【シークレット・エピソード】沈黙の魔女の隠しごと
〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットが、リディル王国国王アンブローズ・クレイドル・リディルに、面会を申し出たのは、新七賢人就任式典の翌日のことだった。
七賢人は、国王陛下の相談役などと言われているが、実際に国王の相談役を勤めているのは、〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイぐらいである。
だからモニカは、自分が面会を申し出ても、許可をもらうのに一ヶ月か、下手をしたら数ヶ月は待つことになるのではないかと思っていたのだが、面会の許可は案外あっさり下りた──ただし、時刻は夜遅くになってしまったが。
夜更け近く、モニカが指定された応接室で待っていると、程なく扉がノックされ、国王陛下その人が姿を現した。入室したのは国王のみで、護衛騎士達は部屋の外で待機している。
アンブローズの年齢は五十歳前後だっただろうか。決して覇気や威圧感のある風貌ではないが、穏やかで理知的な雰囲気だ。民から慕われているのも頷ける。
アンブローズ・クレイドル・リディルは、敗戦の後始末に奔走した王だ。
高圧的に王家の権威を振りかざしたりはせず、周辺諸国と国内貴族の顔を立てる政治姿勢は、時に「周囲におもねるだけの王」「日和見主義」と揶揄されることもある。
隣国の黒獅子皇や、国内の有力者であるクロックフォード公爵などの辣腕ぶりが目立つから尚のこと、アンブローズは主張の弱い王に見られがちだ。
だが時に、仮病を使って周囲を欺いてでも、国内のバランス調整に尽力する強かさがあることを、モニカは知っていた。
アンブローズ・クレイドル・リディルは穏やかな改革者だ。
急速に事を進めることはしないが、緩やかに、そして時に密やかに、旧体制を変えていく。
「お時間を作っていただき、ありがとうございます、陛下」
緊張を隠せぬモニカに、アンブローズは続きを促すように、穏やかに頷く。
そういう振る舞いは、フェリクスとして振る舞うアイザックに少し似ていた。相手が話しやすい空気を作るのが上手いのだ。
「アイク……アイザック・ウォーカーの処遇について、相談したいことが、あります」
「今回の件で、顔を取り戻したそうだね」
モニカは驚きに目を見開いた。
アイザックの事情を知る者は少ない。シリルやグレンが話したとも思えないし、きっとアイザックが自らアンブローズに報告したのだ。
モニカが黙り込んでいると、アンブローズはどこか独り言じみた口調で呟く。
「彼は律儀だね。その気になれば、逃げ出して、自由に生きることもできただろうに」
「アイクは、真面目ですから」
「貴女の下で、弟子の真似事をしているそうだね」
真似事と口にした時、アンブローズはどこか試すような目でモニカを見た。
モニカは背筋を伸ばし、こちらを見る水色の目を真っ直ぐに見つめ返す。
「真似事で、終わらせたく、ないんです」
真似事で終わらせてなるものか。
魔術を学びたいというアイザックの熱意に、モニカは、きちんと師として応えたい。
「彼が、アイザック・ウォーカーとして生きるために、どうか力を貸してください、陛下」
アンブローズは無言で口髭をしごいている。ただ、彼の中で既に結論は出ている──そんな気がした。
「最高審議会で、彼を助けると決めたのは貴女だ。ならば、貴女には彼を監督する義務がある」
監督する義務、などと固い言葉を使いながら、その顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。
「七賢人が引き受けてくれるなら、これほど心強いことはない」
「ありがとうございます、陛下。……何か問題が起きたら、わたしが責任をとります、ので」
「彼は、それを望まないと思うが?」
モニカもそう思う。
きっとアイザックは、モニカが責任を取ることを望まないだろう。
それでもこれは、無茶を通す上でのモニカなりのケジメなのだ。
「駄目です。そういうのは、ちゃんとしないと。だって、わたしは……」
一度言葉を切り、モニカははにかみながら、誇らしげに告げる。
「アイクの、師匠ですから」
* * *
国王との面会を終え、応接室を後にしたモニカは、客室に戻るべく階段を下りたところで、前方から声をかけられた。
「レディ・エヴァレット?」
こちらを見ているのは、第二王子の顔をしたアイザックだ。立派な装飾の白い上着が、夜目にも鮮やかで目を惹く。
モニカは咄嗟に周囲を見回した。他に人の姿はない。
「一緒に、夜の散歩はいかがですか、レディ?」
「え、えっと……」
「冗談だよ。部屋まで送ろう」
そう言って、アイザックはモニカに並んで歩きだす。
城では王族として振る舞っている彼だが、護衛をつけていないということは、きっとこっそり夜空でも見ていたのだろう。
「息抜き、してたんですか?」
「いや、今は仕事を幾つか片付けていたんだ。いつも夜遊びしているわけではないからね?」
「ご、ごめんなさい……」
夜にアイザックが一人でいると、なんとなく夜空を連想してしまう。
チラリと見上げた彼は、夜空ではなく、モニカを見つめていた。
「そういう君こそ、こんな時間まで仕事を?」
「そんな感じ、です」
先ほど、国王に相談した件は、実際に書類が用意できるまで待った方が良いだろう。
どうせなら、以前ラナに注文したローブの完成と合わせて、アイザックを労う催しがしたい。
式典で、誰からも褒められないのに、満足そうに笑っているアイザックを見て、モニカは思ったのだ。誰も褒めないのなら、師匠である自分が褒めなくてどうするのか、と。
モニカが密かにそう考えていると、アイザックは美しい王子様の顔で、悪戯っぽく笑った。
彼は身を屈め、モニカの耳元で囁く。
「何か、隠しごとをしている顔だね、マイマスター?」
追及するというより、揶揄うような響きだった。きっとアイザックも、不穏な隠しごとだとは思っていないからだろう。
ただ、金色の長い睫毛に縁取られた碧い目は、どこか熱っぽく潤んでいた。それは数字では測れない、強い感情がもたらすものだ。
自分に向けられる感情の全てを、モニカはまだ理解できない。
いつか理解できるかもしれない。ずっと分からないままかもしれない。
ただ、そこにあるものを、なかったことにするのはやめよう。理解できるものも、できないものも、全て抱えて前に進もう、とモニカは決めたのだ。
(わたしは、あなたを知りたい。だから、あなたの師匠でいたいんです)
「君の秘密を、僕に教えてくれないかい?」
モニカはアイザックを見上げ、持ち上げた指先を唇に添える。
「内緒、です」
静まり返った夜の窓辺。
月明かりを背に、〈沈黙の魔女〉は密やかに微笑んだ。