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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝12:開け、門
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【38】今時の若者の反抗/暗い、暗い、海の中


 港町サザンドールの中央門は、その半分近くが、太く強靭な薔薇の蔓に埋め尽くされていた。

 その薔薇の蔓を操る魔術師──五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグを、周囲の人々は畏怖の目で遠巻きに見ている。

 左手で杖を、右手に薔薇の蔓を握りしめるラウルの顔は、苦悶に歪んでいた。

 彼が操る薔薇要塞は、獲物の魔力を吸い上げ、糧とする術だ。それ故、一度発動してしまえば、あとは敵から吸い上げた魔力で、勝手に動いてくれる。獲物さえいれば、半永久的に稼働し続けることも可能なのだ。

 だが、サザンドールに満ちている闇の魔力は、死を司る力。

 闇の魔力を喰らった薔薇は、強い毒を吸い上げたかのように、先端から枯れて、死んでいく。それ故、ラウルは己の魔力を使って薔薇を増やし、強化し続ける必要があった。

 相手は膨大な魔力を秘めた古代魔導具だ。国内トップの魔力量を持つラウルであっても、分の悪い戦いである。

 今まで、自分の魔力が枯渇寸前になるまで追い詰められたことがないラウルは、初めて焦りと恐怖を覚えた。

 ラウルの頭の中で、冷たい声が甘く囁く。


 ──その辺にいる人間どもの血と魔力を吸い上げて、薔薇の糧にすればいい。


(そんなの、やるもんか)


 初代〈茨の魔女〉が生きていた頃は、敗者を弱者とし、犠牲を強いる。それが当たり前の時代だった。

 その時代を否定するわけじゃない。初代〈茨の魔女〉の在り方を否定するわけじゃない。

 ただ、今はもう、そういう時代じゃないのだ。

 初代様のようであれ、と己に言い続けた曽祖母達の声が頭をよぎる。


(ごめんなさい、おばあ様。オレ、今時の若者だからさぁ……)


 当たり前のように弱者や敗者に手を差し伸べ、全力で救おうとする友人がいる。

 彼は、誰かが踏み躙られることを良しとせず、暴食の少年王の末路ですら悲しんでいた。

 その姿を見て、ラウルは思ったのだ。

 ……自分もそういうふうに在りたい、と。


(初代様じゃなくて、オレのやり方で、頑張りたいんだ)


 ラウルは杖を地面にめりこませ、ふらつく体を支えるように、しっかりと両の足で踏ん張った。

 頭がクラクラして、視界が霞む。魔力切れのせいだろうか、それとも貧血だろうか。随分と、人喰い薔薇に血を吸われた気がする。

 それでもまだ足りない、足りない、と人喰い薔薇は叫んでいた。

 食いしばった歯の隙間で、ラウルは低く呻く。


「言うこときけよ、薔薇要塞……」


 前髪の下で爛々と輝く緑の目が、握りしめた蔓を睨みつけた。

 初代〈茨の魔女〉とは似て非なる冷たい無表情で、五代目〈茨の魔女〉は人喰い薔薇に命じる。

 ──従え、と。


「お前達の主人は、オレだ」


 人喰い薔薇は、一度ピタリと動きを止め、次の瞬間一斉に増殖した。

 ラウルの薔薇は主人の命令に従い、港に広がる闇を喰らって、花を咲かせ、そして散っていく。

 その時、人喰い薔薇の一部が、主人に異変を訴えた。


(何かが、薔薇の蔓を這って、こっちに近づいてる……?)


 霞む目を擦って前方を睨みつけたラウルは気づいた。己の薔薇の蔓の表面を、黒い何かが這うように移動し、こちらに向かってきている。

 あれは、〈暴食のゾーイ〉が操る影だ。

 おそらく薔薇要塞を脅威に感じたセオドアが、薔薇の蔓を遡って、薔薇要塞の主人を仕留めようとしたのだろう。


(まずい、防御に回す薔薇が足りない……!)


 薔薇の蔓の上を這っていた影が、宙に浮かび上がった。

 影は細い槍に形を変えて、ラウルを狙う。

 だが、漆黒の影でできた槍がラウルに届くより早く、紫色の斑らに染まった薔薇の蔓が、影の槍をからめとった。

 ラウルの薔薇とは違う、禍々しい紫色に染まったその薔薇の蔓は、門の内側から伸びている。

 ラウルが薔薇の蔓を少し動かすと、その隙間から二つの人影が見えた。


「こんの、馬鹿弟っ! 来るのが遅いっ!」


「……ギリギリに駆けつけて、美味しいところを持っていくつもりだったんだろう、そうだろう、なんていやらしいやつなんだ……」


 ラウルは目を輝かせて、声を上げる。


「姉ちゃん、レイ!」


 メリッサとレイは、二人ともそれなりに魔力を消費しているようだが、どちらも元気そうだった。

 メリッサにいたっては、蔓薔薇でグルグル巻きにした男を地面に転がし、足蹴にしている。


「姉ちゃん、一般人を巻き込むのは、良くないと思うぜ」


「こいつは〈暴食のゾーイ〉に操られてた魔術師よ。アタシに楯突いたんだから、当然の末路よね」


 それでも乱暴は良くないと思う、と言いかけてラウルはよろめいた。

 いよいよ魔力が底をつきかけているのだ。


「姉ちゃん、魔力回復するキャンディ持ってる?」


「なんであんた、持ってきてないのよ? 馬鹿なの?」


 魔力付与したキャンディは、それなりに沢山作ったのだが、ルイスやラザフォードをはじめとした、王都の魔術師達に全部譲ってしまったのだ。

 特に影を剥がし、かつ仮死状態から回復させるための魔術は、使える人間が少なく、大量の魔力を必要とする。だから、彼らの魔力回復を優先させたかったのだ。


「まさか、オレが魔力切れになるなんて思わなくてさ」


「そう、貴重な経験ができて良かったわね」


 メリッサは悪態を吐きながら、キャンディを取り出し、ラウルの頭上に放り投げる。ラウルは器用にそれを口でキャッチして、奥歯で噛み砕いた。

 キャンディに仕込んだ薔薇のシロップが口腔を満たし、全身がじわりと温かくなる。魔力が回復しているのだ。


(流石、姉ちゃんが作っただけあるぜ。効き目が全然違うや)


 魔力量が多いのはラウルだが、付与魔術──特に魔法薬作りの腕前はメリッサの方が上だ。だからメリッサのキャンディの方が、回復量も多い。


(これで、まだ踏ん張れる)


 ラウルは杖を握る手に、力を込める。

 魔力汚染はまだ続いている。おそらく、闇の精霊王召喚の門がまだ閉じていないのだ。


「闇の精霊王召喚の魔力汚染は、オレの薔薇要塞が抑え込む」


「……なら、〈暴食のゾーイ〉の影は俺が、呪って喰ってやる」


「アタシの薔薇を門の辺りに広げるから、影がきたら上手いことやんなさいよ」


 ラウルの横にレイとメリッサが並んだ。

 レイの指先から伸びる紫色の呪印が、メリッサの薔薇の蔓を呪う。そうして強化された紫色の蔓が、迫り来る影を締め上げ、蔓を這う呪印が影を喰らった。

 レイの呪印は効果範囲が狭いが、メリッサの蔓を呪うことで、効果範囲を広げることができる。そして、メリッサの蔓もレイの呪いで膂力や強度が強化される。

 この二人の連携は、実に絶妙な均衡で成り立っていた。

 メリッサの薔薇の魔力が弱すぎると呪いで枯れてしまうし、逆にメリッサの薔薇が強すぎると呪いが浸透しない──レイとメリッサの魔力量が、ほぼ同じだからこそできる連携だ。同じことをラウルではできない。

 実を言うと、ラウルはそのことを密かに羨ましく思っていた。

 制御のできない人喰い薔薇要塞は、味方を巻き込む技だ。だから、ラウルは誰かと連携して全力で戦うということを、あまり経験していない。


(でも、今は違う)


 今、自分の隣には共に戦ってくれる仲間がいるのだ。

 心強さに、ラウルの口角は自然と持ち上がる。


(オレは、ちゃんと、みんなと一緒に戦えてる)


 レイとメリッサだけじゃない。サザンドールには、モニカとサイラス、それに友人のシリルもいる。

 ラウルは口の中に残ったキャンディの欠片を飲み込み、殊更明るい声をあげた。


「サザンドールには、モニカとサイラスもいるんだろ? じゃあ、七賢人若手四人衆で、全部解決しちゃおうぜ!」


 ラウルの言葉に、レイとメリッサの顔が強張った。

 ピンク色の目を彷徨わせるレイの横で、メリッサが苦々しげに低く呟く。


「モニモニは……」


 言いかけたメリッサは、ハッと目を見開き、港の方角の空を睨んだ。


「ちょっと待った、なによ、あれ……!」



 * * *



 サザンドール港には黒い闇と、その闇を喰う薔薇の蔓が広がっている。

 海から少し離れたところにある、ひらけた地面には闇の精霊王召喚の門が展開し、そこからトロトロと黒い闇が、休むことなく湧き続けていた。

 薔薇要塞が取り戻してくれた日の光の下、シリルは素早く現状を確認する。

 闇の精霊王の門は、自分達から十数歩ほどの距離に展開しており、その近くに全身を黒と赤で染めたセオドアが佇んでいる。

 そこから更に少し離れたところに、アイザックとサイラス──グレンが言うには、サイラスが右腕を負傷しているらしい。

 シリル、セオドア、アイザックが丁度三角形を描くような位置どりだ。セオドアは三者の中で一番街側にいる。


(早く、精霊王召喚の門を閉ざさねば……)


〈暴食のゾーイ〉は封印状態でシリルの手元にある。となると、あの精霊王召喚の門を維持しているのは、間違いなくセオドアだ。

 セオドアの魔力が尽きるか、意識を失うかすれば、精霊王召喚の門は維持できなくなるだろう。

 門から溢れ出す闇の魔力は、ラウルが吸い上げてくれているが、それもいつまでも続けられるものじゃない。攻めるなら今だ。

 だが、シリルの胸に小さな疑問が浮かぶ。


(……セオドアは、何故、何もしない?)


 シリルは、闇の精霊王召喚の門を、冥府の門に限りなく近いものと考え、セオドアがこの門から死者を呼び戻そうとしているのではないか、と推測した。

 アイザックが言うには、目の前にいるセオドアは、本物のセオドアではなく、セオドア・マクスウェルを食べて取り込んだ、黒竜なのだという──それでも、これだけの手間をかけて門を開いたのなら、やはり、目的は死者に会うことと考えるのが妥当だ。

 だが、目の前にいるセオドアがそれらしき動きをする様子はないし、開いた門からは闇が垂れ流しになるだけで、死者が出てくるわけでもない。

 門を開いたセオドアは、どこかぼんやりとした顔で、こちらを──シリルを見ている。


 目が合った。


 白目の部分が黒く染まった、金色の眼が、シリルを見ている。

 血泡に汚れた唇が、ゆっくりと動く。


「約束したんだ」


(約束? ……誰と、何を?)


「約束は、守らなきゃ……」


 セオドアがシリルを見据えたまま、一歩前に進み出る。

 指先まで痺れるような酷い悪寒が、シリルの全身を支配した。


(何かがおかしい、私は何かを見落としている、何だ? 何を見落とした?)


 シリルは咄嗟に左手でモニカを抱き寄せ、右手の中指にある指輪を見た。

〈識守の鍵ソフォクレス〉の強力な結界は、まだ持続している。簡単には破壊できないはずだ。


(ラウルの薔薇要塞があるうちに、早く攻撃を……)


 シリルが詠唱を口にしたその時、セオドアの姿が消えた──違う、消えたんじゃない。その全身が黒いモヤに包まれ、周囲に漂う闇に同化して見えたのだ。

 人の形をした黒いモヤの中で、金色の眼だけがその色を残して、爛々と輝いている。

 そのモヤは一瞬で大きく膨れ上がり、人とは異なる形を作る。

 翼を広げた巨体、太い手足に鋭い爪、モヤが晴れていくにつれ、その全身を覆う黒く艶やかな鱗が露わになる。


 ──魔法生物一級危険種、黒竜。


 地を震わせる獰猛な咆哮が、鼓膜を叩く。


『いかん、下がれっ!!』


 ソフォクレスが叫ぶのと、黒竜がその口から黒い炎を吐くのはほぼ同時だった。

 精霊王召喚の門から溢れ出す闇を、更に煮詰めたような純度の高い漆黒の炎がユラユラと揺れて、ソフォクレスの結界をなめるように焼き尽くす。

 黒竜の炎は、ありとあらゆるものを焼き尽くす冥府の炎。触れたら最後、灰になるしかない。

 炎はあくまで、ソフォクレスの結界だけを焼いた──が、それで安心はできない。黒竜は翼を広げ、飛翔した。

 サザンドールの空に、黒竜の黒いシルエットが浮かび上がる。


「シリル! そこを離れろっ!」


「副会長っ!」


 アイザックとグレンが同時に叫んだ。二人はシリルよりも先に気づいたのだ。

 あの黒竜が狙っているのが、シリルであることを。

 飛翔した黒竜が旋回し、シリルに向かって急降下する。

 シリルは考えた。あの黒竜の狙いはなんだ? 最も高威力な魔術を使うモニカか? 強力な防御結界を使う〈識守の鍵ソフォクレス〉か? ──答えは、否。


(──これか!)


 右手に握った、封印状態の〈暴食のゾーイ〉──おそらく黒竜はこれを狙っている。だから、その気になれば結界ごとシリルを焼き尽くせるのに、加減をして結界だけを焼いた。

 セオドアは既に〈暴食のゾーイ〉が無くとも、影の一部を操り、精霊王召喚に成功している。

 それなのに何故、封印状態の〈暴食のゾーイ〉を必要としているのかは分からない。ただ、渡してはいけないと、シリルは直感で悟る。


「……シ、リル、様?」


 腕の中で小さな声がした。

 シリルの腕の中で、モニカが僅かに身じろぎをしている。

 白い瞼がユルユルと持ち上がり、薄く目が開く。その目はまだ焦点を結んでおらず、ボンヤリしていた。


(守ると、決めたんだ)


 シリルは己の指から〈識守の鍵ソフォクレス〉を引き抜き、モニカの左手の人差し指に嵌めた。

 ボンヤリとシリルを見上げるモニカが、ヘニャリと笑う。ただ寝ぼけただけかもしれない。

 シリルはモニカを抱く腕に一瞬、力を込め、そして立ち上がった。


「ダドリー、ソフォクレス! モニカを守ってくれ!」


 シリルは抱き上げたモニカをグレンに押し付け、自身は〈暴食のゾーイ〉を胸に抱いて、走る。


(このまま、セオドアの魔力が尽きるまで逃げ切れれば、勝機はある……!)


 案の定、急降下してきた黒竜はモニカやグレンには目もくれず、シリルに向かって爪を振り下ろす。

 シリルはまだ周囲に色濃く残っている黒いモヤと、ラウルの薔薇の蔓に身を隠して、巨大な爪をかわした。

 だが、シリルが回避できたのは、その一度だけだ。


『馬鹿者──っ!』


「シリル!」


「そっちは駄目!」


 ソフォクレスが、トゥーレが、ピケが叫ぶ。

 漂う黒いモヤで視界が不明瞭だったせいで、シリルは気づかなかったのだ。己が逃げながら海に近づいていたことに。回避した先に、地面がなかったことに。


 ドボンと大きな音を立て、シリルは〈暴食のゾーイ〉を胸に抱いたまま、海に落ちた。

 流出した闇の魔力で黒く濁った、水竜の集う海の中に。


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