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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝12:開け、門
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【10】モニカ・レインは猫になりたい


 アイザック・ウォーカーは、みっちりと文字と計算式を書き込んだ紙を睨みつける。

 紙に記されているのは、対竜用索敵魔導具を無効化する魔導具を、肝心の竜が丸呑みしてしまった場合の検証をしたものだ。

 アイザックはその紙をグシャグシャに丸めて、放り投げた。

 この数時間の努力は放物線を描き、クズカゴの中心にポスンと落ちる。


「索敵無効化魔導具は、索敵用魔導具が発する魔力に反応して、装着者の魔力の質を変える物だ」


「おぅ。つまり、どういうことだ?」


「本来、内部に取り込んでいては意味がないんだよ。だけど……」


 アイザックは、テーブルにちょこんと座る黒猫姿のネロの前に、手のひらほどの大きさの円盤を置く。

 時計盤に似たそれは、サイラス・ペイジが作った対竜用索敵魔導具の複製品だ。ただし、あくまで検証用なので、索敵距離はほんの一、二歩分しかない。

 その複製品を、アイザックはテーブルの前に座るネロに向かって使用した。円盤は、何も反応を示さない。


「……どういうわけか、索敵無効に成功している」


「つまり、大成功ってことだろ。さすがオレ様!」


 ネロは得意気にニャッフンゴロゴロと喉を鳴らし、納得いかない顔をしているアイザックの腕を、前足でテシテシと叩いた。


「おい、もっと喜べ! そして、オレ様を褒め称えろ!」


「……どうしてそうなったのかが解明できなくて、満足する研究者がいるかい?」


「お前、言うことがモニカに似てきたな?」


 ネロが魔導具を食べたことで、ネロの体は索敵を無効化できるようになった。だが、その無効化がどれだけ保つかは、分からない。

 そもそも、強力な古代魔導具と違い、現代魔導具は魔法生物である竜や精霊が使用することを想定していないのだ。

 だから、ネロに装着してもらった後は、誤作動を起こしていないか、定期的にチェックするつもりでいたのだが、体内に取り込まれてはそれも叶わない。


「ネロ、上位種の竜は取り込む物を任意で選択したり、再現したりできるのかい?」


「知らね」


 アイザックは目を細めて、唇の端を持ち上げた。

 ニコリと微笑んだつもりだが、恐らくネロには冷笑に見えているだろう。


「……僕に、解剖の知識が無くて良かったね?」


「やっぱお前、モニカに似てきたな?」


「弟子だからね」


 素っ気なく返して、アイザックは壁掛け時計に目を向けた。

 そろそろ日付が変わる時間だ。モニカ達はとっくに就寝している。

 それでもアイザックは検証用の魔導具や資料を片付けると、別の資料を取り出した。

 セオドア・マクスウェルの行動記録と、〈暴食のゾーイ〉盗難事件の顛末を記した物だ。そこに、今日メリッサ・ローズバーグから聞き出した情報を書き加えていく。


「オレ様、また外を見回りに行くけどよぉ。お前は寝なくていいのか?」


「やることは、まだあるからね」


「へー、そうかよ」


 ネロはそれ以上は追及せず、窓から出ていった。

 アイザックは目だけを動かしてネロを見送り、再び紙面と向き合う。

 アイザックは独自にセオドア・マクスウェルのことを調べていたが、それでも、秘匿されていた情報は多い。ピストラウネの幻竜の件がそれだ。

 豪華客船イヴァンジェリン号を沈没させた、ピストラウネの幻竜。

 船員が哨戒していたにも関わらず、突然現れたその大型水竜には、いくつかの噂がついて回っている。


『イヴァンジェリン号には罪人が乗っていたから、竜が罰を与えた』


 この噂は、イヴァンジェリン号に、罪人セオドア・マクスウェルが乗っていたことを示唆していたのだろう。

 そして、気になるのはもう一つの噂。


『ピストラウネの幻竜は船の財宝を独り占めすべく、沈んだ船の周りを彷徨い続けている』


 もし、アイザックの予想が正しければ、この噂は重要な意味をもっているはずだ。


(……それならば、空白の期間にも納得がいく)


 検証を重ねるほど、自分の予想が確固たるものになっていく。

 そして、自分が立ち向かうべき相手の恐ろしさに、戦慄せずにはいられない。




 検証を続けて小一時間ほど経った頃、アイザックは冷たくなった指先を軽く開閉し、立ち上がった。眠気覚ましにコーヒーを淹れようと思ったのだ。

 何気なく壁の方に目を向けた拍子に、壁掛け鏡が目に入り、アイザックは動きを止める。

 燭台の火に照らされる暗い部屋。そこにぼぅっと浮かび上がるように映るのは、眼帯をした目つきの悪い男だ。


「…………」


 鏡の中に、優しい王子様はいない。

 そのことを思い知る度に、アイザック・ウォーカーは絶望し、鏡を叩き割りたい衝動に駆られる。


 ──これは誰だ。どうして死んだ筈の人間が鏡に映っているんだ。返してくれ、返してくれ、みんなから愛されていた、あの優しい王子様を返してくれ。


 鏡の中に映る男の顔が、卑屈に歪む。目つきの悪さのせいで、見下し嘲笑っているようにも見えた。

 はっ、と吐いた呼吸は、己に向けた嘲笑だ。

 アイザックは鏡から目を逸らし、ふらつく足でキッチンへ向かう。


(……取り戻すんだ。絶対に)



 * * *



 暗い闇の中で、モニカは目を覚ました。暗い、暗い、真っ暗だ。


(ここは、どこだっけ)


 モニカの意識は現実と数字の世界を交互に揺蕩っていて、何もかもが曖昧だ。

 それでも現実に戻ってくると、モニカの思考はゆっくりと働きだす。

 知らない場所。そう、ここは知らない場所なのだ。モニカの家でも、叔父の家でもない、知らない家。

 この家には、大きくて怖い人がいる。それと、女の子が二人。お姫様みたいな女の子と、元気なお団子の女の子。

 女の子二人はモニカのそばに座って、一緒にご飯を食べたり、他愛もないことを喋ったりした。お風呂にも入れてくれた。寝る前に「何かあったら、呼んでね」と言ってくれた。


(どうして、あの人達は、わたしに優しくしてくれるんだろう)


 モニカは毛布に包まったまま、モゾモゾと起き上がり、窓の外を見た。

 窓辺に何かいる。真っ暗な夜の闇の中、モニカを見ているのは、金色の目だ。


(……猫だ)


 金色の眼の黒猫は、モニカが窓辺に近づくと、ニャーウと一鳴きして、すぐに背を向けた。

 真っ黒な毛並みは夜の闇に紛れて、あっという間に見えなくなる。

 それでもモニカは、窓の外をじっと見つめ続けた。


(……猫はいいなぁ)


 猫を見る度に、モニカは思う。

 だって、猫は人と距離を取るのが上手い。自分のことは自分でできる。

 きっと猫には猫の苦労があるのだろうけれど、それでもモニカには、猫という生き物が、とても生きるのが上手に見えたのだ。

 生きるのが下手なモニカは、それが羨ましい。


 ──だから、モニカ・レインは猫になりたい。


 モニカは裸足のまま、ベッドを下り、ペタペタと歩き出した。

 あの黒猫を追いかけよう、と衝動的に思ったのだ。

 扉を開けた先には暗い廊下が伸びている。モニカは燭台も持たず、真っ暗な廊下を歩いた。

 この家で目を覚ましてから、殆ど数字の世界に逃避していたモニカは、廊下の長さも、階段の方向も、全て数字で覚えている。風呂に行く時に記憶したのだ。

 先の見えない廊下でも、自分の歩幅と、記憶の中の数字を照らし合わせながら歩けば、すぐにつま先が階段に触れた。


(猫、猫、どこだろう)


 階段を下りた先、一階の部屋にはボンヤリと灯りが見えた。誰かが起きているのだ。


「……モニカ?」


 部屋の奥、キッチンに繋がる扉から誰かが姿を見せた。大きくて怖い人だ。

 大きくて怖い人は、大きくて怖い。

 モニカはその場にうずくまり、震える両手で頭を庇った。



 * * *



 キッチンでコーヒーを淹れていたアイザックは、階段を下りてくる誰かの足音を、ラナかカリーナのものだと思っていた。

 手洗いか、それともいつもと違うベッドで寝つけず、何かを飲みに来たか。

 後者ならよく眠れるハーブティーを用意しよう、と持ち前の従者気質で考えていた彼は、リビングに顔を出して仰天した。

 灯りも持たず、寝間着姿で佇んでいるのはモニカだ。


「……モニカ?」


 思わず声をかけてから、しまった、と思った。

 案の定、アイザックに気づいたモニカは、両手で頭を庇って、その場にうずくまる。

 アイザックは手を伸ばした姿勢のまま、硬直した。

 近づいて、抱き起こして、大丈夫だよ、と優しく声をかけて寝室まで運んでやりたい。

 だが、今のアイザックはモニカにとって恐怖の対象なのだ。近づくだけで、モニカの呼吸は過呼吸寸前の危ういものになる。

 ラナかカリーナを呼ぶべきだ。だが、二人が寝ている二階の客室に行くには、モニカのそばを通らなくてはいけない。

 無力さに立ち尽くすアイザックの耳に、嗚咽まじりの声が届いた。


「あ、ぁっ、わた、わたし、ねこ、さがして、ねこ、あぁ、うあ……ごめ、なさ……っ」


 最後の方は、途切れ途切れな「ごめんなさい」になってしまったが、辛うじて最初の方だけ聞き取れた。


 ──猫、探して。


 アイザックは咄嗟にその場にしゃがみ、ポケットからハンカチを取り出した。

 もう、随分と久しぶりなのに、指先はどうすれば良いかを覚えている。

 畳んで、丸めて、引っ張って──そうして作ったハンカチ人形の猫をモニカに差し出し、アイザックは強張った顔で口を開いた。


「…………、…………にゃー」


 モニカは頭を抱えたまま、少しだけ顔を動かして、アイザックの方を見た。

 涙の膜の張った丸い目が、ハンカチ人形の猫をじっと見つめる。


「…………」

「…………」


 二人が無言で硬直したまま、どれだけ時間が経っただろう。


「モニカ、やだ、起きてたの? 声をかけてくれれば良かったのに……」


 燭台を片手に、階段を下りてきたのはラナだった。

 アイザックは素早く立ち上がり、ハンカチ人形を背に隠す。

 寝ぼけ眼を擦っていたラナは、そこでようやくアイザックに気づいたような顔をした。


「ウォーカーさん、まだ起きてたんですか?」


「君が来てくれて助かった。……モニカを、部屋に連れて行ってあげてくれないかい?」


 ラナは困惑顔で「え、えぇ」と頷き、モニカに声をかける。


「モニカ、立てる?」


「あ……ぅ……ぁい」


 ラナに手を引かれて寝室に戻るモニカの背中を見送り、アイザックは深々と安堵の息を吐く。

 今の一幕が、ラナに見られていなくて良かった。

 成人男性の「にゃー」は、かなり苦しい。


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