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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝11:喪失の凶星、瞬く時
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【35】思い出の少年と、サクサクのパイ

 しとしとと細い雨の降る庭先で、〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジは突然膝をついた。

 ギュゥッと眉根の寄せられた厳つい顔は、凄まじい責め苦を受けたかのようでもあり、言葉にならない悲哀を噛み締めているようでもある。


「あのぅ、サイラスさん……?」


 モニカが狼狽えていると、サイラスはゆっくりと立ち上がった。

 何かを吹っ切ったような顔だった。


「いや、すまねぇ。アイクが姐さんの弟子だと知って、驚いちまってな……」


「えっ?」


 これに驚いたのはモニカである。

 何故、サイラスがアイザックのことをアイクと呼ぶのか?

 本来アイザック・ウォーカーは、十二年前に死んだことになっている人物である。

 そして、最近この顔に戻ったばかりのアイザックに、新しい知り合いを作るような時間など、なかったはずだ。

 モニカがアイザックを見上げると、アイザックは前髪についた雨の雫を手で払いながら言った。


「サイラス兄さんは、子どもの頃、隣の家に住んでたんだ」


 サイラス兄さん。その響きだけで、アイザックがサイラスに親しみを持っているのが分かる。

 モニカが驚いていると、アイザックはモニカとサイラスを促した。


「二人とも、中に入ろう? このままだと風邪をひいてしまうよ」



 * * *



 家の中に入ると、アイザックはサイラスの濡れた外套を受け取ってハンガーにかけ、モニカとサイラスの二人に乾いた布を渡してくれた。

 雨は弱くなっていたし、モニカは大して濡れていないのだが、アイザックは「きちんと髪を拭かないと駄目だよ」と言ってモニカの頭に布を被せ、丁寧な仕草で雨の滴を拭う。

 その様子を眺めていたサイラスは、布で顔を拭いながら、しみじみとした口調で言った。


「……っかし、驚いたぜ。まさか、こんなところで、アイクに会うなんてよぉ」


 モニカも髪を拭かれながらフンフン頷く。わたしもすごく驚いてます、というアピールだ。

 アイザックは二人から濡れた布を回収すると、目尻を下げて薄く笑う──あれは、ニコリと微笑んだのだ。

 

「サイラス兄さん。エリン公爵から、対竜用索敵魔導具の共同研究者の名前は聞いていない? サザンドール在住で、水中索敵術式を研究している」


「……あ? お前、なんで、その話を……」


「共同研究者のアイザック・ウォーカーだ。どうぞ、よろしく」


 サイラスとモニカは大きく目を見開き、声をあげた。


「共同研究者ぁ!? お前がっ!?」


「は、初耳ですっ! ……わたし、師匠なのに……師匠なのにぃ……!」


 モニカは驚愕すると同時に、アイザックがどうやって対竜用索敵魔導具の設計図を手に入れたのかを理解した。

 なるほど、共同研究者になれば、設計図を手に入れることもできるだろう。

 しかし共同研究など、思いついてすぐに成立するようなものではない。

 この手の共同研究には、資金、研究設備、はたまた権利など、煩雑な手続きがある筈だ。一体、いつから根回しをしていたのやら。

 モニカが物言いたげにアイザックを見上げると、アイザックは申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめんね、モニカ。ほら、こっちに戻ってから、ちょっとドタバタしてたから……」


 確かに、アイザックはサザンドールに戻ってすぐに、〈暴食のゾーイ〉と遭遇し、フェリクス王子の顔を失っているのだ。ちょっとドタバタしていた、どころの話ではない。

 納得するモニカの横では、サイラスが驚きつつも、喜びを隠せないような顔をしていた。


「そうか、お前が……あぁ、くそっ、そういうことならもっと早く言えってんだ! お前と俺で共同研究だなんて……」


 サイラスが撫でつけていた金髪をグシャグシャとかき、噛み締めるように呟く。


「……まさか、こんな日が来るなんてなぁ」


 その一言には、モニカの知らない万感の思いが込められていた。

 アイザックは穏やかに「そうだね」と頷き、二人に椅子を勧める。


「七賢人同士の話なら、僕は席を外した方が良いだろう? お茶とお菓子の用意をしてくるから、話が終わったら呼んでくれ」


「おぅ、茶は少し濃いめで頼む」


 サイラスの注文に、アイザックは懐かしそうに目を細め、喉を鳴らして笑いながら訊ねた。


「パイ生地はこんがりと?」


「あぁ、フィリングで湿ったパイ生地が、シナ……ってなってんのが、どうも好きじゃねぇ」


「昔、生焼けだって騒いでたね」


「火が通ってないんじゃなくて、具の水分でふやけてたって、知らなかったんだよ」


「賢くなったね、サイラス兄さん」


「アイク、てめぇ、この野郎! 兄貴分は敬え!」


「はいはい、リーダー」


 アイザックはクスクス笑いながら、居間を出ていく。

 アイザックの背中を見送り、モニカは思ったことをそのまま口にした。


「アイク、嬉しそう」


 からかい混じりの言葉の裏側にあるのは、親しみだ。

 アイザックが自覚しているのかどうかは分からないが、サイラスと話す時のアイザックは少しだけ口調が砕けて、朴訥とした喋り方になる。

 モニカはフェリクス王子として振る舞う彼が、堂々とした振る舞いで流暢に喋る姿を見ているので、なんだか不思議な気持ちだった。

 サイラスは照れ臭そうに笑いながら、椅子の背もたれに背中を預ける。


「話しこんじまって、すまねぇな、姐さん。……ついつい懐かしくてよ」


「いえ、アイクが嬉しそうだと、わたしも嬉しいです」


 なにより、アイザックがアイザックとして振る舞える相手がいることが、モニカには嬉しい。

 モニカの弟子のアイザック・ウォーカーは、どこにもいない幽霊なんかではないのだ。


(……それにしても)


 モニカは台所に繋がる扉をチラリと見る。

 任務でルガロアに滞在した際に、サイラスから聞いた話を思い出したのだ。


「あの、サイラスさん。前に話してた、隣の家の医者の息子って、もしかして……」


「……俺が話したこと、あいつには内緒にしといてくれな」


 やはり、以前サイラスが語っていた、父親を亡くした少年とは、アイザックのことだったのだ。

 大人達に隠れて、声を殺して泣いていた少年の話を思い出し、モニカは膝の上で拳を握る。

 そうして、気まずそうな顔をしているサイラスを見上げて言った。


「わたし……サイラスさんが、アイクの友達で良かったって、思います」


 サイラスが軽く目を瞬かせる。

 モニカは指をこね、小さく微笑んだ。


「サイラスさんのおかげで、わたしもちょっとだけ、アイクのことを、知ることができたので」


 モニカの言葉に、サイラスは唇の片端を持ち上げ、歯を見せて笑った。


「姐さんは、本当にアイクの師匠なんだなぁ……」


「えへへ……はい、師匠です」


 二人は不器用に笑い合い、各々の感情を胸に落とし込む。

 色々と複雑な感情もあるけれど、それでもアイザックを知ることができて良かった。

 今のモニカは素直にそう思えるのだ。


「──っと、いけねぇ。本題を忘れて、茨の姐さんにどやされるとこだった。まずはこれ、結界の兄さんからの指示書な」


 サイラスは上着の中から、油紙に包んだ手紙を取り出す。

 そこにはルイスの筆跡で、王都の現状と今後の指示が記されていた。


「王都は変わり無し。竜害の兆候も無し。姐さんが開発した、影を引き剥がす術式は、王立魔法研究所で検証するから、実行は指示を待てってさ」


 ルイスも魔法研究所の職員達も皆優秀だが、それでも検証には時間がかかる。術式を受け取って、その日の内に検証終了というわけにはいかない。

 早くても数日はかかるだろう。


「それと、こっちにセオドアと〈暴食のゾーイ〉が現れたってのも聞いた。セオドアの野郎は潜伏が上手いみてぇだが、明日からは組合の魔術師総出でセオドアを探し出して、ぶちのめす予定だ」


「……明日から、ですか」


 今まで、人海戦術による大規模捜索に踏み切れずにいたのは、セオドアを捕まえる決定打が足りなかったからだ。

 誰かがセオドアを発見しても、機動力の無いモニカ達では、すぐに現場に駆けつけられない。

 だが飛行魔術の得意なサイラスが来てくれたのなら、作戦の幅は一気に広がる。


「あぁそれと、茨の姐さんから伝言だ。組合には夜までに戻ればいいから、ギリギリまで休んでおけってよ」


 どうやらメリッサにも、睡眠不足を見抜かれていたらしい。

 モニカは苦笑混じりに頷きながら、思案する。


(大規模捜索作戦は明日から……それなら……)


 実行は、今日しかない。

 モニカは密かに、一つの決意を固めた。



 * * *



 話が終わったところで、モニカが台所に声をかけると、アイザックが紅茶とパイを盆に乗せて戻ってきた。

 皿のように丸いパイ生地はまだ具が入っていない。空焼きしただけのパイだ。

 そこにアイザックは手早くクリームを流し込み、庭で摘んだブルーベリーとミントの葉を乗せ、切り分ける。

 アイザックがこういうパイの作り方をするのは珍しい。いつもは焼く前にフィリングを詰めて、パイ生地を蓋のように被せてオーブンで焼く作り方をする。

 だが今回、空焼きのパイに後からクリームを詰めたのは、サイラス好みのサクサクのパイを提供するためなのだろう。


「パイ生地がふやける前に召し上がれ」


 アイザックの言葉に、サイラスは何故か苦悶の表情で眉間に皺を刻んだ。

 鋭い目が、アイザックのエプロンをじぃっと睨む。


「気が利きすぎて、泣けてきたぜ。……なんで、アイクなんだ」


「どうして今の流れで、僕が罵られたんだい?」


 サイラスはフッと息を吐くように切なく笑い、首を小さく横に振った。


「いや、お前に非はねぇ。忘れてくれ……現実って、世知辛いよな」


「サイラス兄さんは時々、思い込みが強くなるから……きっと、理想と現実の差に打ちのめされてしまったんだね」


「アイク、お前、この野郎。正論で兄貴分を滅多打ちにするんじゃねぇよ」


 二人のやりとりを楽しく聞きながら、モニカはサクサクのパイを頬張る。

 少し堅めにしっかりと焼いたパイ生地と、酸味のあるクリーム、ブルーベリーの風味が心地良い。初夏にピッタリの爽やかなパイだ。

 モニカがパイを堪能していると、サイラスがモニカを見て言った。


「姐さん、アイクが生意気言って困らせたら、俺に言ってくれよな。俺からガツンと言ってやるからよ」


「モニカ、大きな後輩を持て余したら、僕に相談しておくれ。サイラス兄さんの弱味なら、十個ぐらいはパッと思いつく」


「てめぇ、アイク。兄貴分は敬え!」


「すぐに威張る兄貴分は尊敬されないよ、リーダー」


 悪態を吐くサイラスも、皮肉を返すアイザックも、なんだか楽しそうだ。

 モニカはついつい、ふふっと息を吐いて笑った。

 幸せな時間だ。この時間を作ってくれたメリッサに、モニカは密かに感謝した。



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