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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝12:開け、門
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【29】何度だって、好きになる


 セオドアの動きが止まった。セオドアは〈暴食のゾーイ〉を腹に抱いたまま、目を見開いてモニカを見上げている。

 ただ、〈暴食のゾーイ〉から吐き出される影は止まらず、モヤは増え続ける一方だし、セオドアとアイザックを隔てる檻のような柱もそのままだ。あの檻がある限り、攻撃できない。

 アイザックは一度、セオドアとの距離を空けた。ネロも同様に地面に降り立ち、黒いモヤの中に潜むように潜り込む。

 今、闇の精霊王召喚と同じぐらい優先的に阻止しなくてはならないのは、水竜のサザンドール侵入。

 ウィルディアヌの力は切り札だ。ここで使うべきか、とアイザックが思案している間に、事態は動いた。


「凍れっ!」


 倉庫の影から飛び出し叫んだのは、肩に白いイタチを乗せたシリルだ。横に金髪の女──氷霊アッシェルピケも伴っている。

 シリルの魔術が、港と海の境に氷の壁を築いて水竜の侵入を防ぐ。既に陸に侵入していた水竜は、ピケが氷漬けにした。

 何故、ここにいる──アイザックがそう怒鳴るより早く、シリルがアイザックに駆け寄り、叫んだ。


「ご無事ですか、アイザック……!」


 アイザックが目を見開き驚いていると、シリルは恥ずかしそうにボソリと付け加える。


「……さん」


 アイザック、さん。

 率直に「おい」と思ったアイザックは、心の中で「この野郎」と三回復唱して心を落ち着かせ、シリルにとびきり冷ややかな目を向けた。


「どうして君は、この状況で、そんな気の抜けることが言えるんだ」


「も、申し訳ありませんっ、ウォーカー殿っ!」


 心の距離が更に開いた瞬間である。

 アイザックとシリルが限りなく不毛なやりとりをしている間に、セオドアを挟んだ向かい側では、サイラスが体勢を立て直していた。

 サイラスは雷の槍を構え直し、モニカに向かって吠える。


「沈黙の姐さん、ァザァーッス!!」


 ビリビリと空気を震わせるような大声に、こちらに向かって下降していたグレンの背中で、モニカが「えぎゅふぅっ!?」と奇声をあげた。


「はひゅっ、は、はへ……ぁっ、ぁっ、わた、し……?」


 目をギョロギョロさせているモニカに、グレンがいつもの口調で言う。


「モニカ、褒められてるんすよ!」


「あっ、あっ、はひっ……」


 あの動揺具合──やはり、モニカの記憶が戻ったわけではないのだ。


(そうか、喰われたのは思い出だけで、魔術の知識は残っていたのか……!)


 セオドアは呆然と立ち尽くし、そんな彼を守るように〈暴食のゾーイ〉から飛び出した黒い檻が、鳥籠のように彼を覆って守っていた。闇の精霊王召喚までの時間を稼ぐつもりか。

 サイラスは攻撃の隙を狙って槍を構えており、モニカを背負ったグレンはアイザックのそばに着地する。

 アイザックはモニカの元に駆け寄りたい衝動を堪え、シリルを睨みつけた。


「シリル。……何故、モニカを連れてきた」


 低く押し殺した声に滲む怒りは、脅しではなく本物だ。

 アイザックの本気の怒りにあてられたシリルは、一瞬怯んだように肩を震わせた。それでもすぐに表情を引き締め、背筋を伸ばして堂々と答える。


「彼女の意思です」


 ふざけるな、と思った。

 モニカの意思? こんなに追い詰められて、怯えたモニカが、自ら望んでこの場に来たとでも言うつもりか。

 激昂のままに、アイザックはシリルの胸ぐらを掴み、怒鳴った。


「守れと言ったはずだ!」


「守ります!!」


 怒鳴るアイザックに負けないぐらいの声で、シリルが──あのシリルが、アイザックに怒鳴り返した。


「モニカを守って、貴方も助けます!」


 一瞬、目の前が真っ白になった。

 なんで、こいつはこうなんだ。あぁ、まったく、まったく、まったく! 地団駄を踏みたい気分だ!


「君は昔からそうだ。……僕の命令を、斜め上の解釈をして暴走する」


「貴方の危機に、どうして私が馳せ参じないと思ったのですかっ!」


 シリルは必死に言い募る。必死だ。そうだ、彼はいつも必死なのだ。

 必死で、尽くそうとする──嘘吐きのアイザックなんかに。

 歯噛みするアイザックに、シリルは胸ぐらを掴まれたまま堂々と言い放つ。


「私の忠誠心を侮った、貴方の負けです!」


 ガチッと音を立ててぶつかった歯が軋んだ。怒りのあまり、頭がキシキシと痛む。

 だが、アイザックがシリルを怒鳴るより早く、誰かがアイザックの服の裾を引いた。

 グレンの背中から降りたモニカだ。


「わ、わた、わたしが、頼んだんですっ……わたし、ア、アイクを……っ」


 アイザックはシリルから手を離し、モニカを見下ろす。

 震えて掠れた酷い声だ。顔色だって悪い。それでも、彼女はアイザックから目を逸らさなかった。

 あんなにアイザックに怯えていたモニカが、両手で杖を胸に抱いて、真っ直ぐにアイザックを見上げている。


「とっ、とっ、友達を……助けに、来まひたぁっ!!」


 胸を叩くこの感情を、覚えている。

 臆病なのに、勇気を振り絞って最高審議会に挑み、処刑寸前だったアイザックを救ってくれた人は、今もこうして震える足を動かして、アイザックの元に駆けつけてくれた。

 思い出は失われたのに。

 人が怖くて仕方ないのに。

 不良仲間の友人というアイザックの言葉を信じて、ペリドットの首飾りを携えて。

 目の奥が熱くなるのを感じながら、アイザックは持ち上げた右手で前髪をグシャリと握った。


(……こんなの、何度だって好きになるに、決まってるじゃないか)


 サイラスの無事に対する安堵。シリルに対する怒りと呆れ。モニカに対する思慕──もう、色んな感情が混ざってグチャグチャだ。

 その感情の一つ一つを整理する時間が今は無いことを、アイザックは理解していた。


 ──思考を止めるな。常に最悪を想定し、最善を尽くせ。


 一度息を吸って、吐く。


(セオドアはこちらから仕掛けなければ、攻撃を仕掛けてこない。攻撃に魔力を消費したくないからだ。黒竜の姿に戻らないのは、竜の爪だと〈暴食のゾーイ〉が持ちづらいからか。ただし、追い詰められたら元の姿に戻る可能性がある。それと、小動物に化ける可能性も常に想定しなくては。シリルが作った氷の壁は、もってあと数分。水竜が攻め込んでくるのは時間の問題か……)


 アイザックは腰の後ろから二本の短剣を抜く。そして、セオドアを睨み、声を張り上げた。


「あそこにいる男は、セオドア・マクスウェルを喰らって取り込んだ黒竜だ!」


 モニカが、シリルが、グレンが、ポカンとした顔をしている。

 まぁ、そうだろうな、と思いつつ、アイザックは言葉を続けた。


「竜に戻る隙を与えるな! シリル、この場でモニカを守りつつ、氷霊に氷の壁を強化させろ! 水竜を上陸させるな! ダドリー君は上空からセオドアを狙ってくれ!」


 アイザックの指示に、シリルが真っ先に動いた。


「ピケ、頼む!」


「了解」


 氷霊アッシェルピケが、シリルが作った氷の壁を強化する。それでも乗り越えようとしてくる大型種には、無数の氷の剣を放って牽制。

 少し遅れて、グレンが飛行魔術で上空に飛び上がった。

 モニカはアイザックの大きな声に驚いたようで、杖を胸に抱いてアウアウと鳴いている。

 アイザックは、少し声をやわらげた。


「モニカ、できる限り魔力密度の高い魔術で攻撃をしてくれ。あの影は並みの魔術じゃ弾けない」


「は、は、はひっ!」


 モニカはブンブンと力強く頷くと、早速杖をセオドアに向け、風の槍を放った。精霊王召喚には劣るが、二重強化を施した強力な一撃が、セオドアを守る檻を削っていく。

 サイラスも既に飛行魔術で距離を詰め、雷の槍で影の檻を攻撃し始めている。

 援護に向かうべく駆け出そうとしたアイザックを、シリルが早口で呼び止めた。


「ウォーカー殿!」


「親しい人は、アイクと呼ぶよ」


「……? はい、存じております」


 存じているけど、理解していないのだ。この男は。

 アイザックは今一度、「この野郎」と心の中で三回復唱した。そろそろ声に出して良いだろうか。

 そんなアイザックの心情などつゆ知らず、シリルはいつもの調子で報告をする。


「〈暴食のゾーイ〉の鍵穴相当部分にある、緑の宝石──それが、取り込んだものの逆流防止の役割をしているそうです。破壊すれば、奪われたものを取り戻せる可能性が高いかと」


 なるほど、アイザックやモニカが奪われたものを奪い返すなら、そこを狙うのが一番ということか。

 魔術師組合で、シリルはその情報を口にしなかった──つまり、その後のごく僅かな時間で調べて、得た情報なのだ。

 アイザックは唇の端を僅かに持ち上げる。


「シリル、よくやった。君は有能な右腕だ」


「光栄です、殿下! …………あ」


 口を押さえるシリルを、アイザックはギロリと鋭い目で睨んだ。

 この顔で、本気で睨んだのだ。威圧感は相当のものだろう。


「アイクだ。それ以外の呼び方をしたら、君に敬語でかしずいてやるから、覚悟しろ」


 そう言い捨てて、アイザックは短剣を手に走り出した。



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