【7】狂犬、猟犬、忠犬の睨み合い
アガサはヒューバードとの距離を詰めると、掌の中でモップを滑らせるように前に突き出した。
腕力に物を言わせて槍を振るうのではなく、力を込めるべき瞬間を分かっている動きだ。
ヒューバードは氷の矢でアガサを牽制し、後ろに跳ぶ。
その時、すぐ横からナイフが飛んできた。アイザックの投擲だ。これは読んでいたので、ヒューバードはその場にしゃがみ、ナイフをかわした。
本当は防御結界を使いたいところだが、魔力の流れを乱す魔導具を展開しているので、モニカ同様ヒューバードも魔術を使えない。使えるのは手持ちの魔導具だけだ。
(……ナイフは囮かぁ)
ヒューバードは三白眼をぐるりと回し、自身の真横に目を向ける。
そこには既にアイザックが距離を詰めていた。アイザックは長い足で回し蹴りを繰り出す。
(これは、かわすのは無理だなーぁー?)
ヒューバードは己の右腕を持ち上げて頭を庇った。アイザックの重い蹴りに、腕のみならず肩までもがミシミシと軋む。
ゴロゴロと床を転がったヒューバードはすぐさま起き上がると、魔導具を起動し、雷の矢と氷の矢でアガサとアイザックを牽制した。
「んっんっん……いい動きだなぁ?」
アイザックの蹴りを受けたヒューバードの腕は折れてはいないが、しばらくは使い物にならないだろう。
第二王子のフェリクス・アーク・リディル殿下は、剣術や体術の授業も優秀だった、という話を聞いたことはある。
その時は、どうせ指南役が王族に忖度しているのだろうと思っていたが、予想以上にアイザックの動きはキレが良かった。
「……流石は天下のクロックフォード公爵。飼い犬の躾が行き届いてるじゃねぇか。大した猟犬だなーぁー?」
ヒューバードの挑発に、公爵の飼い犬と言われ続けたアイザックは笑みを浮かべた。
ただしゾッとするほど冷ややかな目で。
「その男の名を出せば、僕が逆上するとでも思ったかい?」
「違うのかぁ?」
ニヤニヤ笑いながら、ヒューバードは思考を巡らせる。
ヒューバードの無駄話はただの挑発じゃない。戦力分析のための時間稼ぎも兼ねている。
ヒューバード・ディーは狩りが好きだ。獲物の動きを分析し、己の仕掛けた罠にはめて仕留める。その瞬間のためなら、どんな労力も惜しまない。
(モニカは無力化した。オレンジ色の髪のお嬢は戦力外……アイザック・ウォーカー。予想以上に体術に長けている。手足が長いからリーチもある。ナイフ投げの投擲技術もかなり高いな。距離を開けた時は、常にやつの手元に注意が必要)
そして、アイザック同様に警戒すべきなのが、モップを握りしめた女。イザベルの侍女、アガサだ。
槍とは勝手が違うモップなのに、重心移動が完璧だった。モニカを紙一重で救出した技術といい、あれは少しかじった程度でできることじゃない。
「モップの女はケルベックの人間だったか? ……なるほど竜と戦い続けてきた土地の人間は、女も勇猛果敢な戦士ってぇわけか」
ヒューバードの言葉に、アガサは油断なくモップを構えたまま口を開いた。
「確かに私は、ケルベックの人間です。ですが、ケルベックの槍は竜を殺すための投げ槍が主。私が身につけた槍術は、対人戦闘に特化した異国の槍にございます」
なるほど、だからこそお嬢様の護衛に最適というわけだ。
このアガサという女が対竜戦闘に特化している戦士だったら、さほど脅威ではなかっただろう。対竜戦闘と対人戦闘は、それほどまでに違う。
(この女は人間と戦い慣れてやがるな。武器が長物だからリーチもある。簡単に仕留められる獲物じゃねぇ)
今、ヒューバードの前には二匹の獲物がいる。どちらも大物だ。
そんな大物を前にヒューバードは尻尾を巻いて逃げるつもりなど、さらさら無かった。
「いいぜ、いいぜ、いいぜぇ! あぁ、いいなぁ、最高だ! 楽しくなってきた!」
国内最高峰の魔術師である〈沈黙の魔女〉も、表向きは第二王子のエリン公爵も、モップを握りしめている侍女も、ヒューバードには等しく狩りの獲物だ。
モニカとヒューバードはまるで似ていないが、一つだけ共通点がある。
モニカが敵と定めた相手に対し等しく無慈悲になるように、ヒューバードもまた獲物と定めた相手に等しく無慈悲だった。
それが王族だろうと、七賢人だろうと、女こどもだろうと、それは変わらない。
ベロリと舌舐めずりするヒューバードを、アイザックとアガサは嫌悪に満ちた目で見ている。
その嫌悪に満ちた眼差しすら心地良く感じながら、ヒューバードは指輪の魔導具を起動した。
魔術師にとって最大のネックは詠唱に時間がかかること。それ故、魔術師は距離を詰められると弱い。
だが、ヒューバードの武器は魔導具だ。モニカの無詠唱魔術同様に、詠唱無しで即座に起動、連射できる。
「さぁ、かわせるかぁ?」
氷の矢がアイザックに、雷の矢がアガサに、それぞれ降り注ぐ。
どちらも、短時間だが追尾機能を持たせた矢だ。簡単にかわせる代物じゃない。
だが、アイザックは足元に転がっていた椅子を拾い上げて、それを盾代わりにして氷の矢を防いだ。そうして、椅子を盾にしたままヒューバードとの距離を詰める。
……この王子様は、椅子でヒューバードに殴りかかるつもりなのだ。
一方アガサはモップをぴたりと己の体に沿わせながら、踊るように床を蹴り、雷の矢を回避する。追尾機能があるにも関わらず、全てを回避したのだ。
更にアガサは矢を回避しながら距離を詰め、モップでヒューバードの眉間を狙った。殺意たっぷりに椅子をぶん回す王子様より、よっぽど美しい武人の動きだ。
アイザックの椅子と、アガサのモップが、同時にヒューバードを狙う。
ヒューバードはニンマリ笑うと、二人とはてんで見当違いの方向に目を向けた。
ヒューバードの視線の先にいるのは、床にうずくまっているモニカと、そんなモニカに寄り添っているイザベルの二人。
ヒューバードの思惑を理解したアイザックとアガサの顔色が変わる。
「……お前らは大事な大事なご主人様を、見捨てられないもんなーぁー?」
ヒューバードは口角を持ち上げて凶悪に笑い、指輪をはめた手を振り上げた。
指輪が輝き、ヒューバードの頭上に雷の矢が十数本浮かび上がる。
その矢が向けられた先にいるのは、モニカとイザベル。
「モニカ!」
「お嬢様っ!」
アイザックとアガサは、己の主人を庇うように雷の矢の前に飛び出す。
細い雷の矢は金色の雨のように降り注ぎ、アイザックとアガサを貫こうとした──が。
「……そこまで、です」
アイザック達を貫こうとした雷の矢は、全て見えない壁に阻まれ霧散する。
(防御結界? なんでだ? 今は魔力の流れを乱しているから、例え七賢人でも魔術は使えないはず──)
イザベルに支えられているモニカを凝視したヒューバードは、限界まで目を見開く。
イザベルが抱き寄せているのは、モニカじゃない。外套こそモニカのものだが、よく見ればそれは、先ほどヒューバードが見逃した村の子どもだ。
イザベルの体が壁になって、ヒューバードからはモニカの姿が半分も見えていなかった。だから、入れ替わりに気づかなかったのだ。
(……なら、本物は)
振り向いたヒューバードは見た。己を取り囲むように展開する雷の矢を。それはヒューバードの魔導具で作り出したものとはちがう。
ヒューバードの背後に佇むのは、魔導具のナイフを握りしめている〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。
村の子どもに上着を貸したモニカは、アイザックとアガサが戦闘している間に移動し、ヒューバードが仕掛けた魔導具を解除したのだ。
それもおそらく、負傷した足を引きずり、床を這いながら。
「随分と、根性が据わってるじゃねぇかぁ?」
「……今日のわたしは、かっこいい師匠、なので」
「あぁ? なんだそりゃ」
モニカが弟子を取ったなんて聞いたことがないが、どうやら今日のモニカは、泣いて逃げだすつもりはないらしい。痛いのも怖いのも苦手なくせに。
「ところで今日のダミー術式は、解除に何秒かかったんだぁ?」
魔導具の効果を書き換えるには、魔導具に仕掛けられたダミー術式を解除する必要がある。
二年前の魔法戦では、ヒューバードが作ったダミー術式を、モニカは五秒とかからず解除していた。
あの時の反省を生かし、ヒューバードは数年がかりで作ったとびきり複雑なダミー術式を、ナイフの魔導具に仕込んだのだ。
〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーのダミー術式を解除するために、モニカがかけた時間が一分。
それなら、ヒューバードのダミー術式解除には三、四十秒が妥当なところかと思いきや……。
「えっと、今日のは……十秒、かかりました」
「っは! あっひゃっひゃっひゃっひゃ!!」
ヒューバードは悔しそうに、それでいて心の底から嬉しそうに笑う。
ヒューバードは〈沈黙の魔女〉を自分の手で仕留めたいと心から思っている。
だけど、簡単に仕留められてほしくもないのだ。
モニカには、誰の手も届かない桁違いの化け物でいてほしい。
「やっぱお前は最高だぜ、俺の女王様!」
笑うヒューバードに、雷の矢が雨のように降り注いだ。




