【11】吠える戦狼
シュトラウス将軍によって制圧されたヴァルムベルク城の広間では、部屋に入って右手側の壁に、リディル王国第三王子アルバートや、帝国側のビレンダール卿、ケーニッツ卿をはじめとした捕虜達がひとまとめにされていた。
捕虜は全員壁際に座らされ、後ろ手に手足を縛られている。隣の人と繋がるように長いロープで繋がれているという念の入れようだ。
更に、アルバート、ビレンダール卿、ケーニッツ卿の三人以外は全員、猿轡をはめられていた。兵士の中に魔術師がいるのを警戒してのことだろう。
アルバートの横では、口を塞がれたパトリックが、フガフーと哀しげな声を漏らしている。
(『布は美味しくないです〜』……なにを呑気な!)
なんとなく言っていることが分かるのは、まぁ、付き合いの長さ故にというやつだ。
アルバート、ビレンダール卿、ケーニッツ卿の三人だけ口を塞がなかったのは、交渉のためか、或いは最低限の敬意を払っているつもりか。
実を言うと、アルバートは魔術が使える。魔術師養成機関ミネルヴァに通っていたことがあり、実技はそれなりに得意だ。
だが、どんなに小声でも、詠唱をしたらすぐに気づかれるだろう。兵士達もそれを警戒し、目を光らせている。
(モニカみたいに、無詠唱で魔術が使えたら良かったのに……!)
いかにも気弱そうなケーニッツ卿は、青白い顔で口を閉ざして項垂れ、居丈高なビレンダール卿は「どうしてこんなことに……」とブツブツ呟いている。どうやら、酒に仕込まれていた毒はそれほど強いものではなかったらしい。顔色こそ悪いが、あれだけ舌が回るのなら、あまり心配しなくて良いだろう。
どうせぼやくなら、もう少し大きい声でやってほしい。そうすれば、魔術の詠唱を誤魔化せるかもしれないのに、とアルバートは密かに思う。
(でも、ただ闇雲に魔術を撃っても駄目だ。敵兵の数が多すぎる……向こうにも魔術師はいるだろうし)
アルバートは敵に警戒されぬようギュッと唇を引き結び、目だけを動かして敵の数を数えた。
この部屋にいるだけで、シュトラウス将軍も含めて三十人。無論、これが全てじゃない。広間の外にも大勢いるはずだ。
シュトラウス将軍は、部屋に出入りする赤い制服の部下と、言葉を交わしていた。アルバートの知らない言葉だ。部下の報告を受け、指示を出しているのは分かるが、それ以上のことは分からない。こちらに情報を渡さないようにするためだろう。
ブリジットなら分かるかもしれないのに、とアルバートは歯噛みする。
(ブリジットは無事だろうか? 辺境伯殿と一緒に、無事逃げてくれると良いんだが……)
ブリジットとヴァルムベルク辺境伯が共に城を脱出し、外に助けを求める──今はその可能性に縋るしかない。
アルバートはあえて小声ではなく堂々とした態度で、ビレンダール卿に話しかけた。
「ビレンダール卿、具合はいかがです? 痺れたり、気分が悪かったりはしませんか?」
「……多少の痺れはありますが、問題ありません」
ブツブツとぼやいていたビレンダール卿は、青白い顔をしていたが、そこは流石に帝国の重鎮。案外冷静に言葉を返した。痩せ我慢をしている様子もない。
(……なら、ビレンダール卿以外の毒を飲んだ者も、いざという時はそれなりには動けるな)
毒は殺害目的のものではなく、こちらの動きを制限するためのもの。
シュトラウス将軍は、アルバート、ビレンダール卿、ケーニッツ卿を生かして、なんらかの取引に使うつもりなのだ。
アルバートは、ビレンダール卿以上に顔色の悪いケーニッツ卿にも話しかけた。
「ケーニッツ卿は、大丈夫ですか?」
「あ、私は、お酒飲んでないので……大丈夫、です……」
ケーニッツ卿はボソボソと言って、アルバートから目を逸らすように俯く。
彼の領地はヴァルムベルクの東と隣接しているのだが、いざという時、彼の領地は兵を出してくれるだろうか、とアルバートは少し不安になった。
臆病なケーニッツ卿に、軍の指揮を執れるようには見えない。
その時、広間の扉が開き、赤い制服を着たシュトラウス将軍の部下が誰かを連れてきた。
枯れ木のように痩せた老人と、髪が短く背の高い娘だ。
その姿を見た途端、いままで気丈な態度を見せていたビレンダール卿が、絶望に顔を歪め、呟いた。
「戦狼が、捕えられた……」
(そうか、あのご老人が先々代ヴァルムベルク城主……帝国の英雄ヴァルムベルクの戦狼!)
ヴァルムベルクの戦狼の強さ恐ろしさは、戦争経験者ほどよく知っている。
ビレンダール卿は、この窮地をヴァルムベルクの戦狼がひっくり返してくれることを期待していたのだろう。
だが、帝国の英雄は痩せ衰えた体で、後ろ手に縄で拘束されている。
戦狼の眠たげな目は虚空を見ていて、かと思いきや、突然顔を上げて叫びだした。
「わしの芋は、どこじゃー!」
「お祖父様、先ほど食べたばかりです」
「補給部隊よ、塩はまだ届かぬのか!」
「塩は厨房です、お祖父様」
老人と娘のやりとりに、この場にいる帝国人の顔が、悲しみに歪んだ。
それは、ビレンダール卿や捕らわれている側の人間だけではない。
……シュトラウス将軍もだ。
「テオドール・ブランケ殿」
シュトラウス将軍は精悍な顔に悲哀を滲ませ、老人の前に進み出る。その態度は、他の誰に接する時よりも恭しく、丁寧だった。
部下に対して使っていたのとは違う帝国の標準語で、シュトラウス将軍は告げる。
「このような形で、貴方とあいまみえることを……残念に思います」
「エーミールんとこの孫じゃったかー? 大きくなったのー」
「私は幼い頃より貴方の活躍を聞き、憧れて育ちました。帝国で剣を習った者で、貴方を知らぬ者はいないでしょう。少年は皆、木の剣を握り、『我こそはヴァルムベルクの戦狼ぞ』と野を駆けたものです」
シュトラウス将軍の言葉は、その一つ一つに少年の憧憬があった。
遠い日に抱いた熱を思い出し、噛み締めるような、懐かしさと切なさがあった。
シュトラウス将軍は一度目を閉じ、開く。
その鋭い眼光に宿るのは、昔日の感傷を斬り捨てる覚悟だ。
「救国の英雄、ヴァルムベルクの戦狼テオドール・ブランケ。貴方の死をもって、帝国に絶望と、新しい時代の訪れを告げさせていただく」
その時、アルバートが注視していたのは、シュトラウス将軍でも、かつてヴァルムベルクの戦狼と呼ばれていた老人でもない。
老人の少し後ろでジッとしている髪の短い娘だ。老人をお祖父様と呼んでいたから、おそらくは城主の妹フリーダ・ブランケだろう。
彼女は灰色の目で、何かを訴えるようにジッとアルバートを見ていた。
(僕に、何かしろというのか……?)
フリーダは祖父同様、手を後ろで縛られている。ただ、足はまだ縛られていないし、口も塞がれていない。この場で、一番動けるのは間違いなく彼女だ。
アルバートが困惑していると、フリーダは一瞬だけ、アルバート達がいるのと反対側の壁に目を向けた。その壁にある物を見て、アルバートはますます困惑する。
反対側の壁にかけられているのは、絹を敷いた台座に飾られている剣だ。
(あの剣がなんだと言うんだ……? 魔導具には見えないが……)
今更、剣が一振りあったところで、状況が好転するとは思えない。
それでも、何もできないまま敵の言いなりになるよりマシだと、アルバートは魔術の詠唱を始めた。
シュトラウス将軍がすぐに気づき、赤い制服を着た兵が、アルバートのもとに殺到する。
「詠唱をさせるな!」
兵士が二人がかりでアルバートを取り押さえ、口を塞ごうとした。その手にアルバートは思い切り噛みつく。詠唱が途切れたが、構うものか。
口を塞がれていたパトリックも、「むむむー!」と身を捩り、アルバートを押さえる兵に頭突きをした。
少年二人の奮闘など、歴戦の兵にとって些細な抵抗である。だが、確かにその時、シュトラウス将軍達の意識はアルバートに向けられた。
その僅かな隙を突いて、フリーダは壁にかけられた剣に向かい、走る。
彼女はカモシカの如き軽やかさで壁に向かうと、ドレスの裾を翻し、細い足を跳ね上げて、剣を蹴った。
飾られていた剣はクルクルと宙を舞い、そして僅かに鞘からずれた状態で落ちる。
その落下地点ピッタリに、フリーダは縛られた己の手を差し出した。鞘からほんの少し覗く刃が、彼女の手首を縛る縄をスッパリと断ち切る。
一歩間違えば、己の手首を落とすような行いだ。それを顔色一つ変えずにやってのけたフリーダは、自由になった手で剣を構え、シュトラウス将軍に突撃した。
完全に不意を突いた一撃だ。だが、他の兵が反応するよりも速く、シュトラウス将軍は剣を抜き、フリーダの剣を受ける。
刃と刃がぶつかる高い音が響いた。シュトラウス将軍が、フリーダをひたと見据え、呟く。
「流石は戦狼の孫、ためらいのない良い剣筋だ──だが、軽い」
シュトラウス将軍が踏み込み、剣を振るう。それをフリーダは剣で受けた。
響く音は、明らかに先ほどより重い。フリーダの体がジリジリと後退していく。誰の目にも、フリーダの劣勢は明らかだった。
シュトラウス将軍が裂帛の気合いと共に、斜め上から剣を振り下ろす。フリーダはそれを受け流しきれず、剣はフリーダの手を離れて、床を滑るように転がった。
「降伏せよ、戦狼の孫娘よ」
「…………」
膝をついたフリーダの手が、床に落ちた布を握る。剣の台座に敷いていた白い絹だ。
フリーダは膝をついたまま、布をバサバサと振り、勇ましく叫んだ。
「『前方に赤い服をまとった敵軍を発見! 数は五千! 右翼に〈雷鳴の魔術師〉及び、〈岩窟の魔術師〉率いる、魔術師部隊を確認!』」
窮地に陥り、気が動転しているのかと、誰もが思った。
周りの者が奇異の視線を向ける中、フリーダは戦旗の如く布を振り、叫び続ける。
「『第六、第七部隊敗走! 突破されます!』」
兵士に取り押さえられ、口を塞がれながら、アルバートは思い出した。
フリーダが叫ぶ戦況を、アルバートは知らないけれど、知っている。
(本で読んだことがある。ヴァルムベルクの恐ろしさを知らしめた戦い……)
五十年前の戦争の中でもとりわけ有名な、カルナード平原の戦いだ。
その言葉を思い出した瞬間、アルバートの上に血の雨が降った。
アルバートを取り押さえていた兵達が、悲鳴をあげて床に倒れる。ボトリと血溜まりに落ちたのは、兵士の腕だ。
フリーダが床に転がした剣を静かに拾い、手首を拘束する縄を切り、そしてアルバートを押さえる兵を斬り捨てたその人物は、枯れ木のような腕で軽々と剣を持ち上げていた。
先ほどまで呆けて、ぼんやりと虚空を見つめていた灰色の目が、今は眼光鋭くシュトラウス将軍を見据えている。痩せた体が、一回りも二回りも大きく見えた。
「我こそは、ヴァルムベルク城主、テオドール・ブランケ」
帝国の英雄たる老人は、切先をシュトラウス将軍に向け、低く重い声で告げる。
「ヴァルムベルクの地を穢す、不届者よ。名乗りたくば、今のうちに名乗るが良い」
背筋が凍るような声とは、このことを言うのか。
苛烈な怒りを内包した声が、高らかに死を叫ぶ。
「名乗った者は、その首を故国に送りつけてくれようぞ! 名乗らぬ者は、この地で竜の餌になると知れ!」
その時、アルバートは確かに見た──シュトラウス将軍の目が微かに潤むのを。
それは蘇った英雄に焦がれる、少年の眼差しだ。
幼い憧憬が垣間見えたのは一瞬。シュトラウス将軍は抜いた剣を構え、部下に命じる。
「全員、剣を抜け。ここで、ヴァルムベルクの戦狼を討ち取るのだ!」
シュトラウス将軍の部下が剣を構えたその時、広間の扉が蹴破られた。
鬨の声をあげて雪崩れ込んできたのは、武装した老人達──あれは、ヴァルムベルク城の兵だ。
そしてその先頭に立つのは、剣を握った戦狼の孫。ヴァルムベルク辺境伯ヘンリック・ブランケ。
彼は捕らわれていたヴァルムベルク城の人間を解放し、武器を手に駆けつけたのだ。
ヘンリックは祖父によく似た目で、敵を見据えて吠えた。
「ここまでです、シュトラウス将軍…………ヴァルムベルクを舐めるな!」




