【24】人のエゴ
「……っていうのが、今回のダールズモアの赤竜調査の顛末でさぁ」
ルガロアの町中にあるとある宿の一室で、ロブソンは三日前の出来事を語った。
話が一段落すると、テーブルを挟んで向かいに座る男が、無言で銀貨を机に載せる。
顔に包帯を巻き、フード付きコートを羽織った背の高い男だ。包帯のせいで年齢は分からないが、若い男だろう、とロブソンは踏んでいる。
この包帯男は、ダールズモアの赤竜騒動が起こる少し前からロブソンに接触し、情報を売って欲しいと交渉を持ちかけてきた人物だ。
最初に接触してきたのは、おそらく金で雇ったであろう人間だったのだが、「代理人には情報は売れない」とロブソンがゴネたら、この包帯男が出てきた。
正直、最初話を持ちかけられた時は、ダニングの失脚を狙う竜騎士団の人間が依頼主かと思っていたのだが、この包帯男は竜騎士団の人間ではないだろう。
同じ竜騎士団員なら、それこそどこの団の所属かも、ロブソンは雰囲気で察することができる。
「〈沈黙の魔女〉は……」
包帯の下で男が口を開く。
取り繕った風ではないが、抑揚を殺した感情の読めない声だ。
「今、どうしている?」
「宿で謹慎されてますぜ。まぁ、今回の件についちゃ、ダニング団長の独断と暴走が原因ですから、そこまで酷い処分にはならないと思いますがね。俺の方でも、その辺は口添えするつもりなんで」
答えながら、ロブソンは少しだけ意外に思う。
この男が、〈沈黙の魔女〉に興味を持つとは思っていなかったのだ。
取引の時は最低限の言葉しか口にしないこの男が、わざわざ重い口を開いて〈沈黙の魔女〉の処遇を訊ねたのは、何かしら意味があるのだろう。
(まぁ、そこまで詮索する気はないが)
興味はあるが、詮索しすぎるとまずい相手だ、とロブソンは薄々察していた。
目の前にいるこの男は、おそらくある程度の地位にあり、そして人に命令することに長けた人間だ。振る舞いを見ていれば分かる。
その気になれば、ロブソンの首を飛ばすぐらい容易いのだろう。
「あぁ、それと、これがダールズモアの森で見つけたモンです。名前が書いてあるわけじゃありませんが、内容から察するに、あの魔法生物学者の物で間違いはないかと」
そう言ってロブソンは、森で見つけた鞄の残骸と、油紙に包まれた紙の束をテーブルに載せる。
紙に書かれている内容は汚れてだいぶ読みづらくなっていたが、竜の生態記録が殆どだった。紙の間には竜の鱗らしき物が挟まっていたから間違いないだろう。
包帯の男は無言で銀貨を三枚、机に載せた。
「もう少し色つけてもらえませんかねぇ? 古くなっちゃいるが、竜の鱗もついてる」
包帯男は無言で金貨を一枚テーブルに載せた。
毎度あり、と呟き、ロブソンは荷物袋の残骸を包帯男の方に押しやる。
包帯男は手袋をはめた手で紙の束を慎重に取り出し、そこに記載された内容に目を通した。
そうして紙の束に挟まっていた鱗をつまみ、窓から差し込む日の光にかざす。
「竜の専門家である、君の意見を聞きたい。この鱗は、生前の竜の物かい?」
包帯男の問いに、ロブソンはしばし考えた。
鱗の鑑定代ぐらいはサービスしても良いだろう。なにせ、金貨まで貰っているのだ。
「これだけ年月が経ってるのに、無加工でほぼ元形のまま残ってるってこたぁ、生前に剥がれた鱗で間違いないでしょう。大きさと色味から察するに、幼体から成体に変わる直前ぐらいの鱗じゃないですかね」
「竜種は?」
ロブソンは包帯男が光に透かしている鱗を、睨むように見た。
鱗は硬貨ぐらいの大きさで、暗いところでは黒褐色に見えるが、光にかざすとオレンジや赤、黄色にも見える。
「ちょいと分からないですねぇ。幼体の竜は鱗の色が曖昧なんで、鱗だけで種を判別するのは専門家でも難しい」
「そうか」
短く告げて、包帯男は鱗と紙の束を油紙で丁寧に包み、荷物袋に入れた。
そして、わずかに顔を上げてロブソンを見る。
初めてこの男の目の色を見たような気がした。
水色に緑を一滴混ぜたような、碧い目だ。
「君に接触するのは、これで最後になるだろう。だから、最後にもう一度だけ訊ねたい。八年前、ダニング団長と魔法生物学者セオドア・マクスウェルの間で何があったかを、君は本当に知らない?」
「それに関しては、何回聞かれても『そうです』としか言えませんぜ。本当に知らないんでさぁ。……ただ」
ロブソンは男の荷物袋をチラリと見て、目をすがめる。
「その鞄の残骸は、森の中に落ちていた。ダニング団長が魔法生物学者をしばいて、森の中に放り捨てるぐらいはしたかもって俺は思ってますよ。で、哀れ、魔法生物学者先生は、のたれ死んじまったと」
「もし、ダニング団長が、魔法生物学者セオドア・マクスウェルに何らかの危害を加えていた場合、相応の処分が下されるだろう。調査団の団長の座を追われる可能性もある」
「それも、やむなしじゃないですかね」
碧い目が、薄情者を見るような冷ややかさでロブソンを映す。
「君は、ダニング団長を失脚させたい?」
(鋭い旦那だ)
ロブソンは思わず皮肉気に笑った。
どうせこれで最後なのだ。少しぐらい愚痴をこぼしても良いだろう。
「俺ぁね、ダニング団長のことを心の底から尊敬してるんですよ。あの人は生涯を竜討伐に費やしてきた人だ。あの人に命を救われた人間は、一人や二人じゃない。かく言う俺も、何度窮地を救われたか分からない」
討伐専門の第一〜第三兵団と比べて、調査団は地味だ。
それでも、ダニングは英雄だとロブソンは思っている。
「だからこそ、あの人には英雄のまま引退してほしいんですよ」
竜害に遭った被害者だったり、或いは同じ竜騎士団の仲間だったり、救えなかった者が増える度に、ダニングは己の無力さを責める。
そうして竜への憎悪に思考が歪み、壊れていく。
「あの人はね、昔はもうちょい話が通じる人だったんですよ。だけど、竜への憎悪があの人を歪めちまった。段々と周囲の忠告に耳を貸さなくなり、どんな手を使っても竜を殺すことだけに固執した。誰か、あの人に引導を渡してやってくれって……俺ぁずーっと思ってたんですよ」
ロブソンは、自分の手でダニングに引導を渡すのが怖かった。
だから、誰かなんとかしてくれ、あの人を止めてくれと、他力本願なことを考えながら調査団員を続けてきた。
……だが、それもここまでだ。
「俺は、もう調査団員を辞めるつもりです」
「ダニング団長への罪悪感?」
「それもありますがね。今回、赤竜と話したの……あれが、まずかった」
狸に化けたダールズモアの赤竜は、流暢に人の言葉を操り、会話に応じた。
上位種の竜が人の言葉を理解することは知っていたけれど、今までロブソンが遭遇した中で、あんなにも友好的な竜はいなかった。
大抵は討伐対象で、人間を見下しているか憎んでいる竜ばかりだった。対話に応じようとする竜なんていなかった。
「勝手な話ですがね、言葉の通じない相手でいてくれれば、あれは災害だと割り切れたんだ。なのに、あんな人間臭い話し方をされちゃあ……」
ロブソンは片手で顔を覆い、情けなく笑う。
「憎みたく、なっちまう」
下位種の竜や、熊や狼のように、言葉が通じなければ良かった。
言葉が通じると、分かり合えるのではないかと期待をしてしまう。
そうして、それが叶わぬ現実に苛立ち、相手を憎みたくなる。
──どうして分かってくれないんだ、と。
「だから、ダニング団長みたくぶっ壊れる前に、俺ぁ引退します……軽蔑しますかい?」
「いや」
皮肉っぽい口調のロブソンに、包帯男は緩やかに首を横に振った。
そうして、ポツリと小さく呟く。
「……色々と、耳が痛いね」
なんとなく、包帯の下の顔はロブソンと同じように苦く笑っている気がした。