なんて思ったことは、一度もないのだけれど。

 出会った頃から、シリル・アシュリーはシリル・アシュリーだ。直情型で、扱いやすいようで扱いづらい、目を離すと斜め上に爆走し、かと思いきや、頭から勢いよく転げ落ちる、愉快で世話の焼ける男である。


「カーティス兄さんは、社交的で、気取らなくて、朗らかで、頭が良くて、社交界に出たばかりで右も左も分からぬ私に、とても親切にしてくれて……」


「ふぅん」


「それと、カーティス兄さんは犬を飼っているんです。この間、撫でさせてもらったのですが、とてもモフモフで人懐こくて可愛らしくて……」


「はいはい」


 雑に相槌を打ちながら、腸詰め肉を齧る。

 腸詰肉は茹でるか焼くか──グレンは焼いてカリッとした方が好きだという。アイザックも同意見だったが、多分シリルは茹でた方が好きそうだ。肉料理研究会の次のテーマは、これにしよう。

 シリルの話を聞き流し、腸詰め肉のことを考えていると、扉の方で気配がした。

 軽い足音は人に化けたネロじゃない。もしや、と意識を集中すると、ウィルディアヌの気配が近くにあった。

 ウィルディアヌには、本邸にいるモニカがローズバーグ家の人間に害されないか──具体的には薬を盛られたりしないか、見張るよう命じている。

 そのウィルディアヌが近くにいるということは、この気配はモニカだ。


「あの、お休み中にごめんなさい。わたし、杖を取りに……」


 ひょこんと扉の影から姿を見せたモニカは、髪をほどいていて、簡素な服の上にローブを羽織っていた。

 アイザックはちょうど腸詰め肉を頬張ったところだったので、慌ててムグムグと咀嚼する。

 その時、いままで友人の頭を撫でていた男がフラリと立ち上がった。



 * * *



(アイク達、お酒飲んでたんだ)


 いいなぁ、と声に出さず呟きながら、モニカは杖を持ち上げた。

 モニカは酒が飲めないけれど、酒の席の大人な会話というものに、少しだけ憧れがあるのだ。

 まさか、この場で繰り広げられていた話題の九割がモフモフだなんて、モニカには知るよしもない。


「えっと、お邪魔しましたっ」


 床に転がっていた杖を手に取り振り向いたモニカは、思わず動きを止める。

 モニカの真後ろに、シリルが立っていた。

 燭台の火が彼の顔に影を作って、表情はよく見えない。


「シリル様?」


 モニカが呟くと、シリルは身を屈めてモニカの顔を覗き込んだ。

 白い頬は内側からぽぅっと赤く染まっていて、青い目はトロリと濡れたように輝いている。

 長い睫毛をゆっくりと上下させ、彼はほぅっと小さく吐息を零した。

 ほっそりとした指が、モニカの頬にかかる薄茶の髪をそっと梳いて、そのまま頬に触れる。

 いつもキリリと吊り上がっている目尻が柔らかく垂れて、濡れた唇が持ち上がった。

 そうして彼は、愛情に満ちたとろけるような笑みで囁く。


「……かわいい」


 ──好きな人に、笑顔で、「かわいい」と言われた。


 その瞬間、モニカの頭に現れたのは、この場に全く関係のない〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンであった。

 恋する乙女の頭の中で、髭面のオッサンが「ドッカーン!!」と叫んで、特大火力の火炎球を放つ。

 国内最高火力の六重強化魔術に、モニカの心の防御結界は木っ端微塵になり、そして現実のモニカ・エヴァレットは、爆音に驚く猫の顔で硬直した。


「…………」


 何も、言葉が出てこない。

 びっくりニャンコになっているモニカの前で、シリルの体が勢いよく浮かび上がる。

 腸詰め肉を食べ終えたアイザックが駆けつけ、シリルを肩に担いだのだ。


「驚かせてすまないね。この酔っ払いは、目に映るもの全て、モフモフに見えるらしい」


 アイザックに担がれたシリルは、ウニャウニャと意味のない言葉を発しながら、何かを探すみたいに右手を動かしていた。


「二階で寝かせてくるよ。おやすみ、モニカ」


「あ、はい、おやすみなさい」


 アイザックはシリルを担いで部屋を出ていく。

 モニカはしばらくぼうっとしていたが、ハッと我に返り、杖を握りしめて離れを飛び出した。

 パタパタと走る。

 触れられた頬が熱い。

 心臓がバクバクとうるさいのは、走っているせいだけじゃない。


「わっ、わっ、わっ、わっ」


 意味もなく声をあげながら走り、本邸の客室に駆け込んだところで、モニカは扉にもたれてしゃがみこんだ。

 胸に抱いた杖の装飾が、シャラシャラと音を立てる。


「わああああ……」


 か細い声で呟き、モニカはうずくまった。そうしていないと、色々なものが胸からブワッと飛び出してしまいそうだったのだ。

 あれは、モニカには刺激が強すぎる。


(……でも)


 あの出来事は自分には刺激が強いから……と全部忘れて、なかったことにしてしまうのが、モニカは嫌だった。

 欲張りになったモニカは、あれが欲しいのだ。


 ──愛しくて堪らないという柔らかな笑み、甘い声。


 架空のモフモフに対してじゃなくて、自分に、欲しい。

 フゥフゥと荒い息を繰り返しながら、モニカは考える。

 もし、次があったとして、またドッカーン! となって、ビックリしていては駄目だ。

 そのためにはどうしたら良いか?

 この国の魔術師の頂点に立つ七賢人は、その優秀な頭脳をフル回転させて考えた。

 そうだ。自分は、滅多に「可愛い」と言わないシリルに「可愛い」と言われたから、ビックリしてしまったのだ。

 ならば、誰かに「可愛い」と言ってもらい、耐性をつければ良いのではないだろうか?

 それも、ラナやアイザックのように、「可愛い」と言ってくれる優しい人ではなく、普段あまり褒めてくれない者がいい。


「にゃんだ、まだ起きてたのか?」


 モニカが一つの答えに辿り着いたまさにそのタイミングで、窓から黒猫姿のネロが入ってきた。

 モニカは立ち上がり、窓辺に駆け寄る。


「ネロっ、あのねっ、お願いがあるのっ」


「おう、なんだ? 言ってみろ」


 モニカは杖を胸に抱き、モジモジと指を捏ねた。

 我ながら、非常に恥ずかしいお願いだ。だが、頼れるのは相棒のネロしかいない。

 モニカは真っ赤になって、唇を震わせながら、ネロに懇願する。


「わたしに、か、かわ…………可愛いって……言ってみて、ほしいの」


 これは、不意打ちの「可愛い」に耐性をつけて、ビックリしないための訓練なのだ。

 恥を忍んでの懇願に、ネロは前足でポムポムとモニカを叩いた。


「モニカ」


「うっ、うんっ」


 モニカが前のめりになると、ネロはこの世の真理を語るような顔で断言する。


「オレ様の方が、可愛いだろ」


「…………」


 モニカは杖をポイと床に転がすと、ベッドに潜り込んで、ふて寝した。



 * * *



 シリルを担いだアイザックは、早足で階段を上り、二階にあるラウルの部屋の扉を開けた。男性陣は基本的に床で雑魚寝だが、この部屋にはベッドが一つあるのだ。

 そこに雑にシリルを転がすと、シリルはトロンとした目でアイザックを見上げた。


「アイク」


「なんだい、酔っ払い」


「モニカが、いました」


 アイザックは、ハッと息を呑む。

 シリルはフニャリと笑うと、そのまま瞼を閉ざしてスゥスゥと寝息を立ててしまった。熟睡だ。


「……この野郎」


 アイザックは近くの椅子に腰掛け、先ほどのモニカの様子を思い出す。

 驚いた顔で硬直していた。あれは、恋する女の子というより、驚いた猫の顔だ。いつもと違うシリルの様子に、ただただ驚いていた。


(モニカは、どこまで自覚したのだろう)


 アイザックは、ベッドで間抜けな寝顔を晒している恋敵を睨みつけた。

 この恋敵を見ていると、アイザックは時々、無いものねだりをしている子どものような気分になる。


(ずるいぞ、シリル)


 可愛いだなんて、あんな愛しさが隠せていない声で。


「……何故、素面で言わない」


 低く唸るように呟き、アイザックは部屋を出た。

 こういう時は、切なさとやるせなさを噛み締めながら、一人酒をするものだろうか。だが彼は、そんなしおらしさなど、持ち合わせていないのだ。

 アイザックはラウルとメリッサの共有スペースに向かうと、そこに出しっぱなしになっていたメリッサの私物をむんずと掴み、恋敵のもとに向かった。

 恋敵は、「もふふわ……ふわもふ……」と平和な寝言を口にしながら、何かを撫でるように右手を動かしている。

 アイザックはベッドに歩みより、シリルの髪紐をシュルリと解いた。


「なに、この程度、友人同士のおふざけの内だろう」


 人は愛しさが溢れて仕方ない時、愛しい人の髪に触れる。

 そして、「恋敵この野郎こんちくしょう」の気持ちが溢れて仕方ない時、拳と櫛を握るのである。


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