【3】メリッサ・ローズバーグの驚愕
魔術師組合サザンドール支部の支部長室を占領しているメリッサは、次から次へと舞い込んでくる報告に赤毛をかきむしりながら、地図を睨みつけていた。
窓の外では、夕焼け空を遮るようにニョキニョキ伸びた紫色の斑らの植物が、元気にギョリギョリと鳴いている。
古代魔導具〈暴食のゾーイ〉による黒い雨の攻撃から数時間が経過し、事態は何一つ好転することがないまま、日が暮れようとしている。
セオドア、及びその手下となったスロースの居場所は不明。街の門は全て封鎖され、港には水竜が押しかけている。
(封鎖された門は、威力の高い魔術をぶちかませば壊せるけど……多分、すぐに修復されてしまうでしょうね)
なにより、下手に門を開放しようとしたら、そこから逃げ出そうと一般人が群がり、犠牲者が増えかねない。門に群がる人間を一網打尽にされたら、セオドアの思う壺だ。
飛行魔術を使えば門を越えることはできるが、飛行魔術の使い手は、〈竜滅の魔術師〉と魔術師組合の職員合わせてたったの三人。
(王都に使い魔は飛ばしたし。……あとは救援が来るまで、粘るしかないわ)
その間にするべきは、セオドアの居場所の特定、市民の保護、犠牲者の回収、そして暴動が起こらないように目を光らせること──正直、どれもメリッサの性分に合わない仕事ばかりである。
いざとなったら、鎮静作用のある魔法薬を街中にばら撒いてやろうか、なんてことをメリッサが考えていると、〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジが飛行魔術を使って窓から室内に入ってきた。
サイラスには、モニカをここに連れてくるよう命じてある。だが、窓から入ってきたのはサイラス一人だ。
「ちょいと、竜滅。〈沈黙の魔女〉はどうしたのよ? まさか、あの黒い雨に……」
メリッサの言葉に、サイラスは険しい顔で首を横に振る。
そうして、言葉を選ぶような慎重な口調で言った。
「……沈黙の姐さんは、セオドアと交戦して敗北。大事なものを食われた」
「はぁっ!?」
想定外の事態にメリッサは、顔を引きつらせた。
大事なものを食われ、代償にされたということは、魔力も食われているはずだ。〈結界の魔術師〉同様に、戦闘に参加するのは不可能と考えて良い。
この状況、誰が欠けても苦しいが、ことに唯一無二の無詠唱魔術の使い手であるモニカが戦力外になるのは、大きな痛手だ。
「あのおチビの大事なものって何よ? 一体、何を食われたってのさ。髪? 肌? それとも若さとか?」
「……よく分からんが、記憶? を食われたらしい」
「らしいって何よ、らしいって!? あんた、直接モニモニと会ったんじゃないの!?」
メリッサが苛々しながら机を掌で叩くと、サイラスは困惑を誤魔化すように首の後ろをかく。
「記憶を食われて、今は男が怖いらしい。だから、茨の姐さんに来てくれって、沈黙の姐さんの弟子が……」
「弟子ぃ?」
モニカに弟子がいたなど初耳だ。
それにしても、たかだか弟子の分際で、メリッサを呼び出すとは良い度胸である。
「アタシは今、死ぬほど忙しいのよ。用事があるならそっちが来い。って、その弟子とやらに言っときな」
「……アイザック・ウォーカー」
「はぁ?」
「いや、この名前を出したら、分かるって、そいつが……」
どこのどいつよ、と言いかけ、メリッサは眉間に皺を寄せた。
どこかで聞いた気がする名前だ。だが、知人じゃない。
腕組みした腕を指先でトントン叩きながら、メリッサは己の記憶を遡る。
──この先、アイザック・ウォーカーという男が貴女を頼ったら、事情を聞かず、力になってやってほしい。
あぁっ、とメリッサは思わず声を漏らした。
美しい笑顔でメリッサにそう告げたのは、この国の第二王子フェリクス・アーク・リディル。
魔法薬を売りつけようとしたメリッサの弱みを握り、脅してきた、あの抜け目のない王子様だ。
* * *
メリッサは魔術師組合職員への指揮をレイに押し付け(レイは悲鳴をあげて泣き崩れた)、サイラスに抱えられて飛行魔術でモニカの家に向かった。
既に日は沈んでいるが、この時間帯にセオドアが攻めてくる可能性は低いだろうとメリッサは踏んでいる。
セオドアの目的は大勢の人を襲って魔力を食らうことだ。だからこそ雨上がりの昼、人が街に出始めたタイミングを狙って黒い雨を使った。ならば、人の出歩かない夜に、黒い雨を使う可能性は低いだろう。
モニカの家には、明かりがついていた。中に人がいるのだ。
メリッサがノッカーを乱暴に叩くと、扉が開いて、背の高い金髪の男が姿を見せた。
顔の右半分を黒い眼帯で覆い隠した青年だ。切長の目をしていて、どことなく冷酷そうな雰囲気がある。
(あら、いい男)
メリッサの好みではないが、陰のある男が好きな女なら、コロッといきそうだ……などと考えていると、眼帯の青年はメリッサの背後のサイラスをチラリと見た。
サイラスは一つ頷き、家の中には入らず扉に手をかける。
「俺ぁ外で見張りしてっから、用が済んだら呼んでくれや」
「……ありがとう」
眼帯の男が礼を言うと、サイラスは気にするなとばかりに小さく手を振り、玄関の扉を閉める。
短いやりとりだが、なんとなく気心の知れた仲のような遠慮の無さを感じた。もしかして、サイラスの知り合いなのだろうか。
メリッサはそんなことを考えつつ、家の中を見回した。七賢人の屋敷というには手狭だが、掃除の行き届いている小綺麗な家だ。
全体的に家庭的な雰囲気なのに、書棚には魔術書や研究資料の類がビッシリ並んでいるのが、いかにも魔術師の家らしかった。
(……うん?)
テーブルやソファ、そこに添えられたクッション、そういった物に目をやったメリッサは、小さな疑問を覚える。
それを口にするより早く、眼帯男が口を開いた。
「ご足労感謝する。レディ・メリッサ。僕がアイザック・ウォーカーだ」
「……このアタシを呼びつけるなんて、良い身分ね。フェリクス殿下の飼い犬が、なんで〈沈黙の魔女〉の家にいんのよ?」
メリッサが下唇を突きだして睨みつけると、アイザックと名乗った男は抑揚の無い声で告げた。
「そちらの詮索に答える気はない。事情を聞かず力になれ、と言われなかったか?」
あ、こいつ気に入らない。とメリッサは即座に判断した。
メリッサは敵意には敵意、悪意には悪意を、倍にして打ち返して高笑いする性格である。
その信念に則り、メリッサはポケットから香水瓶を取り出した。中身は、ただの薔薇の香りの香水だ。
だが、メリッサがこれに魔力を付与すれば、ただの香水は媚薬にも猛毒にもなる。
「舐めた口利いてんじゃないわよ、三下。こいつで虜にして、下僕にしてやろうか? あぁ?」
赤い爪に彩られた指先で香水瓶をチャプチャプ揺らしても、アイザックは眉一つ動かさなかった。
ただ、冷たい表情はそのままに、メリッサに深々と頭を下げる。
「……非礼を詫びよう、四代目〈茨の魔女〉殿。モニカが大変なことになって、気が立っていた。……どうか、貴女の力を貸してほしい」
メリッサはフンと鼻を鳴らし、香水瓶を手のひらで転がした。
「あんたは、〈沈黙の魔女〉の何? そんぐらいは答えなさいよ」
「弟子だ」
「……弟子ぃ?」
そういえばサイラスがそんなことを言っていた気がするが、メリッサはモニカの口から弟子の存在を聞いたことがない。
一体どういう経緯で弟子になったのか、疑問は尽きないが、メリッサも長話をする気はなかった。今は非常事態なのだ。
「それで、モニモニ……〈沈黙の魔女〉は?」
「こちらへ」
アイザックが先導して二階へ上がり、扉の一つをノックした。返事は無い。
「モニカ、入るよ」
アイザックは声をかけて扉を開けたが、部屋の中には入らず、扉を押さえて、メリッサが中に入るよう促した。
メリッサは無言でズカズカと室内に足を踏み入れる。
その部屋はモニカの寝室のようだった。燭台の火にボンヤリと照らされている部屋の奥、ベッドの上でモニカが毛布に包まって、何かをブツブツ呟いている。耳を澄ませると、辛うじて数字であることが聞き取れた。
「モニモニ、おチビ。アタシが分かる?」
メリッサが声をかけても、モニカは反応しない。虚ろな目は何もない虚空を見つめている。
メリッサはモニカの首の後ろにある黒いアザを確認すると、頬を掴んでその顔を覗き込んだ。
幼さの残る丸い目は、メリッサを映しているが見てはいない。これはその目に映る全てを拒絶している目だ。
とりあえず引っ叩いたら、正気に戻るだろうか、とメリッサが右手を振り上げると、その手首を誰かが掴んだ。
「やめてくれ」
ずっと部屋の入り口に佇んでいたアイザックが、いつの間にかメリッサの背後に周り、手首を掴んでいた。
こちらを見下ろす眼光の鋭さに、メリッサの背筋がゾクリと冷える。
(なんて目よ……)
その時、ずっと数字を呟き続けていたモニカが、ヒィッと息を呑んだ。
「ぅ……ぁ……ぁ……っ……やぁ……っ、ぁあっ」
モニカは怯えた目で、メリッサとアイザックを見ている──否、より正確に言うなら、その目は確かにアイザックを恐怖の対象として捉えていた。
(そういえば、竜滅が言ってたわね。男を怖がってるって)
モニカはしばらくハヒハヒと苦しげな呼吸を繰り返していたが、やがて、先程よりハッキリとした口調で数字を呟き始めた。
「三七七六四四五……はっ、ひぃっ、……五一六九五〇四四〇〇一〇……ぁはっ」
今にも泣き出しそうなグシャグシャの顔なのに、数字を口にしていると次第にモニカの口角が上がり、虚ろな笑みの形になる。
なんて気持ち悪い笑顔だろう。
思わず後ずさり、目を逸らしたメリッサは見た。
壊れた笑みを浮かべるモニカを、アイザックが痛みを堪えるような顔で見つめているところを。
アイザックは苦しそうな顔をしながら、それでもモニカから目を逸らさなかった。
* * *
モニカを部屋に残し、メリッサとアイザックは一階に移動した。
今のモニカの前で、事務的な会話などできるはずがない。
「とりあえず、今の〈沈黙の魔女〉が使いものにならないことはよく分かったわ」
仮死状態の方がまだマシだった、とメリッサは思う。
影を剥がし、仮死状態を解除する術式は既に完成して検証待ちなのだ。時間が経てば、いずれ解除できる。
だが、奪われた大事なものは、〈暴食のゾーイ〉をどうにかしなくては、取り戻せないのだ。
「先に言っておくけど、あのおチビは魔術師組合じゃ引き取れない」
魔力量の多い人間が集まってる組合は、セオドアが標的に選ぶ可能性が高く、サザンドールで一番危険な場所でもあるのだ。
なにより組合は大混乱中で、モニカを介護する余裕などない。
「ただ、あのおチビの介護に、女手が必要なのは分かった。〈沈黙の魔女〉の友人……フラックス商会のラナ・コレット商会長に事情を説明して、力を貸してもらうように頼んどくわ。あの商会長なら、おチビを悪いようにはしないでしょ」
メリッサはローブのポケットからキャンディの入った小瓶を取り出すと、それを机に置く。
小瓶は一時付与の効果を長持ちさせる、ローズバーグ家秘伝の貴重な魔導具だ。
「あとこれ。ただ魔力付与しただけのキャンディだけど、魔力欠乏症に効く。モニモニの回復が遅かったら、舐めさせなさい」
「……ありがとう、心から感謝する。四代目〈茨の魔女〉殿」
硬い声で礼を言うアイザックに、メリッサはハンと鼻を鳴らした。
「そもそもさぁ、この家って、女性の使用人はいないわけ? それともなに? 使用人はあの黒い雨にやられたとか?」
「雑務なら僕が」
メリッサは、この家を観察した時に感じた疑問を思い出した。
家具やクッションを見れば、その家に何人暮らしているかは、なんとなく見えてくるものだ。
この家の家具を見た時、メリッサは一人暮らしではないな、と感じた。
てっきり、通いの女性使用人がいるのだと思っていたのだが……。
「……あんた、もしかして、この家で、暮らしてるの?」
「それが何か?」
無表情に返すアイザックに、メリッサはあんぐりと口を開け、全身を戦慄かせた。
「……いや、いや、いや、ちょっと待った。だってあんた、男じゃない」
「弟子が師匠の世話をするのは、魔術師の世界では当然のことだろう?」
世の中には、自分好みの美少年達を侍らせて艶々している魔女もいるが、それでもモニカが──あのいつもヒンヒン言っているチンチクリンが、若い男を侍らせているなんて、どうして想像できただろう。
〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、ヒンヒンモニモニ鳴く珍獣だが、一応、年頃の娘なのだ。
(えぇぇぇ、ちょっ、ちょっ、ちょっ、これって、うちの愚弟とか、シリル様とか、コレット商会長は知ってるわけ……?)
これは全ての事件が解決したら、モニカを問い詰めなくては。メリッサが密かに決意していると、アイザックがテーブルの椅子を引いて、メリッサに座るよう促す。
メリッサは警戒の目で、アイザックを見た。
「……アタシ、忙しいからもう帰るんだけど?」
「セオドア・マクスウェルと〈暴食のゾーイ〉に関する情報、モニカが作った影を剥がす術式、秘密裏に開発していた〈星の矢〉……貴女が知っている情報を、洗いざらい全て教えてほしい」
この男は、しれっとした口調で、とんでもないことを言う天才なんじゃないだろうか。とメリッサは思った。
どれも情報開示制限がかかっている、機密事項ばかりである。
メリッサが顔を引きつらせていると、アイザックは引いた椅子の向かいの席に腰を下ろし、余裕の態度で足を組んだ。
「貴女に拒否権は無いはずだ。魔法薬で荒稼ぎをしすぎた魔女殿」
「……あんたって、フェリクス殿下と似てるわ」
すました顔で人を脅してくるところとか……とメリッサが胸の内で毒づいていると、アイザックはやはりしれっとした口調で言った。
「それは、あまりにも不敬というものだ。僕はあの方みたいに優しくない。……さぁ、どうぞ座ってくれ。レディ」




