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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝after2:禁書室のお掃除大作戦
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【17】魔女と書庫番


 昔々の話だ。

 深い森の奥にある恐ろしい魔女の屋敷を、書庫番の女が訪ねてきた。

 書庫番の女は、冷たい空気を纏った女だ。

 魔女も冷たい雰囲気の女だったが、書庫番の冷たさは少し違う。

 魔女が熱のない炎の冷たさなら、書庫番は氷の彫像が色彩と命を得て動き出したような硬質さがあった。対照的な二人なのだ。

 魔女はふと気づく。書庫番の女が普段から身につけている黒い指輪が、その白い指にない。


「今日は指が寂しいのね」


「あの指輪は、お前みたいな美人を見ると、いちいち騒がしいのだ」


「そう。それで、用件は」


 誰からも恐れられている魔女に、書庫番はズンズンと詰め寄り、硬質な声でピシャリと言い放つ。


「返却期限を超過した本の回収に来た。何度も督促状を出しただろう」


「紙の無駄ね。お前が直接取りに来れば良いのよ」


「その分、私の読書時間が減るではないか」


 書庫番はそう言うが、どうせここに来るまでも、馬車の中で本を読んでいたのだろう。なにせ歩きながらだって本を読むような女だ。

 書庫番の女は魔女にズイと片手を差し出した。


「問答をする時間が惜しい。貸し出した本を、速やかに返してもらおう」


「その辺にあるわ。適当に持っておゆき」


 そう言って魔女は、床に積み上げた本の山の上に、足を組んで座る。

 途端に、書庫番の細い眉がキリキリと釣り上がった。

 氷の冷たさが一転、烈火の如き激しさで、書庫番は怒鳴る。


「本の上に座るとは、何事だぁっ!」



 * * *



 見覚えのない森の中で目を覚ましたシリル・アシュリーは、痛む頭を押さえながら立ち上がり、考えた。

 ここはどこだろう。自分は禁書室の掃除をしていたのではなかったか?

 自分の右手中指にソフォクレスはなく、周囲にモニカとラウルの姿も見えない。あと、掃除用具もない。

 ただ、どういうわけか、頭に巻いていた三角巾はエプロンのポケットに入っていた。


(どういう状況だ……?)


 痛む頭を押さえ、フラフラと歩きながら、シリルは考える。

 以前、ローレライに幻を見せられたように、この森も幻なのではないだろうか?

 そんな考えが頭をよぎったその時、前方の木々の合間に人の姿が見えた。真紅の巻き毛──ラウルだ。

 ただ、様子がおかしい。首の辺りに蔓と薔薇を飾り、そして暗い愉悦の笑みを浮かべている。

 その表情をシリルは知っていた。あれは、初代〈茨の魔女〉としての力を振るう時のラウルだ。

 ラウルが手を前に伸ばして、薔薇の種を落とす。種が一斉に発芽し、薔薇の蔓が伸びる。あれは、ただの薔薇じゃない。人喰い薔薇要塞だ。

 そして、その薔薇の蔓が向かう先にいるのは、座り込んでいる小柄な魔女──モニカではないか。

 シリルはカッと青い目を見開いた。

 ラウルがあの力に支配されているのなら、その力でモニカを傷つけようとしたのなら、シリルがするべきことは決まっている。

 シリルは全力で走り、右の拳を握り締めて、ラウルの頬を殴りつけた。

 友との約束を果たすため。大事な人を守るため。そして……


「掃除の最中に薔薇を散らかすとは、何事だぁっ!」


 シリルの中では、お掃除大作戦は未だ継続中なのである。


 * * *


 地面にへたりこんでいたモニカは、口を半開きにして目の前の光景を見つめた。

 キラキラ光る銀の髪、怒りに燃える青い目、どこまでもよく響く怒声。

 ソフォクレスに乗っ取られていた時とは違う、ピンと背筋の伸びた立ち姿は、まごうことなく「いつものシリル様」である。

 そのことにモニカは安堵し、そして次の瞬間、安心している場合ではないと、慌てて立ち上がった。

 モニカの周囲を漂っていた黒炎は、シリルが〈茨の魔女〉を殴りつけたタイミングで、散り散りになって霧散している。動くなら今しかない。

 モニカは無詠唱魔術で風の刃を操り、〈茨の魔女〉が放った薔薇の蔓を全て切り裂いた。


「シリル様、離れてくださいっ、今のラウル様は……!」


「頭に響く、その声……」


 ボソリと呟いたのは、頬を殴られた〈茨の魔女〉だった。


「……そう。お前が書庫番ね」


 シリルが怪訝そうに眉根を寄せた。今のラウルの状態が、以前ローズバーグ家の森で対峙した時とは違うと気づいたのだろう。

 モニカはボテボテとシリルのもとに駆け寄った。


「シ、リル様……っ、今のラウル様の意識は、おそらく……初代〈茨の魔女〉様に、限りなく近い状態、です」


「なに?」


「多分、この『植物標本庭園』に、仕掛けがしてあったんです。ローズバーグ家の人間にだけ……あるいは、ラウル様にだけ反応するような、仕掛けが」


 モニカの言葉に、シリルは思案するように腕組みをした。

 彼は目を覚ましたばかりで、状況を把握していないのだ。


「『植物標本庭園』……確か、目録にあったな」


『第五禁書室に収蔵された、空間を保有する魔術書の一つである。吾輩達は今、この本の中に閉じ込められているのだ』


 モニカの手元で、〈識守の鍵ソフォクレス〉が声をあげる。

 そこまで言われて、シリルはようやく、おおよその事態を把握したらしい。

 彼はラウルの体を乗っ取る〈茨の魔女〉を凝視すると、口元に手を当てて考え込む。


「『植物標本庭園』に仕掛け? ……初代〈茨の魔女〉に限りなく近い状態? ……つまり、これは()()()()()()()()()()()ではないのか?」


 シリルは聞き取りづらい声でブツブツと呟いていたが、ふと、何かに気づいたようにハッと顔を上げる。

〈茨の魔女〉を見るシリルの顔が、みるみるうちに青ざめた。無理もない。彼は、自分が最凶最悪と言われた魔女に殴りかかったことに気づいてしまったのだ。

 ……と思いきや、シリルはビシッと姿勢を正し、そして勢いよく頭を下げる。


「大変失礼しました、レディ。友人との約束を守るためとはいえ、女性に手をあげてしまった。貴女の気が済むまで、私を殴ってくれて構いません」


 モニカも、ソフォクレスも、〈茨の魔女〉も、この場にいる誰もが沈黙した。

 シリル・アシュリーは、どこまでいっても、シリル・アシュリーなのである。

〈茨の魔女〉は無言で手を持ち上げ、己の唇を指でなぞった。シリルを見る目には、不思議と怒りや悪意は感じない。どこか、面倒くさがっているようにも、面白がっているようにも見える。

 シリルは下げた頭を戻して、言葉を続けた。


「ただ、貴女の気が済んだら、どうか私の友人を返していただきたい。その体は貴女のものでも、古代魔導具でもないのです」


(……え?)


 妙な言い回しに、モニカは疑問を覚えてシリルを見上げる。

 シリルは真剣そのものの顔で、〈茨の魔女〉を真っ直ぐに見て、言った。


「それと、私は書庫番ではなく、厳密には図書館学会役員です。現在は禁書室の利用緩和に向けた清掃奉仕作業の最中であり……」


「その言い草、お前はどこまでも書庫番だわ」


 呟き、〈茨の魔女〉は屈んで何かを拾い上げた。

 足元に散らばっていた植物の残骸。その中に混じっていた、小さな黄色い花を咲かせる薔薇だ。あれは、ガーデニアの前で、ラウルを真っ先に捕らえた薔薇ではなかったか。


「私の時代にはなかった薔薇。やはり、そういうことか」


〈茨の魔女〉は黄色い薔薇をグシャリと握りつぶした。日に焼けた男の手のひらから、黄色い花弁がハラハラと地に落ちる。

〈茨の魔女〉はゆっくりと立ち上がると、今度は首と肩の間に生えた薔薇に手を添えた。


「もとより、このような顕現など望んでいない。この重い体は返してあげる……ただし、一つ約束なさい」


 緑の目が、モニカとシリルを順番に見つめ、そして最後に偽りの空を見上げる。


「この『植物標本庭園』は改竄されている。あとから手を加えた者がいる」


〈茨の魔女〉はゆっくりと視線を戻し、日に焼けた男の指でシリルを指さした。


「お前が責任をもって、この本を元に戻すのよ、書庫番」


「分かりました。図書館学会役員シリル・アシュリーが請け負います」


 シリルの態度はどこまでも真っ直ぐで、応じる声は誠実で、それはモニカが一番好きな、「いつものシリル様」のそれだった。

 リディル王国で最も恐れられてきた伝説の魔女は、目を閉じる。長い睫毛が緑の目を覆い隠す。


「──庭園の出口は冬の森。墓守は改竄されている」


 歌うような口調で呟き、〈茨の魔女〉は己の首元で咲いていた薔薇を、力任せに引き抜いた。

 パッと宙に鮮血が舞う。魔女の手から、引き抜かれた薔薇が落ちる。

 ラウルの体は糸が切れた人形のように傾き、地面に倒れた。


「ラウル様!」


「ラウル!」


 モニカとシリルは慌てて駆け寄り、ラウルの首元の傷を確かめる。

 首と肩の間──薔薇が咲いていた箇所は、親指の爪程の傷口があるが、出血は意外と少ない。脈はしっかりしているし、呼吸も安定している。

 命に別状がないことを確認したシリルが安堵の息を吐いて、モニカを見た。


「……私が気絶している間に、何があったんだ?」


「えぇと、その、何から話せば良いか……」


 この『植物標本庭園』に入り込んでからの出来事を、どう説明するか、モニカが悩んでいると、モニカを見るシリルの表情が突然険しくなった。

 シリルは鋭い目で、モニカの顔を──正確には、その目元を凝視している。


「その目はどうした」


「え」


「腫れている」


 しまった、とモニカは青ざめた。先ほど大泣きした時に、少し擦ってしまったのだ。

 おまけに、きちんと顔を拭かなかったものだから、涙の跡が頬にまばらに残っているかもしれない。


「あ、えっと、これは……」


 モニカがオロオロと頬を押さえていると、その手首をシリルが掴んだ。

 その手の感覚に、体温に、モニカの心臓が跳ねる。このままだと、ドキドキしている脈が手首から伝わってしまう。早急に脈を止める魔術式を考えなくては。


「あの、全然大したことじゃ、ないんです、ごめんなさい、わたし、その……」


「モニカ」


 ワァワァとうるさいモニカの思考は、青い目で真っ直ぐに覗き込まれた瞬間、ピタリと静かになった。

 真剣にモニカを見る目──そこにあるのは、モニカに対する心配と、モニカを泣かせた誰かに対する怒りだ。

 シリルは一度口を開き、そして閉じた。きっと、激情のままの言葉を飲み込んだのだ。

 彼はゆっくりと息を吸って吐き、押し殺した声で問う。


「お前を泣かせたのは、誰だ」


 モニカの手元で〈識守の鍵ソフォクレス〉が、ゆっくりと瞬いた。

 光が石の中央ではなく、端の方に寄っているあたり、目をそらして気まずそうにしている空気を感じさせる。無駄に表現力豊かな指輪である。


「あの、えっと……」


 モニカが口をパクパクさせたその時、二人の背後で声がした。


『魔女様、魔女様』


 二人が振り向いた先、そこにあるのは黒い人影だった。

 人間の子どもぐらいの影が、厚みを持って、地面を歩いているような黒い塊。

 顔のあたりはのっぺりとしていて、表情らしきものはない。それでも、その声にモニカは明確な喜色を感じた。

 子どもの足元で、黄色い小さな花をつけた薔薇が、スルスルと伸びていく。

 影が短い両腕を前に伸ばす。顔のない子どもが、笑ったような気がした。


『おかえりなさい、魔女様』


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