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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝12:開け、門
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【4】ラナ・コレットは知っていた

 魔術師組合サザンドール支部の支部長室、支部長席にて、メリッサに「アタシが出かけてる間、指令代理よろしく」と全てを押しつけられた〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトは頭を抱えていた。


「無理だ……無理だろ……俺に指令代理とか……作戦立てたり指示したりは、どう考えても俺向きじゃないだろ……普通に支部長にやらせればいいだろ……俺にできるのは、他人を恨んで呪って苦しめることだけなんだぞ……」


 ブツブツと弱音を口にして、レイはギュッと目を瞑る。

 レイにできるのは呪いだけ──だが、それではフリーダを救えない。


(俺に……呪術師である俺に、できること……)


 葛藤していたレイは目を見開き、ゆらりと顔を上げて、ピンク色の目をピカピカと輝かせた。


「そうだ、俺にできるのは誰かを苦しめること……つまり、セオドア・マクスウェルを苦しめる、悪の指令官になれば良いんじゃないか……! ありとあらゆる手段でセオドアを追い詰め、苦しめる……あっ、できる。これならできる気がする……くく、くくくくく……っ」


 レイは地図を睨みつけ、セオドアを追い詰める方法を考える。

 自分は悪の司令官なのだと思い込むと、頭がギュンギュン回転して、良い策が思い浮かぶ気がしてきた。

 邪悪な笑顔で地図を睨み、策を練るレイの背後で、飛行魔術を使って飛んできたサイラスと、そのサイラスに横抱きにされたメリッサが窓から室内に入ってくる。

 だが、悪の司令官になりきっているレイは気づかない。


「ちょっとぉ、汗臭いわよ、竜滅」


「仕方ねぇだろ、一日飛び回ってたんだから。ほら、下ろすぜ」


「下ろし方が雑っ! レディはガラス細工のつもりで扱いな!」


 背後で二人が騒いでも、悪の司令官になりきっているレイの耳には届かない。

 悪の司令官は地図に作戦を書き込みながら、邪悪な顔で笑った。


「ここに罠をしかけて、こっちに〈竜滅の魔術師〉と〈沈黙の魔女〉を配置して……くくく……できる、今の俺ならできる……! さぁ、苦しめ、苦しむがいい、セオドア・マクスウェル……っ!」


「邪魔よ、どきな」


「ひぎゃぶっ!?」


 メリッサに椅子を蹴られ、悪の司令官レイ・オルブライトは椅子から転げ落ちる。

 メリッサはレイが座っていた椅子に足を組んで座ると、レイが作戦を書き込んでいた地図に目を向けた。


「へぇ、なに? 作戦考えてたの? あんたにしては上等じゃない」


 椅子から蹴落とされたレイが恨めし気な目で見ても、気にするメリッサではない。

 メリッサは羽根ペンを手に取ると、レイが書き上げた作戦に大きく×印をつけた。


「でも、この作戦は没よ。〈沈黙の魔女〉が使いものにならなくなった」


「……は? え?」


「〈暴食のゾーイ〉の贄になった。記憶と魔力を食われて、とてもじゃないけど使いものにならないから、フラックス商会のコレット商会長に介護を頼んできたところよ」


 乱暴なメリッサの言葉に、サイラスが顔をしかめた。


「茨の姐さん、そんな言い方は……」


「じゃあなに? 『〈沈黙の魔女〉は精神干渉魔術食らったのかってぐらい、ぶっ壊れてたけど、頑張れば戦闘に参加できるかもしれないから引きずり出すわよ』……とでも言った方が良かった?」


 怯むサイラスをギロリと睨み、メリッサは殊更酷薄な声で吐き捨てる。


「使いものにならない、って切り捨ててやっただけ温情だと思うのね」


 レイは床に頬をペトリとくっつけ、メリッサを見上げた。

 メリッサは切り捨てたというが、それは実質、戦場から遠ざけたということだ。

 メリッサ・ローズバーグは嫌な女だが、記憶を食われたモニカを、無理矢理戦場に連れてこないぐらいの情はあるらしい。

 レイは床に転がったまま口を開く。


「……〈沈黙の魔女〉が戦闘に参加できないとなると、前提条件がだいぶ変わるぞ……無詠唱魔術は替えが利かない」


「分かってるわよ。だから、アタシら三人でどうにかする策を練るわよ。そこのナメクジは留守中の報告! 竜滅はこれ以上部屋が汗臭くなる前に風呂! ほら、キビキビ動きな!」


 やっぱり悪の司令官はこの女の方がお似合いだ、とレイは心の底から思った。



 * * *



 既に夜の色に染まった街は、不気味なぐらい静まりかえっている。

 モニカの家に向かう馬車の中、ラナ・コレットはずっとソワソワしながら、窓の外を見ていた。

 隣に座るカリーナも、やはり落ち着かなげにキョロキョロしているが、カリーナは普段から落ち着きがないので、いつも通りと言えばいつも通りだ。

 ラナはカリーナを横目に見て、声をかける。


「ごめんなさいね、カリーナ。街が危険な状況なのに、貴女にも来てもらっちゃって……」

「ううん、気にしないで。あたしにとっても、モニカちゃんは友達だもん!」


 いつもと変わらない口調のカリーナに、少しだけ救われた気持ちになりながら、ラナは目を閉じ、己がすべきことを考える。




 商会の用心棒バーソロミュー・アレクサンダーのおかげで黒い雨から逃れたラナは、従業員や使用人の無事を確認した後も、帰宅せず商会に残っていた。

 ラナは普段、サザンドールの住宅街にある屋敷で使用人と暮らしている。だが、こういう非常事態だからこそ、商会長である自分は現場にいるべきだと判断した。

 幸い、商会にはキッチンも備蓄もある。従業員を保護しても、二週間程度なら保つだろう。

 そうして今後の算段について、秘書のクリフォードと相談している時に、その女は現れた。


 ──四代目〈茨の魔女〉メリッサ・ローズバーグ。


 メリッサはクリフォードを追い払い、ラナに厳重に口止めをした上で、こう告げた。


「この街が非常事態なのは、古代魔導具のせいよ。でもって、その古代魔導具の攻撃で、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットが記憶と魔力を食われた。幼児返りだかなんだか分かんないけど、とにかくまともに口を利ける状態じゃない。特に男を怖がってる。……で、世話に女手がいるから、手配してくれる? 弟子のアイザック・ウォーカーって奴に話はつけといたから」


 ラナは混乱した。

 古代魔導具──存在ぐらいは知っている。現代魔導具にはない、時に歴史を変えることもある強大な力を秘めた魔導具。

 まるで現実味のない悪夢のようなこの状況は、全てその古代魔導具が原因であるらしい。

 そして、未知の力を秘めた古代魔導具は、モニカの魔力と記憶をも奪ったのだという。


(とりあえず、ウォーカーさんはご無事なんだわ)


 その事実にラナは少しだけ安心した。

 アイザックがいるのなら、モニカのことはどんな手を使っても保護してくれるはずだ。

 ただ一つだけ気になったのは、どうしてアイザックが第二王子としての権力を使わなかったのか、という点だ。

 これほどの事態になったのなら、偶然お忍びでサザンドールに来ていたことにして、第二王子の肩書きを出した方が、良かったのではないだろうか?

 王位継承権を放棄したとは言え、王族の危機ともなれば、国も本気で動いてくれるはずだ。

 疑問は尽きないが、今はモニカを助けることが最優先。

 ラナは即座に、モニカが大変なことになっているから助けに行く、とクリフォードに宣言した。

 クリフォードは自分もついていくと言い張ったが、メリッサが言うには、今のモニカは男性に怯えているらしい。


「駄目よ。クリフが行っても、モニカを怖がらせるだけだわ!」

「ラナが行ったところで、何ができる? 誰かの世話なんて、したこともないくせに」


 この言葉に、ラナは何も言い返せなかった。

 ラナは生粋のお嬢様だ。生まれた時からずっと、使用人に囲まれて育ってきた。

 実家を出てサザンドールで暮らし始めて、前よりも自立したつもりではいるが、それでも身の回りのことは基本的に使用人任せである。

 着替えや髪結いは自分でもできるが、ラナは掃除用具の使い方も、包丁の握り方もろくに分からない。

 そんなラナが行って何ができる、というクリフォードの指摘は正しい。

 ラナが黙り込んだその時、声をあげたのがカリーナだった。


『じゃあさ、じゃあさ、あたしも一緒に行くよ。あたし、なんちゃってだけど侍女の経験あるし! あたしもモニカちゃんのことが心配だもん! ねっ、ねっ、それなら良いでしょ、クリフォードさん!』


 その後も、クリフォードはしばらく文句を言い続けていたが、最終的に折れて、モニカの家に向かう馬車を手配してくれた。

 ラナに何かあったら、遠慮なく使うように──と護身用の拳銃やら、攻撃用魔導具やらをカリーナに握らせつつ。




 やがて馬車はモニカの家の前に到着した。ラナは御者に礼を言い、商会に戻るよう指示して、モニカの家と向き直る。

 小さく深呼吸をし、ラナは震える手でドアノッカーを叩いた。


(四代目〈茨の魔女〉様は、モニカの記憶が無くなってるって言ってた……それはきっと、わたしのことも忘れてるってことだわ……)


 モニカが自分のことを、知らない人を見る目で見たら……それだけで、泣きそうだ。

 ラナはギュッと拳を握りしめる。


(泣くものですか。わたしはモニカの友達よ。……わたし達は、友達になれたんだから)


 モニカが記憶を失くしていたって、きっとまた友達になれるはずだ。

 まずは自己紹介をしよう、とラナは決める。

 初めてモニカに声をかけた時は、ちょっとツンツンしてしまったけれど、今はもう少し優しく声をかけてあげられるはずだ。


 ──初めまして、わたしはラナ・コレット。あなたの友達なのよ!


 笑顔で、モニカにそう言うのだ。

 ラナが決意を固めていると、扉が内側から開き、見覚えのない男が姿を見せた。

 ラナは思わずたじろぐ。

 てっきりアイザックか、もしくはバーソロミュー氏が出てくるものだと思っていたのだが、ラナを出迎えた男はどちらとも違った。

 顔の右半分を黒い眼帯で覆った、鋭い目つきの青年だ。年齢はアイザックより幾らか上だろうか。

 ラナがどう声をかけようか躊躇っていると、男はラナとカリーナを交互に見て、硬い声で言った。


「モニカのために駆けつけてくれて、ありがとう、コレット嬢。……戸惑うのも無理はないが、僕がアイザック・ウォーカーだ」

「…………え?」


 ラナは思わず目を丸くして、アイザックと名乗る男を見上げる。

 ラナの知るアイザック・ウォーカーとは、第二王子フェリクス・アーク・リディル王子の顔をした男だ。

 甘く整った顔立ちで、いつも優し気に微笑んでいる──目の前の男はまるで真逆だ。どこか酷薄そうな雰囲気がある。

 ただ、背丈、髪型、そして声は確かに似ていた。


「あの、貴方が……えっと、その、お顔は……」

「事情があってね。……中に入ってくれ」


 ラナはアイザック・ウォーカーという青年が、第二王子の顔を得るに至った経緯を知っている。

 元々は、フェリクス王子とは違う顔だということも。

 街を襲う黒い雨、失われたモニカの記憶、フェリクスの顔ではなくなったアイザック──現実味のない出来事の連続だ。

 そしておそらく自分には、事情の全てを話してはもらえないだろう、ということもラナは確信していた。

 メリッサが古代魔導具の名を出したのも、精一杯の譲歩だったのだろう。


(だったら、わたしはわたしにできることをするだけよ)


 アイザックと名乗った眼帯の男は、探るように険しい目でカリーナを見ていた。

 彼はカリーナのことを知らないから、どこまで話したものか困っているのだろう。


(まずは、この人が本当にウォーカーさんかの確認よ)


 ラナは強張りそうになる顔に、社交的な笑みを浮かべる。


「モニカが大変なことになっていると、うかがいましたの。モニカの食欲は? 好物は食べられそうかしら?」


 男は眼帯で覆われていない左目で、軽く瞬きをした。彼はラナの意図を理解しているのだ。


「……食事はまるで手をつけてくれないんだ。彼女の好きな魚のスープと、木の実の焼き菓子を作ってみたのだけど」


「白身魚のソテーは?」


「レモンバターの材料を切らしているんだ」


 ふむ、と声に出さずに呟き、ラナはあえて怯えたような顔を作ってみせる。


「ウォーカーさん、今日はいつもと雰囲気が違いますのね。学生時代は……もう少し、にこやかな方だと思っていたのですけど」


「怯えさせてしまったのなら、すまないね。どうか大目にみてくれないかい? ……モニカやダドリー君にダンスを教えたり、こっそり串焼き肉を食べたりした仲だろう?」


 学生時代のことを仄めかすラナに、彼はすぐ学生時代のエピソードで応じた。それも、知る人間が限られているものを。


(……本物だわ)


 この場にカリーナがいる今、アイザックの事情は訊けない。

 ただ、彼がフェリクス王子の顔を失っているのなら、彼がこの非常事態で、第二王子としての権力を使えない理由も納得がいく。

 試すようなことをしてごめんなさい、という謝罪の気持ちを込め、ラナは姿勢を正してアイザックを見上げた。


「モニカに会わせていただけますか、ウォーカーさん?」


「……あぁ」


 小さく頷き、アイザックが二階へ向かう。ラナとカリーナもそれに続いた。

 階段を上りながら、カリーナがアイザックに声をかける。


「ねぇねぇ、眼帯のお兄さん。モニカちゃんは寝てるの?」

「……いや、起きてると思う。できれば、小声で話しかけてほしい」


 モニカの部屋の前で足を止め、アイザックは扉をノックする。

 返事はない。ラナははやる気持ちを抑えて、扉を開けた。

 まずは笑顔で自己紹介を──そう考えていたラナの耳に届くのは、抑揚の無い声で呟かれる数字だ。


「……モニカ?」


 ラナが声をかけても、モニカは振り向かない。ただ虚空を見つめたまま、数字を呟き続けている。

 その虚ろな無表情に、感情を失った声に、ラナの背筋が凍りつく。

 モニカが記憶を無くしたと聞いた時、ラナは初めて会った頃のモニカをなんとなく想定していた。

 ビクビクオドオドして、話しかけると肩を竦ませて……だが、あれはまだましだったのだと、今なら分かる。


「モニカ……ねぇ、モニカってば!」


 ラナが声を荒らげると、モニカはビクッと震えて、ぎこちなくこちらを見た。

 そして、ラナの背後にいるアイザックを見て、ヒィッヒィッと苦し気な呼吸をする。


「ぅ、ぁ……ぶたないで……ごめんなさい、ごめんなさい……三〇二七……七六一〇四九八八……ぅ、ぁぅ……ひぃっ……ぁ、五八八二四、一一二……」


 錯乱するモニカの目が見ているのは、アイザックじゃない──多分、彼女をこんなになるまで追い詰めた誰かなのだ、とラナは動揺の中、理解する。

 立ち尽くすラナの背後で、アイザックが掠れた声で呟いた。


「今のモニカは、数年分の記憶が無いらしい。この状態は、おそらく……」


「知ってたわ……」


 ラナは震えながら、声を絞りだす。

 激情に頭がグラグラした。鼻の奥がツンとする。


「わたし、知ってたの……モニカの背中に、古い傷がいっぱいあること……だって、何度も着替え、手伝ったんですもの」


 アイザックとカリーナが息を呑んだ。

 モニカだけが変わらず、数字を呟き続けている。

 そんな変わり果てた友人の姿に、ラナは思わず叫んだ。


「……っ、モニカは女の子なのよ! お洒落したいじゃないっ! 可愛いドレス着せてあげたいじゃないっ! なのに、こんな……なんでよぉっ!」


 ボロボロと涙が溢れて止まらない。

 記憶を失ったモニカを安心させるため、笑顔で話しかけようと思っていたのに、それができると思っていたのに、感情の奔流は止まらない。

 ラナはグシャグシャの顔で泣きながら、地団駄を踏んで喚き散らす。


「誰がモニカにこんなことしたのよっ、ばかっ、ばかっ、ばかぁ……っ!!」


 わんわんと泣きじゃくるラナは、気づいていなかった。

 いつのまにか、数字を呟く声がピタリと止まっていたことに。

 モニカはポカンとした顔で、自分のために泣くラナを見つめている。



 初めて、モニカが数字を口にすることをやめたのだ。


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