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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝12:開け、門
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【22】未来への投資

 シリル達が一階に下りた頃には、既に日は沈んでいた。

 手先の器用なカリーナと、肉に飢えているグレンが率先して台所に立ち、夕食の準備をしている間に、シリルはモニカに、メリッサが記した魔術式を確認させる。

 ソファにちんまりと座って魔術式を読むモニカの横には、ラナが座っていた。

 ラナは魔術のことなど、まるで分からないのだろうけれど、それでも彼女が隣にいるだけで、モニカの緊張は目に見えて和らぐのだ。

 夜になって冷えてきたからか、モニカは寝間着の上に、白い上着を羽織っていた。

 この季節に着るには厚手すぎる上着だが、薄い寝間着の上に羽織るには丁度良いらしい。

 一瞬、以前シリルがヤウシュカの街で贈った上着かと思ったが、よく見ると刺繍糸の色が違う。それなのに、シリルはその上着に妙な既視感があった。


(……そうだ、飾り玉)


 上着の飾り紐の先端に白い飾り玉が揺れているのだが、片方だけ飾り玉が欠けているのだ。

 雪の結晶の模様が描かれた可愛らしい飾り玉。その片割れは、おそらく、以前シリルのポケットに紛れ込んでいた物だろう。


(モニカの上着の装飾だったのか)


 あの飾り玉は自室の机にあるので、今は手元にない。今回の件が解決したら、モニカに返そう──などとシリルが考えていると、魔術式を読み終えたモニカが、あうあうと小声を発した。


「あ、あ、あの……っ、これ、読み終わり、ました……」


「できそうか?」


「は、はいっ」


 オドオドしているが、返事に迷いはない。やはり、彼女は魔術の知識を失っていなかったのだ。

 ラナが大きめの髪留めで、モニカの髪をまとめる。露わになった首筋には、ベッタリと黒い影が張りついていた。見ているだけで、背筋がゾワゾワする光景だ。

 モニカが鏡の前に立ち、首の後ろを確認しやすいよう、ラナが後ろで手鏡を掲げる。

 ラナの手鏡に映る首筋を確認しながら、モニカは己の首の後ろに指を添え──眉根を寄せて手を下ろした。


(やはり、いきなり魔術を使うのは難しいのだろうか……?)


 一度、別の魔術で練習をさせた方がいいかもしれない──シリルがそう考えた、その時。


「……んしょ」


 モニカは上着を脱ぎ、寝巻きの胸元のボタンをプチプチ外し始めた。

 ポカンとしているシリルの前で、モニカは緩めた襟元をグッと後ろに引っ張る。

 シリルはモニカの斜め後ろにいたので、モニカの薄い肩や背中がよく見えた。見てしまった。


「……っ!」


 あまり血色の良くない背中に散らばる痣。一つや二つじゃないそれは、明白な暴力の痕跡だ。

 シリルが凍りついていると、ラナがモニカの背中に上着を押し付けた。


「モニカ!!」


「……?」


「男の人の前で、服をはだけちゃ駄目っ!」


「ぁ、ぅぇ? ご、ごめ、なひゃい……」


 何故自分が怒られているのか分かっていない顔で、モニカがモゴモゴと謝る。

 ラナはため息をついて、モニカのはだけた服を直し、シリルを見た。


「アシュリー様……」


「──っ、し、失礼するっ!」


 退室を命じられる前に、シリルはギクシャクと右手と右足を同時に前に出して廊下に逃げる。

 動揺に泳ぐ手で扉を閉めると、手元でヤレヤレという声が聞こえた。


『まったく、青臭い若造なのである』


「……ソフォクレス」


『今見たものを忘れる方法を教えてくれ、などと言われても、吾輩、準禁術は教えられぬぞ? んん?』


 どこか揶揄うような、ねちっこい声の指輪をジロリと睨み、シリルは低い声で呻く。


「そんなこと、言うものか」


 シリルは廊下の壁にもたれ、目を閉じる。

 理性が擦り切れるまで追い詰められた姿。アザだらけの背中。


「……私は、忘れては、いけないんだ」


 思えばセレンディア学園時代から、シリルはモニカが倒れるところを何度も目撃していた。

 あの頃は、なんて世話の焼ける後輩なんだと思っていたが、今なら分かる。

 いつだって、モニカは誰かのために、必死だったのだ。


(あぁ、そうだ、雪山でも……)


 小さな手を血で濡らして、白竜の口の中に飛び込むという無茶をして──そうして、シリルを助けてくれた。


(……不甲斐ない)


 モニカの傷を、涙を、忘れないようにしよう。とシリルは己に誓う。

 それが、優しくない自分の責務だと、シリルは思うのだ。


『識者の道を行く者は、その目に映るのがどんなに残酷な事実であろうと、目を背けることは許されぬ』


 シリルの右手で、〈識守の鍵〉が虹色めいた色に輝く。

 低く穏やかに諭す声は、気が遠くなるほど長い時間、多くの悲劇を見てきた賢人の声だ。


『受け入れ、進め。それでこそ、吾輩が認めた……』


 ──プピィー、ポピィー、ポペポー。


 偉大な賢人の言葉に、気の抜けるラッパの音が重なる。

 その音の大きさに、シリルは思わず目を剥き、リビングに目を向けた。


「な、なんだ、今の音は……っ!?」


『吾輩、今ちょっと良い感じのこと言ってたのにー!!』


「な、……にごとだっ!?」


 怒鳴りそうになるのを「な」の一言でグッと堪え、シリルは低く抑えた声をあげて、リビングに繋がる扉を開ける。

 リビングではモニカを囲って、エプロン姿のグレンとカリーナがはしゃいでいた。


「モニカ、すげーっす! 首の後ろの影が、綺麗になくなってる!」


「わっはー! すごいすごい!」


 グレンは珍しい物を見つけた大型犬のように、モニカの周りをグルグルしており、カリーナは小さな体をピョコピョコ揺らしながら、その足で何やらペダルのような物を踏んでいる。

 ペダルは管でラッパ付きの箱と繋がっており、カリーナの足の動きに合わせて、プピィーポペーと陽気な音が響いた。

 グレンがモニカの前で、大きく両手を持ち上げる。


「モニカ、モニカ! 手!」


「……? ぇ、ぁ、ぇと?」


「バンザイ!」


「ぁ、はひ」


 モニカがオズオズと両手を上に上げ、そこにグレンが大きな手をパンと打ち合わせる。

 モニカが驚いた小動物のように、目を見開いて硬直した。

 そこに、カリーナとラナが続く。


「あたしも、あたしもー!」


「あ、ずるい、わたしも!」


 カリーナとラナも、バンザイをしたまま固まっているモニカの掌に、己の手をパチン、パチンと打ち合わせる。

 大はしゃぎの後輩達に、シリルは思わず眉を吊り上げた。


「お前達、近所迷惑だろう。こんな時間に大声で騒ぐんじゃ……」


 いつもの癖で小言を言うシリルに、グレンが全てを分かっているという顔で、うんうん頷く。


「副会長も、やりたかったんすよね」


「は? いや、私は別に……」


 言いかけ、シリルは口をつぐんだ。モニカが、じぃっとシリルを見ている。

 ラナがニンマリ笑って、モニカの背中を押し、シリルの方を向かせた。


「ほら、モニカ。バンザイ」


「ぅ、んっ」


 頷き、モニカはシリルの前に立ってバンザイをした。

 こちらを見上げる幼い顔は、緊張に強張っているけれど、丸い目にほんの少しの期待が滲んでいる。


「…………」


 後輩達の期待の目に、シリルは敗北した。

 ペタンと指先で触れる程度に、モニカの掌に己の手を合わせると、居た堪れない気持ちで台所へ向かう。


「私はっ、夕食の準備をしてくるっ!」


「副会長、もう終わってるっす」


「なら、遊んでいないで食事にするぞっ!」






 みんなと触れた手を見下ろし、モニカは唇をムズムズさせた。

 ラナの手紙に書いてあった素敵な思い出は、モニカにとって現実味のない夢のようだった。

 だけど、この賑やかな人達と一緒にいると、ふわふわしていた夢の輪郭が、少しずつ明確になっていく気がする。

 取り戻したい、と今まで以上に貪欲に願ってしまう。

 モニカはギュッと手を握り締め、小さく息を吐いて笑った。


「………………ふへっ」



 * * *



 夕食の後、シリル、グレン、モニカの三人はリビングで資料を広げて、モニカが使える魔術の検討や、当日の動きについての打ち合わせを始めた。

 そうなると、ラナにできることはあまり無い。

 せめて、お茶でも淹れようかとラナが台所へ向かうと、カリーナが料理に使った残り火で、何やら作業をしていた。


「カリーナ、何をしてるの?」


「あっ、商会長。あのね、あのね。あたしも、ちょっと皆の力になりたくて」


 そう言ってカリーナは腰のポーチから、次々と工具や塗料を取り出した。

 よくそこまで入るものだと感心するほど、色々な道具が出てくる。

 最後にカリーナはポケットから、ブローチとハンカチを取り出した。ブローチは魔導具だ。


「カリーナ、それって……」


「クリフォードさんが、『ラナに何かあったら、迷わず使え』って持たせてくれた、ちょっと過激な護身用魔導具〜!」


 ラナは思わず額を押さえた。使われている宝石の質からして、かなりの高級品だ。付与された魔術の威力は推して知るべし。

 カリーナになんて物を持たせるのよ……と、魔導具から目を逸らしたラナは、カリーナのハンカチに目をとめる。

 白いリネンの縁にレースを縫いつけた、可愛らしいハンカチだ。その縁のレースに、ラナは見覚えがあった。


「えっ、う、嘘……これって……」


 以前、美術館で見た、帝国の天才レース職人が作った身につける芸術品。

 妖精の羽のように繊細で美しい編み目は、まさに芸術品と呼ぶに相応しい逸品だ。

 ラナは喉を引きつらせた。


「まさか……これ……コルヴィッツレース……っ!?」


「……の、習作〜。コルヴィッツさんが練習で編んだやつを、おねだりして貰ったの。習作だけど、結構良い感じに魔力付与できるよ」


「いやぁぁぁ、ちょっ、ちょっと見せて、よく見せて……っ、あああ、待って、手袋っ。素手で触るわけには……」


 コルヴィッツレースは、物によっては国宝級になる代物だ。

 弟子が作った物は、市場にも多少出回っているが、ヘルムフリート・コルヴィッツ本人が作った物は、まず市場に出回らない。

 何故、その習作をカリーナが所持しているのか。

 ラナが美しいレースと、カリーナの顔を交互に見ていると、カリーナはブローチを手に取り、工具で金具を外し始めた。


「カリーナ、貴女、何を……」


「商会長、あたしね、今まで自分が作ったものが、どう使われるか気にしたことなくて……それで、間違えたの」


 独り言のように呟き、カリーナは取り外した金具を火で炙る。

 カマドの火に照らされるカリーナの幼い顔は無表情で、その顔は、何かに集中している時のモニカに似ていた。


「ちょっと考えれば分かるのにね。女のあたしが、工房においてもらえるのが嬉しくて……見て見ぬ振りしてたんだ。『あたしが作った物がどう使われるかなんて、どうでもいい。好きな物を作れれば幸せだ』って。考えるの、やめてた」


 火で炙った金具を、カリーナは工具を使って折り曲げた。

 少し曲げて炙る。また少し曲げて炙る、を繰り返す。


「今はね、ちゃんと考えて作ってる。あたしの作った物が、モニカちゃんの助けになりますように、って。……そしたらさ、道具も材料も有り合わせなのに、すごく良い物ができる気がするの!」


 無表情だった幼い顔に、誇らしげな笑みが浮かぶ。

 その横顔を見て、ラナは思った。


(……あぁ、この子、うちの商会に欲しいわ)


 無論、今はそんなことを言っている時ではないので、口にしたりはしない。

 代わりにラナは、作業テーブルのそばにある椅子に座り、袖を捲る。


「わたしに手伝えることはあるかしら?」


 カリーナは作業の手を止め、「わはっ」と声をあげて笑った。


「じゃあね、じゃあね、このハンカチに縫いつけてほしいパーツがあって……あと宝石、ちょっと足りなくて……」


 カリーナは、後半になると遠慮がちに声を萎ませる。

 ラナはためらわず、身につけていたアクセサリーを外し、テーブルに載せた。


「いいわ、好きなだけ使って」


 ラナはまだ少し申し訳なさそうにしているカリーナに、とびきり可愛らしくウィンクをして、宣言する。


「これは、サザンドールの未来への先行投資よ」


【料理の腕前】


↑料理上手


アイザック:舌の肥えたラナ・コレットがプロの味と認めた腕前。


メリッサ:器用なので、やろうとすれば美味しい物が作れるけれど、まずやらない。年に一、二回、やたら凝ったご馳走を気紛れに作る。


グレン:肉料理以外にも割と色々つくれる。大味だが大体美味しい。


ラウル:野菜料理メイン。素材の味を大事にする派。


サイラス:普通。高齢の師匠のために、なるべく薄味にしている。


レイ:器用なのでその気になれば普通に作れるが、食べることに興味がなかったので使用人任せ。ある日、「フリーダと一緒に台所に立つって素敵じゃないか!」と思いつき、ソワソワと台所に赴くも、フリーダの手際が良すぎて、できることは何もなかった。味見はさせてもらった。


シリル:基本的に作る機会は無いが、簡単な物を作ったり、お手伝いぐらいはきちんとできる。指示を守る。


モニカ:お手伝いも微妙に怪しい。指示を独自解釈する。計量は任せてください(精密天秤を掲げつつ)


ルイス:独身時代は自炊してたし、普通にできるつもりでいるが、仕上げのジャムで大体台無し。ジャムを入れなければ普通。


ネロ:食べるの専門。


ヒルダ・エヴァレット:何もしないでください。


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