【7】苛めがいのない男
ルイスが手元の鐘を持ち上げて鳴らす。
今日は風の弱い日なので、リィン、リィンという澄んだ音は、遠くまでよく響き渡った。
サイラス・ペイジは鐘の音で、モニカ達の居場所を察知している筈だ。鐘を鳴らすと同時にその場を離れるという選択肢もあったが、モニカもルイスもそれを選ばなかった。
モニカの鈍足では大して距離を稼げないし、飛行魔術は極力使いたくない。
(わたし達が使える魔術は、ルイスさんとわたしの二人で二つ……)
手数が限られてくる状況で、飛行魔術に一手を使うのは悪手だ。
モニカの横でルイスが感知の魔術を詠唱する。手堅い一手だ。
魔法戦では感知対策のため、ギリギリまで魔術を使わず徒歩で接近する者もいるが、無詠唱魔術の使い手であるモニカを相手にするなら、あまり意味がない。
近づいてから詠唱していたら、モニカの無詠唱魔術の餌食になってしまうからだ。
おそらくサイラスは離れた場所から魔術を発動した状態で、一気に距離を詰めてくるだろう。
「感知魔術起動。南南西、距離一二〇。雷の魔術を感知」
ルイスが感知魔術を維持したまま、短縮詠唱で防御結界を起動。モニカとルイスの二人を包み込む結界を張った。
モニカの無詠唱魔術の方が、結界を張る速さは速い。
だが、結界の強度は圧倒的にルイスの方が上だ。だから、間に合う限りはルイスが防御結界を張る──打ち合わせをせずとも、二人は自然とそう動いた。それが一番合理的だからだ。
空から雷の槍が十数本飛来し、二人の頭上に降り注いだ。かなりの魔力を込めた強力な一撃だ。手抜きの防御結界など容易く貫く。
相手の力量を測る一手にしては、随分と重い攻撃だ。それだけこちらを警戒しているのだろう。
だがルイスの張った結界は雷の槍を完全に防ぎきった。
結界で敵を殴ったり轢いたりと物騒な発言が目立つルイスだが、彼は感知の魔術で敵の攻撃の威力を測り、最小の労力で最適な結界を張る手堅い戦い方ができる。
「南南西から南寄りに飛行魔術で迂回。そのまま直進してきます」
「撃ちます」
宣言し、モニカは無詠唱で風の刃を複数作りだした。
それと同時に、制限用魔導具の効果でルイスの感知の魔術が解除される。
モニカとルイスが維持できる魔術は二人で二つ。現在維持されているのは、ルイスの防御結界とモニカの風の刃の二つだ。
飛行魔術で急接近してくるサイラスに向かって、モニカは風の刃を放った。不可視の風の刃は回避は困難。防御結界で防ぐのが一般的だ。
だが、サイラスは風の刃が当たる直前で急旋回し、風の刃を全てかわした。
翼竜の眉間を一撃で貫くほど、高い命中率を誇るモニカの攻撃をかわしたのだ。
(あの人、飛行魔術の使い方が、すごく上手い)
モニカはサイラスの回避パターンを記憶しつつ、今度は炎の矢と風の矢を同時に放つ。
目に見える炎の矢に気を取られていると、不可視の風の矢に貫かれる。回避の難しい攻撃に、サイラスは空中で静止して防御結界を張った。
サイラスの防御結界がモニカの攻撃を全て弾く。
(防御結界の概算強度を算出……思ったより硬い)
「っらぁあああ!」
気合いの入った声と同時にサイラスが急降下してくる。
その手に握った杖の先端では、雷の刃が輝いていた。魔法剣の応用だ。
魔法剣もそうだが、武器に攻撃魔術を付与する戦い方は、「敵に向けて飛ばす」過程が無い分、魔力消費を抑えられるし、それだけ威力を上げることができる。
ルイスがサイラスを見上げたまま短く言った。
「同期殿、二手貰います」
「どうぞ」
頭上から降り注ぐ雷をルイスは防御結界で防いだ。これで一手。
そしてその防御結界を維持しながら飛行魔術を起動。これで二手。
ルイスは二つの魔術を維持したまま、サイラスの側面に飛び上がる。
* * *
(くそっ、どっちから来る!?)
眼下に〈沈黙の魔女〉、側面に〈結界の魔術師〉、攻撃を仕掛けてくるのはどちらか。
空中で防御結界に雷の槍を突き立てながら、サイラスは一瞬悩んだ。
その一瞬の間に防御結界がかき消え、頭上から氷の矢が降り注ぐ。
(無詠唱の遠隔魔術っ!)
眼下と側面の二箇所に意識を割いたところで、頭上から遠隔魔術で攻撃──敵の意識を引きつけるのが上手い。
対人戦に慣れてやがる、とサイラスは舌打ちしつつ、体を捻って雷の槍で氷の矢を叩き落とした。
氷の矢はいくつかはかわしきれず、腕に直撃する。
腕に激痛。痛みには慣れている。それよりも問題なのはダメージ量だ。
魔法戦ではダメージの分だけ魔力が減る。その減り方にサイラスはゾッとした。
今の攻撃で魔力が全体の四分の一ほど、ごっそり持っていかれている。
(多重強化されてる!? 多重強化と遠隔術式の両方を組み込んだ上で無詠唱だと!? ……バケモンかよっ!)
普通に詠唱したら、それなりに時間のかかる複雑な魔術である。それを無詠唱で繰り出してくるなど脅威以外の何者でもない。
(先に無力化しないとまずいのは、あのチビだ。だが……)
無詠唱の氷の矢が消えると同時に、側面から〈結界の魔術師〉が肉薄した。
サイラスは雷の槍を〈結界の魔術師〉に振り下ろしたが、〈結界の魔術師〉に直撃する手前で弾かれる。
(盾状の防御結界か……流石に硬いが、空中でいつまでも維持してられるもんじゃねぇ)
サイラスは飛行魔術を操って〈結界の魔術師〉の背後に回り込み、槍を振るう。
〈結界の魔術師〉は地面を軽く蹴るかのように、何も無い虚空を蹴って後方に飛び上がり、サイラスの攻撃をかわす。そして手の中で杖を滑らせるようにして、杖の先端でサイラスの脇腹を突いた。
実際には突いたというより、触れたという方が正しい。
魔法戦では物理攻撃でダメージを与えることはできないので、サイラスの脇腹には杖が軽く触れる感触だけが伝わった。
「一」
〈結界の魔術師〉が呟き、ニィと口の端を持ち上げて笑う。
次の瞬間、その姿がかき消えた──違う。斜め下に急降下して、サイラスの視界から外れたのだ。
その視界から外れた一瞬の間に、サイラスの右足と左足に杖の触れる感触がした。
「二、三」
サイラスの背筋がぞっと冷たくなる。
もし、あの杖に攻撃魔術を付与していたら? 既にサイラスは脇腹と両足にダメージを食らっていることになる。
「こ、のぉっ!」
雷の槍を足下の〈結界の魔術師〉に振り下ろした時にはもう、長い三つ編みがヒラリと宙を泳いでいるだけだった。
サイラスの左斜め後方に回り込んだ〈結界の魔術師〉が、杖の先端でサイラスの背中を上から順に三度突く。
「四、五、六──おやおや、この短時間で六回も刺されてしまいましたね」
〈結界の魔術師〉はフワリと体を斜めに傾けたまま、口元に手を当ててクスクスと笑う。
サイラスは迷うことなく距離を詰めた。
この状況、下手に距離を空けると〈沈黙の魔女〉の攻撃が飛んでくる。
だが、〈結界の魔術師〉との接近戦に持ち込めば、〈沈黙の魔女〉は仲間に当たるのを恐れて、下手に攻撃できなくなるはずだ。
「しゃぁっ!」
力と勢いの乗った渾身の突きを、ルイスは体を傾けてかわした。
地上だったら間違いなくバランスを崩すかわし方だが、飛行魔術を使っているから、不安定な体勢でもグラついて隙を作ることはない。
それどころか、〈結界の魔術師〉は驚くほど軽やかな動きでサイラスの懐に入り込み、サイラスの顔を覗き込んでニタァと笑った。
手袋をした指が、トンとサイラスの額を突く。
「七」
「──っらぁ!」
サイラスは杖に付与していた攻撃魔術を解除し、杖を握るのとは反対の左の拳に雷の魔術を付与した。
そうしてパチパチと音を立てる金色の拳で、〈結界の魔術師〉の腹を殴りつける。
だが、拳に伝わってくるのは硬い壁を殴ったような感覚。腹の辺りに防御結界が張られている。
〈結界の魔術師〉はスイッと後ろに飛び、ずれた片眼鏡を直しながら呟いた。
「槍術、体術はなかなかのものですが、緩急の付け方はいまひとつ……飛行魔術を使った対人戦は不慣れなようですね」
「俺の力は、竜を殺すためのモンだ」
竜を相手に立ち回るのと、飛行魔術を使った魔術師相手に立ち回るのとでは、まるで勝手が違う。
そもそも飛行魔術を使って、これだけ器用な接近戦ができる人間自体、そうそういないのだ。
サイラスが苦々しげな顔をすると、〈結界の魔術師〉は爽やかに笑った。
「ちなみに私は、対人戦も対竜戦もどちらも得意ですが。はっはっは」
「…………」
「七賢人になるのなら、両方できないと困るのですよ」
実に腹立たしいが、〈結界の魔術師〉は優男の癖にサイラスよりも遥かに戦い慣れていた。
人間の関節がどこまで動くか、視野の広さはどの程度かを全て理解した上で、サイラスが反撃できないギリギリの位置に周り、視界の外から攻撃を仕掛けてくる。
距離を開けたら恐ろしいのは〈沈黙の魔女〉、距離を詰めたら恐ろしいのは〈結界の魔術師〉──想定していた以上に恐ろしい組み合わせだ。
サイラスがゴクリと唾を飲んでいると、〈結界の魔術師〉は場違いなほど優雅に微笑む。
「ところでお気づきですか? 私、今日はまだ一度も、攻撃魔術を使っていないんですよ」
その言葉に続けるように〈結界の魔術師〉が短く詠唱をした。攻撃魔術の詠唱だ。
サイラスは再び詠唱をして、杖に雷撃を付与する。そして距離を詰めて槍を突き出した。
馬鹿の一つ覚えと思ったのか、〈結界の魔術師〉は詠唱を続けたまま上方に飛んでかわし、指を一振りした。
その前方に氷の矢が生み出される。
(攻撃魔術を使ったな!)
今、〈結界の魔術師〉は飛行魔術と氷の矢の二つの魔術を維持している。
もしこの状況で、〈沈黙の魔女〉が防御結界で援護したら、〈結界の魔術師〉の飛行魔術が効力を失って、墜落だ。
詠唱を聞く限り、氷の矢は追尾効果はなく、単純に飛んでくるだけの術式だ。これなら回避できる。
「伸びろやぁっ!」
サイラスは氷の矢を回避しながら、手に握る杖に魔力を込めた。槍の穂先程度の大きさだった雷の刃が蛇のようにしなりながら伸び、〈結界の魔術師〉の胴体を狙う。
(貰った!)
サイラスは勝利を確信しても、慢心はしない。
蛇のように伸びた雷の刃で、確実に正確に〈結界の魔術師〉の胴体を狙う……その瞬間、背中に痛みが走った。
氷の矢だ。回避したはずの氷の矢が背中に刺さっている。
(なぜだ? 〈結界の魔術師〉は氷の矢に追尾術式なんて組み込んでなかった。もっと単純な魔術だった。なんだ? 何が起こっている?)
その時、サイラスは気がついた。己の頭上で白く輝く門が開いたことに。
* * *
モニカは誰かと組んで魔法戦をしたことなど数えるぐらいしか無いし、連携の心得も無い。
それでも組む相手がルイスなら、やるべきことは実にシンプルだ。
役割分担をして、あとはひたすら合理的に動けばいい。
(ルイスさんは、わたしが攻撃の要だと言った……だったら、わたしは手数を最小限に絞って攻撃に専念した方がいい)
だからモニカは魔法戦開始と同時に一歩も動かなかったし、索敵術式も防御結界も使わなかった。ルイスが使う方が、自分が攻撃に専念できて合理的だからだ。
ルイスが「二手貰う」と宣言し、飛行魔術を使って空中戦を始めた時、モニカはすぐに気づいた。
この魔法戦で飛行魔術に一手使うのは悪手だ。それなのにルイスは合理的ではない選択をした──つまりこれは敵を撹乱するための行動。ルイスは囮だ。
ルイスの飛行魔術の使い方を見ていれば、それはすぐに分かった。
ルイスは空中で静止する時、必ず木の上で静止するのだ。いつ、飛行魔術を解除されても良いように。
(ルイスさんの身体能力なら、空中で飛行魔術を解除されても、下に木があれば対処できる)
だからモニカは攻撃の機会を虎視眈々と待ち続けた。
そして機会は訪れたのだ。
「ところでお気づきですか? 私、今日はまだ一度も、攻撃魔術を使っていないんですよ」
そう言ってルイスが詠唱をしたのは、氷の矢を生み出す攻撃魔術──飛行魔術と攻撃魔術の同時維持は、この状況では確実に悪手だ。防御手段が無くなる。
(ルイスさんが合理的じゃない行動をしたら、それは攻撃の合図……)
ルイスの狙い通り、サイラスは奥の手を使い、雷の刃を伸ばした。
そこでモニカはすかさず二つの魔術を起動する。
一つ目。精霊王召喚の門。こちらは起動に少し時間がかかるので、先に頭上に展開。
二つ目。遠隔術式と高度追尾術式を組み込んだ、氷の矢。それをルイスの前に作り、いかにもルイスが攻撃魔術を使ったように見せかけた。
サイラスはルイスの詠唱を聞いて、ただ真っ直ぐに飛ぶだけの氷の矢を作ったと思いこんでいた。だから一度かわすことはできても、その後の追尾に気づかずダメージを受けた。
そして、動きが崩れたところで、モニカは最後の一撃を放つ。
「開け、門。静寂の縁より現れ出でよ、風の精霊王シェフィールド!」
開かれた門から光の粒子が零れ落ち、白い輝きを伴う風の槍となってサイラスに降り注ぐ。
サイラスは攻撃魔術を解除し、咄嗟に防御結界を張った。だが、モニカが使える中で最も威力の高い攻撃魔術は、防御結界ごとサイラスを貫く。
「ぐぁあああっ!」
雄叫びをあげてサイラスが地面に落ちる。その体をモニカは咄嗟に風の魔術で受け止めた。
一方、モニカが二つの魔術を起動したことで、ルイスの飛行魔術はとっくに解除されている。
木の枝の上に落下したルイスは、枝を片手で掴んでクルリと一回転し、身軽に地面に飛び降りた。相変わらず、素晴らしい身体能力である。
ルイスは髪に絡まった葉っぱを払いながら、モニカとサイラスの元に歩み寄った。
「お見事です。同期殿」
「……はぁ」
結局のところ、ルイスは一度も攻撃魔術を使わなかった。
攻撃魔術を使う素振りだけで敵を翻弄し、モニカが攻撃をするための隙を作った。
そしてモニカは、ルイスが作った隙を読み取り、攻撃することだけに徹した。
連携というほど立派なことじゃない。ただ、役割分担が上手くいっただけだ、とモニカは思う。
「さて、まだ意識はありますね、サイラス・ペイジ?」
ルイスは地面に仰向けで倒れているサイラスの顔を覗き込んだ。
サイラスは苦しげに呻いているが、気絶はしていなかった。ただ、精霊王召喚をまともにくらったのだ。もう魔法戦を続けるだけの魔力は残っていないだろう。
サイラスを見下ろすルイスは、目に見えてルンルンとしていた。それでいて片眼鏡の奥の目は、嗜虐心に爛々と輝いている。
「見事な惨敗ですね、〈竜滅の魔術師〉殿」
「…………」
「魔導具による制限があっても、この結果です」
「…………」
「おまけに接近戦では一撃も入れることができないまま、七回も接触を許した」
「…………」
「我々を本気にさせるには、少し力不足だったようですね」
活き活きと相手の心を抉っていくルイスに、サイラスは苦い顔で呟く。
「あぁ、そうだな。俺の惨敗だ」
それは素直に事実を認め、自分の無力さを噛み締めるような呟きだった。
ルイスが少しだけムッとしたように唇を尖らせる。
モニカにはルイスが何を考えているか、大体予想がついた。ルイスはサイラスに、もっと大袈裟に悔しがってほしいのだ。
案の定、ルイスは不服そうに言った。
「もう少し悔しがってくれないと、罵りがいが無いのですが」
罵りがいという言葉がサラリと出てくるあたり、ルイスの人間性がよく分かるというものである。
だが、サイラスは実にあっさりした態度で上半身を起こした。
魔力が空になっても動くのには相応の訓練がいる。それだけで、彼が数多の激戦をくぐり抜けてきたことがうかがえた。
「俺の力不足は事実だろ。別にどうしても七賢人になりたい訳じゃねぇ。師匠の顔を立てるために推薦を受けただけだ。俺は竜がぶっ殺せりゃ、なんだっていい」
素気なく言うサイラスに、ルイスはいよいよ絶望的な顔をした。
あまりにもサイラスが真っ当なことを言うものだから、罵り言葉が出てこないのだ。
更に追い討ちをかけるように、サイラスはルイスに頭を下げた。
「さっきはチャラチャラしてるとか言って悪かったな、優男の兄ちゃん」
真っ当である。至極真っ当なサイラスの態度に、ルイスは感情の行き場を失ったような虚ろな目をする。
その時、モニカは確かに聞いた。
ルイスが悲痛な顔で「なんと苛めがいのない……」と小さく呟くのを。