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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝13:沈黙の魔女の隠しごと
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【20】しっぽがなくてかわいそうな、こわいいきもの

 ルイス・ミラーの被験体生活は、研究所側からは二ヶ月の滞在を望まれたのだが、ルイスがゴネにゴネ、最終的には脅迫まがいのやり方で責任者に詰め寄り、十日で終了させた。執念の勝利である。

 この十日の間に、色々なことが決まった。

 面会に来た〈星詠みの魔女〉の話によると、〈暴食のゾーイ〉盗難の犯人が黒竜であることは、一般人には伏せられることになったらしい。

〈暴食のゾーイ〉盗難事件の犯人は、魔法生物学者セオドア・マクスウェル。そして、セオドア・マクスウェルを喰らい成り変わった黒竜は、突如出没した「サザンドールの黒竜」ということで処理されるのだ。

 兄を大罪人とされたカーラの心情を思うと、ルイスとしてはやりきれない気持ちであったが、「竜が人に成り変わる」という情報を伏せ、諸々の情報を統制するためには、やむを得なかった。

 それにあたって、〈暴食のゾーイ〉の事件解決に対する褒賞が決まった。

 殊に高く評価されているのは、サザンドールの黒竜を討伐した〈沈黙の魔女〉と、被害を最小限に抑えた〈竜滅の魔術師〉、三代目〈深淵の呪術師〉、五代目〈茨の魔女〉の七賢人四人。

 他、四代目〈茨の魔女〉メリッサ・ローズバーグをはじめとする、サザンドール魔術師組合の者達にも、特別褒賞が与えられるという。

 無論、ルイスやブラッドフォードのように、地方の援護に行った者にも、別途褒賞が用意されている。


 ──特筆すべきは二名。


〈暴食のゾーイ〉の能力に関する進言をし、大規模竜害の発生地点を予測。被害を最小限に抑えた、ハイオーン侯爵令息シリル・アシュリー。

 そして、初級魔術師でありながら、黒竜セオドア討伐に貢献したルイスの弟子。グレン・ダドリー。

 この二人は事件解決に多大なる貢献をしたことが評価され、シリルは子爵位、そしてグレンは魔法騎士という新しい称号を与えられることになった。

 魔法騎士は、庶民出身で七賢人の弟子であるグレンの身分を考慮した上で作られたものだ。七賢人の魔法伯が伯爵位相当であるように、魔法騎士は騎士と同等の身分となる。グレンの出自を考えれば、破格の対応だ。

 これらの叙任や褒賞の授与は、〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジの七賢人任命式典と合わせて行う予定らしい。

 とりあえず、ルイスとしては、一人一人の胸ぐらを掴んで、「へーそれはそれは良かったですね私が髪を燃やされている間に色々決まって」と言ってやりたいところである。



 * * *



 久しぶりに自宅の玄関前に立ったルイスは、扉を開けることを躊躇していた。

 早く家に帰りたい。だけど、このみっともない髪を見られたくない。あぁ、折角愛娘も三つ編みを気に入ってくれていたのに!!

 爽やかな初夏の昼下がり、ルイスが玄関前で髪の短くなった頭を抱えていると、背後から声がした。


「失礼、お客様でしょうか」


 ルイスは首だけを捻って振り向く。姿勢良く佇んでいるのは、金髪を束ねた美貌のメイド──ルイスの契約精霊リィンズベルフィードである。どうやらカーラの護衛を終えて、レーンフィールドから戻ってきたらしい。

 リンは、己の主人の姿をまじまじと眺めて言った。


「お客様ですね。わたくしも今帰宅したところですので、主人が帰宅しているか確認して参ります。少々お待ちを」


 ルイスはこめかみに青筋を浮かべた。このスットコドッコイアホメイドは、目の前にいるのが自分の主人だと認識していないのだ。

 契約精霊とその契約者は、ほんの少し意識を集中すれば、互いの繋がりが分かる。

 つまりリンは、ほんの少しも、目の前の人間がルイスであると考えず、スルーしたのだ。

 ルイスが罵倒するより早く、リンは玄関の扉を開けて、スタスタと中に入っていく。

 ルイスは勢いよく扉を開けて、怒鳴った。


「こんっの、クソメイドぉっ!」


 怒鳴るために開いた口が、そのまま硬直する。

 玄関前では、リンがルイスの妻ロザリーに帰宅の挨拶をしているではないか。

 リンとロザリーが振り向き、ルイスを見る。リンが表情一つ変えず、言い放つ。


「その悪態はもしや、ルイス殿」


 もしやもクソもあるか、という罵声を飲み込み、ルイスは最愛の妻に目を向けた。

 両手に洗濯物を抱えていたロザリーは、目を見開いてルイスを凝視している。その手から、バサバサと洗濯物が落ちた。目に見えてショックを受けている。

 ルイスは頬をひきつらせ、ぎこちない笑みを浮かべた。


「あの、ロザリー…………ただいま、戻りました」


「……おかえりなさい」


 応じる声は、虫の鳴き声のように小さかった。

 ロザリーは取り落とした洗濯物を手早く回収すると、ルイスに背を向ける。


「……お茶を用意するわ。リビングで休んでいて」


 早口でそれだけ言って、ロザリーはスタスタと屋敷の奥に向かってしまった。

 帰還早々魔法戦をふっかけられても、人体実験で髪が燃えても元気に暴れていた男は、絶望に膝をつく。

 嫌われた。これは離縁の前触れだ。あぁ、そもそもどうして自分は花とか菓子とか、気の利いた土産の一つも買ってこなかったのか──そんな物でご機嫌取りができる妻ではないと分かっているけれど。

 短くなった髪をグシャグシャとかきみだし、「ぉぁぁぁぁぁ……」と苦悶の声を漏らしていると、リンがルイスの肩を叩く。


「ルイス殿」


 どうやら、このアホ精霊も、主人を慰めるぐらいの常識は身につけたらしい。このアホメイドに慰められても、ちっとも嬉しくないけれど──ボンヤリとそんなことを考えているルイスに、リンはもっともらしい口調で告げる。


「ルイス殿の変わり果てた姿に、ロザリー様はショックを受けておられるご様子」


「…………」


「有能なメイド長であるわたくしは、ロザリー様を慰めて参りますゆえ、ルイス殿は、ロザリー様の視界に入らぬようお願いいたします」


「…………」


 主人を気遣うどころか、しっかり追い討ちをかけて、リンはその場を去っていく。

 あの馬鹿メイドに人の心はないのか──なかった。精霊だった。

 ルイスは膝をつき、両手で顔を覆ってうなだれた。




 玄関にうずくまる哀れなルイス・ミラーを、廊下の角からじっと見ている小さな姿があった。ルイスの娘のレオノーラちゃん、二歳である。

 レオノーラにとってルイスとは、「時々家にいる長い尻尾の怖い生き物」であった。

 怖い生き物はとても怖いのだけど、寝ている時は怖くない。

 なので、怖い生き物が寝ている時、レオノーラはその長い尻尾にリボンを結んで、遊んだりもした。

 ところが久しぶりに見かけた怖い生き物は、自慢の長い尻尾を無くしているではないか。


 ──しっぽがない!


 レオノーラは衝撃を受けた。

 きっとあの生き物は、何か理由があって、尻尾を無くしてしまったのだ。もしかしたら、竜に食いちぎられてしまったのかもしれない。

 可哀想だから、ちょっとだけ優しくしてあげよう。とレオノーラは、尻尾を無くした生き物の頭を撫でる。

 途端にその生き物はパッと顔を上げ、レオノーラを抱き上げた。レオノーラを見る目は、若干潤んでいる。

 きっと、尻尾が千切れて痛いのだろう、とレオノーラは尻尾があった辺りを撫でてやった。




「ロザリー! ロザリー! レオノーラが! レオノーラが私の頭を!」


 初めて娘に頭を撫でてもらったルイス・ミラーは、レオノーラを抱き上げて妻を追いかける。

 抱き上げた愛娘は、特に父に懐いているわけではない。ただただキョトンとしている。それでも抱っこして泣かれなかっただけで、ルイスは感涙に咽び泣く一歩手前だった。


「ロザリー!」


 ロザリーは台所の扉前にいた。いつもテキパキと仕事をする彼女にしては珍しく、まだ洗濯物を胸に抱いている。


「ロザリー! レオノーラが…………」


 言いかけてルイスは口をつぐんだ。気のせいだろうか。俯く妻の耳は、ほんのり赤い。

 ロザリーは少しだけ振り向くと、はわわと声にならない声を漏らし、洗濯物に顔を埋めた。

 あのいつもクールな妻が、はわわと言った。はわわと。


「えぇと……ロザリー?」


「ちょっと待って。まだ、心の準備が……あぁ、駄目だわ。だって……」


 洗濯物越しのくぐもった声が、途切れがちに呟く。


「……だって、私が好きになったのは、髪の短い不良さんだったんだもの」


 ルイスは目と口を丸くして、ロザリーの言葉の意味を反芻した。その頬は内側から熱を帯びてじわじわと紅潮し、口の端が緩む。


「ロザリー」


「待って」


「ロザリー」


「駄目」


「こっち向けって」


「…………もうっ! それは……ずるいでしょう……」


 ヤンチャな十代を思い出させる口調に、ロザリーは洗濯物から顔を上げて、ルイスを睨む。いつもは知的でクールな顔が、今は真っ赤になっていた。可愛い。

 もうこれだけで、ここしばらくの苦労も疲労も帳消しだ。


 ──ルイス・ミラーが七賢人になったのは、この愛しい人のためなのだから。


 ルイスは相好を崩し、左手でレオノーラを抱き上げたまま、右手でロザリーを抱きしめようと手を伸ばす。だが次の瞬間、ルイスの眼前にリンの無表情が生えてきた。

 ニョキッと生えてきたように錯覚したのは、この駄メイドが床を滑るように移動し、二人の間に割り込んだからだ。

 ルイスは右に移動した。リンは滑らかな動きでそれを追いかけ、ルイスの前に立ち塞がる。

 ルイスは素早く左に移動すると見せかけて、また右に移動した。リンはそれに完璧についてきた。

 一通り、無言の攻防を繰り返したところで、リンが淡々と言い放つ。


「変わり果てたルイス殿の姿は、ロザリー様の精神衛生上、よろしくないようですので」


「おい」


「ロザリー様の視界に入らぬよう、お願いいたします」


「こら」


「この動き、スタイリッシュ・ディフェンスと名付けました」


「退け、馬鹿メイドぉっ!」


 怒鳴った瞬間、腕の中のレオノーラが泣きだしたので、ルイスは慌てて娘をあやしながら、愛しい妻の名を呼んだ。


ロザリー・ミラー夫人は、ルイスの長髪や喋り方は自分と結婚するために頑張ってくれたのだと知っているので、あまり言及しませんでした。

でもやっぱり、短髪ヤンキーの方が好きなんだそうです。

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