【8】ノーマン少年の事情
気絶したヒューバードを、アイザックとアガサが無言で縛り上げている。
それを横目にモニカが胸を撫で下ろしていると、駆け寄ってきたイザベルがモニカの首ねっこにかじりついた。
「お姉様ぁぁぁ〜〜〜っ、わたくし……わたくし、ハラハラしましたわぁ〜〜〜!!」
「えっと、あの、作戦に協力してくれて、ありがとうございました」
ヒューバードの魔導具を無効化するには、その魔導具に触れる必要があった。
だからモニカが魔導具にこっそり近づけるよう、イザベルは村の子どもにモニカの上着を被せ、カモフラージュをしてくれていたのだ。モニカを抱き寄せるふうを装って、己の体で少年の体を隠しながら。
今回も、モニカはイザベルの機転と演技力に救われたと言っていい。
モニカの外套を羽織っていた村の少年は、驚きを隠せない様子でモニカを凝視していた。
魔術に関する知識がない人間には、この場で起こったことを理解するのは難しいだろう。
ヒューバードの魔導具も、それを書き換えたモニカの技術も、そして無詠唱魔術も、そこらでお目にかかれるような技術ではない。
だが少年はモニカを真っ直ぐに見て、ポツリと呟いた。
「……すごい」
この少年は、この場で起こったことを、全て正しく理解しているのだ。
(やっぱり)
モニカはとある確信を胸に少年に歩み寄ると、コホンと咳払いをした。
居住まいを正したモニカにアイザック達も注目する。
そんな中、モニカは口を開いて少年に問いかけた。
「あなたが……六番目の〈沈黙の魔女〉ですね?」
少年は真顔で答えた。
「いえ、違います」
「…………………………え」
「違います」
「………………」
モニカはふらりとよろめき、その場にしゃがみ込んで頭を抱えた。
(わぁぁぁぁぁ……自信たっぷりに訊ねたのに。それも「かっこいい師匠」っぽく、ちょっとかっこつけて言ったのに……は、恥ずかしい……っ! 机の下に潜りたい……っ!!)
錯乱したモニカがフラフラと机に近づくと、少年は申し訳なさそうな顔で言葉を続けた。
「えっとですね。六番目の〈沈黙の魔女〉役は村長なんです。でも……もう、お気づきかと思いますが、陰で魔術を使っていたのは、確かにボクです」
* * *
ラゴット領セチェン村の村人であるノーマン少年(十二歳)には、大切な仕事が二つある。
一つは村を訪れた旅人の案内。
そして、もう一つが……〈沈黙の魔女〉を演じる村人達の影に隠れて、魔術を使うことだ。
ノーマンの父親は元貴族の四男坊で、若い頃は魔法学校に通っていたらしい。
そこで魔術を学ぶも、元々の魔力量が少なかったため大成はせず、更には卒業前に実家が破産。
その後、庶民同然の暮らしをしていたところを母と知り合って結婚し、流れ流れてセチェン村で暮らすことになったのだという。
そんな悲惨な過去を、父はノーマンに笑いながら話してくれた。
どうしてお父さんは、そんな辛い話を笑いながらできるの? と訊ねたら、父は母の目を気にしつつ、声をひそめてこう言った。
──お前の母さんと会えた幸せに比べれば、大抵のことは些事だからね。
ちょっとおおらかで抜けていて、でも家族を愛してくれる父がノーマンは大好きだった。
だが、そんな大好きな父も母も、数年前に流行病で死んでしまった。
村に病気を持ち込んだ人間の身内というのは、えてして嫌われるものである。
だからノーマンは自分が石を投げられ、村を追い出されることを覚悟していたが、村の人達はノーマンに優しかった。
セチェン村は決して裕福な村ではない。皆、自分が食べていくことで精一杯だ。
それでも村人達は交代でノーマンの面倒を見てくれた。流行病で死んだ人間の息子なのに、嫌な顔一つせず。
だからノーマンは村人達の役に立ちたくて、自分にできることを懸命に考えた。
ノーマンはまだ子どもだ。力は弱いし、出来ることには限りがある。それなら少しでも知識を身につけようと、父の遺品である本を片っ端から読み漁った。
その中にあったのが、若い頃父が通っていた魔法学校の教本だ。ノーマンは教本を読んで、自分なりに魔術の勉強を始めた。
父は下級魔術師の資格も取れなかったと言っていたが、ノーマンには才能があったらしい。
独学で魔術を学んで一年が経つ頃には、ノーマンはほんの少しだけ魔術が使えるようになった。
……だが初級の魔術では小さな火を起こしたり、突風を起こすのが精一杯。これでは村の大人達の役に立つとは言い難い。
もっと強力な魔術が使えるようになれば村の役に立てるかもしれないが、父の遺品である初級の教本では、これが精一杯だ。
できることなら魔法学校に通って、もっと魔術を学びたい。だが魔法学校に通うには、とにかく金がかかる。
今、自分が使える魔術で、なんとか村の役に立てないか……そんなことを考えていたノーマンは、ある日、行商人から〈沈黙の魔女〉の噂を聞いた。
無詠唱魔術の使い手で、ウォーガンの黒竜とレーンブルグの呪竜を撃退した英雄。
その正体は謎に包まれており、公式の場にも殆ど顔を出さないという。
その時、ノーマンは閃いた。これは使える……と。
* * *
ノーマンの話を聞いたアイザックが、呆れ半分、苛立ち半分の目でノーマンを見下ろし、息を吐いた。
「それで、〈沈黙の魔女〉を騙って、客寄せすることを思いついた……と」
「はい。ボクが陰で魔術を使って、お客様をビックリさせるっていう演出で」
村の入り口で出迎えた第一の〈沈黙の魔女〉は火の魔術、悪漢からモニカを庇った第四の〈沈黙の魔女〉は風の魔術を、それぞれ披露している。
あれは全て、ノーマンが物陰で魔術を使っていたのだ。
ノーマンのように小柄な少年なら、物陰に隠れてこっそり魔術を使うのも難しくはない。
よくぞそこまで考えたものだと、モニカは密かに感心すらしていた。
だが、能天気に感心してるモニカの横で、アイザックが眉をひそめる。
「君達の行いを明確な犯罪とは言わないけれど……もし七賢人側が不快に思えば、この村は潰されるかもしれないね。七賢人は魔法伯の地位を持っている、れっきとした貴族だ。君達がしたことは、貴族の侮辱にあたる」
アイザックの指摘に、ノーマンは薄い肩をビクリと震わせる。
アイザックの言うことは正しい。それでもモニカは、この村もノーマン少年も罰しようとまでは考えていないのだ。自分の名前を出すのはやめてほしいなぁ、とは思っているけれど。
だからモニカは、怖い顔でノーマンを見ているアイザックの服をクイクイと引いた。
「あの、ですね……ここは、わたしに任せてもらえませんか」
「……何か考えがあるのかな?」
「はい」
モニカが頷くと、アイザックはそれ以上は何も言わず、モニカに場を譲った。
モニカは交渉が苦手だ。人見知りは相変わらずだし、できることなら人前に出たくはない。
今日だって、カッコイイ師匠として振る舞おうと思っていたのに、結局はアイザックやイザベル達に助けられてしまった。
それでも自分にできることはやらなくては、と思うのだ。
(だって、わたしは七賢人……〈沈黙の魔女〉だから)
モニカはコホンと咳払いをすると、自分を見上げるノーマン少年に話かける。
「あなたが使った魔術は、普通の魔術じゃなくて、術者から離れたところで発動する遠隔魔術でした。独学で、火と風の二属性を遠隔で使えるのは、すごいことだと、思います」
ノーマンはパチンと大きく瞬きをし、頬をじわじわと赤く染めた。
きっとこの村の人間は、ノーマンが使った魔術がどういうものなのかよく理解できていなかったのだろう。田舎村で魔術を目にする機会は滅多にない。だから、遠隔魔術がいかに高度なものかを誰も知らなかったのだ。
魔術師養成機関のミネルヴァでは、遠隔魔術は上級生になってから習う。それを独学で身につけたノーマンに才能があることは疑いようもない。
モニカはノーマンを安心させるよう、穏やかな声で告げる。
「だから、ミネルヴァで本格的に魔術を学んでみませんか?」
「ミネルヴァって魔術師養成機関の? でも、ミネルヴァに通うには学費が……」
「大丈夫です。わたしが推薦書を書けば、学費は免除してもらえる、ので」
モニカの言葉に、ノーマンはようやく何かに気づいたような顔をした。
「貴女は、もしかして……」
モニカは人差し指を己の口元に当てる。
そうして少年の疑問に沈黙で応え、〈沈黙の魔女〉は、はにかみながら微笑んだ。




