【7】キシキシ
〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイはこの国の魔術師の頂点に立つ七賢人であり、同時にベルスティング侯爵家の人間でもある。
そんな彼女の屋敷で行われるパーティともなれば格式ばったものに違いないと、モニカはギクシャクと手足を動かしながら、受付を済ませた。
七賢人のモニカは、城の式典にはいつも正装用ローブで出席しているのだが、今日のパーティはあくまで私的な催し物。
主催が同じ七賢人とはいえ、ローブ姿で参加したらさぞ悪目立ちするだろうと考えたモニカは、水色のドレスと白いボレロを身につけていた。
これは少し前に、ラナの実家が経営する仕立て屋で作ってもらった物だ。
学会などに出る機会も増えたから、外出着を増やした方が良い、というラナのアドバイスに従って作ってもらったドレスは、襟が高く露出が少ない清楚なデザインだ。
ラナが言うには、パーティで着るドレスは昼に相応しい物、夜に相応しい物というのが、それぞれあるらしい。
──昼に着るドレスは露出控えめで、光沢も抑えるの。あと、装飾品もあまり派手すぎない方がベターね。逆に夜は肩を出したり、光沢のある生地を使ったり、キラキラ光る装飾品をつけるのよ。
言われてみれば、セレンディア学園の学祭の後に行われた舞踏会はみんな露出が多くて、キラキラしていた気がする。
一方、今日のパーティは昼に行われるものなので、会場にいる貴婦人達は皆、露出を抑えたドレスの者が多い。
ラナにアドバイスしてもらって良かった、とこっそり息を吐きつつ、モニカは意識して背すじを伸ばした。
(ラナが選んでくれたドレスだもの、絶対変じゃない。だから、あとは、わたしがシャンとしてないと……)
素敵なドレスに似合う振る舞いを、とモニカは自分に言い聞かせ、会場へと進む。
この手のパーティはいつも欠席しているモニカだが、今回珍しく参加したのには訳があった。
なんでも今回のパーティでは、まだ一度も顔を合わせていないレイとその婚約者の顔合わせが行われるのだという。
それにあたって、絶対にモニカもパーティに来てほしいと、ラウルに頼まれたのだ。
ラウルはこう言っていた。もしかしたら、モニカの力が必要になるかもしれない……と。
(私の力が必要なことって、なんだろう? ……無詠唱魔術で、何かお手伝いするのかな?)
そんなことを考えつつ、モニカはパーティ会場を見回した。
〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイの屋敷は豪華絢爛な屋敷であったが、特に目立つのが大きな板硝子を贅沢に使った窓だ。
技術の粋を尽くして作られた大きな板硝子は、どんなクリスタルシャンデリアよりも高価な品である。
星詠みをする彼女のために誂えられたその大窓は、夜になると満天の星々を見上げることができ、そして昼は日の光をたっぷりと室内に取り込んでくれる。
モニカが冬晴れの青空を硝子越しに見上げていると、背後でしゃがれた声がした。
「あぁ? そこにいるのはモニカ・エヴァレットか?」
モニカは振り向き、目を丸くする。
モニカの背後に佇んでいるのは、煙管を手にした老人だ。髭は生やしておらず、白髪も短く切ってこざっぱりとしている。
この老人こそ、モニカがミネルヴァにいた頃、最も世話になった恩師。
ミネルヴァの教授〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードである。
「ラザフォード先生! お、お久しぶりです……っ」
「おぅ、久しいな。お前は、この手の集まりにゃあ、滅多に顔を出さなかったからな」
ラザフォードはそこで言葉を切り、少しだけ思案するように煙管を燻らせた。
吐き出された紫煙が輪っかの形で、プカリと浮かんで消える。
「いや、そういやお前、最近は学会にも、ちょいちょい顔を出すようになったんだってな? まぁ、なんにせよ、俺の研究室に引きこもってた頃に比べたら、成長したじゃねぇか」
ラザフォードはミネルヴァにおける権威と言っても良い。
ラザフォードの研究室に出入りできる研究生は、それだけで尊敬の目で見られるのだ。
当時、無詠唱魔術を会得したモニカはラザフォードの研究室の研究生となり、いくつかの授業を免除された。
モニカが引きこもって好き勝手研究する環境を整えてくれたのも、モニカを七賢人に推薦したのも、全てこの老教授である。
故にモニカがここにいられるのは、ラザフォードのおかげと言っても過言ではなかった。
モニカが当時を懐かしんでいると、ラザフォードはモニカのドレスを見て、揶揄うように笑う。
「いつも、ひでぇ格好してたチビスケが、やっと年頃の娘らしいお洒落に目覚めたか。まぁなんだ。俺ぁ、流行りにゃ詳しくねぇが、悪くねぇんじゃねぇのか」
「あっ、ありがとうございます! ……あの、これ、友達が選んでくれたんですっ」
モニカが早口で付け加えた言葉に、ラザフォードは鋭い目を丸くした。
ミネルヴァ時代のモニカを知っているラザフォードは、モニカにとって「友達」が、どれだけ貴重な存在かをよく知っている。
ラザフォードは頑固で偏屈そうな顔を少しだけ緩め、孫を見るような目でモニカを見た。
「……そいつぁ、良かったな」
「はい!」
モニカが微笑みながら頷くと、ラザフォードは実に美味そうに煙管を吸った。
「まぁ、あれだ。お前も七賢人なんだ。浮かれすぎない程度に、こういう場も楽しめるようになっとけ」
魔術師は貴族階級の人間が多いので、意外と社交界に呼ばれる機会が多い。
今日のパーティはまさにその典型だ。出席者は、主催である〈星詠みの魔女〉の縁者が半分、魔術師組合の関係者が半分。
見回せば、元七賢人だの、ミネルヴァの教授だの、魔術師組合の幹部だのがゴロゴロしている。中にはマクレガンの姿もあった。
(マクレガン先生にも、挨拶に行こうかな)
モニカがそんなことを考えていると、背後から若い男の声がした。
「ややっ、ラザフォード先生ではありませんか! 先生もいらしていたんですね!」
親しげな笑みを浮かべてこちらに近づいてくるのは、癖のない黒髪の青年だった。
年齢は二十歳を少し過ぎたぐらいだろうか。モニカとは面識のない相手である……が、気のせいか、顔立ちが知り合いの誰かに似ている気がした。
誰だろう? とモニカが自分の知り合いを振り返っていると、ラザフォードが紫煙を吐いてボソリと呟く。
「おぅ、カーティス・アシュリー。お前も来てたのか」
「えぇ、はい。我が家は〈星詠みの魔女〉殿の生家、ベルスティング侯爵家とは遠縁ですので!」
アシュリー。それは、シリルとクローディアのファミリーネームだ。
そこでモニカはようやく気がついた。この青年、どことなくクローディアに似ているのだ。
だが、モニカがすぐに気づかなかったのも無理はない。爽やかに笑うこの青年と、常に陰気な表情のクローディアでは、あまりに纏う雰囲気が違いすぎる。
「……ハイオーン侯爵家の方、ですか?」
モニカが恐々と口を挟むと、青年はモニカを振り返った。
そうして、幼い子どもに話しかけるように、少しだけ身を屈める。
「おや、可愛らしい。ラザフォード先生のお孫さんですか? 私はカーティス・アシュリーと申します」
このカーティスという青年、モニカが〈沈黙の魔女〉であることに気づいていないらしい。
シリルの身内の人間ならば、なおのこときちんと自己紹介をした方が良いだろう。モニカは背筋を伸ばし、口を開こうとした。だが、それより早く、ラザフォードが口を挟む。
「カーティス・アシュリーはハイオーン侯爵の甥だ。あぁ、そういや〈星詠みの魔女〉とお前んとこは、遠い親戚だったな」
「えぇ、はい、その通りです! 魔術の名門ベルスティング侯爵家と、識者の家系であるハイオーン侯爵家は深い繋がりがあり……」
ハイオーン侯爵はシリルの養父である。つまり、このカーティスという青年は、シリルやクローディアの従兄弟であるらしい。
それにしても意外だったのは、ハイオーン侯爵家と〈星詠みの魔女〉の生家であるベルスティング侯爵家が遠縁だったという事実だ。
モニカはカーティスの喋りがひと段落するのを待って、密かに気になっていたことを訊ねた。
「あ、あの、じゃあ、もしかして、シリル様も……この会場に?」
「おや、お嬢さんはシリルとお知り合いですか? えぇ、来てますよ。なにせ彼は今、ベルスティング侯爵家の御令嬢と縁談の話が持ち上がってますからね」
「………………え」
モニカの思考が一瞬停止する。
──ベルスティング侯爵家、つまり〈星詠みの魔女〉の親戚の令嬢と、シリルが縁談。
何もおかしな話ではない。
そもそもシリルの年齢を考えれば、既に婚約者がいたっておかしくないのだ。彼の妹のクローディアなど、学園を卒業してすぐに結婚している。
ましてシリルはハイオーン侯爵の跡継ぎだ。名のある家の令嬢と婚約するのは、当然の話である。
なのに、どうして自分はこんなにショックを受けているのだろう。
モニカはふらりとよろめきつつ、一歩後ずさった。
カーティスはもうモニカには興味を無くしたらしく、ラザフォードとにこやかに談笑している。
モニカは胸元で手をギュッと握りしめ、その場を離れた。
* * *
モニカは項垂れながら、トボトボとパーティ会場を出た。
会場を出た理由は自分でもよく分からない。ただ、もし会場でシリルを見つけてしまったら……なんだか上手に笑えない気がしたのだ。
(えっと、シリル様が誰かとご縁談なんて、考えたことがなかったから……うん、きっと、わたし、ビックリしたんだよね……きっとそう……)
前も見ず、俯きながら歩いていたモニカは、数歩歩いたところで廊下の柱に頭をぶつけた。
ふぎゅっ!? と情けない悲鳴をあげて、モニカはその場にしゃがみ込む。
そうしてズキズキと痛む頭を押さえながら、ぐすっと鼻を啜った。
なんだか目の奥がじわじわと熱くて涙が出そうなのは、頭をぶつけたせいだ。きっとそうだ。
「………………いたいよぅ」
しばらくしゃがみ込んで鼻を啜っていると、背後から「おーい! モニカー!」とラウルの声が聞こえた。
モニカは咄嗟に袖口で目元を押さえる。こういう時は、目を手で擦ってはいけないのだとラナが教えてくれたのだ。
滲んだ涙を化粧が崩れないようこっそり拭い、モニカはぎこちない笑みを貼りつけてラウルと向き直る。
鈍感なラウルは、モニカが泣いていたことに気づいていないようだった。いつもと変わらぬ態度でモニカに話しかける。
「ふぅ、探したぜ、モニカ! 早速だけど『レイと婚約者をくっつけよう作戦』の準備があるから来てくれ!」
「は、はいっ、すぐ行きますっ!」
キシキシと軋む胸に見て見ぬ振りをして、モニカはラウルと共に、レイのいる控え室へ向かう。
今日のモニカは、レイと婚約者の仲をとりもつために来たのだ。
他に優先することなんて、ない。
ないったら、ない。




