【22】確実に、確実に
リディル王国竜騎士団、第七調査団団長ダニングは、この世に「確実」なものなど何も無いと思っている。
確実、とは彼にとってきっと永遠に届かぬ理想だ。
だからこそ、彼は少しでも理想に近づくべく、口癖のようにその言葉を口にする。
──わたくしは、確実を好みます。
──確実に、竜を討たねば。
──確実に、確実に、確実に……。
かつての彼は、確実に竜を仕留めるために己の体を鍛えた。幾つもの策を練ってきた。武器開発に尽力してきた。
それでも力およばず、彼は竜に腹を抉られた。強大な力を持つ竜の前に、いつだって人は無力だ。
幾つかの臓器が使い物にならなくなり、鍛えた体はあっという間に痩せ衰えた。家族も部下も失った。
──こんな悲劇は、こんな理不尽は繰り返されるべきではない。
だから、少しでも「確実な討伐」に近づけるためならば、ダニングは手段を選ばない。
八年前もそうだった。
『お願いだから、待っておくれよぅ。あの竜は悪いやつじゃないし、敵意もないんだよぅ。ちゃんと竜の領域に戻ってって、俺が説得するからぁ!』
そう言って、あの魔法生物学者はダニング達の前に立ち塞がり、任務を妨害した。
あの男は愚かにも、人ではなく竜に与したのだ。
だから、ダニングは確実に竜を討つべく……。
「ダニング団長」
部下に声をかけられ、ダニングは意識を切り替える。
「……何か見つけましたか?」
ダニングが声をかけると、ダニングに声をかけた若い団員が、とある木の根元を指差した。
この森は針葉樹が殆どだが、ごく僅かに広葉樹も混じっている。団員が示したのも、広葉樹の代表とも言えるオークの木だ。
そんなオークの木の根元近くに爪痕が残っている。爪の幅から察するに、それほど大きな生き物ではないだろう。精々ウサギぐらいだ。
それでいて、爪痕は鋭く深い。
一般的に、針葉樹よりも広葉樹の方が密度が高く硬いと言われている。
この爪痕を残した生き物は、硬いオークの木を選んで爪研ぎをしたのだ。
ダニングはその場にしゃがみ込み、地面を観察する。
雨水を吸ってぬかるんだ赤茶の土に、ペタリと張り付く一枚の鱗があった。大きさは親指の爪ぐらいか。
ダニングは鱗を拾い上げ、服の袖でそっと汚れを拭う。
暗い茶褐色の鱗だ。傾けると光の加減で黒、赤、橙、黄色にも見える。
(爪痕の大きさ、鱗の柔らかさから察するに、まだ幼体の竜のもの……)
幼体の竜がこの付近にいる──その事実に気づいてしまえば、赤竜が現れた理由は察しがつく。
母竜が、子竜を探しているのだ。
(これは、人に害なす竜を確実に屠る絶好の機会……)
ダニングは唇の端を緩やかに持ち上げ、部下に命じた。
「全団員に通達。子竜の痕跡あり。速やかに見つけ出し、捕獲せよ」
* * *
「……狼煙が上がった。緑のが三つだ」
先頭を歩くサイラスが足を止めて空を仰ぐ。
サイラスが見ている方角にモニカも目を向けた。
狼煙が上がっているのは、調査団の拠点の比較的近くだ。
「あのぅ、あの狼煙って、他の竜騎士団の方にも見えてるんじゃ……」
「いや。竜騎士団では、狼煙三つは『誤操作だから気にするな』ってのを意味してんだ」
七賢人になる前から竜討伐に明け暮れていたサイラスは、竜騎士団員と共同作業をしたこともあるらしい。
狼煙三つは、本来は誤操作の意。だからこそ、ロブソンもモニカ達にだけ伝わるサインとして利用したのだろう。
あれなら、他の竜騎士団員に狼煙について指摘されても、誤操作だったと誤魔化せる。
「うちの子が見つかったのかしら?」
おっとりと言う狸に、サイラスが険しい顔で言う。
「目撃情報だけの可能性もあるがな。とりあえず、一度戻ってロブソンと合流だ。姐さん、少し早足になるが、辛かったら言ってくれ」
「は、はいっ!」
なるべく後輩の世話になるのは避けたいので、モニカはとりあえず己に気合を入れ直した。
幸い、モニカ達が今いる場所は、拠点からそれほど離れていない。サイラスの飛行魔術を使えば、多少の段差は無視して進める。
小一時ほど早足で進み、モニカの呼吸がゼヒィゼヒィになり、拠点が見えてきたところで、草陰から「〈沈黙の魔女〉様」と小さな声が聞こえた。
目を向ければ、木の陰でロブソンが手招きをしている。
モニカは杖に体重を預けてヒィフゥと息を吐きながら、ロブソンの元に向かった。
モニカは今にも力尽きそうな有様だが、サイラスと狸はまだまだ元気だ。
サイラスは周囲を警戒しつつ、ロブソンに訊ねる。
「子竜の目撃情報が出たか?」
「えぇ、痕跡だけですが、運の悪いことに団長が真っ先に気づいたらしい。既に全団員に通達されてます」
ロブソンはチラリと狸を見て、気まずげに目を逸らした。
恐らく彼は、赤竜を見て言葉を選んだのだ。それだけで、ダニングがどういう指示を出したかが想像できる。
ダニングは子竜を見つけたら、母竜を誘き出すための餌にするだろう、とロブソンは言っていた。
子竜に対して捕獲命令が出ているのは間違いないだろう。
サイラスは舌打ちをして、竜探知用の魔導具を睨みつける。魔導具には、狸のフカフカの腹から出てきた「坊やの鱗」がセットされているが、未だ反応は無い。
モニカは呼吸を整えながら思案する。
(わたし達がすべきことは、ダニング団長より先に子竜を見つけて保護すること……)
ダニングが調査していたのは、モニカ達が調査していたエリアより更に北東の高低差の激しいエリアだ。
モニカの足で歩いていたら、ダニング達の方が先に子竜を見つけてしまうかもしれない。
モニカは頭の中に地図を描き、口を開く。
「サイラスさん、わたしを背負って、飛行魔術できますか?」
「そんなに長時間でなけりゃいけるが……」
モニカの提案にサイラスは難しい顔をした。
飛行魔術は便利だが、魔力の消耗が激しいので、人間が長時間使うのには向いていない魔術だ。
だからこそ、今回の調査中でもサイラスは段差のあるところでしか使わなかった。
だが、今は状況が状況だ。ダニングより先に子竜を見つける必要がある。
「飛行魔術で、ダニング団長達が調査しているエリアを優先的に探しましょう。あのあたりは高低差があるから、飛行魔術を使った方が早いです。サイラスさんの魔導具と併用すれば、先を越せる」
「姐さん。できるなら、ダニング団長に見つからずに子竜を保護したいんだろ? なら、森より高くは飛べねぇぞ? あんまり高く飛ぶと目立っちまう。そうなると、土地勘の無い俺には、ちぃと難しい……」
森の中を低空飛行で移動するとなると、木々と衝突しないように神経を使わなくてはならない。
そうして障害物を避けながら、土地勘の無い森を高速移動するのは、非常に迷子になりやすいのだ。
それでもモニカはキッパリと告げる。
「わたし、地図は全部頭に入ってる、ので。……移動速度と方角が分かれば、魔導具の感知結果と地図を照合できます」
サイラスとロブソンが驚いたような顔でモニカを見る。
モニカは端的に告げた。
「急ぎましょう」
いつになく強い口調のモニカに、サイラスは一つ頷き魔導具を差し出す。
モニカは右手に杖、左手に魔導具を握りしめた状態で、サイラスの背中におぶさった。
狸はモニカのローブのフードに潜り込み、小さな両手でモニカの肩に掴まる。
「はいはい、ちょっとごめんなさいねぇ……大丈夫? 苦しくない?」
フードに埋もれた狸が気遣うようにモニカに声をかけた。
首元がちょっと絞まって苦しいが、我慢できないほどではないので、モニカは小さく頷く。
「わ、わたしは大丈夫、です。えっと、サイラスさんは……」
「狸一匹ぐらい、大した重さじゃねぇよ」
「あらぁ〜、やだわぁ〜、この子ったらぁ。おばちゃん照れちゃう」
狸が短い前足を伸ばして、サイラスの肩をペチペチ叩く。
サイラスが眉間に皺を寄せた。
「……俺ぁ、喜ばれるようなことを言ったか?」
怪訝そうにボソリと呟くサイラスだったが、今が非常事態だと思い出したらしい。すぐに詠唱を始める。
サイラスの周囲に風が巻き起こり、ローブの裾をバサバサと揺らした。
「飛ばすぜ! しっかり掴まってろよ、姐さん! 狸のおばちゃん!」
「はいっ」
「はぁい」
サイラスの体はモニカと狸を乗せたまま、周囲の木より幾らか低いところまで浮かび上がり、勢いよく前進した。
森の中を飛んでいくサイラス達を見送り、ロブソンは無精髭の生えた顎を撫でてボソリと呟く。
「……どうぞ、お気をつけて」
呟き、ロブソンは大きな木の裏側に移動した。
そうして背負った荷物袋の中から、古びた布切れを取り出す。
先ほど、〈沈黙の魔女〉と別行動をとっている時に発見した物だ。
元の色が分からないほど汚れ、ボロボロになったそれは、おそらく元は荷物袋だったのだろう。
その荷物袋の残骸の中に、油紙に包まれた紙の束があった。
(おそらく八年前の魔法生物学者の物だな……さて、誰にこの情報を売るべきか)
ダニング団長か、〈沈黙の魔女〉か、或いは……。
(あの旦那なら、高く買い取ってくれそうだ)
胸の内で呟き、ロブソンは荷物袋を背負い直した。




