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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝12:開け、門
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【31】人から奪ったご馳走で

(わたし、ちゃんと、戦えてるかな)


 杖を握りしめ、魔術の維持に全力を注ぎながら、頭の隅でモニカは考える。

 魔術式は理解できる、魔力操作も体が覚えている。

 それでも、こういう戦いの場での立ち回りは正直、自信がない。

 杖もあまり手に馴染まないし、きっと記憶を無くす前の自分は、あまり戦闘が得意ではなかったのだろう。

 汗ばむ手で杖を握り直していると、不意に足元に何かが触れた。

 視線を落とすと、黒いモヤで覆われた足元に猫の尻尾が見える。


(こんなところに……猫?)


 いけない。今は他のものに気をとられている場合ではないのだ。

 モニカはフルフルと首を小さく振って、再び魔術の維持に意識を集中する。

 足元で猫が、ニャーウと鳴いた。



 * * *



(……詠唱完了)


 シリルは長い詠唱を終えると、上空にいるグレンを見た。グレンもまた、シリルを見て頷き返す。


(たとえ影は削れずとも……氷属性だから、できることがある)


 シリルは魔術を専門的に学んだわけではないが、それでも短縮詠唱や多重強化術式についても学んでいる。

 今、シリルが使おうとしている魔術も、多重強化術式だ。

 多重強化と一口に言っても、強化の仕方は幾つかあった。特にベースとなる魔術が単体攻撃か、範囲攻撃かで、扱いが大きく変わってくる。シリルが選んだのは後者だ。


(……範囲指定固定型、二重強化術式、展開!)


 セオドアを守る鳥籠の周囲に、四本の氷の柱が生まれた。地面に青白い光が走り、柱と柱を繋いで、魔法陣を描く。

 その中央でセオドアが驚いたような顔をするが、もう遅い。

 セオドアは己を守るために、〈暴食のゾーイ〉で鳥籠を展開し、結果逃げ道を無くしたのだ。


「たとえ、伝説の黒竜と言えど……この寒さには、耐えられまい!」


 氷の柱に囲まれた空間の中で、二重強化された冷気が巻き起こる。

 もしそれが、氷の矢のように武器の形で攻撃する術だったら、影が叩き落としていただろう。

 だが、指定された範囲の中で巻き起こる強烈な寒さは、〈暴食のゾーイ〉と言えど、攻撃できない。

 柱に囲まれた空間の中で空気中の水分が凍り、朝日を反射してチカチカと輝く。


「さ、さ、寒いぃぃぃ……っ」


 セオドアがその場にしゃがみ込んだ。人間にだって耐え難い強烈な冷気なのだ。竜である彼には抜群に効くだろう。

 セオドアも〈暴食のゾーイ〉もすぐに、この冷気が脅威であることに、そしてこの冷気を維持しているのが四本の氷柱であることに気づいたらしい。

 セオドアを囲う影の檻が分散し、四本の氷柱を攻撃しようとした。

 だがそれをモニカの風の刃が、アイザックの水の短剣が、サイラスの雷の槍が邪魔をする。

 氷柱を維持する時間が長いほど、セオドアを弱らせることができると、この場にいる誰もが分かっているのだ。

 今、セオドアと〈暴食のゾーイ〉の意識は完全に氷柱に向けられている。

 そんな中、飛行魔術で鳥籠の真上に飛び上がった者がいた。



 * * *



(やばいやばいやばい、このままじゃ冬眠しちゃう……っ!)


 セオドアはガチガチと歯を鳴らしてその場にしゃがみ、背中を丸める。

 あの氷魔術の使い手のことを、完全に侮っていた。

 大抵の攻撃は影で対処できるが、鳥籠の隙間から入り込んでくる冷気ばかりは、どうにもできない。


 ──オナカヘッタ! オナカヘッタ! オナカヘッタ!


 騒ぎ立てる〈暴食のゾーイ〉に言葉を返すことすらできぬまま、セオドアが眠気と戦っていると、不意に肩が重くなった。

 頬にふわりと柔らかな毛並みを感じる。霞む視界にボンヤリと見えたのは、雪のように白い毛並みだ。


「その美味しいは、嬉しかった?」


 穏やかで、優しくて……それなのに酷く冷たい声。

 その声の主をセオドアは知らない。会ったこともない。それでも、本能が知っている。

 これは、これは、自分の天敵の……!


 ──オナカヘッタ! オナカヘッタ! チョウダイ! チョウダイ!


「人から奪ったご馳走で、幸せになれた? 満たされた?」


 おそらくその声は、セオドアではなく、〈暴食のゾーイ〉に話しかけているのだろう。

 それなのに、セオドアは自分の胸に氷の楔を穿たれたような心地を覚えた。

 長い年月を生きた同族の冷ややかな言葉が、幼く未熟な自分に対する断罪に聞こえたのだ。

 人間の言葉以上に、同族の言葉は重く響く。

 セオドアは悴む右手を振り回し、肩の上に乗っているその生き物──白いイタチを振り払おうとした。だが、寒さで体が思い通りに動かない。

〈暴食のゾーイ〉を抱えた左手に痛みが走った。あの白いイタチが噛み付いたのだ。


「痛いっ、痛い痛い痛いっ!」


 耐えきれず緩んだ左手から、〈暴食のゾーイ〉が転げ落ちる。あぁ、大変だ、急いで拾わなくては。

〈暴食のゾーイ〉の中から黒い矢が飛び出し、白いイタチに襲い掛かる。イタチは〈暴食のゾーイ〉には見向きもせず、鳥籠の外に逃げ出した。


(あぁ、良かった。怖いやつはいなくなった。早く、〈暴食のゾーイ〉を……)


 セオドアが悴む指を〈暴食のゾーイ〉に伸ばしたその時、頭上で轟音が響いた。



 * * *



 グレンは自身の体の前で軽く手を広げる。両手のひらの間に生み出した火球。それをギュッと圧縮して固めるイメージ。

 ヒューバードに術式を教えてもらってから、グレンは暇さえあればその術式を復唱し、分解と再構築の書き取りをしていた。

 食事の時間も、休憩時間も、ベッドに入って寝るまでの時間も、ずっとだ。

 あんまり魔術式のことばかり考えていたので、ルイスに話しかける時、「あ、師匠」と言うつもりが、うっかり魔術式を口走ってしまい、「攻撃宣言かクソガキ」と顔面を鷲掴みにされたほどである。

 それぐらい、寝ても覚めても睨み合っていた魔術式だ。少し意識を集中すれば、頭の中にすぐに思い浮かぶ。


(集中、集中……)


 多重強化術式は、術者の魔力量に大きく影響される。

 飛び抜けて魔力量の多いグレンなら二重強化でも、上級魔術師の三重強化に近い威力が出せた。

 その分、失敗した時の反動も大きい。一歩間違えれば、大惨事だ。


(もう、失敗はしない)


 完成した火球を抱え、グレンは飛行魔術で急降下する。グレンの二重強化火炎魔術は、完成したらすぐに放つ必要があり、かつ距離が固定されているためだ。

 的にピッタリ攻撃を当てる距離の測り方と、術を放つタイミングは、何度も何度も練習した。


「ギュギュッとして……」


 手の中の火球を最大圧縮。そして、放つ。


「ドッカーン!」


 グレンの手元を離れた火球が、鳥籠の真上に落ちる。

 サイラスとアイザックが素早く後ろに飛んで、鳥籠から離れた。

 火球が鳥籠の天辺に触れた瞬間、ドンと何かを叩くような低く重い音がして、耳が痛くなるほどの爆発音が響く。鳥籠に炸裂した炎が花弁のようにパァッと広がり、辺りを赤く照らした。

 シリルの氷柱が砕けて、蒸気と土埃が周囲に広がる。


(オレの役目は、ここからだ……っ!)


 グレンはポケットに手を突っ込み、飛行魔術で炎と蒸気の中に飛び込んだ。



 * * *



 セオドアはパニックになっていた。

 冬眠しそうなほどの冷気、白いイタチの言葉、取り落とした〈暴食のゾーイ〉──そこに叩きつけられた、強烈な炎。

 氷柱の破壊に影を割いていたのが、完全に仇になった。鳥籠は散り散りになり、爆音と熱風がセオドアの全身を襲う。

 辛うじて残った影がセオドアの体を守ってくれたが、その影もボロボロと砕け散っていく。もう、セオドアを守る鳥籠はないのだ。


(ゾーイ、ゾーイ、どこ……っ!?)


 黒いモヤと蒸気で、視界は非常に不明瞭だ。だが、靴の先にコツリと触れる物を感じて、セオドアはすぐにそれを拾い上げた。黒い宝石箱は傷一つない。


「あぁ、良かった、ゾーイ。遠くにいってなかったんだね」


〈暴食のゾーイ〉の返事はなかった。黒い宝石箱は蓋を閉ざしたまま、黙して語らない。

 もしかして、今の攻撃で不具合が出たのだろうか、影を使い切ってしまったのだろうか。


「ゾーイ、ゾーイ、どうしたんだい? 返事をしておくれよぉ……!」


 セオドアは焦って蓋に手をかけた──その瞬間、指先に強い痺れが走る。

 これは、雷の魔術による攻撃だ。


「ぎゃぁっ!?」


 痛いなんてものじゃない。危うく意識が飛びそうになるほど、強烈な電撃だった。

 思わず膝をつくセオドアの手の中から、黒い宝石箱がポロリと落ちて地面に転がる。

 その拍子に、宝石箱の蓋が開いた。


「…………え」


 開かれた宝石箱の中は黒いが、それは闇で満たされているからじゃない。黒い布が貼られているからだ。

 これは〈暴食のゾーイ〉ではない。見た目は恐ろしく似ているけれど、よくよく見ると宝石の色味が微妙に違う。


 セオドアは知らない。


 それが帝国の天才職人、〈神眼〉カリーナ・バールが作り上げた〈有り合わせの宝石箱〉であることを。


 蒸気の中に飛び込んだグレンが、〈妖精の宝飾布〉で本物の〈暴食のゾーイ〉を包んで回収し、よく似た〈有り合わせの宝石箱〉を足元に転がしたことを。


 ……そして、背後に雷の槍を構えた〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジと、水の短剣を構えたアイザック・ウォーカーがいることを。



 * * *



 グレンの攻撃の余波で周囲が蒸気と土埃に包まれているが、対竜用索敵魔導具を使い、アイザックとサイラスはすぐにセオドアを捕捉した。

 セオドアは鳥籠があった場所にへたりこみ、偽物の宝石箱を見つめて呆然としている。

 そんなセオドアの背中を見下ろし、アイザックは目を伏せた。

 脳裏によぎるのは、ルガロアの街で情報収集の際に接触した、竜騎士団の男の言葉。

 数多の竜害に立ち向かってきたその男は、自嘲混じりにこう言っていた。


 ──言葉の通じない相手なら災害と割り切れた。それなのに、人間臭い話し方をされたら、憎みたくなってしまう、と。


 だけど、アイザックは思わずにはいられない。


(……憎めなくなってしまうのも、辛いものだな)


 きっと、〈暴食のゾーイ〉の被害者やその家族、そして、イヴァンジェリン号事件被害者の遺族は、この竜を恨むだろう。憎むだろう。アイザックはその憎悪を痛いほど理解できる。

 だからこそ、自分は憎悪ではなく悲哀をもって、この竜を討とう。

 きっとこの竜は、悲哀すら必要ないと言うのだろうけれど。


「君と、もっと言葉を交わせなかったことを……悲しく思うよ」


 そう呟くアイザックの横に、サイラスが並ぶ。

 サイラスもまた、セオドアに憎悪を向けてはいなかった。

 ただ静かに覚悟を決めた顔で雷の槍を構え、低い声で告げる。


「これで、終わりだ。ミネルヴァの黒竜」


 水の短剣がセオドアの首を斬り裂き、雷の槍がセオドアの心臓を貫く。

 人と同じ色をした血が飛び散り、セオドアの体は黒いモヤの中に沈むように倒れた。



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