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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝13:沈黙の魔女の隠しごと
321/425

【13】この夜は、不良達の秘密

 七賢人達は夕方には灯台に到着し、メリッサ、サイラス、レイ、ラウルの四人は既に周辺警備を始めている。

 古代魔導具〈星紡ぎのミラ〉を使うモニカは、〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイと共に、灯台の一室で封印解除作業をしていた。

〈星紡ぎのミラ〉は、〈識守の鍵ソフォクレス〉のように気軽に持ち出しできるものではなく、基本的に宝石箱に収められ、厳重な封印が施されている。

 メアリーに鍵となる術式を教わりながら、モニカは慎重に封印解除に挑んだ。


「でき、ました」


 封印解除を終えたモニカが、息を吐きながら言うと、向かいの席に座るメアリーがニコニコしながら宝石箱に目を向ける。


「それじゃ、開けてみて〜」


「は、はいっ」


 宝石箱をのせたモニカの指先が、緊張に強張る。

 古代魔導具は、意志を持つ道具だ。

〈識守の鍵ソフォクレス〉や〈暴食のゾーイ〉を思い出し、モニカはコクリと唾を飲む。

 きちんと意思疎通ができるだろうか、力を貸してもらえるだろうか──そんなモニカの不安を察したメアリーが、おっとりと言った。


「大丈夫よぉ。ミラちゃんは、男の人がいなければ、基本的に良い子だから〜」


「えっと、男の人がいると、ダメなんです、か?」


「この子ってば、ちょっと惚れっぽいのよぉ。可愛いでしょ?」


「は、はぁ……」


 惚れっぽい古代魔導具。なかなかに理解の難しい代物である。

 一体どんな人格なのだろうと疑問に思いつつ、モニカは慎重に宝石箱の蓋を開けた。

 中に鎮座しているのは、指輪と腕輪を金の鎖で繋げた、繊細な装身具だ。手の甲にあたる部分には、大粒のルビーをあしらった装飾が施されている。

 モニカがそっと手に取り持ち上げると、星を(いだ)くルビーがチカチカと瞬いた。


『月は細く、雲は薄く、星の巡りも申し分なし……』


 囁くように、歌うように、若い娘の声が語りかけてくる。

 耳に心地良く、穏やかで静謐で、聖職者や巫女の厳かさを秘めた声だ。

 モニカは慎重に装身具を己の右手に嵌めた。まずは腕輪を通し、それから鎖と宝石が手の甲を覆うようにして、指輪を嵌める。

 ガリガリに痩せたモニカの手首で、腕輪は頼りなくプラプラ揺れていたが、ルビーが瞬くと、腕輪がモニカの手首に吸いつくように縮んだ。

 それと同時に、モニカの中指に赤い紋様が浮かぶ。古代魔導具の契約印だ。


『さぁ、星を紡ぎましょう。幾千、幾万、幾億の星を、夜空に散りばめ、捧げましょう』


 モニカは窓の外を見た。

 少し前までは、地平線に僅かな夕焼けの名残が見えたが、それも今は夜の群青に染まっている。

〈星紡ぎのミラ〉の言う通り、月は細く、雲は薄く、星が綺麗な夜だ。

 モニカは〈星紡ぎのミラ〉を嵌めた右手を一度開閉し、メアリーと向き合う。


「それじゃあ、行ってきます」


「えぇ、頑張って」


 右手に古代魔導具〈星紡ぎのミラ〉とランタン、左手に七賢人の杖を携えて、モニカは小部屋を出て階段を上る。

 灯台の最上階は、円形の床が手すりでグルリと囲まれていた。

 右手に見えるは、暗い暗い夜の海。〈暴食のゾーイ〉の闇で満たされていた時を彷彿とさせる漆黒が、遠く地平線の彼方まで広がっている。

 そして左手に広がるのは、数多のランタンに照らされるサザンドールの街だ。

 手すりの下をそっと覗き込んだモニカはすぐにそれを後悔した。想像以上にたくさんの人が押しかけている。


「…………」


 モニカは手すりから手を離し、ズリズリと後ずさった。


「なんだよ、ビビったのか」


「ネロ」


 足元に目を向けると、暗い地面にぼんやりと猫のシルエットと金色の目が見える。

 モニカがランタンを足元に置くと、黒猫の輪郭がハッキリと見えた。

 ネロはニャーゥと機嫌良く鳴いて、尻尾を揺らす。


「一番近くで見られるのは、オレ様の特権だよな。ほれ、さっさと始めろよ」


「ま、待って、待って……」


 モニカは強張った顔で視線を泳がせる。間違っても、灯台の下は見られない。


「なんか、夕方より人が増えてるぅぅぅ」


 これまでに、七賢人としてそれなりに経験を重ねてきたし、レーンフィールドでの魔術奉納もこなしてきたけれど、それでもやっぱり、人が多いところは緊張するのだ。

 灯台の最上階にいて、眼下の人々の顔が見えないのが、唯一の救いである。


「世話の焼けるご主人様だなぁ」


 モニカが杖に縋りついてしゃがみこむと、ネロはモニカの背後に周り、前足でモニカの背中をポムポム叩いた。


「ほら、立ち上がって、しっかり目に焼き付けろよ。オレ様達で守った街だぞ」


「…………うん」


「ラナも見てるって言ってたぞ」


「ほ、ほんと? が、頑張る……」


 モニカは杖に縋りつくようにして立ち上がり、明るい街を見回した。

 そうすることでラナの姿が見えるわけではないけれど、それでも、ラナと歩いた通りが、一緒に行った店が見えると、色々な思いが胸に込み上げてくる。

 黒竜セオドアを倒し、古代魔導具〈暴食のゾーイ〉を封印したが、街の一部は壊れたままだし、まだ回復していない人も大勢いる。

 今回の騒動が原因で営業を続けられず、店をたたんだ者もいると耳にした。船は幾つも壊され、水夫達は仕事に困っている。


(全部が全部、元通りになるわけじゃない)


 死傷者は極力抑えたが、それでも戻ってこないものはいくつもある。

 モニカが討った、黒竜セオドアの命も同様に。


(それでも、これは一つの区切りだから。……わたしが、やるの)


 モニカは左手に杖を握り、〈星紡ぎのミラ〉を身につけた右手を持ち上げる。

 繊細な金の鎖が揺れて、星を抱く赤い石が僅かに発光した。


『──地に染みた魔力のなんと濃いこと。漂う空気のなんと重きこと。……なれど人の営みは、今も熱を帯びている』


〈星紡ぎのミラ〉が、囁くように、歌うように言葉を紡ぐ。

 旧時代から人々の営みを見守ってきた古代魔導具の言葉は、柔らかだが相応の重みがあった。


『連綿と続く民の営みが途切れぬよう、この地に、正しき流れを取り戻しましょう』


 モニカの指に浮かび上がった契約印が赤く輝く。

 言うべき言葉は、自然と頭に思い浮かんだ。

 モニカと〈星紡ぎのミラ〉の声が重なる。


「『さぁ、星紡ぎの時間にございます』」


 モニカは己の右手を、横にすいっと薙ぐ。

 指先で、地を撫でるかのように。


「地に滴りし、涙の雫。そこに悲哀があるのなら、私が星に還しましょう」


『地に滴りし、血の雫。そこに嘆きがあるのなら、私が星に還しましょう』


 サザンドールの街全体の地面が輝き、光の粒が浮かび上がった。

 水中の気泡が上に上っていくように、光の粒はユラリ、ユラリと浮かび上がり、そして灯台に立つモニカのもとに集う。

 サザンドールの土地に染み込んだ魔力を、〈星紡ぎのミラ〉が吸い上げ、集めているのだ。


「草木に染みし、慟哭よ。夜空を彩る星になれ」


『水に溶けし、愛憎よ。夜空を踊る星になれ』


 モニカは右手を空に掲げた。

〈星紡ぎのミラ〉に蓄えられた魔力が、細い指先から空へ放たれる。

 一つ一つは弱く儚い光の粒だ。それが星の海となって空を彩り、消えていく。


「『星よ、星よ、空へのぼれ。星よ、星よ、夜空を飾れ』」


 街の人々がワァッと歓声を上げるのが、やけに遠く聞こえた。多分、それだけ魔力を消費し、意識を集中しているせいだ。

 古代魔導具の力は強大であるほど、消耗も激しい。

 膨大な魔力を集め、空に放つ〈星紡ぎのミラ〉を扱うのは、想像以上に集中力を必要とする。

 杖を握る手に力を込め、モニカはしっかりと両足で床を踏み締めた。

 土地から膨大な魔力を吸い上げた時、魔力を通じて世界と繋がっているような感覚を覚える。自分がこの世界の一部であると、強く実感する。


(世界は数字でできている)


 ずっと、その言葉を胸に抱いて生きてきた。

 今のモニカは、その言葉にこう続けられる。


(だけど、数字で測れないものもある)


 人の想いも、願いも。モニカには測れないもの、理解できないものが沢山ある。かつてのモニカはそれを拒絶し、数字の世界に逃げ込んだ。


 ──だが、理解できないものを、存在しないものとしてはならないのだ。


 いつか理解できるかもしれない。永遠に理解できないかもしれない。それでも、自分には理解できないものも、そこにあるのだということを忘れないようにしよう、とモニカは思う。

 モニカが討った、黒竜セオドアの願いのように。


「全てのものは正しく還れ」


『全てのものは正しく巡れ』


「あるべきものは、あるべき場所に」


『正しき流れは、澱みなく』


 あるべきものは、あるべき場所に──黒竜セオドアが堕ちた先が、彼のあるべき場所なのか、モニカには分からない。

 ただ、あの竜が穏やかに眠れる場所に還れるといい。そう思った。



 * * *



 ──星が、夜空を流れていく。


 商会事務所の窓からそれを眺めていたラナ・コレットは、ほぅっと感嘆の吐息をこぼした。

 漆黒の天鵞絨に金砂を散りばめても、こんな光景は作り出せない。

 古代魔導具がもたらす奇跡、それを行使しているのが、モニカなのだ。

 すぐそばで足音がした。さっきまで黙々と事務仕事をしていたクリフォードが立ち上がり、ラナの横に立って夜空を見上げている。

 万事に関心の薄いクリフォードのことだから、この奇跡の夜にも無関心なのだろうと思ったが、この美しい光景を目に焼き付けようとするぐらいの感性はあったらしい。


「七賢人のすることは、金になるな。国王が囲いたがるはずだ」


 やはりクリフォードはクリフォードだった。

 感動を一瞬でぶち壊す幼馴染を、ラナはジトリと睨みつける。


「あ、の、ねぇ……もっと他にないの? 綺麗とか、素敵とか!」


「この光景を見るために、大勢の人間が灯台に集まっている。灯台周辺の店は大繁盛だろう。しばらくは、星をモチーフにした小物が爆発的に売れるだろうな。この日を記念日にでもすれば、恒常的な売り上げが見込めるから、現在企画進行中の薔薇祭りと併せて……」


 七賢人がもたらす経済効果について語るクリフォードから目を逸らし、ラナは夜空を見上げた。

 今はクリフォードの無表情より、モニカがもたらしたこの美しい光景を目に焼き付けたい──そう考えるラナの耳に、聞き捨てならない言葉が届く。


「どうせ、モニカは経済効果のことなんて、何一つ考えちゃいないんだろう。ラナから言って聞かせるべきだ」


「……え?」


 ラナはパチパチと瞬きをしてクリフォードを凝視した。

 クリフォードはいつもと変わらない無表情で、夜空を満たす星を眺めている。


「クリフ、気づいてたの? モニカが七賢人って」


「七賢人同伴で来店したじゃないか」


 そういえばそうだった。モニカは四代目〈茨の魔女〉と、三代目〈深淵の呪術師〉を伴って来店しているのだ。クリフォードはその頃から、モニカの正体に気づいていたらしい。

 気づいた時点で言いなさいよ、という言葉をラナは飲み込んだ。

 どうせ、ラナが何を言ったところで、クリフォードはラナを脱力させるか、神経を逆撫でするようなことしか言えないのだ。

 だからラナは開き直り、モニカがもたらした奇跡の夜空を見上げ、胸を張った。


「そうよ、わたしの友達って、すごいのよ!」



 * * *



 ──星が夜空を満たしていく。


「わっはー、綺麗綺麗〜。やっぱり、古代魔導具ってすっごいなぁ〜」


 サザンドールの郊外で、夜空を見上げるカリーナ・バールの背後に、一人の男が歩み寄る。

 これといって特徴のない黒髪の中年男性に化けた、帝国の諜報員ユアンは、カリーナの背中に声をかけた。


「そろそろ、帰国の準備をしてちょうだい、カリーナ。帝国魔導十字炎天四魔匠がなかなか四人揃わない、って陛下が拗ねておられるわ」


「ユアンさん、もうちょっとリディル王国にいちゃ駄目? あのね、あのね、あたし、コレット商会長にもスカウトされてて」


「それも直接、陛下に言いなさぁい」


「はぁい」


 貪欲な黒獅子は、カリーナを魅了した商会ごと欲しがりそうだ。

 サザンドールの新進気鋭、若き女商会長ラナ・コレットは、既にリディル王国の社交界における服飾の流行にじわじわと影響を及ぼしている。

 そしてなにより、ユアンが仕える主人は、才気溢れる野心家の女性が大好きなのだ。


(フラックス商会の商会長ラナ・コレットは、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットの友人……あぁ、一悶着起こらないと良いのだけれど)


 ユアンはため息を零し、魔力の輝きに満たされた空を仰ぐ。

 群青に散りばめられた、黄金の粒。一生に一度見られるかどうかの、美しい光景だ。


 ──何故、その光景を目に焼き付けぬ! 余が目を閉じれば脳裏に浮かぶよう、事細かに報告せよ!


 そんな黒獅子の駄々が、容易に想像できた。



 * * *



 ──星が瞬き、消えていく。


 アイザックは何も言わない。シリルもまた、同様に。

 二人は無言で夜空を仰ぐ。〈沈黙の魔女〉がもたらした一晩限りの奇跡を、その目に焼き付けるように。

 やがて空を満たした魔力の輝きは、煌めきながら消えていく。あの魔力は夜空に還ったのだ。

 星に似た輝きは、儚く瞬き消えていく。それでもその輝きは、黒い雨にうたれた街を照らし、人々の心に何かを残すのだ。


「どうだい、シリル。僕のお師匠様、すごいだろう」


 アイザックは夜空を見上げながら、得意げに、子どもみたいなことを言う。

 喜び、感動、憧憬、誇らしさ、あとは……あとはなんだろう。そこに込められた感情を、シリルはまだ全部読み取れないけれど、アイザックが心からモニカを慕っていることは分かった。だから、シリルは静かな声で「えぇ」と同意する。


 二人の頭上で、星がまた一つ、瞬いて消えた。



 * * *



 小一時間ほど経ったところで、モニカの手元にある〈星紡ぎのミラ〉の明滅が止まった。

 魔力の吸い上げも、放出も終わったのだ。

 放出した魔力の残滓で、夜空はまだ薄ぼんやりと輝いている。 

 空に掲げていた手を下ろすと同時に、モニカの体はふらついた。古代魔導具を使った反動だ。

〈星紡ぎのミラ〉は厳重封印されているだけあって、〈識守の鍵ソフォクレス〉よりも遥かに身体への負担が大きい。

 ネロがサッと人の姿に化け、ふらついているモニカの体を支えた。


「ありがと、ネロ………………うぇ?」


 体を支える腕が、そのままヒョイとモニカを持ち上げ、肩に担ぐ。

 モニカの体勢だと、地面とネロの背中しか見えない。

 両手で杖を握り、足をプラプラさせているモニカに、ネロは力強い口調で言った。


「よし! やることやったし、腹減ったから、飯食いに行くぞ!」


「うぇぇ!? ま、待って、待って! ここにはまだ、他の七賢人の方が……」


 モニカが声を上げたまさにそのタイミングで、階段を登ってくる足音が聞こえた。

 力強い足音は、華奢なメアリーのものじゃない。


「おーい、姐さん。帰る時は、俺が飛行魔術で送るから言ってくれや……って、誰だお前!?」


 よりにもよって、階段を登ってきたのは、〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジであった。

 竜滅──即ち、黒竜であるネロの天敵である。そして、サイラスは人間に化けたネロの存在を知らないのだ。

 これではどう見ても、ネロが誘拐犯である。

 モニカは大慌てで、右手に嵌めた〈星紡ぎのミラ〉を外した。


「サ、サイラスさんっ! あの、えっと、これは誘拐じゃなくて……そ、早退っ! わたし、早退しますっ! ごめんなさいぃぃぃ!」


「お、おぉう? 早退? ちょっ、おい、姐さん……!」


 面食らっているサイラスに、モニカは〈星紡ぎのミラ〉をえいやと投げた。

 古代魔導具を投げるなんて気が引けるが、床に投げ捨てるよりは、いくらかマシだろう。

 ついでに七賢人の杖も邪魔になるので、地面に転がす。


「あとは、お願いしま、わひゃうきゃぁぁぁぁ!」


 全てを言い終えるより早く、ネロは人の多い方角と反対の、海側の手すりから飛び降りた。

 ネロとモニカのローブの裾が、風をはらんでバサバサ揺れる。

 ネロは灯台の窓のヒサシや、ちょっとした出っ張りに足をかけ、器用に灯台を半分ほど下りると、隣接した倉庫の屋根に飛び移り、風のように走り出した。



 * * *



 灯台の最上階に残されたサイラスは、ポカンとモニカと謎の男が消えていった方角を見る。

 モニカは自ら古代魔導具と杖を手放したし、早退と言っていたから、追いかけて良いのか判断に困るところである。

 サイラスは唸りながら、モニカから受け取った古代魔導具〈星紡ぎのミラ〉を見下ろした。


(古代魔導具持って追いかけるのは、まずいよな……)


 まずは、古代魔導具〈星紡ぎのミラ〉を〈星詠みの魔女〉に返し、封印措置をした方が良いだろう。そこでモニカのことも報告し、判断を仰げばいい。

 そう判断したサイラスが、床に落ちていたモニカの杖を拾い上げたその時、サイラスの手元で甘く切ない声がした。


『愛しいお方』


「………………あ?」


 サイラスは己の手の中にある、装身具〈星紡ぎのミラ〉を見下ろす。

 装飾部分の赤い宝石が、内側から熱を帯びたように、ぼぅっと輝いていた。


『愛しいおかた……あぁ、あぁ、この出会いは運命なのですね。愛してます愛してます愛してます』


「な、なんだこれ!? もしかして壊れたのか!? おおお俺の受け止め方が、まずかったか!?」


『あぁ、わたくしの身を気遣ってくださるなんて、なんて優しいおかたなのでしょう。……さぁ、愛しあいましょう、愛しいお・か・た』


 その晩、〈星紡ぎのミラ〉の封印が終わるまでの間、ずっと口説かれ続けたサイラスは、レイに「それだけ自分がモテると自慢したいのか……」と僻まれ、メリッサに爆笑された。



 * * *



 普段、夜になると人が少なくなる倉庫街だが、今夜はランタンを持った人々で溢れかえっている。

 ネロは己のローブをモニカに被せ、ヒョイヒョイと身軽に倉庫の屋根から屋根を渡り歩いた。

 道を行く者の中には、ネロに気づいて声をあげる者もいたが、酔っぱらいの奇行だと思われているらしい。少なくとも、担がれているのが、七賢人が一人〈沈黙の魔女〉だと気づいている者はいなかった。


「ネロぉぉぉ、せめて屋根から下りてぇぇぇ……」


 ネロはモニカを担いだ状態で、屋根から屋根に飛び移っているのだ。黒竜の背中に乗って空中戦をした時とは、また違う恐怖である。

 モニカが懇願すると、ネロは「やーだね」と即答した。


「だって、下は人でギュウギュウじゃねぇか。それに、どうせ屋根に上るんだし……」


「……?」


「お、いたいた」


 ネロは最後に大きく跳躍して、どこかの屋根に着地すると、肩に担いでいたモニカを下ろす。

 ふらつきながら自分の足で立ったモニカは、驚きに目を丸くした。

 灯台から少し離れた通りの屋根の上、敷物を広げて軽食を食べているのは、アイザックとシリルだ。アイザックの頭の上には、トカゲ姿のウィルディアヌがちょこんと乗っかり、シリルの膝の上では白と金色のイタチが伸び伸び寛いでいる。

 モニカがアイザックとシリルの名を口にするより早く、ネロが主張した。


「後輩! 飯! 肉!」


「横暴な先輩だなぁ。お疲れ様、モニカ」


 今夜のアイザックは、フェリクス殿下の顔をしていた。

 ニコリと微笑む顔は穏やかで優しくて、でも茶目っ気が隠せていない。

 モニカが困惑しながら、お茶を注いだカップを受け取ると、シリルが首を傾げた。


「モニカ、先ほど、魔力解放の措置が終わったばかりだと思うが……もう、現場を離れて良かったのか?」


「えぅっ!? え、えっと……そ、それは……」


 至極真っ当な意見にモニカが言い淀んでいると、ネロが肉の挟んだパンを手に言った。


「おう、早退だ、早退」


「ネロ殿、それはサボりと言うのでは……」


 シリルの言葉にアイザックの肩がピクリと震えた。

 モニカには分かる。これは笑いを堪えている顔だ。よほど、「ネロ殿」が面白かったのだろう。

 生真面目なシリルと、穏やかな顔で笑いを堪えているアイザックを見上げ、トゥーレとピケが交互に言う。


「サボり?」


「不良だ」


「モニカは不良なの? じゃあ、シリルやアイクと同じだね」


「わ、私は! ……いや、屋根の上で飲食をするのは確かに……むぅ……」


 苦悩するシリルに、アイザックが茶を注いだカップを押しつける。

 そうして、既に肉を食べ始めているネロ以外の全員にカップが行き渡ったのを確認し、アイザックは手元のカップを夜空に掲げた。


「まずは、乾杯をしよう。僕のお師匠様の、今宵の偉業に……」


「アイク、アイク、あの、もうちょっと別の感じで…………こう、みんなで乾杯、みたいなのが、いいです」


 モニカの珍しくハッキリした意思表示に、アイザックは少しだけ驚いたように目を瞬かせ、王子様の顔で悪戯っぽくニヤリと笑う。


「では、不良達の秘密の夜に」


 思わずモニカは息を吹き出して笑った。

 モニカの横ではシリルも眉を下げて、ぎこちないけれど楽しそうに笑っている。

 本物の星が瞬く夜空の下、三人は「乾杯」と声を重ねて、カップをぶつけた。



次は王都編なのですが、その前に短い幕間エピソードを幾つか挟みます。

どうぞ、のんびりお付き合いください。

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