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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝13:沈黙の魔女の隠しごと
351/425

【終】いつかまた、君に会う日まで

 シリルとグレンがアイザックを案内したのは、魔術師組合から比較的近くにある小洒落たレストランだった。どうやら、慰労会のために店を貸切にしているらしい。

 ただ、昼間だというのにカーテンを閉め切っていて、中の様子は見えない。七賢人がいると、分からないようにするための配慮だろうか。

 モニカが呼んでいるというので駆けつけたが、モニカの用が済んだら、なるべく早めに引き上げよう、とアイザックは考えている。

 自分は魔術師組合にとって部外者だ。あまり、でしゃばりすぎない方がいい。

 ふとアイザックは思いつき、レストランの扉の前で足を止めて、シリルとグレンを見た。


「裏口から入れないかな?」


「なんで、裏口なんすか?」


「僕は、目立たない方がいいからね。裏口から入って、モニカの用件を済ませて……」


 全てを言い終えるより早く、シリルが無言でレストランの扉を開き、グレンがアイザックの背中を押した。


「会長、到着っす!」


「ありがとうございます」


 レストランの中から返ってきたのは、モニカの静かな声だ。

 グレンに背中を押され、よろめきながらレストランに足を踏み入れたアイザックは、顔を上げる。

 カーテンを閉め切られた薄暗い室内は、燭台の灯りで仄かに照らされており、深紅の絨毯とあいまって、なにやら儀式場のような雰囲気だった。

 店の中央には白いクロスをかけたテーブルが一つあり、それ以外のテーブルは左右に寄せられている。

 中央のテーブルの前に佇むモニカは七賢人のローブを着込み、フードをきちんと被っていた。右手には身の丈ほどの杖を握りしめている。

 モニカのそばには、四代目〈茨の魔女〉メリッサ・ローズバーグ、五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグ、〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジの三名が控えている。

 三人もモニカ同様ローブのフードを被り、杖を手にしていた。これは、魔術師としての正装だ。

 レストランには、それ以外に人の姿はない──否、一人、入り口のそばに控えていた人物がいる。

 モニカの親友、フラックス商会の商会長ラナ・コレットだ。

 この顔ぶれは、一体どういうことだろう。ただの慰労会ではなかったのか?

 困惑するアイザックに、メリッサが一歩前に進み出て言う。


「これより、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットと、アイザック・ウォーカーの師弟の契りの儀を行う」


 師弟の契りの儀。師となる魔術師が、己の弟子を認め、受け入れる際に行う古い儀式だ。

 本で読んだことはあるが、実際に行っているところは、見たことがない。現代では、魔術名家が儀礼的にやるぐらいだと聞く。

 メリッサが、彼女にしては珍しく厳かな口調で言い放った。


「アイザック・ウォーカー。受ける意志があるなら、そのローブを着て前へ」


 立ち尽くすアイザックの前にラナが進み出て、手にした布の塊を差し出す。

 重厚感のある黒い生地のそれは、おそらく魔術師のローブだ。


「こちらは、〈沈黙の魔女〉様からのご依頼で、我が商会が手がけたローブにございます」


 ラナがローブをフワリと広げる。それは、ケープ付きの黒いローブだった。

 全体的に装飾は控えめで、シックな雰囲気だが、裾が翻った時に見える裏地は鮮やかな青緑だ。そこに、魔術式を織り込んだ複雑な模様が刺繍されている。


(これを、モニカが、依頼した……?)


 アイザックがモニカを見ると、モニカはモジモジと指をこね、はにかみながら口を開いた。


「えっと、ローブの依頼自体は、結構前からしてたんです。でも、ただ渡すんじゃなくて……ちゃんと、アイクを一人の魔術師として認める形にしたいなって、思って……」


 控えめなモニカの言葉を横取りするように、メリッサが腕組みをして言う。


「あんた、押しかけ弟子なんでしょ? じゃあ、正式な弟子ってわけじゃないしさぁ、こういうのはキッチリやっといた方がいいじゃない」


 すっかり忘れていたが、メリッサは魔術師の名門ローズバーグ家の人間なのだ。

 モニカ以上に、正式な弟子入りの手続きにこだわるのも頷ける。

 モニカの背後に控えていたサイラスが、少し照れくさそうに髪をかいた。


「この手の儀式ってぇのは、上級以上の魔術師が立ち会うと、格が上がるんだと。だから、まぁ、なんだ……俺らは立会人ってこった」


「立会人は、そのまま魔術師としての身元保証人にもなるんだ。姉ちゃんとオレとサイラスが、アイザックを保証するって感じだな」


 ラウルの言葉に、メリッサがフンと鼻を鳴らす。


「そうよ、アタシが保証人になるんだから、何かやらかしたらマジで埋めるわよ、クソ犬」


 パタンと背後で扉の閉まる音がした。グレンとシリルが扉の前で、笑いを堪えるみたいな顔をしている。

 つまり、この二人は知っていて、アイザックに黙っていたわけだ。

 アイザックが誰に何を言うか迷っていると、モニカが一歩前に進み出て、アイザックを見上げた。


「師弟の契りの儀……受けてくれますか、アイク?」


 あぁ、どうしよう。胸から溢れ出しそうな喜びも、愛しさも、全部全部、言葉にして垂れ流してしまいたい。

 喉元までせりあげてくる感動を飲み込み、アイザックは胸元を押さえて頭を下げた。


「よろしくお願いします。マイマスター」


 ラナがアイザックの背後に立ち、ローブを広げた。

 こうして広げると、裏地にも高級感のある生地を使っていることが分かる。施された刺繍も、繊細で美しい。

 アイザックがその刺繍に見惚れていると、モニカが口をムズムズさせながら言った。


「刺繍してもらった防護の魔術式、わたしが作ったんです」


「……君が?」


「はい! まだ、どこにも公開していない、オリジナル術式です!」


 憧れの〈沈黙の魔女〉が作った、どこにも公開していない魔術式!

 そんなすごい物が、とアイザックは目を皿のように開いて、ローブの刺繍を凝視する。これは目に焼き付けないと勿体ない。


「あとですね、アイクは動きやすい方がいいかなって思ったので、裾に、ピッと切れ目を……」


 ラナが小声で「スリット!」と指摘したので、モニカは慌てて言い直す。


「そう、スリットを、入れてもらったんです」


 プスプスと鼻を膨らませているお師匠様は得意気だ。友人の仕事ぶりが誇らしいのだろう。

 きっと、生地やデザイン、織り込む術式など、ラナに沢山相談して作ってもらったのだ。

 アイザックはラナが広げたローブに袖を通す。採寸をしていないのに、サイズは驚くほどピッタリだった。


(そうだ、黄金比……)


 モニカは見ただけで、体のサイズが分かるのだ。

 出会ったばかりの頃の、「黄金比なんです!」という発言を思い出し、アイザックはクツクツ笑う。

 かつては、人のことを数字で覚えていたような少女が、今はその数字で素敵なローブを仕立ててくれた。モニカが、アイザックのために……その事実が、嬉しい。

 ローブはケープ付きで重厚な雰囲気だが、アイザックが歩くと、裾に入ったスリットが美しく広がり、鮮やかな色の裏地と刺繍がチラリと見える。

 アイザックがローブの着心地を確かめていると、メリッサがテキパキと話を切り出した。


「三十分後に本当の慰労会始めるから、組合の職員が来る前に、さっさと儀式を始めるわよ。師は弟子にフードを被せたら、ゴブレットの水に魔力を込め、一口飲む。弟子はそれを受け取って飲み干す。以上」


 メリッサは水の入ったデキャンタを持ち上げ、金色のゴブレットに静かに注ぐ。

 そうしてゴブレットの半分ぐらいまで注いだところで手を止め、何かを思い出したように、ニヤニヤ笑った。


「本当は、この儀式、葡萄酒でやるんだけどさぁ」


「あっ、あっ、お姉さん、その話は……」


 ニヤニヤ笑うメリッサと、焦るモニカ──それだけで、昨日モニカに会わせてもらえなかった理由がアイザックには想像できた。


(なるほど、酔い潰れたのか……)


 アイザックはチラリと横目で、シリルとグレンを見る。二人とも動揺した様子はないから、きっとその場に居合わせていないのだろう。

 居合わせていたら、ちょっと冷静ではいられなかったので、良かった。本当に良かった。

 一方、サイラスはなんだか気まずそうに視線を彷徨わせている──こっちは見たのだ。後で問い詰めよう。

 密かに決意を固めていると、モニカがモゴモゴと口ごもりながら言う。


「あ、あのですね、魔力付与量が多すぎると体に良くないから、ちゃんとアイクが飲んでも大丈夫か、確かめたくて……」


「僕の体を気遣ってくれて、ありがとう、マイマスター」


「は、はい! お師匠様ですから!」


 モニカはフスッと鼻から息を吐き、両の拳を握りしめる。


「さぁ、儀式を、始めましょう!」


 モニカが中央のテーブルの前に立ち、メリッサ、サイラス、ラウルの三人はそのテーブルを囲う形で、モニカの背後に控える。シリル、グレン、ラナの三人は扉の前に並んだ。

 アイザックはローブの裾が捲れていないか確認し、フードは被らず、モニカの前に立つ。

 燭台の灯りに照らされて、モニカの手元の杖がキラキラと輝いて見えた。その輝きは、アイザックが憧れ続けてきた世界の象徴だ。


 魔術師の世界──その頂点に立つ人が、アイザックに手を差し伸べ、告げる。


「アイザック・ウォーカー。前へ」


 モニカの声は静かで、凛としていた。

 その声に導かれるように、アイザックは前へ進み出て、膝をつく。

 モニカはアイザックの前に立つと、小さな指でアイザックのローブのフードをつまみ、そっと被せた。

 ローブのフードは魔術師の正装。師が自らの手でフードを被せることは、弟子を魔術師の世界に受け入れることを意味する。

 フードを被せてもらう瞬間、モニカと目が合った。燭台の光を反射して煌めくペリドットの目は、優しい。

 きっと、この先アイザックが暗闇の中で迷子になっても、この人は自分を見つけてくれるのだ。

 モニカはアイザックに立つよう促すと、左手に杖を持ち、右手で黄金のゴブレットを掲げる。

 モニカの右手から白い光がこぼれ落ち、ゴブレットの水が輝いた。水にモニカの魔力が付与されたのだ。

 モニカはゴブレットを傾け、その中身をコクリと一口飲み、アイザックに差し出す。


「〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、いついかなる時も、学恩に報いることを求めず、この命尽きるまで、貴方を導く灯火であることを誓います」


 アイザックは震えそうになる指を一度ギュッと握り締め、ゴブレットを受け取った。

 モニカがその言葉をくれるなら、返す言葉は決まっている。


「アイザック・ウォーカーは、いついかなる時も、師の学恩に報い、この命尽きるまで、貴女を支えることを誓います」


 そう宣言し、アイザックはゴブレットを飲み干す。水に付与された魔力は、酒よりも強い酩酊感と多幸感をアイザックに与えた。

 その感覚に酔いしれているアイザックの前で、モニカはなにやらオロオロしている。

 その顔は格好良いお師匠様の顔ではない、困ったように眉を下げた、いつものモニカだ。


「あの、アイク、学恩には、報いなくて、いいんです、よ?」


「弟子は、師の優しさに報いたいものだよ、マイマスター?」


「報いなくていいのにぃ……」


 モニカが情けない声をあげると、背後から「書類!」とメリッサの叱咤の声がした。

 言われてみれば、デキャンタの横に数枚の書類が置いてある。契約書の類だろうか?

 アイザックが疑問に思っていると、モニカがコホンと下手くそな咳払いをし、書類を手に取る。


「それでは、我が弟子にこれを」


 受け取った紙に記されているのは、「初級魔術師試験、申込完了通知」という文字。

 アイザックは目を見張った。

 アイザック・ウォーカーは、既に死んだことになっている人間だ。

 だが、手元の紙には確かに、初級魔術師試験の申し込みが、完了した旨が記されている。


「どうして……」


 呟き、モニカを見る。

 モニカは口元に人差し指を添えて、小さく微笑んでいた。内緒です、と言わんばかりに。

 こんなことができる人間には、まぁいくつか心当たりはあるが……全てを知っていて、かつ、モニカが依頼した人物となると、きっとあの人だ。


(……甘い人だ)


 込み上げてくる苦笑を噛み殺し、アイザックはモニカを見つめる。


「君の期待に応えてみせる。初級魔術師試験……絶対に合格するよ」


「はい、アイクなら、きっとできます! わたしも精一杯サポートを……あ、わたし、教えちゃいけないんだった……ど、どどど、どうしよう……」


 魔術師試験の筆記問題に関わっているモニカが、フードの上から頭を抱える。

 すると、扉側にお行儀良く立っていたグレンが、勢いよく挙手した。


「なら、会長! オレと勉強してほしいっす! 中級の問題が、やばすぎてやばいんすよ。教えてほしいっす!」


「待て、ダドリー。何故、既に初級を合格している側が、教わる前提なのだ」


 シリルが険しい顔で指摘をし、横で聞いていたラナがクスクスと笑う。

 アイザックが、後輩達のやりとりに和んでいると、モニカの背後に控えていたサイラスが、年上風を吹かせて言った。


「まぁ、なんだ。俺ぁ、沈黙の姐さんの後輩で、アイクの兄貴分だからな。分かんねぇことがあったら、兄貴分に訊きに来いよ」


「そう? それなら、水中索敵術式に対竜索敵を組み込んだ時、第二十八節〜第三十節間で起こる術式接続の不具合について、質問をレポートにまとめたから、早めに解答よろしく」


「くそっ、なんて可愛げのねぇ弟分だよ……」


 厳かな儀式の空気がすっかり弛んだところで、メリッサが肩の凝りをほぐすように伸びをした。


「さぁ、儀式も終わったことだし、慰労会よ、慰労会。あんたら、アタシをしっかり慰労しなさいよね」


「そんじゃ、カーテンも開けちまおうか!」


 そう言ってラウルが、カーテンを勢いよく開ける。窓から昼の日差しが差し込み、薄暗かった室内に光の帯を作った。

 眩しさに目を細めるアイザックのローブの裾を、モニカがクイクイと引く。

 モニカと、それとシリルが、なんだか素敵なことを提案する子どものように、目をキラキラさせていた。


「あのですね。今日の慰労会は、アイクをいっぱい褒めようって決めてたので、覚悟して、くださいね」


「モニカから、貴方を慰労したいという話を聞きました。貴方の素晴らしいところをまとめたレポートを作ってきたので、読み上げた後で提出します」


 きっと二人は一生懸命に、そして時々斜め上に、アイザックのことを褒めてくれるのだろう。

 そんな二人に、笑いを堪える自分の姿が容易に想像できる。ならば今は我慢せず、心の底から笑っておこうではないか。


「ありがとう、楽しみにしておくよ」


 アイザックは窓の外に目を向けた。ガラス窓の向こう側に見えるのは、夏の近づきを思わせる、濃い水色の空だ。

 彼はもう、見上げた空に英雄の星を探さない。

 大切なものは、全部ここにある。だから、これからも歩いていける。


(いつかまた、君に会う日まで)


 目蓋の奥で、優しい王子様が「がんばれ」と笑った気がした。


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