【20】馬鹿の特盛りデラックス
結界術の勉強を始めたばかりの頃、ラウルは同じ七賢人であるルイスに結界術のコツを聞きにいったことがある。
ルイスの肩書きは〈結界の魔術師〉、七賢人一の結界術の使い手なら、きっと良いアドバイスをくれるだろうと思ったのだ。
〈翡翠の間〉でルイスを呼び止め、結界術のコツってある? と訊ねるラウルに、ルイスは露骨に顔をしかめて、長いため息をついた。
「貴方は、魔力量が多いほど、結界術に有利だと思っているのでは?」
「違うのかい?」
「うちの馬鹿弟子も、同じことを訊きに来たことがあります。まぁ、結界術は一般的な魔術とは術式が違うことを知ったら、あっさり断念しましたけど」
ルイスの言う通り、結界術は通常の魔術とは術式が異なるのだ。
無論、似ている部分もあるし、一般的な属性魔術を学んでいた方が理解しやすいことは確かではある。
ただ、属性魔術と結界術の両方を極めた者は、そう多くない。それこそ、結界術を専門にしている魔術師だっているぐらいなのだ。
それはさておき、結界術と魔力量の関係である。
「魔力量が多い方が、頑丈で大きな結界を作れると思うんだけど」
「間違ってはいません。ただ……」
ルイスは肩の辺りで指を動かした。前に垂れてきた三つ編みを、背中に払う仕草だ。
すっかり髪が短くなってしまった今も、癖なのか、彼は時々そういう仕草をする。
「煉瓦で壁を作るとします。この煉瓦を魔力だと考えてください。魔力量が多い人間は、大量の煉瓦を用意できる」
「やっぱり、魔力量が多い方が有利だよな?」
「ですが、煉瓦を積むのには技術がいります。どんなに大量の煉瓦があっても、積み方が雑ならすぐに崩れる脆い壁になる──むしろ、無駄に煉瓦が多いと積むのに時間がかかるし、手間もかかるでしょう?」
ラウルは、大量の煉瓦を前にした自分を想像してみた。
想像の中の自分は、どこから積んでいいか分からず、積んでは崩し、積んでは崩しを繰り返し、散らばった大量の煉瓦につまずいて転んでいた。
最近練習している結界術が全然上手くいっていないので、失敗をする自分の想像は、あまりにも容易い。
「更に言うなら、煉瓦の質も問われます。適当に土を固めた煉瓦より、腕の良い職人が作った煉瓦の方が良いに決まっている」
なるほど、ラウルの煉瓦が適当な土を型に詰めただけの素人煉瓦なら、ルイスの煉瓦は職人の技術で作られた頑丈な煉瓦──敵をぶん殴っても壊れない鈍器である。
「魔力量の多い人間ほど、結界に大量の魔力をぶち込んで、結果、馬鹿の特盛りみたいに不恰好な結界を作りがちなのです。そういう結界は崩れやすいから、大抵長持ちしない」
確かに、防御結界に魔力を注ぎ込めば注ぎ込むほど、ガラガラと崩れていく感覚が、練習中に何度もあった。
つまるところ結界術とは、魔力量が多いほど強固で大きな結界が作れるが、その分、技術がいる……ということらしい。
「まずは、小さい煉瓦を一つ、二つと積み上げる練習から始めることですな。子どもの積木よりマシな出来栄えになったら、積む煉瓦の数を増やしてみては?」
「なるほどー……」
相槌を打つラウルに、ルイスは片眼鏡を指先で押さえ、口の端を持ち上げる。
「ちなみに、私の娘は積木を十二個も積めます」
自慢された。
* * *
今ラウルの前では、モニカとシリルが力を合わせて、『植物標本庭園』の修復作業にあたっている。
シリルが魔力の質を確認し、モニカが記述の違和感を探る──だが、モニカは『植物標本庭園』を読みながら、その合間に敵を牽制しているのだ。そんなの集中できるはずがない。
(だったら、その分オレが頑張れば、モニカは作業に集中できるはずだ)
ルイスのアドバイスを貰ってから、ラウルは何度も結界術の練習をしたが、やはり形にするのは難しかった。
薔薇を操る時は、ただ有り余る魔力を注ぎ込んでやるだけで良かったが、結界術はそうはいかない。
結界を張るのに適切な魔力量、密度、形状──それらを覚えるには、きっともっと時間がいるのだ。
ただ、何度も失敗をすることで、ラウルにも分かったことがある。
(結界術は……土台が大事なんだ)
前半の術式を疎かにし、そのまま詠唱を続けると、前半の術式で出来た土台がラウルの魔力に耐えられず、グシャリと潰れてしまうのだ。
だから、詠唱が途切れ途切れになってでも、前半の土台作りに魔力を込めて結界を構成。
そうしてできたラウルの防御結界は、周囲に幾つもの大樹を植えて、それを絡めて隙間をピッタリと埋めたものに似ていた。
どうしても得意魔術の性質上、ラウルは積み上げる煉瓦より、巻きつける植物の方がイメージしやすいのだ。
一般的な防御結界は、板ガラス一枚分にも満たない厚みである。薄くとも、魔力密度が高ければ、それでしっかり敵の攻撃に耐えられる。
だがラウルの結界は、土台の部分が大樹の幹ほどもあった。ルイスが見たら、魔力の無駄遣いと顔をしかめそうな有様である。
「馬鹿の特盛り結界になっちゃったなぁ……」
ポツリと呟くと、流石に気になったのか、シリルが作業をしながらラウルを見た。
「なんだそれは」
「いや、ルイスさんに言われそうだなぁ、って……」
モニカが結界を一瞥して、「い、言いそう……」と呟く。
やはり、モニカの目から見ても、馬鹿の所業みたいな結界なのだ。
一般的な防御結界よりも消費魔力が多い、効率の悪い魔術だ。それでも、頑丈に出来ている自信はある。これが、今のラウルにできる精一杯だ。
その時、防御結界の向こう側で、黄色い薔薇が侵入できる場所を探そうと、防御結界の上を這い回りだした。
(あ、やばい)
今、ラウルが使っている防御結界は、大変不恰好ではあるが、一応半球体型結界という扱いになる。
自分達の頭上に、透明なガラスボウルを被せた形に似ている──実際は、もっと歪な形だが。
この結界、実は頭上の方は強度が弱い。これは、ラウルの実力不足が原因だ。ルイスやモニカだったら、そうはならない。
そして、黄色い薔薇は結界上部の薄い部分に気づいたらしい。
周囲の木々が枝を伸ばし、執拗に結界の薄いところを攻撃しだした。
ラウルは頬に汗を滲ませ、必死で魔力の量を調整する。頭上に魔力を多く流して、頑丈に──すると、全体のバランスが崩れて、結界が歪みだす。
上が重くなれば、中間部の弱い部分が軋み出すのは当然だ。
「う、ぐ、ぐ……だったら、こっちにも魔力をやって……」
すると今度は、ラウルの背中側が一斉攻撃される。そっちはダメだ。モニカとシリルがいる。
慌ててそちらに魔力を注ぐと、また、結界のバランスが崩れた。
「わああああ、右……左、左上ぇぇ、えっと、次は……えぇぇっとぉぉぉ」
実際に膨大な魔力で大きな結界を張ってみると、魔力量が多ければ良いわけではない、というルイスの言葉の意味がよく分かる。
無駄に魔力を込めた部分が歪み、それが他の部分に影響を及ぼして、どんどん崩れそうになるのだ。
「右上、真上、うーしーろー! ……ううう、頑張れオレの、特盛りデラックスー!」
「だから、なんなんだそれは……」
シリルが呟いたその時、モニカが口を開いた。
「解析完了」
無表情の丸い目が、空中に浮かぶページを端から端まで素早く眺める。
小さい指がページを示す。
「違和感があったのは、二〇三ページで終わりです。わたし、ラウル様の補助に入ります」
「頼む」
「はいっ!」
シリルの言葉にモニカは力強く頷き、ラウルの横に立った。
「ラウル様が、時間稼いでくれて、助かりました……のでっ」
モニカは目の前に広がる不恰好な防御結界と、迫り来る黄色い薔薇を真っ直ぐに見据える。
「次は、わたしの番です」
ラウルはてっきり、モニカが新しい防御結界を張るのかと思った。だが、違う。
モニカは前に進み出て、いまにも崩れ落ちそうなラウルの結界に手のひらで触れた。
(術式干渉!)
他人が展開した魔術に干渉するには、膨大な魔力か、ずば抜けた魔術式の理解力がいる。
ラウルが前者で、モニカが後者だ。
モニカが無詠唱でラウルの結界に干渉した。グラグラしていた土台が、ピタリと止まる。
「第一術式から第七術式まで完了。続けます」
モニカは、ラウルに正しいやり方を教えてくれているのだ。
ラウルの結界に干渉して、間違いや歪みを一つずつ正して。
本当は一瞬で終わることを、ラウルにも理解できるよう、丁寧に。
「第八術式、ここからは、上部の骨組みになります。座標軸のズレを修正。角度に気をつけてください。でないと、上に穴が空いちゃいます」
この結界がラウルの魔力で出来ているのは変わらない。それを、モニカが丁寧に整えているのだ。
垂れ流しの魔力をギュッと圧縮し、無駄を削ぎ落とす感覚。それをしっかり覚えようと、ラウルは意識を集中する。
(オレの友達、すごいや)
モニカが結界を見上げた。
その顔には、どこか恍惚とした笑みが浮かんでいる。
「これで、完璧です」
強固に作り直された結界は、敵の攻撃を受けてもビクともしない。維持するのも、先ほどまでより、ずっと楽だ。
それでも、時々ラウルの魔力操作が危うくなると、モニカがすぐに介入してフォローしてくれる。
ラウルは横目でモニカを見た。
「モニカ、フォローありがとな!」
「こちらこそ、時間稼ぎ、ありがとうございますっ」
顔を見合わせて笑いながら、ラウルはなんだかとても嬉しくなった。
* * *
モニカとラウルが結界を維持している間に、シリルは修復作業の最後の段階に入った。
「改竄箇所の特定完了。切断及び封印を始める」
シリルは指先に魔力を集中し、改竄されたページの縁を素早くなぞる。
するとそのページが白く輝き、そのまま右手中指の〈識守の鍵ソフォクレス〉に吸い込まれていった。
改竄されたページを切断し、指輪の中に保管しているのだ。
(これは、布の裁断と同じだ)
美しい布地にハサミを入れたら、やり直しができないように、ページの切り離しも迷いがあってはならない。
シリルはページを一枚切断していく度に、己の迷いも断ち切っていく。
そうして最後の一ページの封印を終えたら、再び本を綴じる。
シリルが指先に意識を集中すると、そこに銀色に輝く針が生まれた。針に通されているのは白く細い魔力の糸だ。
シリルは作り手への敬意を込めながら、一針ずつ本を綴じる。驚くほどすんなり体が動くのは、〈識守の鍵ソフォクレス〉がサポートしてくれているからだ。
古代魔導具は、持ち主が修復作業の素人であっても正しく本を綴れるよう、少しだけ体の動かし方に干渉ができる。本来、体の乗っ取りとはこう使うものなのだ。
(ソフォクレスは、今まで何千冊の本を修復してきたのだろう)
これは、シリル一人では成しえなかったことだ。
ソフォクレスの力がなければ、モニカとラウルの助けがなければ、禁書の修復など到底叶わなかった。
ソフォクレスと友人達への感謝を胸に、シリルは最後の一針を綴じる。
「修復完了!」
魔力の塊でできた本を手に取り、取り出した時と逆の手順で地面に挿し込む。
本が吸い込まれていった地面から、白い光が広がり、『植物標本庭園』の世界を包み込んでいく。
「モニカ、ラウル、脱出するぞ!」
* * *
『魔女様、魔女様……』
白い輝きの中、ラウルは見た。
ラウルを追いかけてきた子どもの影に、表情が生まれる。民族衣装を着た、黒髪の少年だ。
その少年は目を閉じたまま、ラウルの方に短い腕を伸ばし、そして下ろした。
『あぁ、魔女様は……まだ、お戻りでは、ないのですね』
改竄箇所が封印されたことで、墓守は本来の気質に戻ったらしい。
先ほどまでの、「魔女様」に対するベッタリとした執着がなりを潜め、今は子どもらしい素朴さと、寂しさを感じた。
「ラウル、行くぞ」
「ラウル様」
シリルとモニカが呼んでいる。白い輝きの中、うっすらと見える木々のトンネル。
あれを潜り抜ければ出られるのだ。
そのトンネルの手前でラウルは足を止め、墓守の影を振り向いた。
(ダフネ・オドラ、ガーデニア……秋の花はチラッとしか見てないけれど、オレも知らない、オレンジ色の花だった……)
春、夏、秋に香る花。
あの花がどういう意図で植えられたものかを、ラウルは見ている。
きっと、ラウルだけが知っている。
「次に来ることがあったらさ」
トンネルの前で、ラウルは少年の影に大きく手を振った。
「良い匂いの、冬の花。きっと持ってくるよ!」
少年は驚いたように少しだけ身じろぎし、控えめに手を振り返す。
ラウルは白い歯を見せてニカッと笑い、友人達の待つトンネルを潜り抜けた。