【2】おめでとう、おめでとう
「あぁ……新年に浮かれた空気の中で俺だけが浮いている……こんなめでたい席に呪術師なんかが来るんじゃないってみんな思ってるんだ絶対思ってる俺は知ってるんだ……死にたい……」
リディル王国七賢人が一人〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトは鬱々とした空気を撒き散らしながら、城の門を潜った。
登城するのは実に半年以上ぶりだ。レイは七賢人会議の類を殆どサボっているので、城に足を運ぶのは新年の儀など重要な式典の時ぐらいである。
それどころかレイは王都にあるオルブライト家の本邸にも殆ど帰っていないので、王都を訪れることすら久しぶりであった。
賑やかな王都の空気は、どうにも呪術師であるレイの肌に馴染まない。賑やかな人々の声、どこからか聴こえてくる音楽、その全てがレイには自分を拒絶する呪詛に聞こえるのだ。
周囲が楽しそうにしていればしているほど、お前なんぞは場違いだと言われている気分になる。
「……あぁ、死にたい。死にたい。愛されたい。誰か俺を愛してくれ。無条件にチヤホヤされたい。レイ様すごーい、キャー素敵ーって言われたい……」
七賢人が集う〈翡翠の間〉へ向かう途中、すれ違った若いメイド達に「愛してると言ってくれ」と縋りつきたかったのだが、若いメイド達はレイの姿を見るだけで回れ右をしてしまう。
なんと言っても、レイの紫色の髪はとにかく派手で目立つのだ。
紫頭の男を見たら若い娘はすぐに迂回せよ、というのが城のメイド達の暗黙の了解であるらしかった。
(……あぁ、世界が俺に冷たい……死にたい……)
この世を呪いながらレイが翡翠の間に向かうと、丁度向かいの廊下から、見覚えのある人物がこちらに近づいてきた。
レイと同じ七賢人〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットだ。
七賢人のローブを身につけたモニカは、レイに気づくとペコリと頭を下げた。
「お久しぶりです、〈深淵の呪術師〉様。えっと、この度は、おめでとうございます」
「…………?」
新年の挨拶ではなく、レイ個人を祝うような口調だった。
一体何がめでたいのだろう? と疑問に思いながら〈翡翠の間〉に進むと、既に着席していた〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイと〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンがレイの顔を見て言う。
「あら、レイちゃん。聞いたわよぉ、おめでとう〜」
「おぅ、めでたいな深淵の! ドカンと祝砲かますか?」
七賢人の仲間達は、どういうわけか次々とレイを祝ってくれる。
なんだこれ、とレイは鮮やかなピンク色の目を丸くした。
(どういうことだ……俺が……この俺が祝われてる……!? もしかして俺は今、愛されてるのか? 愛されてるから祝福されてるんだよな? 奇跡だ……奇跡が起こった……!)
レイは俯きがちだった顔を、ゆっくりと持ち上げた。仲間達は皆、レイのことを優しい目で見ている。
自分は今、確かに祝福されているのだ!
(すごい、すごいぞ……みんなが俺のことを祝ってくれてる……誕生日は先月終わったけど!)
レイが感動のあまり目を潤ませていると、背後の扉が開いた。入ってきたのは〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグだ。
これから式典だというのに野良着の上にローブを引っ掛けている〈茨の魔女〉は、レイを見ると白い歯を見せて快活に笑った。
「やぁ、レイ! 婚約したんだって! おめでとう!」
「……………………は?」
「友達の婚約! これは盛大にお祝いしないとだよな! そうだ、野菜に飾り彫りしたやつ贈ってやろうか? それとも花の方がいいかい? 結婚式に飾る花は、俺に任せてくれよな!」
ラウルにバシバシと肩を叩かれたレイは、ガタガタと震えながら、青白い唇から声を絞り出す。
「き、きき、き、き、ききっ……」
「うん? どうしたんだ、レイ? 腹でもくだしたか?」
ラウルの失礼極まりない言葉も、今のレイには届かない。
何故ならレイは……。
「聞いてない! 婚約だなんて、聞いてないっ!」
そう、まるっきり初耳だったのだ。
* * *
〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーは王都に屋敷を構えているので、登城する際は基本的に馬車を使う。
だが、新年初日から大遅刻をしかけたルイスは、やむをえず飛行魔術で城へ向かっていた。
遅刻の理由は、出発の直前になっても杖が見つからなかったためである。
七賢人の杖は特注品で、予備は無い。ただの会議の時ならともかく、式典に杖が無いのは非常にまずい。
真っ青になって家中を探し回ったルイスが杖を発見したのは、屋敷の庭。
スットコドッコイ駄メイドの手で物干し竿にされていた黄金の杖には、娘のおしめが隙間無くびっしりとぶら下がっていた。
──その杖を掲げて空を飛べば、洗濯物が早く乾きます。非常に画期的な乾燥方法かと。
とは、くだんの駄メイドの言である。
「あんの、駄メイド……いつになったら家事を覚えるのですか」
城に到着したルイスは愚痴を零しながら廊下を早足で歩き、〈翡翠の間〉の扉を開けた。
「失礼、遅くなりまし……」
思わず言葉が不自然に途切れたのは、足元に転がる物体に目を奪われたからである。
七賢人と国王のみが入ることを許される〈翡翠の間〉の床には〈深淵の呪術師〉が、死人のように横たわっていた。
そんなレイのそばにはラウルとモニカが寄り添っていて、ラウルは「野菜食って元気だせよ!」とにんじんでレイの頬をツンツンつつき、モニカはただオロオロしている。
ルイスはただただ邪魔だなぁと思ったので、無言でレイの背中を踏みつけた。
「おぼろぎゅっ!?」
足元から奇声が聞こえたが、ルイスは涼しい顔で足を進め、自分の椅子に着席する。
「し、〈深淵の呪術師〉様ぁぁぁぁ!」
「しっかりしろレイ! 傷は浅いぞ!」
年少組がワァワァ騒いでうるさかったので、ルイスは年長組のメアリーとブラッドフォードを見た。
年長組の二人は、咎めるような目でルイスを見る。
「流石に酷いわ、ルイスちゃん」
「おぅ、結界の。お前さんには人の心が無いのか」
「これは失礼。てっきり踏んでほしかったのかと」
踵を捻じ込まなかっただけ優しいものでしょう? と、さも当然のように言えば、メアリーもブラッドフォードも諦め顔で溜息をついた。無論、そんな同僚の態度を気にするようなルイスではない。
「それで呪術師殿は、なにゆえ絨毯に成り下がっているのです?」
「ほら、レイちゃんってぇ、ちょっと前に婚約したじゃなぁい?」
メアリーの言葉にルイスは顎を撫でる。この一年ばかり、国内を飛び回って留守にすることが多かったルイスは、この手の情報に少しばかり疎くなっていた。
「そういえば溜まっていた郵便物の中に、婚約を報告する手紙があったかもしれませんなぁ……ははぁ、なるほど、その婚約者殿に嫌われ、婚約を破棄されたと」
「……それがねぇ。たった今知ったみたいなのよぉ〜」
「婚約破棄を?」
婚約が破棄されたと決めてかかるルイスに、メアリーは苦笑しながら首を横に振る。
「婚約そのものを」
「…………」
ルイスが無言で床に目をやると、絨毯になっていた男は両手で顔を覆い、とうとうシクシクと泣きだした。
「ババ様だ……絶対ババ様の仕業だ……酷い、酷すぎる……あんまりだ……」
ババ様というのは恐らく、レイの祖母で二代目〈深淵の呪術師〉アデライン・オルブライトのことだろう。
オルブライト家の当主はレイだが、レイは滅多に本邸に帰らないので、祖母のアデラインが実質、家を取り仕切っているのは有名な話である。
ルイスは二代目〈深淵の呪術師〉と面識はないが、なかなか強烈な人物だという噂は耳にしていた。
「……こ、婚約なんて……あ、あんまりだ、俺に何も言わないで決めるなんて……しかも、半年も前に決まってたなんて……」
半年も気づかなかったのは、ルイスに言わせてみれば間抜けとしか言いようがない。
七賢人会議をサボって引きこもっているから、こういうことになるのだ。
ルイスはやれやれと溜め息をついた。
正直〈深淵の呪術師〉の婚約話などどうでもいいが、レイがこの調子では式典に支障が出る。
「一体、何をそんなに嘆くことがあるのです? 婚約、結構じゃあありませんか。貴方、普段から愛されたがっていたでしょう? 貴方なんぞを愛してくれる婚約者ができた奇跡を喜ぶべきでは?」
「ば、馬鹿にした……しれっと俺のことを馬鹿にした……これだから顔の良いやつは……!」
「すみませんねぇ、顔が良くておまけに所帯持ちで。あぁ、どうぞ、存分に羨ましがってくれて構いませんぞ。ハッハッハ」
ルイスが口を開くたびにレイが打ちのめされるのを見かねたのか、普段あまりいさめ役には回らないブラッドフォードが気まずそうに口を挟んだ。
「あー、結界のの言うことはちょいとアレだがよぉ。深淵のは何をそんなにウジウジしてんだ? 婚約者ができたなんて、めでてぇじゃねぇか」
〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトと言えば、愛されたがりで有名である。
若い女性を見かける度に「俺のこと愛して?」と詰め寄る男なら、婚約者ができたことを喜ぶ方が自然だ。
だが、レイはこの世の終わりのように打ちひしがれていた。
「……だって、婚約者だぞ。婚姻を約束するんだぞ。そんな相手に嫌われたら……し、死ぬ……死んでしまう、繊細な俺の心は、きっと木っ端微塵だ……!」
既に嫌われること前提なのが物悲しい台詞である。
誰もがかける言葉にためらっていると、ラウルがレイの肩を叩き、親指を立てて力強く言った。
「大丈夫さ、レイ! 誰かれ構わず『愛してくれ』って言い寄れるお前は、全然繊細じゃない! すっげぇ図太いぜ! オレの知り合いの中でもダントツの図太さだから自信持てよ!」
「…………」
レイはゴロゴロと転がって壁にぴたりと貼りつくと、一同に背を向けたまま「みんな嫌いだ……」と悲しそうに呟いた。




