【3】暴食の贄
(まさか、〈星詠みの魔女〉が根回しをしていた相手が、クロックフォード公爵だったとは……)
ブラッドフォードの報告を聞いたルイスは、密かに驚きつつも納得していた。
メアリーは根回しをしたとは言ったが、誰にとは言わなかった。おそらく、クロックフォード公爵を毛嫌いしているルイスに配慮したのだろう。
(あの男に助けられるのは癪だが……これで状況が変わった)
古代魔導具〈暴食のゾーイ〉盗難事件は、関係者と国の重鎮のみに秘匿されていた事案だ。
だからこそ、容疑者セオドア・マクスウェルの追跡に人員を割けなかったし、セオドアをおおっぴらに指名手配することもできなかった。
だが、情報開示制限が緩和された今、七賢人及び、各兵団の上層部に情報が回される。
情報を扱う人間が増えるということは、それだけ情報が漏れる可能性も増える。それを覚悟の上で、この事態を速やかに治めるために国が動いたということだ。
ルイスは頭の中で作戦を組み直した。七賢人全員が動けるのなら、だいぶできることが増える。地下でジメジメしているレイも、引きずり出す必要があるだろう。
ルガロアに出張中の〈沈黙の魔女〉と〈竜滅の魔術師〉も、大至急呼び戻したい。
ルイスがその算段をしていると、メリッサが焦れたように声をあげた。
「よく分かんないけど、アタシは事情を教えてもらえるの? もらえないの? どっちよ」
「この状況を招いたのは、八年前に宝物庫から盗まれた古代魔導具〈暴食のゾーイ〉です」
ルイスが簡潔に言うと、メリッサは「やっぱりね」と呟き、ずる賢そうな顔で舌なめずりをする。
一方ラウルは、古代魔導具の存在を想定していなかったらしく、酷く驚いたような顔をした。
「古代魔導具が盗まれた!? それって、大事件じゃないか!」
「えぇ、大事件ですよ。力の強い古代魔導具は戦争の切り札になる。下手をしたら、隣国が契機とばかりに攻め込んでくる可能性もあった。だから秘匿されていたのです」
無論、全ての古代魔導具が危険な代物というわけではない。中には〈識守の鍵〉のように、あまり力の強くない物もある。
だが、〈暴食のゾーイ〉は王家の宝物庫で厳重に封印を施し、管理していた代物なのだ。
メリッサが赤く染めた爪でソファの肘掛けをコツコツと叩きながら、記憶を遡るように目を閉じた。
「〈暴食のゾーイ〉って、歴史書に記述の少ない古代魔導具よね。たしか、『願いを叶える奇跡の箱、ただし願いを叶えるには、大きな代償を必要とする』……ってとこだったかしら? それ以外の情報ってある?」
「八年前の盗難事件の際に、禁書室の文献を漁ったそうですが、めぼしい情報は得られなかったようです。現時点で判明しているのは、貴女が言った伝承と、闇属性の魔術を操るということぐらいです」
メリッサは肘掛けを叩く手を止め、ルイスを見上げた。
「あれだけ危険な魔導具なら、盗まれる前から封印措置はされてたんでしょ? 封印者は?」
「三代目〈茨の魔女〉、二代目〈深淵の呪術師〉、〈星詠みの魔女〉の三名です」
「……だから、新旧七賢人を保護するため城に集めてたわけね。三代目〈茨の魔女〉──サブリナおばあ様は既に亡くなっている。残る二人も今回の騒動で意識不明の重体。おそらく、封印は完全に解けてるって考えるのが妥当でしょうよ」
史上最短でクビになった元七賢人メリッサ・ローズバーグは素行に問題のある人物だが、非常事態における状況把握能力の高さは目を見張るものがあった。
早口で交わされるやりとりを聞いていたラウルが、腕組みをして首を捻りながら呟く。
「えーと、つまり、闇魔術を操るすごくやばい古代魔導具が野放しになってるから、回収しなきゃってことだよな」
「……そうね。とりあえず今はそれだけ理解してりゃ良いわよ。それで、古代魔導具を盗んだ犯人は分かってんの?」
メリッサの問いに、ルイスは僅かに目をふせた。
ルイスの脳裏に蘇るのは、クシャクシャの赤茶の髪の、気の弱そうな男。
「容疑者の名前は、セオドア・マクスウェル。〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルの実兄です」
「……セオドア?」
メリッサが訝しげな顔で名前を繰り返し、顎に指を当てて何やら考え込む。
知り合いに同じ名前の人間でもいるのだろうか? ルイスが訊ねようとした時、耳の奥でリンの声が聞こえた。
『ルイス殿、王都西の市街地でカーラを発見しました。フラフラと歩いています』
でかした、とルイスが褒め言葉を口にするより早く、リンが続ける。
『再会の喜びを表現するために、とりあえずカーラを抱きしめて良いでしょうか』
「馬鹿精霊っ!!」
突然怒鳴り出したルイスに、ブラッドフォード、メリッサ、ラウルがギョッとしたような目を向ける。
これでは自分が、突然独り言を口走る頭の可哀想な人みたいではないか。
ルイスはゴホンと咳払いをし、片手を挙げて弁明した。
「私の契約精霊が、王都西の市街地でカーラを発見しました」
そう説明して、ルイスは意識を集中した。
ルイスは意識すれば、契約対象であるリンの居場所を把握できる。
大体の距離を把握したルイスは、頭の中に地図を広げて思案した。
(王都西の下町か。裏道も多いから、潜伏したセオドアがカーラとこっそり合流するには最適の立地……)
今すぐカーラの身柄を確保しても良いが、できることなら、セオドアがカーラと合流したところで、まとめて取り押さえたい。
「リン、そのままカーラを泳がせて追跡。カーラがセオドア・マクスウェルと合流したら、即座に取り押さえなさい」
『再会の抱擁は……』
「今のカーラは操られて意識がないので無駄です」
『承知しました』
リンに指示を出し終えたルイスは、室内にいる三人に早口で告げる。
「私は今から現場に向かいます」
「おぅ、結界の。それなら俺も行くぜ。〈星槍〉のを相手にするなら、手は多い方が良いだろ」
ブラッドフォードの提案に、ルイスは頷いた。
〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルは一度に七つの魔術を操る魔女だ。
操られている状態でも〈星の槍〉が発動したことを考えると、七つの魔術同時維持も再現できると考えて良いだろう。
リン、ルイス、ブラッドフォードの三人が連携すれば、取り押さえることはできるだろうけれど、念の為に市街地に兵を回してもらった方が良い。
「ローズバーグ姉弟は、城の防衛に回っていただきたい。構いませんね?」
流石にこの状況で、七賢人全員が出陣というわけにはいかない。
城はまだ混乱状態だし、封印結界を施したメアリー達の監視も必要だ。
なにより、〈茨の魔女〉が操る茨は再生力が高く、防衛戦に強い。四代目、五代目〈茨の魔女〉が城に残れば、城の人間も安心するだろう。
事情を教えてもらえないなら帰るとゴネていたメリッサだったが、今はもう腹を括った顔をしていた。
メリッサはソファに足を組んで座り、踏ん反り返って鷹揚に笑う。
「いいわ。とっとと行って、犯人捕まえてきなさいよ」
「ありがとうございます。それとついでに、もう一つ」
ルイスは言葉を切ると、地下を指さしニッコリ微笑む。
「城の地下でジメジメしている呪術師殿を、引きずり出しといてください」
「……大量の塩がいるわね」
メリッサがしかめっ面で呟いた。
* * *
王都西の市街地を、赤茶の髪の男がフラフラと歩いていた。
男は困り顔で視線を右に左に彷徨わせており、一目で迷子になっていると分かる歩き方をしている。
「うーん、困ったなぁ……路地に入ったら、自分がどこから来たかも分からなくなっちゃったよぅ。サザンドールもそうだったけど、道が複雑すぎる……うぅっ。でも、早くシモベと合流して、集めた魔力を回収しなくちゃ……」
ブツブツと泣き言をこぼしていた男──セオドアは、懐に入れた宝石箱を服の上から撫でて、話しかける。
「お前の力って、すごいけど制限が多いねぇ……シモベにできるの一人だけだし、条件も厳しいし……ていうか、シモベにする条件の『縁を結ぶ』ってなんなのさ」
『ツナガリ』
「えーと、つまり……言葉を交わして何らかの関係を持つこと、みたいな?」
『カンジョウヲムケル、ムケラレル、リョウホウ、ヒツヨウ』
「おれ、ほとんど知り合いいないのにー……!」
懐の宝石箱──古代魔導具〈暴食のゾーイ〉は、非常に強力な力を持っているが、セオドアはその性能の全てを把握している訳ではなかった。
〈暴食のゾーイ〉はあまり説明が上手くないし、そもそも少し前まで封印状態だったのだ。
だからセオドアは殆ど試行錯誤しながら使っている状態だし、カーラを操れるようになるまで、随分と時間がかかってしまった。
〈暴食のゾーイ〉はセオドアの願いを叶えてくれる素敵な箱だ。だけど、そのためにはたくさんの魔力がいる。
「とりあえず、カーラをシモベにできたのは、ラッキーだったよね。この調子で、どんどん魔力を集めて……」
『オナカヘッタ! オナカヘッタ!』
「このタイミングで!?」
『ダイショウ! ダイショウ!』
「えーと、代償? ……あ、ただ魔力を食べるだけじゃ駄目なやつ? そっかぁ、完全に封印解けたから……」
古代魔導具は力が強ければ強いほど、相応の代償を必要とするらしい。
〈暴食のゾーイ〉もその例に漏れないのだが、この代償というのがまたややこしいのだ。
『ダイジナモノ、チョウダイ! ダイジナモノ、チョウダイ!』
「大事なものって言われても、おれは大事なものなんて、お前ぐらいしかないよぅ?」
『ダイジナモノ、チョウダイ! ダイジナモノ!』
懐の中で、〈暴食のゾーイ〉がセオドアの服を引っ張るように動き出す。
セオドアがアワアワしながら服を押さえていると、〈暴食のゾーイ〉がはしゃぐような声をあげた。
『イタ、イタ、アノコガイイ! チョウダイ、チョウダイ、ダイジナモノ!』
「……あの子?」
セオドアが目を向けた先には、いかにもお忍びという雰囲気の、育ちの良さそうな令嬢がいた。
* * *
レーンブルグ公爵令嬢エリアーヌ・ハイアットは先日、セレンディア学園を卒業したばかりである。
卒業式を迎えた後、エリアーヌは自領に戻らず、そのまま王都に滞在していた。
これから社交界シーズンが始まるから、わざわざ自領に戻るより、王都に滞在してしまった方が色々と都合が良かったのだ。
なにより、もうすぐ城でガーデンパーティが始まる。このガーデンパーティにエリアーヌも招待されていた。
(だから、わたくしが家に帰らないのは、何もおかしなことじゃないわ。そうよ、何もおかしくなんてない)
そう己に言い聞かせて、自領に戻ったら大量のお見合い話が待っているという現実から目を背ける。
セレンディア学園を卒業した令嬢の進路は、大半が結婚だ。
ブリジット・グレイアムのように外交秘書になる人間や、ラナ・コレットのように自ら商会を立ち上げる令嬢なんて、そうそういない。
エリアーヌもまた、実家に戻ったら然るべき相手と結婚することを望まれていた。
エリアーヌは王家の遠縁の娘だ。結婚したいと願う男性はいくらでもいる。
きっと自領に戻ったら見合いをさせられて、そのまま婚約、結婚と流れるように決まっていくのだろう。
(……だから、これが最後のチャンスよエリアーヌ)
城のガーデンパーティに参加する時のエスコート役に、グレン・ダドリーを指名するのだ。
(あの方は平民だけれど七賢人の弟子……グレン様が、どうしてもどうしても、わたくしのエスコートをしたいと言うのなら、根回しをして……)
そこまで考えたところで、エリアーヌは俯き足を止めた。
少し離れたところを歩いている護衛二人が、「どうしました?」と心配そうにエリアーヌを見る。
「グレン様は、わたくしのこと……エスコートしたいって、言ってくれるかしら」
「勿論ですよ、お嬢様」
「こんなに可愛らしいお嬢様をエスコートしたくない男性なんて、いませんよ」
護衛達は、しきりにエリアーヌのことを褒めちぎってくれるけれど、これっぽっちもエリアーヌの慰めにならなかった。
今日のためにエリアーヌは自慢の白い肌を磨いて、白粉をはたいてきたし、ふわふわした小麦色の髪も丁寧に香油を馴染ませて、リボンを編み込み、可愛らしい髪飾りを挿している。
鏡に映るのは、グレンと初めて出会った頃より少し大人びた──それでもやはり、美人というよりは可愛らしい雰囲気の令嬢だ。
グレンの好きな、キリッとしたかっこいい女性には程遠い。
「なんだかお城の方が騒がしいみたいだし、今日はやめにしようかしら。やっぱり明日に出直して……」
臆病風に吹かれ、踵を返そうとしたその時、背後でドサッと何かが倒れる音が聞こえた。
振り返ると、エリアーヌの背後で護衛の男二人が地面に倒れているのが見える。
二人とも意識は無いのか、硬く目を閉じていて、肌には黒いアザが浮かんでいた。
「……え?」
何が起こったのか理解できず立ち尽くすエリアーヌの元に、路地の奥から一人の男が近づいてくる。
ボサボサの赤茶の髪をした、冴えない雰囲気の男だ。
男はその手に黒い宝石箱を載せ、のんびりした口調で、エリアーヌに訊ねた。
「ねぇ、お前の大事なものは、なぁに?」