【3】帰ってきた妹、ハンカチについてきたオッサン
帝国、リディル王国の二カ国間で会合が行われる日の三日前、ヴァルムベルク辺境伯ヘンリック・ブランケは執務室で一通の手紙を読んでいた。
「フリーダが、リディル王国城の魔導具暴走事件に巻き込まれて、意識不明……」
手紙を握る手に力がこもり、上質な白い紙にクシャリと皺が寄る。
ヘンリックは手紙から顔を上げ、引きつった顔で呻いた。
「……という手紙を、なんで僕は、フリーダ本人から受け取ってるんだろう?」
「その方が速いからです、兄上」
少し前まで意識不明の重体となっていたヘンリックの妹フリーダ・ブランケは、さも当然とばかりに言い放つ。
春の終わり頃、リディル王国が大変だったという話はヘンリックも聞いていた。
城で魔導具の暴走事件が起こって城の一部が吹き飛んだり、王都で竜害が起こった後、更に全国規模の大規模竜害が起こって、挙げ句の果てにはサザンドールに黒竜が現れたり。
報告を受けるたびにヘンリックは気を揉み、フリーダに帰国を促す手紙も送っていたのだ。
そして、事件に巻き込まれて意識不明となっていたフリーダは、意識を取り戻してから一週間かそこらで、自分の馬に乗り、兄に報告に行くことを決めたのだという。
「オルブライト家の方々は引き留めてくださったのですが、ヴァルムベルクに行くのなら、私一人の方が速いですし」
「そりゃ、そうだけど……」
「なにより、ヴァルムベルクで会合があると伺ったので、手伝いが必要だろうと馳せ参じた次第です」
それが一番合理的だろう、とあっさり言い切る清々しさは、なんともヴァルムベルクの人間らしかった。
確かにフリーダは乗馬が上手いし、ヴァルムベルク周辺の地理に詳しいから、近道もできる。王都から最短最速の一週間で到着することもできるだろう。
リディル王国の第三王子アルバートが王都を発った四日後に、フリーダは王都を出発したのだという。それを余裕で追い抜かしてきたのだから、最早、頼もしいとしか言いようがない。
ヘンリックは椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。
「昔あったな、こういうの。父上が戦場で負傷、崖から転落して行方不明。状況から生存は絶望的……って手紙を、父上本人が元気に持って帰ってきたやつ」
戦場が混乱状態の時、家族への報告が後回しになることは、ままあるのだ。
なお、その父は今も健在で、ヘンリックに辺境伯の地位を押し付け、帝国南部の戦場を駆け回っている。
帝国では、内戦や異民族との小競り合いが後を絶たない。特に最近は、鉱山を複数抱える帝国南東部のグロッケンを巡って、争いが激化しているのだ。
リディル王国との戦争以降、ヴァルムベルクの地が戦場になったことはないが、なにかと遠征に呼ばれることが多い。
「それで兄上、会合の準備は間に合っているのですか」
久しぶりの兄妹の再会だが、フリーダは感慨に浸るでも思い出話をするでもなく、サクサクと本題に入る。
ヘンリックはため息を押し殺して、窓の外に目を向けた。城の周囲にある芋畑には、青紫の花がまばらに咲いている。
「正直、ギリギリ。春になって竜害が頻発して、畑がいくつかやられたし、芋の花が咲くのも例年より遅れてるし、南の遠征も長引いてるし……」
植え付けや収穫の時期は、他のことに人手を割けないし、農作物の出来が悪ければ民は飢え、万事が滞る。
今年も厳しい年になるだろう。とヘンリックは悲観していた。
(いや、そもそも僕が領主になってから、厳しくなかった年なんて、ない気がするけど……)
この辺境の地を、皇帝は蔑ろにしているわけではない。
毎年、軍事費等の支援をしてもらっているし、今回の会合のためにも、準備金をもらっている。
それでもうまく切り盛りできないのは、国が悪いのではなく、自分の采配が下手だからと、ヘンリックは自覚していた。
「僕は領主に向いてないんだよなぁ……」
他家に奉公に出ている弟達がもう少し大きくなったら、爵位を譲渡して、自分も父のように戦場に出よう、とヘンリックは決めていた。
十二で戦に出た時から、戦場が自分の墓場になるだろうと彼は考えている。
だから、妻子を持つつもりもない。散々苦労をかけて、泣かせるだけだと分かっているからだ。
「兄上、そんなことより、ビレンダール卿達も、リディル王国の使節団も、一両日中には到着するのでしょう? お客様方の寝具は足りていますか? 食事の準備は? 酒は、リディル王国の方に喜ばれるワインを、赤白と用意できていますか?」
兄の悩みを「そんなこと」の一言でバッサリと切り捨てる妹の姿に、ヘンリックは苦笑混じりに「頼もしいなぁ……」と呟く。
その頼もしい妹も、もうすぐ隣国に嫁ぐのだ。妹に頼ってばかりもいられない。もっと、しっかり領主をしなくては。
(そのためにも、今回の会合……無事に終わるように頑張らないと)
ヘンリックが決意を固めていると、祖父がプルプル震えながら、扉の隙間から顔を覗かせた。
祖父はフリーダの顔を見て、「おぉう、おぉう」と喜びの声をあげる。
「フリーダや……よくぞ戻った……我が孫娘よ、心して聞くのじゃ……ワシはもう、長くない……」
「その言葉は、十年前にも聞きました、お祖父様」
「そこで、お前に最後の頼みがあるんじゃ……」
「肩叩きですか? 掃除が終わってからにしてください」
掃除を始めるべく袖捲りをするフリーダに、祖父は扉にすがりついたまま、か細い声で言う。
「ワシが剣聖になってからは、ワシの強さにあやかって、同じ名前にするのが流行ってのぅ。ほれ、近所の倅どもにもおるじゃろうて」
「えぇ、そうですね。親戚に同じ名前の人間が五人もいて困る、と聞きました」
「フリーダよ、ワシの最後の望みじゃ……お前に息子が生まれたら、その時はその子にワシの名を継がせ……」
「ややこしいので嫌です」
祖父の言葉をスパッと斬り捨て、フリーダは掃除を始める。
ヘンリックはそのたくましい背中を眺め、妹は嫁ぎ先で上手くやっていけるのだろうかと心底不安になった。
* * *
ヴァルムベルク城を目指す帝国側の一団は、ヴァルムベルク領内に入ったところで日が暮れたので宿に入り、馬を休めた。明日の昼過ぎには、ヴァルムベルク城に到着するだろう。
今回、帝国側の護衛役を買って出たシュトラウス将軍の部下達は、各々馬を繋ぎ、交代で宿周辺の見張りに立つ。
日付が変わって少しした頃、宿の周辺警備をしていた男に、交代に来た同僚の男が声をかけた。今まで警備をしていた男は、ランタン片手に顔をしかめる。
「遅いぞ。交代の時間はとっくに過ぎてる」
「いや、すまない。ちょっと、荷物番の方でトラブルが……」
遅れてやってきた男は、疲労の滲むため息を零してぼやく。
「ハンカチについてきたオッサンが、怒りだしてさぁ」
ハンカチについてきたオッサン。
今まで警備をしていた男は、同僚の言葉を噛んで含めるように味わい、訳の分からなさに呻いた。
「ハンカチについてきた……なんだって?」
「ほら、リディル王国への土産の品の中に、高級レースのハンカチがあったろ。それを作った職人のオッサンが、無理やりついてきたんだよ。管理のためにってさ」
「……で、そのオッサンが怒ったって? なんで?」
「それが……土産の入った箱を宿の一室に移したら、『俺の娘を、こんな埃っぽい場所に寝かせるのか!』って」
「なんだそれ……?」
「俺だって分からんよ。あのオッサン、編み棒握りしめてさぁ、『貴様の全身の毛を、二度と解けぬよう編み殺してやろうか!』って迫ってくるんだぜ。編み殺すってなんだよ、編み殺すって……」
そうして、くだんの職人が納得するまで部屋の掃除をしていたら、交代の時間に遅れたのだという。
遅れてきた男はひとしきり愚痴を零すと、キョロキョロと周囲を見回し、声をひそめた。
「……それよりも厄介なのは、そのオッサンが黒獅子皇直属の人間ってことだ。もしかしたら、黒獅子皇は、今回の件に気づいているのかもしれん」
「ということは、その職人……」
あぁ、と頷き、遅れてきた男は低い声で言う。
「口封じすることになるだろうな」
ヘンリックが書いた『なんかリディル王国大変っぽいけど、大丈夫!? 帰ってきたら??』という手紙がオルブライト邸に届いた頃、既にフリーダは倒れ、レイはサザンドールに行っていました。
フリーダは目を覚まして、兄の手紙を読み、すぐに帰省を決めました。
レイはわぁわぁ言いながら、自分も同行しようと頑張りましたが、七賢人なのですぐには許可が下りませんでした。
外伝13の最終話で、レイがサザンドールにいなかったのは、そのためです。




